挿話②
おかしなことに、まだ意識があった。
目をつぶったまま、震える自身の肩をさする。
もしかすると、魔王の攻撃で体が吹き飛ばされ、本当に痛みを伴わず即死したのかもしれぬと思った。
しかしながら意識があり、自分の体を触った感触も正常にあるので困惑してしまう。
もしや、死後の世界に移行する魂とは、こうも立体的に感じられるものなのかしら。
死んでも意識は途切れぬやもしれない。
そう思い、ならば死後の世界とやらを見てみようと目を開けると、未だ眼前には魔王の顔があった。
魔王は不思議そうにこちらを見ている。
ああ、まだ死んでいないのかと私は落胆すると共に、とにかく恰好だけでも反撃すべく両手を突き出し、魔法を放ってみる。
しかし、やはり私には彼を傷一つ付けることも敵わぬようで、未だこちらを睥睨している。
沈黙が訪れ、私と魔王は二人して見合う。
私が黙りこくって彼を見ていると、不意に彼の口が開いた。
「で、どうするんや?嬢ちゃん?」
いや。どうするもこうするもない。すべての選択権は貴方にある。私を生かすも殺すもあなた次第だ。
私はおずおずと口を開く。
「………いえ、やるなら早くとどめを刺してください」
「嬢ちゃんは死にたいんか?それとも生きたいから震えとるんか?」
妙に訛りの強い魔王の話し方に違和感を覚えつつも、私はこのなんとも言えぬ状況に自分がどうしたいのか考える。
いや、王の命によって貴方を止めにきただけなんです。特に自分の意思で来たわけでもないですが、まぁ仕方がないので戦っております。そう答えてもいいのだろうか。
自分の求める答えも彼の求める答えも分からぬ中、私は錯綜する頭で思わず本音が舌を滑っていく。
「では、貴方がここから出て行ってくれたら助かります」
「いや、それは無理やろう。何を言ってるんや?嬢ちゃん?」
魔王の乾いた笑い声が地下に響く。いや、貴方が求めたから答えを言ったまでなのだが。
「そうですよね。………あーあ。もう、どうにかならないかな」
私はもう魔王の威圧的な雰囲気と、鬱屈とした自身の性格が嫌になり、自暴自棄になっていた。
こんなものは強者の一時的な気の迷いであり、所謂、戯れみたいなものだ。
彼が飽きれば、私の首はそこらに落ちていることだろう。
「なんや、擦れたお姫様やなぁ」
「いえいえ。私はお飾りの第三皇女ですから、とくに姫だと自負したこともないですし。それで、どうされますか?」
「なにがや?」
「いや、早くここを突破して、牢獄にいきたいんですよね?」
「まぁ、それもそうやが、君、後ろ見てみ?」
「はい?」
私はそろりと背後に視線を移すと、もう魔王の部下がズカズカと牢獄に足を運んでいた。どうやら私が死を覚悟し、目を閉じている間に彼らは私の傍らを通り過ぎていたようだ。なんというお笑い事か。
これでは、流石にため息もつきたくなる。
「はぁ。これで終わりですか。もう嫌になる」
「せやなぁ。もう突破できたしなぁ。で、どうする嬢ちゃん?」
「んーもうどうでもいいです。じゃあ、私はここで座って待ってるので、早くなんでも済ませてください。眠い」
「ついに感情が漏れてきたな……んーむ。おもろい嬢ちゃんやなぁ」
魔王は私が気に入ったのか、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべて私を見る。
その時、牢獄から声がする。
私は魔族も人と同じ言葉を話すんだなと、至極どうでもいいことを考えながら話を聞いていた。
「魔王様。囚われていた突撃隊長のオークとその他部下を確認できました。あと、看守長も捕まえましたがどうします?」
「わかった……どうせもう手遅れやろ?」
その言葉に魔王の部下たちは顔を地面に向け、言葉になっていない呻き声で応答した。
「嬢ちゃんはこの現状知ってたんか?」
不意に呼ばれ、私はかぶりを振るう。
「いえ、知りません。ただここを防衛しにきただけですから」
「そうか。ならよかったわ」
魔王はそういうと、そのまま私を通り越して、牢獄に入っていった。そうして、五分ほどして、死臭を纏って帰ってくると、また私の前に立った。
彼は何かを殺してきたのだろう。その体には返り血を浴びたのか、鼻を刺す匂いに私は顔を背ける。
彼が牢獄に入る間に逃げることも出来たが、任務に失敗した時点で私は殺される運命だろうし、ここで大人しく座っていても変わりないなと思った次第だ。
「魔王さま、やはり?」
「ああ。もう魔物とくっつけられて正気を失っとる。酷いことを考えよるもんやで。戻すのは無理やろうしな。」
「そうですか………。」
「うーむ。その看守長は魔王城の牢獄にぶち込んで、リッチーにでも渡して魔法実験の材料にでもしたらいいわ。ほな、勇者のところに援護よろしく」
魔王の言葉に、部下たちは上へと続く階段へと向かう。私は止めることもせず、その様子をただボーッと見ていた。
彼らの足音が消えると、完全に無音が訪れ、私は何故か魔王と対面していた。
この形容しがたい謎の状況に困惑するのも飽きてしまい、私は体の前に足を組んで床に座り込む。
着飾った緑のドレスはところどころ自らの魔法で焦げ付いており、綺麗な装飾も剥げている。まぁどうでもいいことだが。
「それで、どうするつもりですか?魔王」
「ん?嬢ちゃんはどうする気や?」
「私はなんともしませんよ。このまま貴方に殺されるか、事態が収束した後に王に殺されるかのどちらかですね」
「その割にはえらいすっきりした顔しとるな」
「仕方無いことですから」
私は座った際に小石を苛立って蹴り飛ばした。
「あーあ、もう至極どうでもいい。早くしませんか?魔王、どうせ殺すならスパッとやっちゃってください」
「あのぼんくらの王は自分の娘も平気で殺すんか?」
魔王は私の言葉を無視し、なぜかそんな問いを投げかけてくる。仕方なく、私は彼の問いに答える。
「ええ。私はお飾りの姫であり、厄介者ですから」
「厄介者?」
そこから、何故か私の生い立ちを知りたくなったらしい魔王に、私は冥途の土産だと自らの生い立ちを話した。
気が付くと、魔王も座り込んでいた。
「へぇーそら大変やったな」
「何がですか?どこがですか?普通でしょ?」
「それは普通ちゃうで………自分の父親が自分の母を殺すなんて大変なことやろ?それに、その親父と今までと同じように生活を続けるなんて拷問やな。
君、本当はすべてが嫌で、絶望して話すのをやめたんやろ?
