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月ノ宮の姫君たち  作者: ごとう有一
1/1

Ⅰ 目覚めの時

 一. 眼の具合 


 周囲の丘陵までもが住宅で埋め尽くされた、緩やかで大きな盆地の真ん中に、

緑に覆われた小高い山が、奇跡のように残っている。

 二つの峰が東西に連なり、東に座るのが主峰の雷山らいざんである。

 岩がむき出しになったその頂。

 名前通りに雷がよく落ちる、不思議な山頂でもある。


 その雷山を南から見ると、左手にはもう一つの峰が控える。

 この峰には、一応、楢井山ならいさんの名前があるが、二つの峰をひとくくりとして雷山と呼ばれることが多く、その名を知る人はさほど多くはない。


 この双峰の山の姿は、この地域、雷山市のシンボルにもなっている。


 南から見て山の右側、雷山の東側は急な斜面がそのまま加美川かみがわに落ちている。

 加美川は、この盆地を北から南へと二分する大きな流れである。


 雷山の南面の麓は広くなだらかで住宅地となっており、住宅地と山の木々との境には大きな石の鳥居が建っている。



 大きな石鳥居をくぐると、雷山神社への急な石の階段となる。

 真っ直ぐに上る石段の両側には、大きな杉の木が鬱蒼と並び、中は薄暗い。


 三、四十メートルの高さまで続くその石段を、滑るように一気に駆け上る。

 石段の、最後の数段を、大きく跳び越し、石畳の上に柔らかく着地する。

 石段から石畳になったところには朱塗りの木の鳥居があり、平らな場所に出る。


 石畳を歩く。

 正面にはさらに十数段、石の階段が控えている。

 その石段の上にはもう一つの朱塗りの鳥居が立ち、広場となって、梢の合間に雷山神社の社殿が見える。


 その石段の手前、石畳の道の中ほどから左に折れ、砂利道を進むと、急に明るさの中に踏み込む。


 雷山公園である。


 雷山の南斜面中腹には、かなり広い平地があり、整備されて公園になっている。

 その雷山公園に入って左手、縁近くに、山の南に広がる住宅地を見下ろすようにベンチが並んでいる。



 やはり月代(つきよ)はここにいた。


 ベンチの背にもたれ、遠くの空をまぶしそうに見ている。

 左手にメガネを無造作に持ち、夢の中にいるように、初夏の光を浴びていた。

 その横顔は、無邪気で、透き通るように美しい。


 やわらかな五月の風が月代の髪を撫でている。

 日の光にとけ込んで、そのまま消えてしまいそうな気がして、真悟はすぐに声をかけた。


「やあ、ここで何しているの?」

「ああ、真悟さん…」


 振り向いた月代は自然に微笑んでいた。

 もうすぐ二十歳と言うには、どこか幼い雰囲気を持つ大きな黒い瞳が、真っ直ぐに真悟を見つめて輝いていた。


 しかし、月代は、すぐに現実に引き戻され、先ほどまで悩んでいたことを思い出した。


「あっ、そうだ、真悟さん、わたしね、このところ、眼の具合が変なのよ…」

「うん?変、って?」

「ええ、左眼はね、メガネをかけない方がハッキリ見えるようになったの」


 真悟は月代の隣りに腰を下ろしながら、月代が持っているメガネを見ると、普段のとはどこか違う感じであることに気が付いた。


「そういえば、それ、いつもとは違うメガネなんじゃないの?」

「ああ、これ? 中学二年の時、初めて作ってもらったメガネなの…。

 今までのよりもずいぶん弱いんだよ。

 でも、今日はこのメガネでも強くってね、

 もう、メガネ、いらないみたいなんだ…」


「メガネがいらなくなったのなら、変だっていっても、悩むことないんじゃないの?」


 強く口を結び、月代が不満そうな顔をしたので、真悟は戸惑った。

 月代に言われたことを頭の中で反復し、話題を元の位置からやり直してみた。


「でも、目の調子が変だというのは、老眼になったという訳でもないんだろう?」

「近くだってちゃんと見えるわよ。

 もお、いくらもうじき二十歳だって言っても、老眼だなんて失礼じゃないの?」


 月代はちょっと真悟をにらんだが、すぐに話を戻した。


「でもね、問題は右眼なのよ。ハッキリ見えないの…」

「うん?どういうこと?」

「ボヤーっとした感じなの…」


「ボヤーっとしてるって、それ、いつから?」

「一週間くらい前からなのかなぁ」


「えっ? 一週間も前?

 それじゃあ、すぐにでも眼医者さんに行った方がいいんじゃないの?

