ミノル21
それから三日間、仕事があまりに忙しく、また、なんとなくレイに会うのが怖いまま過ぎた。
やっとの事で片付けを終え、城内も城下町も元の姿を取り戻した矢先、官吏達に約束の休暇が付与され始めた。新人から優先的に付与されたため、テーラ、ランドと三人揃って、五日間の休みに突入した。
二人は後ろ髪を引かれるように、不安げな面持ちのまま実家へと旅立って行き、ミノルは一人、惰眠を貪るようにして体を休めながら、ぼんやりと天井を眺めて半日を過ごした。
やっと重い腰を上げ、重い足取りのままレイの元へと向かった。見知らぬ姫君がいたらどうしようかと、そんな事ばかり考えてしまう。執務室に、姫君などいるはずはないのに、それでも妙に不安だ。
部屋の前に立つと、通りがかった官吏が、部屋にいらっしゃいますよ、とご丁寧に教えてくれた。一人か、と咄嗟に聞かなかった事を後悔しつつ、大きく息を吐きながら、一気に扉を開いた。
おそるおそる目を開くと、この三日不安に怯えた女の影はなく、いつも通り、こちらに背を向けて机に向かうレイの姿があった。足の力が抜けそうな程安堵したが、ここでへたり込む訳にも行かず、扉を支えにしたままなんとか足に力を込める。
「メアリ?悪いけど、ちょっと待って。きりが悪い」
どうやらミノルをメアリと勘違いしたらしく、レイはこちらを向く事なく背中で言う。三日聞かなかっただけで、酷く懐かしい声のような気がした。
よろけるようにして、のろのろと進むミノルに、レイは続けて声をかけて来る。
「お母様が探していたぞ。嫁ぐ時の服を縫うから採寸をさせろと言っていたから、後で顔を出して」
ミノルは、後ろからレイの手元を見遣る。書簡を認めてしるようだが、直ぐにでも終わりそうだった。
「これでよし。それで、今日は何の用で、」
振り返りかけたレイの首に後ろから巻きつき、ミノルはその髪の中に顔を埋めた。なぜだろう、酷く手が震える。なぜ、こんなに不安な気持ちにばかりなるのだろう。
「またそれか」
どうやらメアリがよくしている行動だったらしく、レイは背もたれに体を預け直して、振り払うでもなく言う。
「何かあった?」
ミノルは口を開かない。もう少し、もう少しだけ、レイの体温を感じていたかった。
「メアリ?」
無言を貫く妹を不審に思って、レイがゆっくりと振り返る。ミノルの手首を、レイが掴んだ。ゆっくりと解くようにして、振り返る。手のひら程の距離で、レイは目を丸くする。
「え?ミノル姉?」
「うん。びっくりした?」
ミノルはへらっ、と努めて笑う。
「ノックなしで入ってくるのは、メアリだけだから。言ってくれればいいのに」
「あ、ごめんなさい。ノック忘れてた?」
わざとではない。完全に無意識だった。
「別に、大丈夫だけど。ミノル姉、休みは?実家には帰らないの?」
「うん。レイの側にいる」
「俺は休みないけど」
「知ってる。出来ることがあるなら、手伝うわ」
「お気持ちだけ。ゆっくり休みなよ、ミノル姉。体壊すよ」
「壊れたら、レイがもらってよ」
レイは、可笑しそうに言う。
「丈夫なお嫁さんが欲しいかな、俺は」
「じゃあ壊れない」
ミノルもつられて笑う。レイは伸びをしながら、上半身を捻ってこちらを見上げる。
「ミノル姉は、料理は得意?」
「えっ!?」
自分は今、試されているのではないだろうか。あのレイに、嫁としての資質を、試されている。
「で、出来る!」
「本当に?別に、試してるんじゃないよ」
ばれている。ミノルは肩を落としながら、苦く笑った。
「いやぁ、実はそんなに得意では。一通りは、習ったんだけど」
「正直でよろしい。昼を一緒にどう?これから休憩するんだけど、ここで食べるのでよければ」
「ええっ!?もちろん、喜んで!」
「じゃあ、二人分頼もうか。ミノル姉は作れないらしいから」
「意地悪ね、やっぱり試したんじゃないの?」
「そんな事はない。妻には求めないよ、そんな資質。せっかくそれを仕事にしてる人を雇っているんだから。それが分かっただけ、妻を狙うミノル姉には儲け話では?」
「ええ、それは、まあ」
正直ほっとした。一般的には、女に料理の腕を求める男は多いと聞くが、殊、身分ある女に料理を求められる事はあまりない。嫁ぎ先がシェフを雇っているような所になるので、必要がないのだ。
しかし当然中には、愛する妻の手料理が食べたいという者も多い。レイがそうでなかったのは、料理が苦手なミノルにとっては幸運だったと言わざるを得まい。
「レイは、休暇時間とか、何をしているの?」
「ん?大抵メアリが押しかけて来るから、その時間が休憩かな。あいつと話していると、なんとなく元気をもらえるから」
「それは確かに。ライ様にあげちゃうのは惜しいわよね」
「鵡は今、状態が悪い。メアリはかなり、頑張らないといけないだろうな」
レイは、運ばれてきた料理を口に運ぶ。食堂に大きな円卓があるにも関わらず、レイはいつもこんな狭い机を片付けて、食事をしているのだろうか。誰かと食べているのならまだいいが、ここで一人で食べていたのでは、仕事との境がない。食べながら書簡を見るレイの姿が容易に想像出来て、ミノルは恐ろしくなる。
そんな生活を続けては、レイが駄目になってしまう。メアリまでいなくなっては、レイにはもう、心を休める場所がない。
「レイ。あたし、食事は外で、誰かとする事を提案するわ」
「なぜ?」
「誰かと話す事って、心を洗うのにとても必要な事よ。雑談の中にこそ、良い発想が眠っていたりするものだわ。官吏の方とか、家主様とか、ヒトと雑談をする時間にしたらどう?気分転換にもなるし、新しい閃きの刺激にきっとなる。騙されたと思って、やってみて」
レイは綺麗に物を食べながら、小さく笑う。
「そう?それなら、試してみようかな」
「ええ、とてもいいと思うわ」
「そういえば、お母様がよく、卓は家族共にと言っていた。忙しくなってからは、いつの間にかこうなってしまってたけど。明日から、そうしてみるかな」
明日は一緒に食べられないのか、と少し思ったが、家主妃の喜ぶ顔が浮かぶと、ミノルまで嬉しくなったので、素直に返事をする。
「喜ばれると思うわ」
「ミノル姉も良ければ。明日も休みだろ?」
「え!?でも、ご家族の団欒・・・」
「それこそ従姉だろ」
従姉と言われたことが嬉しいような、切ないような、そんな複雑な感情を押し込めながら、ミノルは笑ってみせる。本来ならば決して立ち入れないところに招かれたのだ。素直に喜んでおけばいい。
こうして側にいる事を許される。
嫌がられるでもなく、むしろ食事に誘ってもらえる。少し前までは、考えられなかった事ではないか、と自分に言い聞かせる。
しかし何故か妙に、従姉という言葉が心に引っかかる。側にいる事を許される理由が、ミノルの望むものではない事に、妙に、心が騒ぐ。




