九話 炎
「―――ラアアアッッ!!」
最初に動いたのはドントだった。
べガードへと一直線に走り出し、腰のあたりで構えた戦斧が弾けるように撃ち出される。
「脳が無いな。単純過ぎる」
べガードは上段に構えた火焔剣を悠然と振り下ろし、迎え撃とうとする。
しかし、衝突の直前でピカロアッシュが加速し、火焔剣よりも先に敵に到達する。
これがピカロアッシュの恐ろしさである。戦斧などのような大型の武器を振れば途中で速度を変えるには多大な負荷がかかるものだが、ピカロアッシュはそれをいとも容易く可能にする。それだけでなく、所有者の意識の外において所有者の意のままにその力を振るうため、予測が困難になり、迷えば圧倒的なパワーのもとに下ることとなる。だが―。
「言っただろう、単純過ぎると」
直撃したと思われた破壊の一撃は敵の鎧を掠めることすらなく空振った。それどころかべガードは火焔剣を振ってすらいなたかった。
がら空きとなったドントの胴体に火焔剣が振り下ろされる。
「―――アアアッッ!!」
しかし、ドントは本来ならば有り得ないはずの切り返しを見せた。
その重さと巨大さを活かして立ち回るはずの戦斧をあろうことか片手で持ち、手首の捻りだけで火焔剣と斬り合ったのである。
「何?」
これはさすがに予想外だったのかべガードが驚きの声を上げる。
そうしてできた隙を逃さず俺は周囲に炎弾を纏うように漂わせたままべガードの背後に回り込み、魔法陣を描いてそこへ拳を通す。
「《拳震波》」
「この…!」
べガードがピカロアッシュを斬り流し、そのままこちらへと剣を振る。
奴の中では確かに衝撃が暴れているはずだが、ものともしていない。
俺が剣を避けると周囲に漂う火焔剣の炎が一斉に襲い掛かってくる。それをこちらの炎弾にて相殺しようとするが、火焔剣の炎に炎弾が触れた途端に、こちらの炎弾が吸収され、敵の炎は火勢を増してしまった。
「《崩雷》」
咄嗟に描いておいた魔法陣を起動して迎撃する。
雷撃が炎を貫くと爆発し、俺はどうにか直撃を避けたものの肌を軽く焼いてしまい、やや炭化している。
「ふっ!!」
隙間を埋めるようにドントがべガードへと猛攻を仕掛ける。その間に魔法で応急処置を済ませ、戦線に復帰する。
このままではジリ貧だ。戦闘技術ではドントのほうがほんの少し勝っているようだが、俺が応急処置をしている僅かな時間であっても、斬り合ったドントは周囲の炎に焼かれ、皮膚が点々と炭化している。
強引にでも隙を作る必要があると判断した俺は、何度か訪れ、そして何度も潰されてしまっていた幾度目かの好機にて、べガードの体に魔法陣を描いた。
「《紫獄煉炎鎖》」
魔法陣から紫炎が溢れ出し、鎖となってべガードの右腕に巻き付いて地面に固定する。とどまることを知らない紫炎はさらに周囲に拡大し、円形のリング、結界を作り出した。
「ドント!」
「―――ダラアアアッッ!!」
俺の意図を即座に理解したドントが戦斧を最上段に構え、渾身の一撃を繰り出す。
目にも止まらぬ斬撃はべガードの胸部に付けられたヒビを決定的なものにし、傷から大量の血が噴き出した。
「…やりすぎだろ」
「…ああ、張り切りすぎちまった」
さすがに殺すつもりは無かったのだが、ここまで盛大に斬ってしまっては延命の望みは薄いだろう。
だがまあ、相棒が闇討ちされて離れ離れにされていたのだから、ピカロアッシュがここまで力を発揮するのも仕方ないところはあるだろう。
「にしてもよう。何だこの魔法。俺あ結構長く冒険者やってるが、こんな魔法見たことも聞いたこともねえぞ」
「当たり前だろ、俺が作った魔法なんだから」
「は?…お前がか?」
「ああ」
ドントが目を瞬かせる。かと思えば額に手を当てて笑い出した。
「かー、生意気なこった。まさかお前が魔法を自分で作っちまうとはなあ。鼻が高え」
「なんでお前が誇らしげなんだよ」
「何言ってやがる。後輩の成長を喜ぶのは上級冒険者としての責務みてえなもんだろうが」
「そうかよ」
言いながら、俺は仰向けに倒れたべガードの生死を確認しようとし、そこであることに気付いた。