 なんなら、一緒に行くよ」

 真悟が、急に心配そうな顔になって言った。


「ええ、ありがとう」

 月代は、ニコッと笑って続けた。

「でもね、もう、行って来たの。

 それで、よくわからなかったんだ…」


 真悟は、まだ状況がつかめず、返事ができなかった。


「眼科ではね、まず、先生の診察が始まる前に、器械で視力を検査したの。

 そうしたら、私の目、その器械では測れないって言われたのよ。

 その器械、光を目に入れて、還ってくる光で測るらしいんだけれどもね、

 どうも、私の右眼では、その光がうまく還ってこないらしいんだ…」


「えっ?光が、還ってこない…、の?」


「ええ、右眼に入った光がね、ちゃんと戻ってこないんだって。

 だからその器械では測れなかったのよ。

 普通の人は、どんな人でも、うまく光は戻ってくるらしいんだけれどね。

 その検査、看護士さんがやってくれたんだけれど、何回やってもうまくいかなかったのよ」

「へえ…」


「まあ、ほかの方法でもできるからって、看護師さん、それから幾つかの検査をしてくれてね、そのあと、先生のところに行って診てもらったの。

 でも、こんどはね、どこも悪くないって言われたのよ。

 器械で測れない眼なのによ。

 看護士さん、その時は、どうして測れないんだろうってブツブツ言いながら、何回もやり直してたのに、それでも先生は、眼に異常はないっていうの」

「ふ〜ん」


「それでね、ハッキリ見えないのは疲れているからなのかもしれませんね、ってことでさ、様子を見ましょうってことになったの。

 その時ね、わたし、ちょっと不満そうな顔をしちゃったんだと思うんだ。

 納得しないのがばれちゃったのか、もし不安なら大学病院を紹介しましょうかだってさ。いきなり大学病院だよ」

「へぇ、大学病院ねえ。それで?」


「ええ…。でも、なんだか本当にわからなそうだし、誰が診てもだめだろうって気になってね、結構です、ありがとうございましたって帰ってきたの。

 それで、家に帰ったんだけれど、おばさん、留守だったからね。

 ちょっと、此処に来て、気持ち、落ち着けていたのよ」


「ふ〜ん、うん?そうか、月代、ちょっと、怒ってたんだね」


「えっ、あっ、そうかもしれないな…。

 でもね。それ、さっきまでのことなんだよ。

 ここにいて一つわかったんだ。

 この右眼、今は、二重に見えてるの。

 漢字の一の字が二の字に見えるように、ずれて二重に見えてるの。

 それで、視野全体が二重になっちゃうと、ボーっとしたように見えちゃうのよ」


「それって、乱視ではないの?」

「それは検査済み。

 さっきは乱視ではないと言われたの。

でもね…、こんなにはっきりと二重に見えるようになったのは、ここに来てからなのかもしれないんだ…。

 さっき、空に出ているあの木の枝、あれ見てたら、だんだんはっきりとしてきたのよ。

 視力はよくなっているの。

 あそこの葉のギザギザまでも見えるようになったんだからね。

 でも、右眼では、二重なんだよね…。

 だから、メガネは、もういらないんだけれど…、

 どうしちゃったんだろうな…」


 視線を外した月代の横顔は心細げであった。



「で、何か用があったの?

 私のこと、探しに来たんでしょ?」

 月代は気分を変えて、真悟に聞いた。


「あっ、そうだ、菊子おばさんがね、トビッサのケーキを買って来たから食べないかって」

「えっ?トビッサの?やったー」


「月代、一度、家に帰ってきていたみたいだったからさ。

 携帯、机の上で充電していたし。

 だから、おばさんに、ちょっと月代を探して来るって言って、

 わざわざ、ここまで来てみたんだぜ」

 真悟は『わざわざ』に力を入れて言った。


「うん、真悟さん、偉い、偉い」


 月代は真悟の言葉を軽く流して、ハンカチでメガネを包んでバッグにしまい、

勢いよく立ち上がった。

 続いて立ち上がりかけた真悟は、ふと、背後に視線を感じて、すぐに振り向いた。


 公園に、人影はなかった。


 真後ろ、公園の北の端には大きな銀杏の木があり、その新緑の高い梢の向こう側には、古いがあまり大きくないやしろの屋根と、その上にバツの字に組まれた千木ちぎがのぞいている。

