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イシュタルの大地へ  作者: コーキ
4章 反旗を翻す者
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86話

「兵はいないようですね 」


 レベッカさんに続いて通路の奥の空洞に辿り着いた。 出入り口は他になく、人の気配は感じられない。 テニスコート位の広さで、八角形に整えられたこの空洞は上に向かって真っ直ぐ吹き抜けになっている。 その壁のどれもが鏡のように綺麗に磨かれていて、差し込む光はその壁に反射して中央に集められていた。


「これが浮翔石…… 」


 スポットライトに当てられたように光を受け、床に埋もれる形で部屋の中央に鎮座する濃い紫色の鋭く隆起した岩。 アメジストのような深い紫色の透明なそれは、石と言うより巨大な水晶だった。 ピリピリと背筋に寒気が走る…… その巨大さも相まって、気を抜くと吸い込まれてしまいそうな感覚になる。


「あ…… 」


 近づいて中心部分を覗くと、床に埋もれた先に光をたたえ、心臓の鼓動のようにその光が強くなったり弱くなったりしているのが見てとれた。 埋もれている部分がどのくらいかはわからないが、この見えている部分はほんの一部分でしかないことだけはわかった。


「…… なんか臭い 」


  一つ気になったのは、この浮翔石の空間が少し鉄のような臭いがすることだった。


「はい、血の臭いがします 」


 おもむろに浮翔石に鼻を近づけて嗅いでみると、この臭いは浮翔石そのものから出ているような気がした。 何気に指先で浮翔石を触ろうとしたその時だった。


  触っちゃダメ!!


 突然頭の中に響いたミナミの声に咄嗟に指を引っ込めたが、少し遅かった。


 「痛っ! 」


 パチッっと電気が走ったかのように指先が痺れる。 見ると触れた指先が切れて少し血が滲んでいた。  と同時に床が僅かに振動する。


「ショウコ様! …… なんだ!? 」


 レベッカさんが駆け寄って、よろめく私の肩を支えてくれた。


「どうされました? お怪我は?」


「これに触った時にちょっと。 なにこれ…… 」


「私もこれを見るのは初めてです。 ですが、これがミナミ様が仰っていた浮翔石ならば、すぐにここから離れるべきです 」


 私の肩を支えるレベッカさんの手に力が入っているのがわかった。 レベッカさんの顔を見上げると、彼女には珍しく焦っている。 


  ミナミ、どうなってるの!?


 私は体の奥に精神を集中して問い掛けたが、ミナミからの返答はない。


「ミナミ? ミナミ!? 」


 声にも出して呼び続けたが、やはりミナミからの返答はなかった。 床の振動は徐々に大きくなり、さっきより血の臭いが濃くなる。


「なんで…… 」


 頭の中はパニックだった。 唯一城内を知っているミナミは今、私の中にはいない。 床は揺れ続け、浮翔石を不用意に触ってしまった後悔が全身を硬直させる。


「脱出しましょう! お気をしっかり! 」


 力強く揺するレベッカさんを見た私の目は、よほど情けないものだったらしい。 レベッカさんは見開いた目を閉じて笑顔を見せると、ギュッと力強く私を抱きしめた。


「大丈夫、私がついています 」


 僅かに地面に吸い付く感覚があった。 ファーランド王城が浮上を始めたのだ。 その原因は私が作ってしまったのだと悟る。


「私…… 皆を助けるって…… 逃げ道を作るって…… 」


 王城を浮遊させている動力源が浮翔石で、その燃料となるのが光奴の血だとミナミは言っていた。 なぜ触っただけで指先が切れたのかわからなかったが、浮翔石は私の血を吸ったのだ。 浮翔石は起動して浮上を始め、私自身が王城を陸地から切り離してしまった。