「おいドント、あんだけ盛大にやっておいてなんで返り血を浴びてないんだ?」
「ん?そういや…なんで濡れてねえんだ?」
嫌な予感がした。そしてそれは次の瞬間に現実のものとなる。
所有者が倒れてもなお燃え盛っていた火焔剣の炎が伸び、紫炎の鎖を焼き尽くすと、《紫獄煉炎鎖》の結界が解除された。さらに、結界を作っていた紫炎が火焔剣に吸収され、炎の刃が紫色に染まる。
「警戒しろ!」
「分かってる!」
とは言うものの、周囲の魔力場が乱れすぎて属性魔法の使用はおろか、上級幾何魔法の感知すら難しい状況だ。何が起こるか分からない。
「魔剣が暴走したかあるいは…。とにかくここは危険だ。早く脱出し―」
「スメラギ!」
「―ドント!」
「な…ぐふっ」
口から血の塊を吐き出した斧使いのその胸には、深紅の刃が生えていた。
刃が引き抜かれるとドントはそのままうつ伏せに倒れるが、傷からは血が流れていなかった。
「幻術を見抜いていたのは貴様ら自身だろうに。一瞬でもそれを忘れるその驕りが身を滅ぼすのだ。人はいつもそうだ。どんなに徳を学んだとて、学んだという事実にしか価値を見出ださず、世を見ているつもりになっているから虚実が変容したことに気が付かない」
そう語った者の持つ剣に滴る血が音を立てて蒸発している。
つい今しがた死んだと思われていた騎士の顔には酷く嗜虐的な笑みが浮かんでいた。
「どうだ、格上を倒した気分は?まあ実際は幻だったわけだが」
べガードはゆったりとした歩みで近寄ってくる。
「くははは。貴様らごときが聖騎士である私を殺せるわけがなかろう」
そう言われて初めて気づいた。奴の鎧にはドントが刻んだとどめの一撃の痕が付いていない。
それから徐々に状況を把握できてくると、べガードの持っていたはずの火焔剣が見えなくなっていることにも気が付いた。否、火焔剣ならばある。奴の握っている剣から同質のものを感じるということは、あの深紅の剣が火焔剣なのだろう。というよりむしろ火焔剣の存在感がより強くなっているようにすら感じる。
「一体いつから…」
「答えてやる義務は無いがまあ冥土の土産のというやつだな。教えてやろう」
互いの間合いに完全に入っている距離でべガードが立ち止まり、火焔剣を頭上に掲げた。
「貴様が私を殴った時には既に幻であった」
やられた。その時点ですでに奴が幻であったのならいつでも奇襲はかけられたはずだが、そうしなかったのは恐らく、火焔剣の力を引き出すためだったのだろう。
魔剣の能力を解放し、ドントがやられたとなってはもはや勝ち目は無に等しいと言っていい。加えて逃走不可となればもう詰みだ。
ここまでか…。
諦めかけたその時、ふと一つの考えに至った。
ドントは倒れているが血が流れていない。傷が火焔剣のあまりの熱で焼かれたためだろう。だがそれならば、失血は少なく傷は塞がっていることになる。死んでいないならばレインの異能で治療できる可能性があるということだ。ともすれば諦めるわけにもいかない。
「では死ね」
火焔剣が振り下ろされる。
「断る」
「何?」
俺は反魔剣を以て渾身の力で深紅の刃を受け止めた。
べガードが一瞬驚きを露わにする。
「…図に乗るなよ、愚図が」
しかしべガードとの力の差は明白で、奴が力を入れればあっという間に押し切られて膝をついてしまった。
眼前に迫った火焔剣の熱は凄まじく、反魔剣でなければ剣ごと焼き切れていたに違いない。
「貴様のような罪人を一太刀で殺してやると言っているのだぞ。これは慈悲である」
「…俺が罪人なら…ドントを殺す必要が、あったのかよ…!」
「愚者の言だな。殺してはいない」
希望が見えた。殺していないということはドントは助けられるということだ。
「なら…どうして俺を殺す…」
「決まっているだろう?お前が反魔剣を持っているからだ。ああ、安心しろ。あの金髪の女もすぐに殺してやる。お前の後でな」
「させるか、よ…!」
火焔剣を斬り流し、鎧相手の定番である《拳震波》を発動し胸部を殴打する。
