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ミノル25

 レイは、執務室にはかろうじていたが、背もたれに頭までも預けて寝入っていた。

 レイが眠っている姿は、初めて見た。いつ見ても仕事をしている彼が、自室ではなく執務室でおちているところを見ると、余程疲れが溜まっていたのだろう。メアリの部屋でも、明らかに様子がおかしかった。

 ミノルはレイを起こさないように、そっと彼の前にしゃがみ込んで、その寝顔を見つめた。ノックに気づかないくらいだから、多少の事では起きないだろうが、少しでもゆっくりと休んでもらいたい。

 彼は、シノブがいなくなってから、ろくに眠りもせずに働いている。と、メアリから聞いている。ミノルより先に執務室を出た事はなく、メアリより後に来た事もない。そもそもレイの寝顔どころ、自室にいるところを見た事もない。そもそも執務室を自室代わりに寝るようになってどのくらい経つのか、最近になって、心配した両親が、執務室から寝台を取り上げた。せめて寝るときくらい自室に戻り、仕事のことは忘れろと、妃が泣いて訴えた結果だそうだ。ミノルも大いに賛成する。

 ミノルは息をしているのかも怪しいほどに深く寝入るレイの頬に、そっと触れてみる。少し熱い気がするのは、ミノルが緊張しているせいだろうか。

 ふと、部屋の外で気配を感じた。ミノルはノックをされる事を恐れて、そっと扉を開けて訪問者を確かめる。

 そこにいたのは、先ほど別れたばかりのメアリだった。ミノルが扉を後ろ手に閉めてから、メアリは小声で言う。

「邪魔しちゃった?」

「ううん、レイ寝てるの。よほど疲れてるみたいだから、機会を改めようかと思ってるわ」

「寝てるの?レイお兄様が?」

「ええ。メアリちゃんは、何か用で?」

 メアリは眉を下げて、心配そうに俯く。

「レイお兄様、今日は様子がおかしかったから、気になってしまって。ミノルちゃんにも気付かないほど、深く寝入っておられるなんて」

 メアリは扉の前で一頻り迷った後、ノブに手をかけた。邪魔をする理由もないので、ミノルは一歩下がって、メアリが扉を開けるのを見守る。

 メアリは扉こそそっと開けたが、レイの元へとバタバタと走り寄った。慌てた様子でその顔を覗き込み、レイの肩を思い切り掴んで揺らす。

「レイお兄様?起きて、レイお兄様」

 寝かせておいてあげようとしたミノルとは裏腹に、メアリは必死でレイを起こそうと揺らす。その顔が悲愴に満ちていて、ミノルまで急に不安になった。いくら疲れているからとはいえ、揺さぶられて起きないなんて事があるだろうか。

 ミノルはいつの間にか、震えていた。足が、動かない。戸口でただ佇むミノルの前で、メアリがドレスの裾を捲り上げる。そもそもメアリは、ひらひらとした姫君然とした服装を好まないので、簡素なドレスを着ている。そのドレスの裾を膝上で結び、足を開いてバランスを取りながら、レイを一気にその背に背負った。

 メアリが眉を顰める。重い、とは言わなかったが、その心の声はミノルにも聞こえた。か細いメアリに、意識のない成人男性は、さぞかし重かろう。武道の腕が立つのと腕力は、別の問題だ。

「ミノルちゃん、医者、医者を呼んできてっ」

 メアリに背負われても、レイは全く目を開かない。これはもう、眠っているのではない事だけは確かだ。先ほど頬が熱かったのは、ミノルが緊張しているせいではなかったのだろうか。あれは、レイ自身の熱だったのだろうか。

 ミノルは子鹿のような足を震わせながら、こちらに歩いてくるメアリに駆け寄る。

「メアリちゃんが行って。あたしが、運ぶわ」

「でも」

「任せて。これでも、鍛えてるの」

 メアリは不安そうな顔のまま、レイをミノルに預けてくれた。ミノルの背に乗せるのを手伝ってから、運べるかどうかは確認する事なく、走り去っていく。

 ずしん、とレイの体重が背中にのし掛かる。

 熱い。やはり、レイ自身が熱い。

 こんな状態になるまで気付かないなんて。メアリが来なければ、ミノルはそのまま退室して、レイの容体に誰かが気付くのは大幅に遅れたかも知れない。あんなにレイを見ていたのに、気付かなかったなんて。ミノルは自分への怒りで、力強い一歩を踏み出した。

