良いわけ無い
「もう、目を覚ましたか。……全く」
「レーナに何したんだ」
「知り合いの悪魔に頼んでな、眠らせてもらっているのだが……何度も何度もやっているうちに、効き目が薄くなったのかも知れん。目を覚ますまでの間隔が、短くなってきている」
「何度もって……あれから、どれくらい経ったんだ」
「三日ほどだな」
そんなにか……。
「あのさ……一度、レーナに会いたいんだけど」
「良いが、まともに話が出来るとは、思うなよ」
俺は、ナッハバールに連れられて、部屋に向かった。
そこに居たのは、まるで獣だった。
「……レーナ」
ベッドに、縛り付けられたレーナ。
血が滲んだ包帯が腹部に巻かれている。
俺は何も言えずにいた。
「見ての通りだ、暴れるのでな、その度に眠らせているのだ」
「ダイキ!これを外して!早く、外して!テルルを助けないといけないのだから早く!」
「で、でも、怪我してんだろ」
「そんなのどうでもいいの!テルルを助けないと……なの……」
レーナの目がゆっくり閉じられていく。
何が起こった。
「案ずるな、吾輩の知り合いの睡魔だ」
「睡魔って……居眠りとかのか?」
「それ以外に無いであろう。睡魔は世界中、どこにでも居る。決まった姿形も無いので貴様では見る事も出来ないだろうがな」
そうなのか……だとしても、一応言っておこう。
「ありがとな」
俺はレーナが寝ている部屋に向かって御礼を言って部屋を出た。
「な、なあ、レーナの傷は治せないのか」
「治療なら行っていると言っただろう、ここの医師と看護師が、頭を抱えておった」
「そうじゃなくて、なんか回復魔法みたいなモノですぐに完治出来ないのか」
「回復魔法か……使えるぞ」
「ホントかよ。じゃあ……」
「だが、吾輩には犬娘を回復してやる理由が無い」
「何だよそれ!」
しーっ、と器用に翼を人間の手の様に使っている。
「犬娘が起きるだろう、馬鹿者」
「隣の隣の部屋なんだから大丈夫だろ」
子供を寝かしつけたお母さんかよ。
「それで、理由が無いって何だよ」
「吾輩は犬娘の使い魔でもなければ、友人でも無い。そんな吾輩が、なぜ傷を癒してやらねばならない。どうにかしてやりたいなら、貴様で何とかするんだな」
どうにかしてやりたいけど、俺に何が出来る。回復魔法なんて使えない……あれ? 俺、確か意識を失う前に背中に痛みを感じた筈なんだけど。
全く痛くない、治ってる。
「なあ、俺の傷を治したのはお前か?」
「その通りだ」
「俺は、お前の友達でもないぞ、何で治した」
「それが、吾輩の役目だからだ」
「役目?そもそも、お前は何だ。不死鳥とは聞いたけどよ、何の目的でここに居る?」
「吾輩の目的か……それは」
『それは、お前の子守りの為に、オレが遣わしたからだ』
今の——⁉︎
『どうした、そんなに驚いて。初めてならまだしも、二度目だぞ』
「頭に直接、声が届くなんて普段ない事だから驚くに決まってるだろ」
『なら、安心しろ。これから、頻繁にあることになるぞ。よかったな』
「よくねえよ!」
あ、やばっ こいつには、俺が独り言を言った様にしか見えないよな。
「主よ、如何なさいました」
「お前、聞こえてんのかよ!」
「いちいち、喧しいぞ。馬鹿者」
この状況で、騒がない奴なんているかよ。
「このニワトリより、俺はお前の方が気になるんだが、声の主」
『声の主? おかしな呼び方をする奴だな』
「呼び方なんて、今はいいだろ。なあ声の主、お前に聞きたい事がある。まず、お前は何だ人間かそれとも別の何かか? それともう一つ、こっちの方が大事だ、お前は回復魔法が使えるか?」
『面倒な事を聞くなお前は。オレの正体は悪魔とだけ教えておこう』
悪魔……人間じゃないかもとは思ってたけど……悪魔が……取り憑いてるって言うのかこれ……? 何で俺なんかに。
『それと回復魔法だが、オレは使えんぞ』
ならやっぱり、ニワトリに頼むしかないのか……
『だがな、ダメージを他者に押し付ける事は出来る』
ダメージを他者に? 何だそれ?
「それって、どう言う事だ。押し付けるって、傷を他の人間に移せるってことか?」
『そうだ。この間、お前の身体を使ってやってみせただろ』
殴られた時と、刺された時のアレか!
