ミノル26
翌日、翌々日もレイの意識は戻らず、ミノルは仕事が始まっていた。レイが倒れた事は瞬く間に官吏達の間に広まり、こんな時に次兄がいれば、とシノブの帰還を望む声も多く上がっていた。
家主の多忙に伴って妃にも仕事が回るようになり、レイの看病には専らメアリがついていた。護衛武官もだ。噂が広がらぬようにと箝口令が敷かれ、窓から臨む城下はいつもと変わらぬ活気に満ちている。
テーラとランドは、気を遣ってかミノルに何も言わないでいてくれたのだが、ついミノルから話を振ってしまう。
「何日も目覚めなかったら、どうすればいい?」
「どうって。お目覚めになるだろ。疲れて、休んでおられるだけさ」
「でももう、三日目よ」
「ミノルが悩んでたってどうにもならないさ。それともなに、天冰様がこのままお亡くなりになるとでも?」
「縁起でもない事言わないでよっ!」
「だろ。別にどうにもならないよ。せっかくゆっくり休んでおられるんだから、早く起きろなんて言わないであげれば」
「まぁ、ええ、そうね」
ミノルは溜息をつく。そうは言っても、心配なものは心配だ。意識があって療養しているのなら安心なのだが、ずっと目覚めないというのはやはり怖いものがある。意識を失う前に手を打っておく事が出来たなら、と思わずにいられない。
仕事が終わって、レイの顔を見にいく。相変わらずただ眠るようにレイはベッドに横たわっていて、疲れた顔のメアリが兄の手を握ったまま眠っていた。ミノルは邪魔をしないように、様子だけを見て自室に戻る。
そんな日々が続き、レイが倒れて一週間。ようやく目を覚ましたという報せが飛んだ時、ミノルはランド、テーラと共に学校の視察に出ていたので、城に戻ってからその報を聞いた。居ても立っても居られずレイの部屋へと走ったが、扉の前に溢れかえる見舞客の波を押し退けるだけの理由がなかった。しかし、開け放たれた部屋の中から、仕事の指示を出すレイの声は聞いた。早速仕事をしているのかと不安になったが、どうやら引き継ぎ指示のようだった。
顔は見られなかったが、元気そうな声を聞けてとりあえず安心した。ミノルに割く時間などなかろうと、その場は引き下がる。それからしばらく通ったが、いつ顔を出しても忙しそうで、煩わせるのが申し訳なくて、あっという間にまた一週間が経った。
その間、ミノルはレイの声だけを聞いて、今日も元気そうだと安心を胸に眠りについた。そうして遠慮している間にまた一週間、更に一週間が過ぎ、とうとうレイの顔を最後に見てから一ヶ月が経とうかというある日。
「ミノルちゃん!」
メアリが休憩中のミノルのもとを訪れたのは初めてのことで、共に休んでいたランドとテーラは、突然の姫君の登場に、食べていた物を喉に詰まらせながら平伏した。必死で我慢しているようだが、ごふごふと、くぐもった堪えられない咳が聞こえてくる。
「ど、どうしたの?」
斯く言うミノルも、大層驚いた。メアリは汗を滲ませながら、ミノルに飛びついてくる。その慌てた様子に、急に不安が押し寄せてくる。
「また、レイになにかあったの!?」
「やっぱり聞いてないの、ミノルちゃん。最近、レイお兄様には?」
「・・・会ってないけど」
ああ、とメアリは崩れ落ちるように溜息をついた。
「レイお兄様、今日お見合いですって」
「は?」
「お見合い。流石にもう一人でご政務を回せないとお思いになったそうで、急遽決まったって」
ミノルはしばし固まる。持っていた食器は、いつの間にか手の中にはなかった。
「え?だって、あたし達なんの準備もしていないし」
普通は、見合いに来る姫君を迎えるための準備がある。生誕祭ほどではないが、それなりの掃除や、飾り付けがなされ、その支度はミノル達官吏の仕事である。そんな準備はした覚えもないし、誰かがしていると聞いてもいない。
