ミノル14
久々の冰大家の門をくぐる時、懐かしさと達成感で足が震えたが、ランドとテーラはミノルの比ではなかった。もはや焦点が合っているのかすら怪しく、あれほど楽しみにしていたのに血の気すらない。終始俯きながら、手と足が同時に出ている時すらあり、他愛もない段差で何度も躓いていた。それが可笑しくて、ミノルの緊張は次第にほぐれていった。
案内された客間は、その昔、シノブとメアリと共に隠れん坊をした記憶があった。部屋の真ん中にあるメインの机とは別に、端にある文机の後ろから顔を出して笑ったシノブは、もういない。
座って待つようにと言われたが、三人は充てがわれた椅子の前に立ち尽くしたまま、そわそわとその時が来るのを待った。
「ダメだ、あ、足が震えて真っ直ぐ立てない」
青い顔で生唾を飲むテーラの声がかすれている。ランドは頷くだけで言葉もない。
「大丈夫よ、とって食われたりしない」
「お前はなんでそう平然としてるんだ!誰が来られるか分かってんのかぁ!?」
何故か怒られた。ミノルは提案する。
「立ってられないなら、最初から平伏して待ちましょうよ」
「いい事言った!」
テーラは、我先にと床に頭を付けた。ランドも足の力が抜けたようにそれに倣う。
ミノルも平伏をしながら、三人はそれから沈黙を守って、耳に意識を集中させて彼の足音を待った。
そうして待ったのは実際には十分ほどだろうか。後でテーラとランドは一時間は待ったと言っていたが、ミノルに言わせれば直ぐにその時は訪れた。
廊下に、数人の足音が聞こえて来た。ぴりっ、とテーラとランドが息を殺すようにして空気が張り詰める。
扉が、開く。
平伏した先に、爪先が見えた。
「お待たせして申し訳ない」
頭に降ってきた言葉に、ミノルは嗚咽を漏らした。
知らない声だった。あの頃はまだ、声変わりをしていなかった彼の高い声しか知らなかったが、直ぐに分かった。
ああ、レイだ。家主様の声によく似ている。月日は彼の声を父に似せた。ミノルの知らないレイが今、目の前にいると思うと涙が止まらない。情けなくも嗚咽を漏らした事に驚いたのか、レイは扉の前でしばらく立ち尽くしていたが、震える声のランドが見兼ねてフォローを入れてくれた。
「失礼を。我々はあまりの名誉に、その、緊張しておりまして」
あー、とレイは小さく呟いて、ミノルの前で膝を折った。視界に、その手が差し出される。
「どうぞ」
ミノルはその手のひらを見つめ、見慣れない大きな手にまた嗚咽を漏らした。なんとか声を殺していたのだが、とうとう堪らなくなって、嗚咽は号泣に変わった。
ランドとテーラが、大汗を流しながら殺意すら溢れる視線で黙れと訴えてくるが、もうどうにもならない。二人の真っ青な顔を笑う余裕もない。
レイの後ろに控えていた官吏の一人が、見兼ねて声をかけようとした瞬間、ミノルの理性が弾けた。
ばっと、レイに飛びついた。
あまりの事に声もなく、片膝をついていたレイが尻餅をつく。なんとか後ろに倒れこむのは堪えたが、いきなり首に巻きついてきた、号泣する女官吏の扱いに困っているのは顔を見なくても分かった。
ひいっ、と後ろに控えていた官吏が、ランドが、テーラが悲鳴を上げた。
「ば、ばばばばばば、ばかーっ!!!」
テーラが叫ぶと、流石のランドも拳を握りしめて頭を床に打ち付けた。
「同僚が申し訳ございませんっ!!」
引離そうにも顔を上げられない二人の悲鳴が谺する中、ミノルはぼんやりと耳の奥でその声を聞きながら、唇を噛み締めた。
今、ミノルが抱きしめているのは、レイだ。
あの、レイ。
肩幅が広くなって、巻きついた首が太くなって、さらりと伸びた髪に顔を埋めると、懐かしい香りがした。
首がこそばゆかったのか、レイが少し身を捩る。ミノルはその肩に顔を埋めたまま、今度はその背に手を回してきつく抱きしめる。細身だが、とても広い背中のように感じた。
「・・・あの」
レイが堪りかねて、困ったように言う。その声が、息もかからんばかりの距離で、直接耳から骨にがんがん響く。胸が、顔が熱くなる。
この時の絶望を、ランドとテーラは後に、殺してやろうかと思ったと語った。
「レイ」
「え?」
ミノルは、はらはらと涙を流しながら、そっとレイの顔を覗き込んだ。その顔を両手で包み込むと、そこにはすっかり精悍になった、従弟の顔があった。
変わっていない。ミノルの記憶の中にある、冷静を絵に描いたような目をした彼は、短髪になっているようなことも、髭が伸びているようなこともなく、少年だった彼のイメージをそのままに、体だけがすっかり大人になっていた。
美しい瞳をした青年は、ミノルの顔を見てようやく、目を丸くしてポツリ、と呟いた。
「・・・ミノル姉?」
その形の良い唇がミノルの名を紡ぐと、どうしようもなく嬉しくなって、ミノルは笑った。涙が、ぽたぽたと頬を伝うことなく床に落ちる。
「覚えててくれた?」
「え?なんでここに?」
レイは平伏したままのランドとテーラ、ミノルを交互に見ながら、不思議そうに眉を顰めた。流石に事態が掴めないらしく、呆然とミノルを見ている。ミノルの目を、真っ直ぐ見ている。
「くらくらする」
「は?」
「眩しいわ、レイ」
「はあ?」
レイは、辺りを見回して光源を探しているような素振りを見せる。ミノルは、そんなレイから目を離さない。離せるはずもない。
「会いたかったの、レイ」
「来たら良かったのに。 何してたの?メアリの婚約式、招待状出したはずだけど。メアリは退っ引きならない命がけの仕事をしてるとかなんとか、言ってたけど」
「そうね、命がけだったの。ね、レイ。数年ぶりよ。どう?あたしも女らしくなったでしょう?」
ミノルがその顔を覗き込むと、レイは可笑しそうに言った。
「体だけね」




