90話
本條さんに連れられて警察署を出た私は、駐車場に停まっていた一台の軽自動車に案内された。 この可愛らしい軽自動車が彼女の愛車らしく、署内で着替えさせられたスウェットに名取さんの薄手のジャケット姿の私はおとなしく助手席に乗りこむ。 手には名取さんが持たせてくれた紙袋。 中身は自腹で買ってくれたハンバーガーだった。 着ていたセーラー服は事件性を考えて鑑識に送った為、他の事件と無関係なら後で返却するという。
「あの…… ありがとうございます 」
「いいのよ、あなたに聞きたいこといっぱいあったしね。 とりあえずは…… あたしの家に行こっか。 着替えたいでしょ? 」
車は駐車場から出て、警察署の門を左に曲がる。 加減速がキツく正直上手い運転とは言えなかったが、久しぶりに乗る自動車はとても快適だった。
「あの…… どうして…… 」
「南海ちや…… あ、いや、倉科先生もそうだったなぁって 」
目線は前から逸らさず、笑いながら答えてくれる。
「え? 」
「イシュタルから戻ってきたんでしょ? 倉科先生と入れ替わりになっちゃった…… そんなところかな? 」
「なっ!? 」
この人、どこまで知ってるの!?
「そんな顔しないで。 これでも倉科先生の一番の理解者だと自負してるんだから 」
「イシュタルを…… ファーランド王国が実在するって信じてるんですか? 」
チラッと私を見た本條さんはフフっと笑って頷いた。
「だって〈イシュタルの空〉は、あたしが倉科先生に書いてみたら? って推した作品だもの 」
え……
「えぇー!? 」
大声で驚いてしまった。 クスクスと笑う本條さんは自宅に向かう間、ミナミとの出会いからの話をしてくれる。
「倉…… 南海ちゃんでいいか。 最初の出会いはね、記憶障害とか孤児とか、そういう人達が集まる施設だったのよ 」
「記憶障害? 」
「うん、そういう事になっていたわ。 この日本から自分の存在が消えてしまってる…… そう言って泣いてたっけ 」
イシュタルから戻ってきたミナミは、今の私と同じように親や友達の記憶から消えて戸籍すらない状態だったらしい。 病院で精密検査も受けたが異常はなく、行き場のないミナミは施設に預けられる事になった。 彼女自身は全てを覚えているから、イシュタルから戻ってきたらこうなってしまったと日々口にしては泣いていたらしい。
「その施設で私の友達が働いていてね。 私が作家探しで悩んでるのを知ってたから、ファンタジーじみた女の子がいるよって紹介してくれたの 」
最初は不思議ちゃんで、イッちゃったヤバい子だと思ったと本條さんは笑った。
「異世界転移なんて、所詮マンガやアニメの話でしょ? でも聞いているうちに、随分と細部まで拘ってるんだなって感心するようになったの。 ホントにその目で見てきたかのように、スキルは別として、町の様子とか世界観とか天候とか、人間関係や人物像とか。 これって小説一作出来るかも…… なんて考えたのよ 」
「それで〈イシュタルの空〉が…… 」
「そう…… あまり売れなかったけどね。 さ、着いたわよ 」
苦笑いしながら本條さんはマンションの駐車場に入っていく。 何回もハンドルを切り返しながら車を駐車スペースに納め、エレベーターで4回まで上がって一番手前のドアの鍵を開けた。
「狭いけど我慢してね。 イシュタルの宿屋よりはマシだから 」
入った部屋は10畳ほどの広さの1LDKだった。 奥の部屋は寝室で、シングルのベッドでほぼいっぱいだと言う。 あまり生活感はなく、仕事の都合で引っ越してきたばかりらしい。
「お茶でいい? あ、ハンバーガーあるならコーラかな? 」
本條さんは小さなローテーブルの上のパソコンを片付け、手際よく飲み物を出してくれる。 お礼を言って、私はコーラを頂いた。 久しぶりの炭酸が喉にキツくて軽くむせる。
「大丈夫? どのくらいイシュタルに行ってたの? 」
「いつだっけ…… 今日って何日ですか? 」
9月10日だよと教えてもらい、カレンダーを見ながら呆ける。 確か7月にある文化祭の出し物を決めていた時だったから…… 3か月近くイシュタルにいたことになる。
「3ヶ月…… 」
実際口に出してみると、とても長い時間のように思えて愕然とする。
「つい最近だったのね。 はいこれ、南海ちゃんのお古で悪いんだけど 」
