ミノル17
その後、正式な辞令が出るまでの間、三人は元の中家へと戻り、残務処理や引き継ぎを行なっていた。
天冰に目通り叶ったとあって、皆はミノル達が帰るなりその周りを取り囲み、天冰に会った感想を口々に尋ねたが、ランドとテーラは疲弊しきった顔で、「疲れた」とそう繰り返していた。二階級も特進し、大家に抱えられる事が決まったとは思えぬやつれきった二人を見て、皆は口々に憶測を繰り広げていた。逆に一人、妙にテンションの高いミノルに関しても憶測が飛び交っているようであったが、ミノルはそんな事は気にならない。
あの時、レイは「検討します」と、そう答えた。ランドとテーラは、その場を収めるために言っただけだと口を揃えたが、ミノルはポジティブに捉える。ミノルを娶る事をきちんと考えてくれると、そう思っておく。想いを告げたからには、常にポジティブに、諦めずに、何度でも、しつこく迫る。
一週間で辞令がおり、ランド、テーラと共に冰大家敷地内に部屋を充てがわれた。両親は、功績を挙げたことに大層喜び、祝いの品として剣を一振り、送ってくれた。年頃の娘に剣を送って寄越すあたり、選んだのは父に違いないが、官吏として認められたようで、妙に嬉しかった。
ランド、テーラとは流石に別部屋で、女子寮にミノルは居を構える事になった。三人一部屋だが、同室の二人とは勤務先も勤務時間も違うので、あまり顔を合わせる事もない。部屋は寝るためだけにあるようなもので、寝台と小さな机が一つ充てがわれるだけだ。
同室の二人よりも、同じ部署で働くランドやテーラと、仲良く話す事の方が多かった。二人としても慣れない大家にあって、ミノルがいる方が安心すると言っていた。
三人の上官は、先の政策時にミノルの補佐官を務めていた官で、名を柃洪と言った。正八位であり、この冰大家においてかなり発言権のある重役である。顔は以前から見知っていたが、レイの部下の中で三本の指に入る古株なのだそうだ。見た目は四十前後、見事な白髪のせいか、蒼い目がやけにギラギラと光って見える。目つきが鋭いせいで怖く見えるが、実際はそうでもない。優しい、というわけではないが、流石レイの側近というだけの事はあって、言葉数少なく、冷静沈着、といった印象がある。
ミノル達は、施行された業務のその後の動向を調べ、まとめる仕事を申しつかっていた。各地からの報告をまとめ、時には実地に赴き、問題点やうまく機能していない箇所がないかを探るのだが、何事も新しく始めた事には穴がボロボロと出てくる。これが思ったよりも大変で、実際に現地に赴き、城にいない事の方が多くなっていった。
レイとはあれ以来、言葉を交わした事はない。
同じ城内に住んでいるとは言っても、相手は天冰。仕事で来ている官吏としてのミノルに、そうそう対面の機会があるはずもなく、すれ違う事こそあれ、言葉をかけられる事も、当然かける事もなかった。
「仕事はどう、ミノル姉」
そう声をかけられたのは、テーラと外出する直前、廊下での事だった。例にもよって、ただの官吏として、レイの姿を見てテーラと頭を下げたのだが、すれ違いざまに思いがけず、初めて声がかかった。
「えっ?」
「仕事。うまくいってる?」
顔を上げると、レイの後ろには上官が二人、隣にはテーラがいるだけだった。見ている者が少ないから、声をかけてくれたのだろうか。嬉しさの余り昇天しそうになりながら、ミノルは笑う。
「初めて声かけてくれた」
「一応、人目があるから。テーラは、ここでの仕事に慣れましたか」
「えっ!?は、はい。お気遣い痛み入ります」
テーラは、名を覚えられていた事に余程驚いたのか、定型通りの言葉をなんとか呟くように返しながらも、顔を真っ赤にして喜んでいた。
「ミノル姉と二人じゃなにかと大変かと思いますが、頑張って下さい」
恐縮しきって頭を下げるテーラに言葉を残し、レイはその場を去ろうとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
ミノルは慌てて声をかける。こんなチャンスは、次はいつ来るか知れたものではない。首だけで振り返るレイと目が合うだけで、脳がくらりと揺れる。
「なに?」
「考えてくれた?」
「何を?」
「あたしを嫁にしてって言ったでしょ?」
レイは目を丸くして、体をこちらに向けた。ミノルはあまり大きいほうではないので、レイは既に、ミノルよりも頭一つ分背が高い。
「え?あれ、本気なの?」
「当たり前でしょ。ランドとテーラのお願い権まで使ったのよ」
レイは疑わしげに、丸い目をしてじっとミノルを見ていたが、少ししてから苦く笑って言った。
「ごめん。冗談だと思ってたから、考えてない」
「こんな行き遅れた女が、そんな冗談言うわけないでしょ?本気よ、本気」
「仕事辞めたら、おじさんが直ぐにでも婚約者見つけてくれると思うけど。なんなら、」
「ちょ、ちょっと失礼します、天冰様!それは、その、それを仰ったら血の雨が降ります!」
テーラが、あのテーラがまさかの、レイの言葉を遮って言った。ミノルは訳が分からずテーラを見遣ったが、レイの言葉を遮ってしまったテーラは、益々深く頭を下げて冷や汗を流している。
「天冰様。わたくしも、それは仰らぬが花かと」
さりげなく控える上官達が、しおらしく助言をする。レイは無言でその助言を受け、天井を見つめながら小首を傾げた。
「・・・簡単に婚約者を決めるつもりは、ないから。数ある案件の中で、ミノル姉が一番条件に合うと思ったら、考えるよ」
「その条件って?」
「それを言ったら、公平さに欠ける」
くすり、と笑ってレイは今度こそ背中を向けた。
更に声をかけようかとも思ったが、やめた。レイは忙しい身だ。面倒くさいと、思われたくない。邪魔だと、思われたくない。
「公平さに欠けるって、なにが?」
「・・・他の候補に対してって事だろ。条件突きつけられたら、それを克服してみせるくらいの女は、ごろごろ候補にいるんだろ。っつうか、お前なぁ」
テーラはレイの気配が消えてからようやく頭を上げ、冷や汗を拭いながらミノルを睨め付ける。
「で、さっき遮った言葉はなんだったの?」
テーラは静かに怒るミノルの顔を見て、ぎょっとして言葉を飲み込んだ。
「え?」
「そんなに良い女がたくさん名乗りを上げてるわけね?相手も本気なのね?へぇ、そう?ふーん」
「いや、勝手な憶測だけど」
「そりゃあそうでしょうねぇ。あの、天冰様ですものねぇ。完璧が服着て歩いてるんですものねぇ。条件の一つや二つ、死ぬ気でなんとかするわよねぇ」
熱い。テーラは後にランドにこう語る。背後に燃え滾る炎が見えた、と。
「で?レイはさっき、なんて言おうとしたの?」
ちらり、と冷ややかな目がテーラを横目に射抜く。
テーラがそのまま、仕事の遅れを理由に城外へと脱兎の如く駆け出して明言を避けたのは、言うまでもない。