『それと、あの汚らしい子供の首に付いていた物を逃げた男に飛ばしたのも、この力だ』
そうだったのか。
「じゃあ! それを使って、レーナの傷を俺に移せるんだな」
俺に移して、レーナの傷が無くなればテルルちゃん達を探しに行ける。
『それは無理だ』
「何でだ! 移せるって言ったじゃねえか」
『オレの力は、自分を押し付ける対象には出来ないんだ。やるなら、その辺を歩いてる他人を対象にするしかない』
そんなんこと、誰に頼めってんだよ。
代わりに、怪我してもらえませんかって。
『心配するな。押し付けるのに、相手の了承を得る必要はないぞ』
「余計ダメだろそんなの」
でも、そうすればレーナはテルルちゃん達を探しに行けるようになる。
仕方ないのか。
仕方ないよな。
仕方ない。
犠牲は仕方——
『ほら、あの辺の子供に押し付ければ良いじゃねえか』
その言葉を聞いた瞬間、奴隷の少女の姿が脳裏に浮かぶ。
俺は、あの子が虐げられ苦しんでいる姿を見て、怒りを感じたんじゃないのか。
それなのに俺は今、誰かを……くそっ
「……良いわけ無い」
『あ?』
「良いわけねえって言ってんだよ」
『良いわけ無いか……なら、どうするんだ。あの獣人の娘が回復するのを待っていたら、わざわざ助けてやった奴隷のガキと、もう1人の獣人の娘がどうなっても知らねえぞ。いや、もう3日も経ってるから今頃、死んでるかもな』
その可能性は高いよな……考えたく無いけど。
『死んでいるかもしれない者の為に時間を、命をかけるのは無駄な事だろう。なにより、面倒だろ』
面倒……無駄……確かにな。
だけど……そんな事、関係ない。
レーナは、いきなりこの世界にやって来て、パニクっていた俺を街まで案内してくれた。レーナからしたら、意味不明な発言ばかりする変質者に思えた筈だ。それなのに助けてくれた。テルルちゃんも俺を追い出そうとせずに受け入れてくれた。だから今度は、俺が2人の力になりたい。助けてやりたい。力不足でも何もしない訳にはいかない。
それに、あの子の名前を取り戻していないだろ、約束したのに。
何か……誰も傷を負わず、この状態を解決する方法はないか。
いや、待てよ。
「鶏とり貴族きぞく、いや……ナッハバール悪いけど」
「待て。それ以上は、言うな」
「大丈夫だ、痛いのは一瞬だ。多分、きっと」
「倫理観ゼロか、貴様」
「でもお前、不死鳥なんだよな」
「不死だから何をしても構わないというその考え方が、人間の考え方ではないと言っている」
不死鳥で回復魔法も使えるから、良い考えだと思ったんだけどな。
「吾輩に、妙案があるのだが聞く気はあるか?」
「妙案てなんだ」
「犬娘の傷を、あの受付嬢に押し付けるのだ」
「そんな事できるのか!」
ナッハバールは頷いてみせた。
「おい、声の主。お前の能力は、押し付ける相手が近くにいなくても使えるのか?」
『使えるが何だ』
「能力の効果範囲とか、発動条件とか無いのかよ」
『見た事が無いものには、押し付けられないという制約が有るがな』
それって、有って無い様なものだろ。
「なら、早くやっちまおう」
俺達は、再びレーナが寝ている部屋に向かった。
俺は眠っているレーナの腹部の包帯に、手を触れる。
レーナ、いま傷を無くしてやる。
「よし!始めてくれ、声の主」
『人使いの荒い奴だな。……押し付ける』
一瞬、光の筋が見えた様な気がした。
「んっ……」
おっ——!レーナが目を覚ましたみたいだ。
……よかった。
「……おはよう、気分はどう?痛みとか無い?」
「う、うん……」
どうしたんだ?なんか、目をパチパチさせてる。
「……ねえ、その手はなに?」
その手……? 何のことだ?
俺は自分の手を見る——⁉︎
しまったーーーー
この状況は、まずい! まずいぞ!
寝てる女性のそれも、拘束されている状態のところを、襲っている様にしか見えない!
レーナは、じとーっとした目で俺を見いる。
「いや、あの、これは、違くて。俺はただ、傷をなんとかしてあげたくて」
「いつまで、触ってんのよ!」
……仰る通りです。俺はゆっくり両手をあげる。
「あと、これ外しなさいよ!」
「あ、はい!」
俺は言われるまま、レーナの手錠を外そうと試みる。
頑丈過ぎるだろ……これ、鍵穴とか無いけど、どうやって外すんだよ。そもそも、繋ぎ目がないって、外せる気がしないんだけど。だいたい、日本で普通に生活していて、手錠を外す機会なんて無いから分からねえよ。
「何やってんのよ、早く外しなさいよ!」
んな事、言われたって。
「どけ、外してやる」
足元のナッハバールが、ぴょんっと跳び上がりベッドに乗ると、レーナの手錠をコンコンと嘴で突く。すると、一瞬で手錠と足枷が消えてレーナが自由になる。
自由になったその手で、レーナはナッハバールの首を鷲掴みにする。
「な、何のつもりだ犬娘……」
「今は、テルルを助ける事が最優先だから、何もしないけど、全部終わったら覚えてなさいよ」
レーナはナッハバールを放り投げると、そのまま部屋を飛び出して行った。
「……生き物を投げるとは、あれも倫理観に難ありか。それにしても、武器も持たずにどうやって連れ去られた2人を助け出すつもりなのだろうな」
「え!」
ホントだ持っていってあげないと、まったく……
「鶏貴族、レーナのあと追えるか?」
「問題ないが」
万能な鶏だな。
「貴様もあの2人を助け出すつもりか?」
「当たり前だ」
「貴様は何がしたいのだ」
「何って……あの2人を助けたいだけだ。話は良いから早く追ってくれ」
俺は、ナッハバールを抱えてレーナを追った。