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ミノル⑤

 なんとか滑り込みで大広間に戻ると同時に、扉が閉められた。遅刻者や欠席者はない。全ての席が埋まっている。

 この度は、と司会者が前に立ち、開会の挨拶を始めた。目を凝らして見ると、見覚えのある男だった。言葉を交わしたことはないが、この大家で政治を司る官吏の一人であると思う。地位や名前は分からない。

 男の声はよく響いたが、遠ければ遠いほど声が聞きづらいのは仕方のないことで、皆息をするのも躊躇う程に音を立てない。

 司会の紹介で登場したのは、大家主であった。賓客を前に彼が姿を見せるのは必然であったが、場の空気がぴりりと引き締まる。いつも柔らかな笑顔を讃えているおじは、見た事のない大家主の顔をしていた。話し始めると優しい笑顔を浮かべたが、それでもミノルに、子供たちに向ける笑顔とは一線を画し、どこか硬い。

 話としては、家臣である者達への、国の在り方に関する展望のような事を述べていたようだが、ミノルを含む女子供は全く聞いている様子はなかった。耳を傾けこそするが、右から左へと抜けて行っているのは明らかで、いかんせん小難しい。睡魔と戦うのでやっとだった。

 形式上必要だったのか、大家主は十五分ほどをそれに費やしたが、皆がレイの登場を今か今かと待っている事は明白で、空気を読んで早々に話を切り上げた。

「ところで、当家の長男、天冰が本日、十の歳を迎えた。お集まりの方々には、心からの感謝を」

 とうとうレイの話に入った。天冰、とはレイの外での呼称である。名前は基本的に明かすものではないから、家主も外交的にそう呼ぶ。長男を天、次男が光、とそれぞれ敬称があり、レイが天冰なら、シノブが光冰になる。娘に敬称はない。

「この場をお借りして、天冰の披露目をさせていただく」

 ぐっ、と女性陣の顔つきが変わる。半身を乗り出し、まさに獲物を狙う獣の目だと思った。

「天冰、ここへ」

「はい」

 はっと、皆が息を飲んだ。声のした方向に全ての視線が注がれる。

 ミノルの席からは子供のレイの姿は壇上に登るまで見えなかったが、これだけの目を前にして、全く臆する様子もなく階段を上がってきた。颯爽と現れたレイは、上下黒で統一した正装をしていた。肩下まであろう髪を軽く一つに束ね、襟元の金の刺繍が光る。ふわり、と歩くたびに揺れていたマントが止まると同時に、レイが口を開く。

「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。ただいま紹介にあずかりました、冰大家長男にございます」

 ざあっ、と波のように、揺れるような歓声を聞いた。細身の体躯、いつの間に目が悪くなったのか眼鏡をかけている。最後に見たレイからは想像出来ないほどに立派になっていたが、冷ややかな目つきは変わらない。シノブとメアリは丸く大きな目を母親から譲り受けているが、レイのそれは確実に父親譲りであった。家主のように笑っていれば、さぞ美しく見えるだろうに、無感情な遠い目をしている。

「凛々しくなられたなぁ」

 ぼそり、と隣の席の父親が呟く。

「ほんと、立派におなりだわ。綺麗」

 反対隣の母親がまぁまぁ、と頬に手を当てて言う。

 綺麗。そうだ、一言で言うならば、綺麗になった。男に言う言葉ではないかも知れないが、髪は柔らかそうに艶やか、肌は白く、形だけを見れば目は綺麗なアーモンド型で美しい。遠目に見ているにも関わらず、鼻の形までもはっきりと見える。若さのせいか、その漲る自信からか、体から光でも放っているかのように、全てが輝いて見えた。

「本日はどうぞ、ごゆっくりなさって行って下さい」

 すっ、と綺麗なお辞儀をすると、レイは初めて小さく、本当に小さく笑み、壇上から降りた。今からレイは、全ての机を回って挨拶周りをするのだ。今の身分から言えば、位だけをとればレイはまだ大した地位ではない。家主のように、前にどっかりと座って挨拶を待つ身分ではないのだ。これから家臣になる者に顔を通しておく事が、レイ側の今回のパーティの狙いである。と、父が言っていた。

 レイが壇上から降りると、皆が息をする事を思い出したかのように、辺りがざわつき始める。女性達の黄色い声が聞こえるところから察するに、どうやらレイは彼女達の心を掴む事に成功したらしい。冷たい男よ、と喉まで出かかったが、ミノルはその言葉を飲み込んだ。睨まれるのがおちである。確かに今日のレイは、煌めくほどに美しかった。それは認める。