 情けなくて、堪らない。それが今は原動力となって、ミノルはレイの体重を諸共せずに歩く。早足になり、小走りになる。

「ミノル様。手伝いを頼まれました。何かございますか」

 ミノルに付いて、女が一人、声をかけてくる。確か、メアリの護衛武官だ。

「家主様と妃様に、直ぐに連絡を。レイの護衛武官、並びに執務における側近達にも状況の連絡を。護衛武官はレイの部屋に寄越して。側近達にはとりあえず家主様から連絡があるまで、執務代行をするように、と」

「承知いたしました」

 すっと、その場を離れていく女は確か、名はカホといった。今更思い出したが、今はそれどころではない。

 やはり護衛武官は、側に置いておくようにと説得すれば良かった。レイは、護衛武官こそいるが、外出する時にしか側には置かない。一人の方が仕事がしやすいからと、いつも他の仕事をさせている。護衛武官の職を得られる者は当然、官吏たる実力に長けている者であるが故に、何も危険がないのにただ側には控えさせておくのは勿体無い、とそんな事ばかり言って、側に置きたがらなかったのだ。一理あるが、今ここに護衛武官がいれば、もっと素早く、レイの対応に当たれた事実を説いて、今後は側に置かせてやると、ミノルは心に決めた。

 護衛武官は、直ぐに来た。

 他の仕事をさせているとはいっても、いかなる時もレイを優先する事が彼の仕事である。そう遠くに行くはずもなく、おそらくカホの連絡を受けて来たのではない。自ら異変に気付いて来た、そんな早さだった。

「ミノル様、代わります」

「お願いするわ」

 ミノルは迷う事なくレイを預ける。この男の方が、早いに決まっている。

 案の定、護衛武官の男は、ミノルの背からレイを下ろして、そのまま担ぐ事なく、腕に抱いたまま勢いよく走り出した。

「ミノル様、一つお願いしても宜しいか」

「なに!?」

 ただ走るだけでも、男について行くのでやっとのミノルに、男は息一つ乱さずに言う。

「レイ様のご様子だと、医者とは別に薬師が必要です。が、間の悪いことに今、薬師は街に買い付けに出ております。どうか、お連れいただきたい」

「わかったわ、どこに行けばいい」

 男が言う場所を頭に叩き込み、ミノルはこの場で引き返す。わらわらと、官吏達が集まって来ている。レイの周りには、もう手が足りるだろう。

 護衛武官は、後から来る官吏達にも何やら指示を出しながら遠ざかって行く。彼はあまりレイの側にいないので、話をした記憶は正直なところ、ない。だが、全く動じる事なく仕事をこなしていく姿に、尊敬の念すら覚えた。

 それからミノルがなんとか薬師を連れて帰って来た時には、レイの自室には妃とメアリ、例の護衛武官と医者が数人いるだけであった。家主や側近達は、レイの仕事を回すべく、見舞いには来たものの直ぐに仕事に戻ったそうだ。家主とて、一定の仕事を抱えている上に、レイの仕事を引き受けなければならないのだ。息子を悠長に見舞っている場合でもなかろう。

「ど、どう?レイの様子は」

「ミノルちゃん。薬師を連れて来てくれたのですってね、どうもありがとう」

 妃は心配で堪らないと言わんばかりに、涙を浮かべてそう言い、息を切らしたミノルに席を進めてくれる。ミノルは腰を下ろしながら、ベッドに横たわるレイの顔を覗き込む。熱があるのか、頬に赤みがあるので、体調が悪そうには見えない。

「熱があって、まだ意識が戻らないの」

 メアリはレイの手を両手で握ったまま、今にも泣きそうな声で言う。メアリは、シノブがいなくなってから時折、情緒が不安定になる。いっときはかなり心を病んだそうだが、ライの助力でかなり回復したそうで、ミノルは病んでいる時のメアリは知らない。だが、レイまで倒れたとあっては、また心を病んでしまわないかと少し心配になる。

 薬師が医者と話し合いながら、薬の調合にかかる。

 母と妹に手をとられ、深い眠りから覚めないレイを、ミノルはただ、見つめていることしか出来なかった。


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