差異の叫び
人間の種類、特に内面から出る個人の思想において、他人と完全に一致することなど絶対にないことは常識であるが、その個人と個人がぶつかった時には、他人の思想に影響されることや、衝突することや、相手を完全に否定して自分の思想を固くすることなどがあって、その行為によって僕は妙に怖くなって、泣いてしまいそうになった。
自分と違うことを考えている人がいることを知るということは、とてつもなく不安になることであった。
自分の存在する意義を他人に対して発表した時には、他人の思想の中でそれはどれくらい輝いてくれるのか。
僕は知りたい。
共感するとか、羨ましく思うとか、そんなことじゃなくて、存在を肯定してくれるのか。
僕は知りたい。
ほんの少ししか輝いてくれないのなら、僕は話を続ける。
少しでも光が大きくなるように。
小さな光のままだと、僕がいることに気付いてもらえないから。
だけどそれはあくまで、僕が知りたいことでしかないのだ。
他人は知りたいかどうかなんか、わからない。
知りたくない。
怖くて、泣いてしまうから。
僕は。そういう弱い人間なのだ。僕は。でもそれを、恥じてはいない。堂々と、堂々と自分を護っている。幸せなら、大海なんか知らなくていい。井の中で、一生を終えてもいい。もしあなたとこの意見が合わなかったとしても、僕を否定しないでほしい。僕もあなたを、否定しないから。価値観なんて陳腐な言葉でやっつけないでほしい。あなたは剣を持っているかも知れないが、僕は盾、しかも相当もろいそれしか持っていないのだから。