47話
泥だらけの光ちゃんの背中に乗る気にはなれず、地図を片手に光ちゃんと並んで森の中を歩く。 歩きながら固パンをかじり、少なくなった水筒の水を分けあって歩くこと数時間。 やっと目的のタノーラ湖が見えてきた。 タノーラ湖はレーンバードの西に位置するキャンベル山の麓にあり、キャンベル山から流れてきた湧き水が水源の小さな湖だ。
「へぇー、なんか秘境みたいな湖だな 」
森の奥地で近くに村もなく、険しい山道を歩いて来なければならないからか、人の気配は全く感じられない。
「あれ、ちょっと温い? 」
湖畔に着いて手を入れてみると生温い。 微かに温泉みたいな硫黄の匂いもするから、もしかしたら温泉なのかもしれない。
「んじゃちょっと行ってくる 」
光ちゃんは躊躇なくパンツ一枚になって湖に入っていく。 服は木の根本に置いて、後で洗うつもりらしい。 仕方ないな、洗っておいてあげるか。
「これ飲めるのかな…… 」
光ちゃんの服をもみ洗いした後、湖の水を両手に掬って少し舐めてみる。
「ん! ちょっとしょっぱい。 後で喉渇きそう…… 」
飲めるかもしれないけど止めておいた方がいい。 残り少ない水を補給出来るかと思ったけど、ちょっと予想外だったな……
「あいででででっ! 」
湖に体を沈めた光ちゃんが突然立ち上がり、背中に手を回して仰け反っていた。
「どうしたの!? 」
背中を引き摺ったせいで光ちゃんの背中は赤くなり、所々擦り傷や皮が剥けてる所もあった。 塩分が傷口に滲みるんだ…… なんか罪悪感がわいてくる。
「大丈夫? ねぇ! 」
「気持ちいい!! 」
光ちゃんは湖の真ん中に向けてバシャバシャと泳ぎ始めた。
「ねぇってば! 」
大きな声で叫んでも光ちゃんは泳ぎ続ける。 聞こえてるくせに…… 私は腰に手を当ててため息を吐き、しばらく光ちゃんのクロールを見守った。
「私も入っちゃおうかな…… 」
気持ち良さそうな光ちゃんを見てると、私も汗を流したくなってきた。 外を見てて貰えばいいよね? 光ちゃんが戻ってきたら言ってみよう…… そんなことを考えていた時だった。
「…… なにあれ…… 」
泳ぐ光ちゃんの頭上に、帯状の光が斜めに射し込んでいた。 雲から差した太陽の光なのかと思って空を見上げたが、夕焼けの色に染まる空から金色の光が差し込むわけがない。 まさかこれって!?
「光ちゃん! 」
私達を連れてきたあの眩い光だ! あの光に飛び込めば日本に帰れる! そう思っていたが、眩い光は湖面に届くことなくあっという間に消えてしまった。
「そんな…… 」
一歩も動けなかった。 こんなに近くにチャンスが巡ってきたのに…… 偶然というのが奇跡に近い事だと思い知らされた。
「…… ん? 」
消えた眩い光の空間に見えたのはブラウスと赤チェックのスカートの女子生徒。 声をあげることもなく重力に任せて湖面に落ちていく。
「ぐえっ! 」
女子生徒はこの事に気付いていなかった光ちゃんにヒップドロップを食らわし、光ちゃんを巻き込んで沈んでいった。
「光ちゃん! 」
助けに行こうと湖に足を踏み入れたところで光ちゃんが女子生徒を抱えて湖面に顔を出した。 良かった、とりあえず無事みたい。
「キャー! 」
上半身裸の光ちゃんに女子生徒は悲鳴をあげる。 まぁ普通そうなるよね。
「うわっ! 暴れんなって! いてっ! 」
女子生徒はパニックになってるみたいで、水面を叩いたり光ちゃんの頭を叩いたりして暴れている。 このままじゃ二人とも溺れちゃう。
「光ちゃーん! こっちー! 」