 ミノルは、シノブとメアリの姿をこっそり探してみたが、会場ではレイが挨拶周りに来る前に家主への挨拶をと席を立つ者が多く、人を探せるような状況にはなかった。レイが今どこにいるのかさえ見えない。

 ミノルは女性陣の黄色い声を聞かされながら、一人、卓に並ぶ料理を口に運ぶ。彼女達のようにレイが回って来る楽しみもなければ、家主への挨拶もミノルには必要ない。子息達は挙って家主への面通りや、レイとのパイプを狙っているのか緊張気味に席に座っているだけで、ミノルにとっての面白い事にはなりそうな気配がない。退屈でしかなければ、食べる他ない。

「ミノル、もう少し淑やかに食べなさい」

 母親が窘めたが、ミノルは空返事だけを返す。

 食べ物は頬が落ちそうなほどに美味い。これを話しの種として持って帰るしかない。全種類食べてやると息巻いている間にどれ程の時間が経ったのか、気がつくと頭上から声が降ってきていた。

「よく食べるね、ミノルちゃん」

「だって、それしかする事が、」

 言い返しかけて、言葉とともに口に入れていた肉を飲み込んだ。喉に支えて、一瞬息が出来なくなってむせ返る。

「そんなに食べるから」

 差し出された飲み物を一気に飲み干しながら、ミノルは赤くなる。声の主も、飲み物を差し出してくれたのも母ではない。レイだ。ミノルは慌てて立ち上がる。

「れ、レイ!・・・じゃない、天冰様」

「気持ち悪い呼び方しないでくれる。心にもない」

「じゃあ、レイ、様?」

「様はいらない。ご無沙汰しております」

 父は家主への挨拶に行ったきり戻っていない。後者は母に向けられたものだ。いつの間に立ったのか、母は既に音もなく立ち上がり、深く礼をしていた。

「こちらこそ、ご無沙汰を致しております。ご立派になられて、なんと頼もしい」

「まだまだ若輩者です。ご指導ご鞭撻のほど」

 ミノルは呆気にとられながら、真横に佇むレイを見上げる。これが、あのレイか。絵本を読んでいたレイが浮かび、目の前の少年を見て、また絵本のレイに戻る。これは誰だ、と自問する。

 先ほど見たレイはさほど背が高いとは思わなかったが、目の前に立たれるとミノルより少しだけ背が高かった。遠目に見た時よりも眩い輝きに、目がくらむ。

「ミノルちゃんは随分ご無沙汰してる気がする。元気?」

「あ、うん。レイも元気そう。あ、紅国王様のお目通り、おめでとう」

「ああ、ありがとう」

 レイはミノルと視線を絡ませ、ふっと笑った。

 ごんっ、と頭を殴られるような衝撃があった。レイがふわりと優しく笑ったのを、初めて見た気がする。

「今日は綺麗だね、ミノルちゃん」

「えっ!?あ、ありがと。えーっと、レイも素敵」

「無理やり褒めなくても」

 レイはまたふっと口元を綻ばせ、踵を返した。ミノルは慌てて言う。

「無理やり、じゃない!レイこそ、みんなに言ってるんでしょ!」

「みんなは褒めとかなきゃ。でも、別にミノルちゃんは褒める必要ないでしょ」

 にっ、と笑って次の卓に向かって歩いていく。その背を眺めながら、ミノルはぼんやりと、レイの笑顔を反芻する。彼はいつの間に、あんな風に笑うようになったのだろう。ミノルが最後に会ってから数年も経っているのだから、変わっていても不思議はない。

 ふわふわと歩くたびに揺れる髪を見つめながら、ミノルは胸に手を当てる。動悸が、痛い。

 ミノルを見た目が、宝石のようだった。笑うと柔らかくなる目が、矢のようだった。笑うたびに、胸が痛くなったから。

 自信に満ちた目が、真っ直ぐに伸びた背が、堂々と話す声が、きらきらと輝いて見えて、ミノルの目を奪って離さない。

「やっぱり素敵ねぇ、レイ様は」

 ミノルは母の声に、空返事を漏らす。

「レイ様はどのご令嬢を気に入られるのかしらね」

 ずきん、と胸が痛んだ。そうだ、この中の誰かが、レイを射止めるかも知れないのだ。レイを目で追うと、隣の卓でご令嬢と和やかに話している姿が目に留まる。その笑顔に、嫉妬した。あんな風に、レイが他の女に笑いかけているのが、この上もなく悔しい。今すぐ、ここに連れ戻したい衝動を唇を噛んで抑え込み、ミノルはレイの横顔をただ見つめる。

 ミノルは小さく自嘲する。

 ああ、見つけてしまった人はこんなにも、遠い。

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