内側に響く衝撃をものともせず、べガードは追撃を加えてきた。それを回避し距離をとる。
やはりか、今確かに俺は命中させたはずだが、手ごたえが薄すぎる。だが奴の剣と斬り合ったということは、その瞬間そこに奴はいたはずだ。一体どういう絡繰りなのか。考えられることといえば、魔力場が荒れている今は断定はできないが、幻術で間合いを見誤らせている可能性が高いということ。
「その程度の距離は私の前では無に等しい」
一瞬にして距離を詰めてきたべガードに対し、俺はそれを予測し、奴の手元を狙ってまだ周囲に残っている《崩雷》と《風刃》を発動した。
案の定いとも容易く防がれるが、気を取られたその一瞬をついて再び距離を取った。
今のでほぼ確定だ。奴の常軌を逸した接近速度は幻術によるもので間違いない。
奴は急接近の直前に一瞬硬直する間がある。要は見掛け倒しなのだ。分かっていればどうということはない。さらに、態々幻術を解いてから攻撃することから察するに幻術には制限があるのだろう。ならばそこを突くほかない。
「無駄だ」
べガードは即座に距離を詰めてこちらの首を狙ってくる。それを倒れこむように上体を反らすことで回避し、そのままの勢いを利用し奴の腕が振り切られる前に前腕を狙って蹴り上げる。
「何―ぐっ…!」
蹴りが上手く腕に当たり怯んだ隙をねらって俺はべガードの内側から俺の後方へ向けて火焔剣を弾き、左手で腹部に《拳震波》を叩きこんだ。
「ぐふっ…!」
今度こそ奴に直撃した確かな手ごたえがある。
やはり攻撃の瞬間ならばこちらからも届く。それが確認できればもう切る手札は決まった。
「有り得ん…貴様ごときが、たかが蹴りで私の動きを止めるなど…。何をした!」
「足で《拳震波》を使った。それだけだ」
「ふざけるな!足で使えるはずがなかろうが!」
「実際にできたんだから信じるんだな」
「…馬鹿にしおって!」
だが、べガードの言う通り本来《拳震波》は足では使えない。だが、下級に位置する幾何魔法には常用外使用が可能なものがある。魔法陣が比較的単純だからこそできる芸当だ。勿論、常用外使用をすれば負担が大きいが…。現に俺は、足に負担がかかり鈍痛に苛まれている。
「焼き払え、レーヴァテイン!」
べガードが切っ先をこちらへ向けると火焔剣の刃が紫炎に変化し、極太の火柱となってこちらへ迫ってきた。
俺は空気を焦がしそうなほどのあまりの火力に危険を感じ、咄嗟に大きく飛び退いて回避する。
火柱はそのまま壁に衝突し、三メートルほども溶かしてから深紅の刃へと戻った。
「チッ。悪運の強い奴め。だが、次は無いぞ」
べガードはそう言って最上段に火焔剣を構える。すると、先ほどのように刃が紫炎に変化し、それどころか柄までもが紫炎と化し、剣の姿をした炎そのものを握る形となった。
これまでよりもさらに存在感が増した火焔剣に、俺はべガードがこれで決めるつもりだということをなんとなく感じ取った。
「この状態の火焔剣は触れれば跡形も残らないと思え」
「それが切り札ってことか」
「その通り。貴様の勝ち筋は万に一つも無い!」
完全に勝利を確信した声で言った。
人から強奪した剣でよくもまあここまで、と呆れそうにもなるが、今はそれどころではない。
できればやりたくはなかったが、足を痛めながらも俺は魔力循環を最大以上に加速させ、パフォーマンスを強制的に引き上げる。
戦闘において、普段から魔力循環はある程度加速させて戦うのが常識で、本来ならば体内でのみ魔力を循環させるため失う魔力は全くといっていいほど無いのだが、身体能力が向上する反面、加速させ過ぎれば体に負荷がかかる。
そこで俺はブーツの魔法陣を治療用のものに切り替え魔力を送り込んで体にかかる負荷を最大限軽減した。
「拙い魔力循環だな。魔力が漏出しているではないか。それでは一分と持つまい」
「だが効果は確かだぞ」
「ふん」
一瞬べガードの動きが固まる。
来る!そう思った時には既に体は動き出している。
狙うは奴が攻撃を仕掛けるために姿を現した瞬間の、奴の攻撃前。そこへ全力の一撃を叩きこむのだ。
「死ね」
「断る」