私はリュックからタオルを取り出して二人に向けて大きく振り回した。 女子生徒も私に気付いたみたいでピタッと動きを止めた。
「岸まで泳いで行くからな 」
「アタシ泳げない…… 」
「んじゃ、じっとしててくれよ 」
光ちゃんは女子生徒の顎に腕を回し、後ろ向きに引っ張るようにゆっくりと立ち泳ぎで帰ってくる。 光ちゃん、ライフガードなんてやってたっけ? 溺れた人の救助方法なんてよく知ってるなと感心してしまう。
「大丈夫? 水飲んでない? 」
湖から上がってきた女子生徒を光ちゃんから引き受け、地面に座らせて頭からタオルをかけてあげた。
「うん、大丈夫…… 」
女子生徒はキョロキョロと回りを見渡し、ポカンと口を開けたまま私の顔を見る。
「良かった。 その制服、あなたも日本人よね? 」
「え…… ここどこ? 」
「落ち着いて聞いてね。 ここは…… 」
私はここがイシュタルという別の世界だということを驚かせないようにゆっくりと説明した。 飲み込みが速いのか、夢だと思っているのか分からないが、彼女はすんなりと異世界の事を受け入れているようだった。
「やっとアタシの世界に戻って来れたのね…… フフ…… 」
「え…… アタシの世界? 」
イシュタルから日本に飛ばされた人もいるんだろうか…… 私達が日本からイシュタルに飛ばされたのだから、その逆があっても不思議じゃない。
「そう、アタシは邪教集団によって日本という人間界に飛ばされ、全ての力を封印されてしまったの。 記憶もほとんど封印されてしまっていたせいか、この世界の事をよく覚えていないけど…… じきに思い出してみせるわ 」
ね、ネメ…… あぁ、そっち系の人でしたか。 とりあえずここも現実世界なんだということを分かって貰わなきゃ。
「私は藤井翔子。 あなたは? 」
「林原・アリス・満里奈。 アリスでいいよ 」
ミドルネーム付きですか…… 生粋の日本人に見えるんだけどなぁ。 真面目な話をしてるのにアリスさんはちょっと得意気な表情を浮かべている。
「あの…… こっちの世界では私達は奴隷同然の扱いだよ? その…… 中二病的な考えはやめた方がいいよ 」
「中二病? バカにしないで。 アタシは暗黒竜と契約を交わした唯一の人間。 奴隷扱いなんてさせないわ! アタシの封印はまだ解かれないまま…… この封印を解かなければ本来の…… 」
淡々と設定を語っているアリスだったが、少しずつトーンが下がってきて体が震え始めてきている。 そうだよね、いきなり訳の分からない世界に飛ばされて、何かにすがらないと怖くて堪らないよね。 私はアリスのグシャグシャに濡れてしまった髪をタオルで優しく揉み始めた。
「じ、自分でできるわ! 子供扱い…… 」
「ハイハイ、とにかく服を乾かさなきゃ風邪引いちゃう 」
自分でできるとは言ったが、アリスは足を抱えてされるがままに大人しくしていた。 木陰を見ると、木に隠れて光ちゃんが自分の服を絞って脱水機並みに振り回して乾かしていた。
「光ちゃんごめん、火をおこしてくれない? この子の服も乾かしたいの 」
「ん? あぁ、了解 」
光ちゃんは生乾きのズボンだけ履いて森の中へ消えていく。
「…… あなたの従者? 下僕? 」
「違うわよ、頼もしい幼馴染 」
アリスは森へ入っていく光ちゃんをずっと目で追っていた。 先程の中二病的な設定を語っていた元気はなくなり、次第に目に涙が滲んできている。
「…… どこなのよ、ここ…… 」
アリスは膝に顔を伏せて嗚咽を漏らす。
「大丈夫、私達がついてるから 」
肩を震わせるアリスの頭をタオルで覆い、私はワシャワシャとアリスの髪を拭き続けた。