そう言って本條さんは服を手渡してくれる。 お礼を言って広げてみると、胸にメーカーのロゴが入ったベージュのパーカーと紺のチェック柄のミニスカート。
「南海ちゃんは3年って言ってたな…… 高校時代のほとんどをイシュタルで過ごしたって 」
ねずみのキャラクターが可愛いマグカップを両手に、本條さんは苦笑いする。
「さっきの続き、話そうか。 食べながらでいいからねー、冷めたら美味しくないよ? 」
「あたしも最初は作家志望だったのよ 」
マグカップにコーヒーのおかわりを注ぎながら本条さんは笑う。
「でも書いた作品を持ち込みしても全部ボツだし、サイトに投稿しても読まれすらすれど大した評価は得られなかった。 才能ないんだなって諦めて、せめてそれ関係の仕事に就きたいって思いで編集マンになったのよ。 でも私が至らないせいもあって鳴かず飛ばずでね…… そんな時に南海ちゃんに出会ったの 」
正直なところ営利目的だったと言う。 行き場のなかったミナミは施設で細々と暮らしていて、国から戸籍を貰ったとはいえ、その経歴から就職先は見つからずにいた。 本條さんの後押しもあってイシュタルでのことを物語風に書き、作家として自立できるよう頑張っていたのだそう。
「私の作る物語なんて薄っぺらい…… その設定の凄さに嫉妬することもあった。 そりゃそうよね、実際に見た世界そのものを書いているんだもの。 その世界に私はどんどん引き込まれていったわ 」
それでも異世界があるなんてよく信じたなと私は思う。
「よく信じたな、なんて顔してるわね 」
!? 顔に出てただろうか。 言い当てられて体を強張らせると、本條さんはケラケラと笑った。
「図星? まぁ私自身も半信半疑だったしね。 でも何かの時にスキルの話でケンカになって、じゃあ使ってみなさいよって言ったら髪の毛が真っ赤に染まって。 あぁ…… この子本物だ、って確信したわ 」
「そういえば、こっちでもスキルが使えたって言ってました 」
「私もビックリしたけど、本人が一番びっくりしてたわ。 …… それから彼女は変わってしまったのだけど 」
「変わった? 何かあったんですか? 」
「スキルが使えるってわかってから、彼女は頻繁にスキルを使い始めた。 そこで新たにリンクというスキルを持っていることに気付いたのよ。 良くも、悪くもね 」
本條さんは浮かない顔をしていた。
「悪くも…… って、私はミナミのリンクに命を救われたんです。 何か悪いことってあるんですか? 」
「倒れたのよ、南海ちゃん 」
え……
「リンクが成功したのは一年くらい前の話。 あたしも側で見てたんだけど、目を離した時に床に倒れていたわ。 息もしてなくてね、慌てて救急車呼んで、人工呼吸して。 すぐ息は吹き返したんだけど、2日間目を覚まさなかった 」
マグカップを見つめる本條さんは苦笑いで私に視線を移す。
「目を覚ました時、南海ちゃん泣いて謝ってた。 死なせちゃった、ごめんなさいって 」
きっと朱の狂乱の事だと思う。 ミナミはキール卿が手を下すところまでその人にリンクしてたんだ……
「しばらくふさぎ込んじゃって、執筆どころじゃなくなった。 それでも半年後には、またリンクを使ったのよ。 やめなさいって止めたのにね 」
「やっぱり戻りたい、ってことだったんですか? 」
本條さんはゆっくりと首を横に振る。 ふう、と息を吐いて天井を見上げた。
「戻りたいとはちょっと違うかな。 自分のせいでファーランドが荒れてしまった…… その責任を取りに行かなきゃならないって。 だからどうしても行く方法を見つけなきゃって言うのよ。 思わずひっぱたいちゃったんだけどね 」
ハハハ、と天井に向かって力なく笑う本條さんの目には、涙が滲んでいた。
「あれは! ファーランドが荒れたのはミナミのせいじゃないです! 全てはバルドルのせいで、ミナミが責任を感じることじゃない! 」
「…… やっぱり似てるよね、翔子ちゃんと南海ちゃんって 」
「え? あ…… 」
なんの事かわからず無意識で触った髪が目に入った。
いつの間にかワインレッドに染まっている。
「何回かリンクを繰り返して、何回も倒れて…… その度に入退院をして。 ある日入院中の南海ちゃんに呼び出されたの。 希望が見えたって 」
「それが私…… 」
本條さんは微笑むだけで頷きはしなかった。




