ミノル28
それから何時間かの記憶が、ミノルにはない。
気がつくと自室の椅子に座っており、多分の時間を要して仕事中であったことを思い出した。
先ほどまでレイに会っていた自分は、果たして現実だったのだろうか。夢だったのではないかと思う程に、どうにも頭が回らない。
もしも本当にレイに告白した自分が現実なら、今頃はミノルを追い出して、ミレイ姫と見合いの最中なのだろうか。あれからどのくらい時間が経ったのかは分からないが、ミレイ姫がそう易々と引き下がるはずもあるまい。まだ、一緒にいるのだろうかと考えただけで気が滅入る。
それにしても、レイが最後に言った言葉はなんだったのだろうか。貰ってやると言われたような気がするが、果たしてどういう意味だろう。普通にとれば、結婚してやる、という意味だろうが、そうではなかろう、と思う自分がいる。そんなはずはない。都合よく捉え過ぎだ。
ミレイ姫も、レイに告げたのだろうか。そのうら若き姫の想いを、レイはどう受け止めるのだろう。そんな事を考えながら、ゆっくりと立ち上がる。鏡に映った自分は確かに酷い顔で、泣きはらした目は重く、化粧などどこにも残っていやしない。疲労からか隈も酷ければ、髪だってぼさぼさだ。
髪を梳いて、化粧を直しながらミノルは溜息をつく。次にどんな顔をして会えばいいのか、ミノルが放った数々の言葉を思い出すだけで気が滅入った。恥ずかしいにもほどがある。
休憩時間などとっくに過ぎているので、怒られる事を覚悟の上で持ち場へと戻ると、涙ながらに喜ぶランドとテーラが抱きつかんばかり勢いで走って来た。
「おいっ!!!お前、とうとうやったな!!」
「信じられん、まさか本当にやってのけるとは!」
わっ、と二人のみならず、近くにいた官にあっと言う間に取り囲まれる。
「え?なにが」
「何がって、天冰様だよ。お前がぼうっとしてる間に公布があったぞ!ミノルっ!お前が天冰様の正妻だ!」
はあ、と呟くばかりのミノルは、セイサイ、と呟いてはみるものの、その意味を理解できない。二人の最初からの同僚が、こんなに目を潤ませて喜んでくれているその姿に、つられるようになんだか幸せな気持ちが沸き起こってくる。
そのランドとテーラに引きずられるようにして、持ち場近くの応接間に連れていかれた。部屋の前には見慣れた上級官吏が書簡片手に立っており、ミノルに跪くよう促した。訳も分からぬまま指示に従うと、 皆に囲まれる中、書簡が読み上げられる。
「第三特別厚生課、学業担当補佐官ミノルに申し渡す。冰大家第一主子、天冰様の正妻となることをここに許す。以後その栄誉に恥じぬよう行動し、厚く天冰様をお助けし、冰を導く手助けをされよ。婚約の儀をもって汝は天冰妃を名乗り、決して驕る事なく、邁進せよとのお達しである」
上級官吏は書簡を下ろし、すっとミノルの前に膝をついた。
「おめでとうございます、ミノル様」
歓声が上がる。ランドが、テーラが、同僚が、ミノルのレイへの想いを知る全ての人達が、祝福の声を上げる。
ふつふつと、その城中に谺するような歓声に、肌が泡立つように鳥肌が立つ。
「まさか、本当に?」
ミノルは手渡された書簡を震える手で受け取り、それに目を落とす。文字が読めることを、また嬉しく思う日が来た。思えばミノルの人生は、レイへの対抗心から始まった。文字。それはいつも、ミノルに人生の喜びを与えて来たような気がする。レイの元へ来るきっかけとなった仕事もそうだった。
文字はいつもいつもミノルの人生を大きく動かし、レイへと導いた。
「テーラ」
「ん?なんだ?」
テーラが、自分のことのように嬉しそうに笑う。隣にあるランドの顔には、薄く涙が浮かんでいる。こんなにも喜んでくれる人がいる事が嬉しくて、ミノルまで泣けて来る。
「やったわね、昇進」
「は?」
「約束したでしょ。あたしがレイに嫁げたなら、見返りは出世だって」
ああ、とテーラは苦笑する。本当にそんな事を望んでいるわけではない事くらい、ミノルとて分かっている。口ではなんとでもいうが、結局のところ優しいのだ、この二人は。本当にミノルを心配してくれる。
ミノルは書簡を抱きしめ、歓声をその一身に受ける。良家の姫でもないミノルを、こんなにも祝福してくれる声がある。冰大家にとっては、ミレイ姫の方が何百倍も後ろ盾としての価値があるというのに。
無性に、レイに会いたい。もう一度、抱きしめたい。
「レイは、どこに?」
「天冰様はお仕事が溜まっておられます。これから我々は婚約の儀に向けての準備を始めます。天冰妃様におかれましては、今後一つ、事業が任せられますので、その引き継ぎ等を受けていただくと共に、お披露目に向けての次期冰大家妃としての職務を覚えていただきます」
「・・・つまり、レイには?」
「半年後の婚約の儀まで、とは申しませんが、そうそうはお会いにはなれません」
何十人もの官吏達の歓声を突き破る、盛大な悲鳴がミノルから上がったのは、言うまでもない。




