ミノル③
ミノルは、与えられた課題をきちんとこなすようになった。
一日のうち、勉学へと親が充てがう時間は二時間。以前は長くて苦痛で仕方がなかったが、一日二時間程度では、世界標準文字を覚えきるのでさえ一年かかった。しかも、書ける訳ではない。読みで精一杯である。
たったの二時間だったのか、と気付いてからは、自主的に一時間、勉学の時間を増やした。おかげで更に一年が経つ頃には、なんとか世界標準文字をマスターしていた。
紅国の古典文字に着手すべきか迷い、最終的には諦めた。難読過ぎて、三日で挫折した。代わりに、武術の時間を増やした。レイに、何か一つでも勝てればと始めたが、これが中々性に合っていたらしく、楽しくて仕方がなかった。元来、体を動かすことが好きであるミノルは、逞しくなっていく二の腕を眺めては、ほくそ笑む日々を過ごした。
ミノルはいつしか、友人が出来ていた。幼い頃に望んだ女友達は、嫌々参加したパーティで得た。隣の小家に住む姫君で、ミノルはよく彼女を訪ね、彼女もよくミノルを訪ねてきた。親交が深まるにつれ、次第に従弟妹達に求めていた心の隙間は埋まっていき、望んで冰大家を訪れる事もなくなっていった。
今日も、友人のキャリーがミノルを訪ねてきた。
ミノルは十一になり、その年頃の娘達の悩みを、一丁前にミノルも抱き始めていた。
「サラったら、とうとう婚約したのですって」
「ほんとに?この前は何も言ってなかったのに」
「この前って、もう半月も前だわ。話さえ進めば、そんなものよ」
キャリーは、ミノルの部屋で寛ぎながら、恨めしげにため息を吐く。泣き黒子が愛らしいキャリーは、癖のある唸った髪が気に入らないらしく、いつも手で整えている。
「ミノルはまだ話はない?裏切りっこなしよ。話が出たら一番に教えてね」
「分かってる。うちは母様が気にしているけど、父様はまだ早いって言ってるわ。父様が腰を上げない限り、ないと思う」
「早いってことはないけどね。もう十一だもの」
この年頃になると、良家の子女は相手を決め始める。結婚はまだまだ先にしろ、相手をキープしておくのだ。他に取られる前に。
「キャリーはどうなの?トールの事が好きなんでしょ?うまくいきそう?」
キャリーは、たまたまパーティで知り合ったトールという男に、一年前から恋をしている。ミノルは参加しなかったパーティなので、相手のことは名前しか知らないが、中家の三男坊らしく、手の届かない相手でもない。
「お会いする機会がないから、進展なんてしないわよ。でも、まだお相手がいるという話は聞かないの」
嬉しそうに笑うキャリーは、トールの名前を出すと女の顔になる。それが少し羨ましい。
「ミノルはまだ、気になる方もなし?」
ない。しかしミノルとて、恋には憧れる。
「ミノルはあまり会合に参加しないからよ。出会いなくして相手は現れないわよ」
耳が痛いが、億劫である事もまた、確かである。興味のない人に愛想を振りまくのは疲れる。そんな事を言っているうちは、恋など夢のまた夢なのであろうが。
「ミノルは、おじ様のお力をお借りすれば、直ぐに見つかるんじゃないの?」
「だめよ。何においてもおじ様の力は一切借りない。それが当家の規則なの」
大家主であるおじの力は、例え城が滅びようとも借りない。これが父の口癖である。もともと家臣であった父が、独り立ちを命じられたその時に決めた、自身の規則なのだそうだ。主人の期待に応えるため、余計な反感を買わぬため、父はその信念だけは曲げない。
「難儀ね。ちょっと口利きしてもらうだけで、娘が最高の婿を迎えられるのに」
「自分の夫くらい、自分で探すわ」
顔も知らぬ誰かを紹介されるより、よほどいい。おじの紹介を得てしまったら、ミノルには断る権利がない。ミノルは、きちんと恋をして相手を選びたかった。その点、父の信念には感謝している。ミノルに、考える余地をくれたのだから。
「それじゃあ、大家での会合ね。そこで相手を見つければいいわ。家柄のきちんとした方しか、来ないでしょ?」
「おじさまは滅多に会合を開かれないのだけど、来年に大きな会合がある。実は、招待されてるの」
「いいじゃない!なんの会合なの?」
「レイが十歳になるの。外交の場へのお披露目を兼ねて、大きな会合を開くのですって」
「まあ、素敵だわ!」
キャリーは自分の事のように興奮して、頬を真っ赤に染めて叫んだ。まさに、ミノルにとってもうってつけの場であるだけに、ミノルも実は、招待状を貰ってから毎日のように、まだ見ぬ恋の相手を夢見ている。
「来年が待ち遠しいわね。私も、早くトール様のお目に叶うように頑張るから、ミノルも頑張って」
「どちらが先か、競争ね」
ミノルとキャリーは、手を組んで笑い合う。
来年、ミノルは十二になる。その会合に、全てをかけて臨む所存だ。
そう言えば、レイに会うのはいつぶりだろう。
大家を訪れる回数が減っているとはいえ、それでも年に一、二度は最低足を運ぶ。しかし、何度思い出してもレイの顔が浮かばない。いつも執務塔にいるだの、視察に出ているだの、そう言えばかなり長い間顔を見ていない。
最後に会ったのは、数年以上前かもしれない。ミノルの頭に浮かぶレイは、絵本を無愛想に読んでいる。
レイはどんな風に育っているのだろう。
一つ、来年の楽しみが増えた。




