33話
チャプ……
私達は以前見つけた崖の下の池の側に身を潜めていた。 ハンカチを池の水に浸し、大粒の汗を浮かべているレベッカさんの顔を拭く。
「追っては来ないみたいだな 」
真っ暗になった森の中、ずっと外円道の方向を見て警戒していた光ちゃんがやっと腰を降ろした。
死ぬかと思った…… 吊り橋は支えるロープを叩き切ったことでバランスが崩れ、光ちゃんが勢いよくジャンプしたのも相まってもう片方のロープも切れて崩れてしまったのだ。 崩れていく吊り橋を光ちゃんは駆け抜けようとしたが、あと少しの所で手が届かず私達は崖へと吸い込まれていった。 光ちゃんは咄嗟に短剣を投げ捨てて垂れ下がったロープにしがみつき、私達二人を抱えてシエスタ側の橋の袂までよじ登ったのだ。
ローランはエルンスト側の橋の袂から私達をじっと睨んでいた。 光ちゃんと同じ力を持つのなら、もしかしたら崖を飛び越えて追ってくるかもしれない…… そんなローランを警戒し、身を潜められるいい場所はないかと咄嗟に思い付いたのが、この水辺があるここだった。
「これからどうしよう…… 光ちゃん 」
レベッカさんの容態は思わしくない。 背中の傷も治りきってない上に肋骨を折られ、熱も上がってきている。
「近くの町に運ぶしかないだろ。 俺達じゃどうすることもできないし…… 」
とにかく背中の傷だけでも薬を取り替えようと、レベッカさんをうつ伏せにする。
「光ちゃん、後ろ向いてて 」
私はミシェルさんが持たせてくれた布袋から葉薬を取り出し、レベッカさんの上着のボタンを外す。 包帯を取ると、塞がりかけていた傷口がまた開いて血が滲んでいる。
「うぅ! 」
古い薬草葉を剥がすたびに痛がるレベッカさんのうめき声がツラい。 でもこの薬、良く効くし鎮痛作用もあるってミシェルさんが言っていた。 脇腹にも葉薬を張り、予備の包帯を巻く。
「二手に分かれるか 」
レベッカさんに服を着せた所で、光ちゃんがそう呟いた。
「え? 」
「トゥーランってまだまだ先なんだろ? でもレベッカさんはあまり動かさない方がいい。 それなら近くの町に運んで、お前が付き添えよ。 その間に俺がトゥーランに行ってアルベルト卿を呼んでくる 」
「呼んでくるって…… 光ちゃん言葉…… 」
「レベッカさんがヤバい! って何て言えばいいのか教えてくれ。 それだけで充分だ 」
それだけで充分だ…… って言われても。
「私は普通に話してるから分かんないよ 」
「…… そか。 ま、まぁなんとかなるさ。 頑張ってレベッカさん助けようぜ 」
そう言って光ちゃんは苦笑いで屈伸運動を始めた。
「一緒に行こうよ! ギルドに見つかったら殺されちゃうんだよ? 」
光ちゃんと離れるの? ヤバい…… 泣きそう……
「時間がねぇよ。 レベッカさん、この状態じゃ長旅に耐えられないだろ? 」
「近くにリエッタって小さな村だけど、そこにだってきっとお医者さんいるよ! 」
「いなかったらどうする!? こんな世界なんだ、貴族のアルベルト卿の所なら間違いないだろ!! 」
「…… 」
初めて光ちゃんに怒鳴られたような気がする。 怒られて気付いた。 私が考えてたのは自分の事ばかり…… 今はレベッカさんの命が掛かってるんだ。
「…… わかった、リエッタで待ってる。 絶対お医者さん連れてきてよ? それまでレベッカさんと頑張るから! 」
光ちゃんの胸を拳でドンと叩く。 光ちゃんは涙声の私に優しく微笑んで、私の頭をそっと撫でた。
「…… 子供じゃないもん 」
「レベッカさんの事、頼んだぞ 」
背を向けてあっという間に走り去る光ちゃんの背中を見えなくなるまで見送る。 陽はもう落ちてしまっている…… 私もグズグズしてられない。
「レベッカさん、リエッタに行こう! 必ず助けるからね 」
私はレベッカさんをなんとか背負い、真っ暗な森の中を歩き出した。 ここからリエッタまで何キロあるのかは分からない…… でも私の頭の中には地図がある。 光ちゃんと約束したんだ、リエッタまで何キロあったって歩いてやる!
