92話
ファーランド王城は森の木々をなぎ倒し、底の岩盤で地を削ったまま静止していた。 ユシリーン湖から外れ、墜落したように留まったファーランド王城の様子に王都はパニックになっていた。 指を差して叫ぶ者、愕然として立ち竦む者。 子供を抱き逃げ惑う母親。 乱雑に積んだ荷物を載せて走る馬車は競うように街道を駆けていく。 王城へ続く桟橋は見事に破壊され、慌てふためくギルド兵士やアルベルト配下の兵士、キールの私兵が乱戦状態になっていた。
「落ち着かんかバカ者が! 」
城門倉庫前を押さえたたキールは木箱の上に立ち、部下のみならず王都側のギルド兵に向けて喝を入れる。
「お前達が狼狽えてどうする! 国を護り、民を護るのがお前達の使命だろう! 争っている場合ではない! ギルドはすぐに市街地へ向かい、民の保護と救援に回れ! 」
片腕を包帯で首から吊り、杖を振り回しながらキールは檀上から指揮を取る。 老体とは思えない気迫にギルド兵士は1人、また1人と市街地へと走って行く。
「まったく…… まさか王城を動かすとはな 」
キールはあり得ない位置に移動したファーランド王城を見上げてため息を吐く。
「一体どうやって…… 」
キールの側にはアーティアが同じく王城を見上げていた。 アルベルトが王城に突入した際、アーティアは地上に残ったアルベルト配下の兵士を率いてキールの指揮下に就いたのだった。
「さぁな。 だが、あの小娘の仕業で間違いなかろう。 あるいはミナミか…… 」
「ミナミ…… ですか 」
キールは振り向かず、ややしばらく王城を見つめていた。
「…… 非常時とはいえ、またお前と会うことになるとはな 」
「…… 」
背を向けたままキールは言う。 アーティアもまたキールには視線を向けず、慌ただしくなっている城門前広場を見ていた。
「憎いか? 私が 」
「…… いえ 」
そうか、と言ったキールの表情はアーティアからは見えなかった。
「憎しみがない、と言えば嘘になります。 ですが、貴方はあの時領主として正しいことをした…… そうアルベルト様に諭されました 」
「アルベルトか…… 余計なことを 」
フッとキールは肩で笑った。
エルンスト領主キール・ハイデルンには一人娘がいた。 名をエリーといい、キールは片時も離れないほどエリーを可愛がった。 やがてエリーにも婚約者ができ、結婚してキールの屋敷を出ていった。 夫はラウルという平凡な村男。 貴族の中にはエリーに求婚する者が後を絶たなかったが、キールはそれを全て突っぱねたのだ。 政略結婚などさせない…… 娘は貧しくとも平穏な生活を望んでいるのだ、という親心だった。
ラウルとエリーはエルンストの端のクルーレンという小さな村に移り、静かで平穏な日々を送る。 やがてエリーは身籠り、女の子を出産する。 その女の子がアーティアだった。 その後弟ジゼルが生まれ、貧しくとも賑やかな日々を送っていたが、平穏な生活は続かなかった。
死の鱗粉という伝染病が村を襲ったのだ。
何が原因だったのかはわからない。 この伝染病に効く薬はなく、村人は次々と倒れて死んでいく。 エリーの一家も例外ではなかったが、アーティアだけは風邪の治療の為キールの元に預けられて幸い感染を免れた。 事態を知ったキールはすぐにギルドを率いて現地へ急行したが、クルーレンは既に死の村と化していた。 調査に当たったギルド兵士までも死の鱗粉の餌食となり、即座にキールは苦渋の決断をする。
村一帯を焼き払え
そんな死の村には奇跡的に生存者が一人いた。 村の外れの林に倒れているラウルとエリーに寄り添って呆けているジゼルだった。 死の鱗粉は子供ほど病の進行が遅いのが特徴だ。 だがキールはジゼルを助けることなく、ギルドに命じて一帯に火を放ったのだった。
「やめてー!! 」
その様子をアーティアは見ていたのだ。 事態を収拾する為の一団の馬車の中に、アーティアは遊び半分で隠れて乗っていたのだった。 燃え盛る炎の中に父と母がいる…… 泣き叫ぶ弟がいる。 炎の中へ飛び込もうとするアーティアをキールは抱き抱え、尚も泣きじゃくって暴れるアーティアの頬を叩いて無言で帰還したのだった。
「子供の私には見捨てたとしか思えなかった…… まだ生きていたジゼルを見殺しにした…… 」
「…… 事実だ 」
「そうですね、貴方はジゼルを殺しました。 でも仕方がなかった…… 死の燐粉の感染力は強く、一人でも感染者が居れば被害は大きくなる。 だからその土地全てを焼き払うしかなかった。 それがエルンストを…… 私を救う為に最善であって、それしか方法がなかったのだったのだと知るのにかなりの時間を費やしました 」
「それでも私は手の届く孫を見捨て、お前達の村を焼いた事に変わりはない 」
以降、エルンストで死の燐粉による死者は出ていない。 だがあれから20年、キールの脳裏には焼かれていくジゼルの姿が焼き付いて離れないのだった。
「もう憎まれ役を貫く必要はないんじゃないかい? キール 」
二人が振り返った先には、馬上から見下ろすミシェルとアリスの姿があった。
「フローラ様! 」
「聞いていたのか。 とんだ王女サマだなお前は 」
「立ち聞きするつもりはなかったんだけどねぇ、声をかけるタイミングを逃してしまったよ 」
ミシェルは馬から降りてアーティアに寄り、その大きな胸にアーティアの頭をそっと抱き寄せる。
「ふ、フローラ様!? あの…… 」
「キールもずっと苦しんでいたよ。 アンタも知っての通り偏屈ジジィだからさ、自分を憎むことで生きる糧になるのならとアルベルトの元に送ったんだよ。 このプライドの高いジジィが頭を下げてね 」
「…… はい、知っています 」
「もう良いフローラ、何を言おうが事実は変わらん。 それよりも 」
キールが王城を見上げると、ミシェルとアーティアも王城に視線を向けた。
「動き出したようだ 」
辺りに地響きが立ち始める。 底を引き摺り、砂煙を舞い上げ、木々を押し潰しながらファーランド王城は斜めに浮上し始めた。




