2話
≪イシュタルの空≫で、主人公ミナミが持っていた力は『タイムストップ』だった。 厳密に言えば実際に時間が停止してる訳ではなく、ミナミには全てがスーパースローで見えるというもの。 目が金色に光り、自在にその力を使って襲い来る敵を翻弄したのだ。
「オレ、力の加減出来なくなっちゃったみたい 」
「…… へ? 」
もしかしたら異世界転移の影響で、光ちゃんにも何かの力が宿ったのかもしれない。
「思いっきりジャンプでもしてみたら? ほら、異世界って何かしらスキルが宿るのがセオリーじゃない 」
「そういうものなのか? 」
苦笑いで相づちを打っておく。 でも体に違和感があるなら、可能性はゼロじゃない。
「よし…… 」
光ちゃんは屈伸を数回やって体をほぐす。 ゆっくりと腰を屈め、垂直飛びをやるように勢い良く伸びた。
ドン!
地響きと共に私の視界から光ちゃんが消えた。 慌てて空を見上げると、米粒くらいに小さくなった光ちゃんが空中で足をバタバタさせている。
「うそ…… 」
10メートルは越えただろうか…… 一気にあそこまでジャンプしたのも信じられないが、あんな高い所から落ちたら光ちゃんが死んじゃう!
「ぅうわあアァぁ!! 」
ズドォン!
光ちゃんは手足をバタバタさせたまま大声をあげて草原に落ちてきた。 土を撒き散らし、草を吹き飛ばすほどの衝撃。
「光ちゃん!! 」
急いで駆け寄ると、光ちゃんはカエルの格好で目を丸くしてうずくまっていた。
「大丈夫!? 」
「…… 死ぬかと思った…… 」
冷や汗をダラダラ流しながらひきつった顔で私に笑いかけてくる。
「大丈夫? 骨折れてない? 」
「足ビリビリしてるけど大丈夫。 体軽いなと思ってたけど、スゲーなこの世界。 お前もやってみなよ 」
ケラケラ笑いながら言われて、私も恐る恐るジャンプしてみる。
ピョン ピョン
別に普通。 様子を見ながら思い切り飛んでみたけど、大して変わりはしなかった。 体が軽いわけでもなく、主人公のミナミみたいに何か別の力を感じるわけでもない。
(えー…… )
「…… 睨むなよ 」
もしかしたら二人で転移したから、特別な力が全部光ちゃんに宿ったのかもしれない。
「光ちゃん、私の動きがスローに見えたりする? 」
「全然。 普通だけど 」
「手から火とか水とか出たりする? 」
「出ないなぁ、オレマジシャンじゃないし 」
「サイコキネシスとか、テレパスとか、テレポートとか…… 」
「超能力者じゃねぇよ。 使ってみたいけど 」
「真面目に答えてよ 」
ニコニコしながら答える光ちゃんにちょっとイラっとしてきた。 でも光ちゃんに特別な力があるのは確かだ。 私にも何か力が宿っていると願いたい。
「んで、これからどうするべきだと思う? 」
光ちゃんは体に付いた土や草を払いながら聞いてくる。
「あの森を抜けた所にトゥーランって町がある筈。 そこを目指そうかな 」
私は雑木林の左側に広がる森林の奥を指差した。
「ん? あの浮いてる城を目指すんじゃないのか? 」
「見た目ほどファーランド城は近くないわよ。 多分ここはイシュタルの大陸の最南端。 目の前の森だって四国がすっぽり入るほど広いし、ミナミも迂回してトゥーラン経由でファーランド城まで行ってるから、真っ直ぐ行っても何があるか分からないもん。 それは危ないじゃない? 」
「なるほど…… 」
「小説では、一番厄介なのが怪我と病気だったわ。 恐らくこの世界では医療があまり発達してないのよ 」
私は≪イシュタルの空≫のイベントの一つを光ちゃんに話した。 主人公ミナミは物語の中でそのトゥーランという町の近くにある、エトという100人ほどの小さな村に立ち寄った。 エト村は約半数の人が疫病に倒れてしまい、薬も高価で手に入らず次々と村人が亡くなっていくのだ。
「薬は上流階級である貴族しか持ってないみたいなの。 これが作り話かも知れないけど、それでも怪我や病気はしないに越したことはないでしょ? 」
「そっか。 オレ腹弱いんだけど大丈夫かな…… 」
光ちゃんはお腹を押さえて苦笑いする。
「ウソでしょ? 光ちゃんがお腹壊したなんて聞いたことないわ 」
「だな。 机の中に忘れてた3日前の牛乳飲んでも平気だったわ 」
私達はケラケラと笑う。 そういえば小学校の時にそんなこともあったっけ……
「それで、そのエトって村はどうなったんだ? 」
この世界に飛ばされて興味が湧いてきたのか、光ちゃんは目を輝かせて続きを聞いてくる。
「歩きながら話すわ。 とりあえず出発しましょ 」
私は雑木林に続く草原を下り始める。 光ちゃんもすぐに後をついて来るが、力の加減がうまくいかないのかヒョコヒョコとぎこちなく歩いていた。
「光ちゃん大丈夫? 」
「うん、大分慣れてきた 」
10分くらい歩いて、やっと光ちゃんも普通通り歩けるようになった。
「筋力パワーアップ…… ってことなのかな? 」
「どうなんだろな? 色々試してみないと分かんないけど、痛かった肘は治ったみたいだわ 」
光ちゃんはぐるんぐるんと右腕を回して調子を確かめる。 元高校球児の光ちゃんは野球部の中でも注目のキャッチャーだったが、2か月前の練習試合で右肘を壊してしまったのだ。 すぐに病院で診てもらったが、痛みを我慢して練習していたせいで肘の腱が既にボロボロだったらしい。 そのまま野球を続けると、普段の生活にも影響が出ると言われ、光ちゃんは野球を諦めざるを得なかったのだ。
「また野球出来るかも? 」
「いや、もういいや 」
光ちゃんは笑いながら簡単に言う。 でも右肘の手術を受けたあの日、麻酔から覚めた光ちゃんが病室で一晩中泣いていたのを私は知っている。 好きな野球を簡単に諦めきれる筈がない…… だからこの話はここで終わり。
「それで、さっきの話の続きなんだけど…… 」
エトの村の村長は、自ら病に侵されながらもファーランド城へ行き、村を救う薬を貰おうとしたが門前払いを食ってしまう。 それを知ったミナミはファーランド王家に薬を分けてもらう約束を取り付けた。
「我が国一の剣士と勝負して、貴様が勝てば薬を分けてやろう。 ファーランド国王の持ち掛けにミナミはタイムストップの力を使って勝利して、エトの村は全滅を逃れたの。 そしてミナミはファーランド王国最強の人になってしまいましたとさ…… ってお話 」
「なってしまいましたって、めでたい話じゃないのか? 」
「うん、めでたくはなかったんだよね 」
私は歩きながらその続きを話す。 頭上にあった大きな太陽は、もうすぐ水平線のような白い雲に届きそうな位置まで移動していた。