本当に何キロ歩いただろうか…… 力の入っていないレベッカさんはずっしりと重く、足場の悪い道を歩いて私の体力も限界に近い。 やっと木々の隙間から松明の明かりが見えた時には涙が出た。
「明かり見えてきたよ、レベッカさん! 」
人通りのない外円道まで出ると、遠くに外円道に面して何軒かの家が建ち、その玄関先に松明の明かりが灯っているのが見えた。
「…… 私の事など捨て…… おいて下さい …… 」
かすれた声でそう言うレベッカさんは、息も絶え絶えでとても苦しそうだ。
「ダメです! 絶対死なせませんから! 」
棒になった足を懸命に動かし、一番手前の民家に辿り着いた私は乱暴にドアを叩く。
「す、すみません! 助けて下さい! 」
すがり付いて何度もドアを叩いていると、突然ドアが勢い良く開いた。 レベッカさんをおぶったまま、勢い余って民家の中に倒れ込んでしまった。
「うるせぇな! こんな夜更けに誰…… って、うわっ! 」
ドアを開けてくれた厳つい顔のおじさんをそのまま押し倒す。
「助けて下さい! この人が死んじゃう! レベッカさんを助けて! 」
おじさんの袖を掴み、精一杯力を振り絞っておじさんにすがり付いた。
「レベッカ…… って、あのレギン・ナスカードの御令嬢か!? 」
ドアを開けてくれたおじさんは、しりもちをついたまま目を丸くしていた。 レギンって聞いたことある…… でも今はそんなことどうでもいい!
「おねがい! お医者さんいませんか!? 早くしないとレベッカさんが! 」
「あ、あぁ! ちょっと待ってろ! 」
泣き叫ぶ私に気圧されたのか、おじさんはバタバタと外へ飛び出していった。
「レベッカさん、頑張って! 」
私は背中のレベッカさんが気を失わないように話しかける。
「大丈…… 夫で…… すよ。 ちゃんと…… 聞こえてます 」
フフッと力なく笑うレベッカさんの声が耳元で聞こえる。 良かった……
「ショー…… コ様の励まし…… てくれる声がずっと聞…… こえてました 」
道中ずっとレベッカさんに声を掛け続けていた。 気を失わないようにというのは屁理屈で、声を掛け続けていないと私が不安で仕方なかったのだ。
「おぉ、確かにアルベルト様お付きの剣士の制服じゃ! 」
後ろから聞こえてきた、しわがれた声に振り向くと、皮バッグを抱えたおじいさんをおぶったおじさんがこちらに向かって走ってきていた。
「どうされた? 」
おじさんがの背中から降りたおじいさんは、私達の側に屈み込んで優しく聞いてくる。
「肋骨が折れてるのかもしれないんです。 助けて下さい! 」
「うぅっ! 」
おじいさんはレベッカさんの体をくまなく触ると、フムフムと頷いて立ち上がった。
「ちぃと厳しいかもしれんがやってみよう。 ほれマルベス、お前さんも手伝わんか! 」
不意に背中が軽くなる。 おじいさんはマルベスと呼ばれたおじさんに、レベッカさんをベッドに運ぶよう指示していた。
「お姉ちゃんも手伝ってくれるかの? この剣士さんの手を握ってやっとってくれ 」
「はい! 」
ベッドに運ばれたレベッカさんに急いで駆け寄り、私は祈るようにその手を両手で握った。




