クロノスゲート1
懐かしい夢を見た気がした。
体が動かない。意識はあるものの、何処かぼんやりとした感覚だった。ピクリとも身動きできない状況だというのに、焦ることもなく落ち着いていた。
視界は暗く、何も見えない。此処は何処だろう。俺は何をしていたんだ。
いや、それより俺は……。
もしかすると、夢の中にいるのかもしれない。思考だけはしっかり働く。そんな時、小さな光を目にした。一筋の光だ。白い。とても儚げな光だったが、何となく尊い光のように感じた。
体を動かすことができれば、光のもとへ手を伸ばしたかもしれない。
ぼやけた視界も思考も徐々に活動させた。上半身を起こして周りを見渡す。
行儀よくベッドに寝ていたようだが、見覚えのない部屋だった。無機質な空間、ベッドの構造やカーテンがついていること。今は閉められていないので部屋を見渡せたが、どうやら病室のようだった。
「いや、何処だよここ」
とりあえずベッドから立ち上がってみる。窓から外の景色を見るが場所の特定の参考にならなかった。目の前には赤レンガの壁があったからだ。下を見れば綺麗に舗装された庭が見える。人が通る道も石のタイルで作られている。整えられた洋風のガーデニングだった。
外からの情報収集は諦めて部屋の中をもう一度見渡すと、大きな鏡を見付けた。自分の姿が明瞭に映っていた。俺は、灰色のブレザーを着ていた。どこぞの学生のようだった。いや、俺は確かにまだ学生だが。
「何でこんな服を着てんだ?」
疑問に感じたのは、制服のデザインだ。濃いグレーのズボン。白いシャツに赤いネクタイ。その上からグレーのブレザーを羽織っていた。俺の学校の制服はそもそも学ランでありブレザーではない。
「全く分からん。どうなってるんだ?」
いったいどういうことだろう。疑問しか浮かばない中、ズボンのポケットに厚みを感じた。探ってみると、そこに入っていたのはカードだった。
「こいつは……」
覚えている。『クロノスゲート』のカード。最も流行していると言ってもいいトレーディングカードだ。きちんと俺自身が組んだデッキが入っていた。不思議なのは、なぜケースにも入っていない素のままで入れてしまったかである。
「おやぁ、起きたのかね?」
「ぅおっ……!」
突如部屋の扉が開かれた。不意を突かれて驚いてしまった。そこには、白衣を羽織った美人女医さんがいた。きりっとした眼つき。透き通るような白い肌。ふんわりとした茶髪。俺と変わらない身長で、いかにも仕事できますといった出で立ちで現れた。
「そんな驚かなくて大丈夫よ。私は、エレーナ・デ・ルクス・ミンティア。ここの学校の養護教諭をしている者だよ」
丸い色眼鏡を中指で押し上げる。見た目、日本人のように思ったが、名前を聞く限り外人さんのようだ。ていうか、ここは学校なのか。となると、この部屋は保健室か。随分器具やら広さやら、ベッドの数やら金をかけているなと思った。
「君は気を失って倒れていたんでね。なので、私がここまで運んできてあげたのだよ。つまりは恩人だというわけだ。感謝し敬っても罰は来ないぞ?」
暗に礼を言えと言われた気がするので、ここは素直に応じておくことにする。
「あ、ありがとうございます」
「うむ。素直でよろしい。で、君はどうしてあんなとこに倒れていたのかね?」
「えーと、あんなとことは?」
どの場所を指しているのか分からず俺は尋ねた。聞けば体育倉庫で倒れていたらしい。なんだそれは。
「もしかして覚えてない?」
「えーと、そうですね」
「そうか。それは仕方ないな。じゃあ君の名前と所属を教えてくれ」
「あ、はい。えーと名前は……」
そこまで出かかった言葉を俺は呑みこんだ。自分の名前を答えるのに、何も躊躇する理由も必要もないはずだ。けど、俺は自分の名前が全く出て来なかった。俺は、俺の名前忘れている。
「俺は……一体誰だ……?」
「……もしかして君、記憶が……」
「……、そうみたいです」
俺は頭を垂れながら事実を述べる。記憶がないこと。自分が何者か分からないことにどうしようもない不安に押し潰されそうだ。
「……ホーリー……? いや、まさか……」
「え?」
「いや、何でもないよ。私としては、記憶がなく素性が分からない君は拘束すべきだろうけど、幸いその制服とそれを持っているとなるとその必要もなさそうだ」
さらりと物騒なことも言いのける人だ。それより、それと言ったのはこのデッキのことだろうか。
突然現れた闖入者。目の前のエレーナと名乗る養護教諭に驚いて、つい隠してしまったがしっかり見られてていたようだ。手に握るデッキ。俺の魂のカードたちである。
「なに、君も知っての通りデッキは登録しているだろう。あ、いや……覚えてるだろうか。それを照合すれば、いかに規模が馬鹿でかいこの学校だろうと所属も名前も分かるだろう」
分かるも何も、俺は絶対この学校だろうと所属してない。と思う。まぁ記憶がないので確定出来ないけど、トレーディングカードを登録する学校って何だよ。自分の中の価値観をぶっ壊された思いだ。
だが、自分がどこの誰かも、どうすればいいかも分からない状況だ。とりあえずはこの人のことにしたがっておくべきかと考えていた。その折だ。
「先生!?」