「どうしよう…… 私、私! 」


「大丈夫です。 この命に代えても必ずお守りします 」


  この命に代えても……


 その言葉が皆の退路を断ってしまった証拠だ。 


「ダメ…… そんなのダメ! 」


 通路の奥から大きな破壊音が聞こえた。 そのすぐ後に男達の怒声が聞こえて近づいてくる。


「扉を破られたようです。 どうやらここは袋小路、正面突破しか方法はありません 」


 剣を両手で正面に構えてレベッカさんは大きく深呼吸する。


「いくら凄腕でも一人じゃ無理だよ! 」


「大丈夫、です。 通路を抜けられれば大広間、そこを抜ければすぐに空があります 」


 私だけならガルーダで逃げる事ができる、レベッカさんはそう考えたんだろう。 でもそれじゃ皆を助ける事にはならない。


「違う! それじゃ…… 」


「時間がありません。 決して私の側を離れないで下さい! 」


 そう言ってレベッカさんは通路の暗闇に走り出した。 呆然と見送ったそのすぐ後に、剣がぶつかりあう音が奥から聞こえてきた。 慌てて通路に駆け込むと、男の断末魔の叫びが通路に響き渡る。 薄暗い通路に横たわる動かない兵士達。 正面では時折火花が散り、男の絶叫と共にむせかえる生臭い鉄の臭いが襲ってくる。 必死にレベッカさんの後を追い、出口から漏れる光はもう目の前だった。


「があぁっ! 」


 光に映されたレベッカさんの影がよろめく。 ヒュン、と私の頬を掠めて風の音が飛んでいった。 


「レベッカさん!! 」


 走る足に力を込める。 出口の光の中に、弓を構えた兵士が一列に並んでいるのが目に入った。


 レベッカさんは矢で射抜かれたのだ。 兵士達はすぐさま次の矢を弓につがえていた。 動きの止まったレベッカさんがその次の矢をかわせない事は必至だった。


「ダメぇ!!! 」


 

 どうなったかなんてわからなかった。 レベッカさんを庇って前に出ようしたところで、身体中が突然熱くなった。 と、その時には全てのものがスローモーションだった。


 もちろん私自身もスローモーションではあったけど、いつの間にか手にしていた長剣で射られた矢を斬り落としていた。 私が突き飛ばしたのか、レベッカさんは通路の暗がりに吹っ飛んでいて、私はレベッカさんに向けて飛んできた矢を次々に弾いていく。


 勢いは止まらず、真ん中の弓兵の懐に飛び込んで袈裟に斬り上げた。 斬り口から一拍遅れて噴き出す血飛沫を身を引いてかわし、体を捻って右横の弓兵の首を一閃した。 背を向けた左の弓兵を返す剣で貫き、抜いた勢いで反対側の弓兵の胴目掛けて剣を振り切る。 私の意思とは関係なく体は動き、あっという間に数人の弓兵を斬り伏せていた。

 そこでスローモーションが解けた。 全ては体が動くままだった。 


「し、ショウコ…… 様? 」


 レベッカさんの言葉に振り返ると、目を丸くした彼女の肩に矢が刺さっていた。


  良かった…… 肩なら命は助かる


 私は兵士の方に振り返り、血糊の付いた長剣を振り払って見せた。 誰もが驚きの目を私に向け、足元の血溜まりで動かなくなった弓兵を見て恐怖に顔を強張らせる。


「…… ミナミだ…… 」


 兵士の誰かがそう口にしたのが聞こえた。 ザワザワと騒ぎ始めた兵士達に、私は一歩踏み寄る。


「朱の狂乱だ!! 」


 そんな声も聞こえた。 


「…… う、うおぁああ! 」


 先頭にいた兵士は叫び、剣を振り上げて襲ってくる。 その目は恐怖で揺れ、まるでバケモノに向かって足掻く苦痛の表情だった。 殺気を感じた途端に、また全てがスローモーションになる。 動きはとても遅く、自分の体は驚くほど軽い。 振り下ろされた相手の剣の柄を弾き、反転して横っ面に回し蹴りを叩き込む。 その瞬間にスローモーションは解けて、兵士は壁に叩きつけられた。


「ぎぃやアァあ!! 」


 一人の兵士が奇声を上げたのをきっかけに、兵士達は一斉に逃げ出した。 我先にと逃げる様子を、私は切っ先を向けたまま見送る。 残ったのは、突き飛ばされ、押し潰されて逃げ遅れた者だけ。 足はガクガクと震え、この世の終わりのような目をこちらに向けていた。


「朱…… 」


 兵士は突き放すようにそう言うと、『ヒィ!』と悲鳴を上げて這って逃げていく。


「ショウ…… ミナミ様! 」


 後ろから掛けられたレベッカさんの声に、私はゆっくりと振り向いた。

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