 雷山神社の西、雷山神社よりやや高い位置にあるこの社は『月ノ宮』と呼ばれ、大きな岩の崖にできた緩い窪みに、後ろがはめ込まれたように建っている。


 山の木々の葉が風にそよぎ、キラキラと輝いている。

 石段をかけ登ってきた時には汗一つかかなかった真悟も、日差しの中で自然と汗ばんでいた。


「トビッサのベークトチーズは最高よね」

 ケーキ好きの月代は目を輝かせ、真悟に振り向きながら言った。


 真悟は、背後に薄く漂う人の気配が気になっていたが、気持ちを切り替えて月代に答えた。


「おれはモンブランだな。

 生クリームと栗の調和がたまりませんねぇ」


「フフ、女の子みたいなこと言って。

 おばさんのことだから、たぶん、一人二個ずつだよね。

 もう一つは何かな?今日は、元気を出すために、いっぺんに二つ食べちゃお」



 杉木立の間から神社前の木陰に入り、石畳の上に戻ると、ひやりとした空気が身を包んだ。

 朱塗りの鳥居をくぐると、月代は真悟の腕を抱くようにつかんで、石段を降り始めた。

 真悟は軽く腕を曲げて月代を支えた。

 体を寄せてきた月代は、陽の中にいたせいか暖かかった。



 二人の姿が石畳の下に消えると、雷山神社社殿脇の杉木立の中から若い女が滑るように現れ、公園とは反対側にある、小さな門をくぐって、藪に続く脇道に消えた。



 石段を降りていくと、杉の梢のあいだに、石段下の石鳥居が見えるようになる。

 その向こうは、なだらかな下り坂になった参道で、両側には商家の面影が残る古い家が並んでいる。

 小さな古い門前町の例にもれず、にぎわいの場所が移り、店を閉めた家も多い。

 何軒かは今でもここで商売をしているが、その経営の中心はこの街の中心部となった雷山駅近くに出した店に移し、こちらは住宅兼用となっている。


 鳥居の高さくらいまで降りてくると、石段の左側には、杉木立を通して、広い庭を持つ大きな邸宅が見え始め、そのむこうには雷山神社社務所の大きな屋根も見える。

 この邸宅の住人、雷山神社宮司の龍川藍山たつかわらんざんは、親しみやすい初老の人で、月代と真悟がやっかいになっている尾上おがみ家の『菊子おばさん』の父親である。

 その関係で、藍山は、尾上家にもよく遊びに来ており、二人とは顔見知り以上の親しい間柄にある。


 石段を降りながら、月代は、右眼を閉じて左眼だけで周りを見たり、逆に左眼を閉じて高い杉の梢にわずかに覗く青い空を見上げてと、盛んに眼の具合を気にしている。


「よく見えないの?」

「ううん。見ていてすっきりしないだけ。

 左眼だけではちゃんと見えるのに、かえって両方だと変な感じになって…、

 だから、前よりも見えるのに、逆にちょっといらいらするような、もうちょっと何かを何とかすれば、もっとすっきり見えるような感じで…、

 そうだ、ほら、以前、あなたが言った『いずい』ていうんだっけ、そんな感じだと思うわよ」


「ああ、あの時の『いずい』か」


「靴のどこかがちょっと合わなかったんだよね?

 真悟さん、『この靴、いずい』って言ったわよね」


「ああ、あれ、おれも気になってね。

 あとで親父に電話して聞いたら、宮城の方言だってさ。

 便利な言葉なんで家じゃあよく使うんだけれど、我が家だけの標準語ってヤツだったんだよね。 月代がわからなかったの、無理ないね」


「ふ〜ん、その、宮城って、宮城県?」

「うん、おれ、仙台にいたことがあるんだってさ」


「それって…」

「いや、記憶が抜けているって時のことじゃなくて、もっとずうっと昔、この辺で暮らしていた時よりも、もっと前の、おれが赤ん坊の頃のことさ」



 石段の下まで降りると月代はゆっくりと手をほどいた。


 石鳥居の下を抜けると、また日差しの中に踏み込む。


 右に折れると、車が六、七台入る程度の神社参詣用の駐車場があり、その向こうに二人が住む二階建ての尾上おがみの家が見える。

 二人は道を外れ、駐車場を横切って生垣を周り、裏口から家に入った。



****



 同じ頃、極端に明るさを落とした地下室で、若い女が闇に向かってじっと構えていた。

 地下室とは言っても、広さはテニスコート近くあり、天井も体育館のように高い。


 今、その半分は完全な闇となっていた。


 女は右手を背中に回し、背に添わすように日本刀を握っていた。

 体で刀を隠すような姿勢で、わずかに腰を沈め、頭の後から角のように剣先が伸び出ていた。


 闇をじっと見つめるその額には、汗が浮き出ている。

 切れ長の眼で、大陸系の美しい顔立ちのその女は、藤里朱理ふじさとしゅりという。

 着ている紅い服はチャイナドレスのような仕立てだが、生地は薄く伸縮性がある。

 好みに合わせた特別仕立ての服ではあるが、朱理にとってはここで汗をかくためのトレーナーであった。

 汗で服が透けている。


 気が満ちた時、緩やかに刀が背中から離れ、朱理は大きく闇に向かって舞い上がった。

 闇の中で、バスッという音がして藁の束が真っ二つになった。


 大きく一息ついて、いつもの連続する剣の型を始めた。

 その時、地下室が急に明るくなり朱理は動きを止めた。


「また暗くしてやってたの?」

 先ほど、雷山神社の前で、杉木立に隠れ、月代と真悟を見送った若い女である。


「ああ瑠璃さん、この方が感じが出るのよ。 で、月ちゃんは?」

 朱理が聞いた。


「無事、真悟君と合流よ」

「ご苦労様、じゃ、そろそろ出かけようか。 今、着替えるね」


 朱理は地下室の隅に置いてあった黒い鞘に、刀をゆっくりとしまい、隣部屋に刀を置きに行った。

 瑠璃子は切り落とされた藁束を拾い上げ、その断面を見て首を小さく振った。

 この切り口は朱理でなければ出すことはできない。


 汗で透けた服一枚だけの朱理は、シャワールームに入っていった。


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