「だから、急遽。レイお兄様が悩んでいらっしゃるのをどこで聞きつけたのか、あちらから打診があって。正式に申し込んできたの。レイお兄様、お受けになるかも知れないわ」
「どこの、誰が」
言いながら、ミノルの中には直感的に思い当たる名前があった。箝口令が敷かれているというのに、レイの現状を知り得る人物。よほどこちらの、レイの動きを注視している人物。レイに興味がある、姫君。
「ミレイ姫ね」
メアリは、無言にて肯定する。
あの姫は、ダメだ。ミノルが一番に伝えたかった言葉を、レイに差し出してしまうかも知れない。妻になれるかも知れない状況で、その思いの丈を伝えてしまうかも知れない。それほどまでに、レイを慕っているように見えた。
「どこで。どこで、会うの。いつ」
「第一迎賓館で。レイお兄様は、もう行かれたわ」
メアリの言葉を、最後まで聞く前にミノルは走り出していた。
メアリの声が、背中に聞こえる。ミノルとて、行ってどうするのかなど、分からない。でも、じっとしてなどいられる筈もない。今、この瞬間にレイを追わなければ、絶対に後悔する。ミレイ姫がレイの妻になってからでは、もう遅い。ミレイ姫の告白よりも先に、少しでも可能性があるのなら、今。
ミノルは、この十年近い日々に、後悔などない。
やれるだけのことはやって来たつもりだ。だから、最後の最後で後悔など、今までの時間を無碍に捨て去る事など、出来ない。こんなにも追いかけ、求め、自分の生き方を変えてまで欲した彼を、むざむざと目の前で他の姫君になど、渡せない。
諦めるなら、レイに断られた後だ。それでこそ、諦めもつく。
ミノルは泣きながら走る。何がそんなに悲しいのか、ただただ泣けて来る。苦しくて堪らない。
第一迎賓館の扉の前は、護衛武官が守っていた。レイは既に、中にいるらしい。
護衛武官が、小さく頭を下げる。
「何か」
ミノルは涙を拭いながら、息を整えながら言う。
「ミレイ姫は」
「まだお着きではありません」
「では、レイは中に一人ね?」
「左様です。到着をお待ちです」
廊下を振り返ると、左側だけに兵士がずらりと並んでいる。右側には、ミレイ姫が到着した暁に、あちらの兵で埋まる事となる。ミレイ姫は到着したとしても、先に家主と妃に挨拶に行く筈だ。それから、ここに来る。まだ、彼女の到着にはかなり時間はある。
「話がある。通してもらえない?」
「どのような?」
護衛武官は、無表情に言う。初めて彼を見る者なら、その無表情に怯えるところなのかも知れないが、ミノルは動じない。愛想のある男ではないだけだ。
「レイを、貰い受けに来たの」
護衛武官は一瞬目を見開き、また無表情に戻って言った。
「十五分だけ」
「十分よ、ありがとう。恩にきるわ」
ミノルは、扉を押し開ける。
それを後ろ手に閉めながら、ミレイ姫だと思ったのか、立ち上がったレイに向き合う。
「ミノル姉。どうかした?ミレイ姫に何か?」
レイがこちらに向かって歩いて来る。久しぶりに見るレイは、少し痩せたが元気そうで、ミノルの目からまた涙が溢れる。きちんと正装したレイは眩しく、それはそれはキラキラと、金の刺繍よりも輝いて見えた。本来ならば触れる事も叶わない、地位も名声も才覚も持つ若き主子に、ミノルは手を伸ばす。
その手を握り返してくれた従弟は、涙を流すミノルを心配そうに見ている。ミノルのために変えてくれる表情の一つ一つが、愛おしい。
ミノルはレイの腕を掴み、引き寄せる。
その唇に自らの唇を寄せながら、ミノルは涙に滲んだ薄目のまま、彼から目を離さない。
(あ、驚いた顔)
ミノルは小さく笑う。
レイの全てを、あたしに見せて。