じゃあ、姉のために魔法を使ってたんはなんでやろうな。誰とも関わりたくないんやろ?
寂しかったんか?」
何故かその言葉は腑に落ちた。しかし、そんな思いを持ち出すと、これまた生に縋りつきたくなるので否定する。
「知ったようなことを………もう、どうでもいいですよ」
「その母親が死んだときも、悲しかっただけやろ?
まぁ無関心なフリした方がダメージも少ないもんな。それに姉の件も結局、自分がなにか言っても意味ないし、その為に何も出来ひんかった自分に嫌になったんか?」
「そんな昔のことを今更語ってもどうしようもないです。
私はもうどうでもいい。死んでもいい。いや、こんな何も出来ぬ人間は死ぬべきだ!それを他人の貴方にごちゃごちゃと言われる筋合いはないのです!………さぁその剣でやりなさい。もうすべてがどうでもいいのです!」
私の怒鳴り声は静寂を破り、この地下の牢獄前に木霊した。
久しぶりに声を張り上げたことで喉に痛みを感じ、何故かその反響する自分の声が酷く悲痛な叫びに聞こえた。
なんとも思ってない。どうでもいいはずなのに。
「そうか?………本当にどうでもいいと思っている人間はそんなフウに泣かんもんや。」
「………私には泣くことも許されませんか?」
「そうは言ってない。でもその涙の意味も知らずに、すべてに無関心で死ぬには若すぎるな」
涙の意味?そんなものはどうでもいい。
分かり切っていることだ。
死を決断しながら、魔王の話に付き合っている理由。
結局私はあることが心残りになり、死ぬことが怖くなっただけだ。
それは、私は姉に何も恩返し出来ていないという事実だ。
私が生きることを唯一、肯定してくれた彼女に何も返せていない。
そして、今死ねばただの無口を貫いた恩知らずという汚名を被って無駄死にするのだ。
「別に自ら死ぬことを否定してるわけやないで。
それを簡単な逃げ道やと非難する人間もいるやろう。
でも、俺はそうは思わん。
そいつが考えに考え抜いた末にその結論にたどり着いたなら、それはもうそいつの意思を尊重してやるのもええと思うんや。
でもな、泣いているうちはまだ生きるって選択肢もあるんちゃうか?どうや?」
魔王は優しい声音で赤子をあやすように話す。そして、彼の目の端に映る悲痛な影が目に入ると、私は彼の言葉に耳を傾ける。
「………魔王である貴方にも、そういうことがあるんですか?」
それは問いにも似た、同族を探す憐れな人間の性なのかもしれない。
しかし、聞いてみたかった。
この私よりも長く生きているであろう最強の魔族は何を悲観し、何を思って生き、このような結論に至ったのか。
「そうやなぁ………突然、意味も分からん世界に飛ばされて、もう知人にも友人にも家族とも会えない。そんな世界に飛ばされたときは死んだろかなって一瞬、頭をよぎったな」
彼の表情に深く影が差した。それがどういった話なのかも分からないが、彼の話し方から切なさが滲むと、それは一つの疑問に変わった。
「では、………どうして?」
「ああ、なんやろなぁ。結局、どうでもいいことやが、こんな俺を必要としてくれた奴らがいたからやな、多分。それだけで充分やってん」
会話のたびに揺れ動く彼の目に映る悲痛な思いを、私は無邪気に弄んでいるのかもしれない。
それが彼に対し悪いことだと思って、私は目線を外す。
私は今一度思案し、しかし答えは出せず、幾分の沈黙を迎えた。
考えても考えつかぬ答えを、私は声に出して、彼に聞くことにした。
それはいつからか無口だった私が、最後に賭けた瞬間だったのかもしれない。
それがどれほど滑稽な問いでも、私はどこかで彼に心を許していた。彼ならば、この途方も無い問題の答えを教えてくれると、根拠のない希望を彼に持ってしまったのかもしれない。
「魔王。私はどうすればいいでしょう?このまま王のもとに帰って殺されるのが運命です。貴方に殺される可能性はないにしても、逃げても私は生き方を知らないのです」
魔王は私の言葉を聞き終えると、口の端を三日月のように曲げて笑った。
「ほな、この騒動が終わったら一緒に魔王城来るか?」
呆気らかんと言う魔王に、私は思わず笑ってしまった。




