土竜
先ほどから携帯が何度も鳴っている。
無視も続けば疲れてくる。倒していたシートをあげ、携帯を取り出し、通話ボタンを押した。
「はい」
「はいじゃないですよ。何回電話したと思ってるんですか!」
「着信履歴確認するから切っていいか?」
「いやいやいやいいですいいです!」
「騒がしい奴だな」
「誰のせいですか! で、今どこにいるんですか、土倉さん」
「開店待ちしてるだけだよ」
「その店って、マルティファミリーのブラックマーケットでしょ? 勝手に動くのやめてくださいよ。外事だって目をつけてるんですから」
「ここを潰したってなんも変わりはしないだろ。名目上マルティ直結の市場だって言われちゃいるが、所詮は上木組が間に入ってるマルティの小遣い稼ぎ用の市場だ」
土倉は車から出て、ボンネットに腰掛ける。遠目に見える倉庫が、ブラックマーケットが開かれる場所だ。現在、時刻は深夜一時。夜の九時頃から数台の車とトラックが行き来している。おそらく、上木の連中だろう。
このマーケットでは、重火器や大麻、ケミカル系ドラッグなどをアジア系マフィアから取り寄せ、売りさばいている。最近では、密入国者の売春の斡旋なども行っているという。
フランス系マフィアのマルティファミリーが市場を管理し、実際の運営は日本の暴力団、上木組が行うという具合だ。
マルティは腕のいい弁護士を多く抱えており、日本の小遣い用市場を潰したところでどうこうなるわけではない。
というより、土倉は自分の住む街で、こうした売買が行われていることが許せなかった。
そのため、ここがあくまでもマルティの無数にある小遣い稼ぎ用のマーケットであるということを調べ、報告したが、あくまでも静観という指令は覆らなかった。
つまり、今こうして土倉がここにいるのは、命令違反ということになる。
電話口の向こうで喚き散らしている課長秘書の中江麻里は泣き声になりながら言う。
「土倉さん、ただでさえ目をつけられてるんですから、あんまり派手なことはしないでください」
「大丈夫だよ、みんなに迷惑はかけないから。案件的に、俺の首が飛んではいおしまいだって」
「そういうことじゃないですよ。私たちは、土倉さんが心配なんです。課長だって、口うるさいのは土倉さんを心配しているからで」
「わかってる。ありがとね、麻里ちゃん。でもさ、やっぱり嫌なんだよ、この街で好き勝手やられんのはさ」
倉庫のシャッターが開いた。マーケットが開かれたのだろう。
「それじゃ、課長によろしく」
そう言って、返事を待たずに土倉は電話を切った。
車に乗り込み、しばらく様子を見る。数台の車が倉庫に消えたのを確認すると、車を発進させた。
倉庫の入り口に立っている見張りの男が、近づいてくる車を見つめる。客の車だと思っているのだろう。
土倉はにやりと笑うと、パトランプを車上に置く。暗がりで、なにをやっているのかしっかり確認できなかったのだろう。見張りの男は眉間に皺をよせ、こちらを凝視している。
「邪魔するよ」
車内で土倉は言い、サイレンのスイッチを押すと、静かな倉庫街にその音がこだました。
見張りの男が銃を抜くが、土倉はかまわずアクセルを踏み込んだ。倉庫に突っ込み、商品がならぶテーブルを手当たり次第に荒らしていく。
そうして、車の中からら躍り出ると、「警察だ!」とIDを掲げ、声高に叫んだ。
それで、何人かの人間はその場にうずくまったり、逃げだしたりした。別に、そういう人間は捨て置いていい。どうせ、何人かの人間を引っ張り、死刑をちらつかせれば、ほとんどは口を割る。そうすれば、すぐに逮捕できる。全員そうしてくれれば楽なのだが、そうもいかない。
数人が銃を抜くのが見える。
「バカな真似はよせ。銃を捨てろ」
警告に彼らは銃声で答えた。土倉は車の陰に隠れる。
「バカは痛い目みなきゃ治らないってか」
体制を低くして車の陰から躍り出ると、土倉は引き金を絞った。
放たれた弾丸が、銃を持つ連中の肩や脛を正確に撃ち抜いていく。一人がベニヤ板の陰に隠れる。土倉がベニヤ板の下の方に数発銃弾を撃ち込むと、叫び声と共に、男が転がり出てきた。
「薄い壁には用心しないとな」
車の陰に戻り、マガジンを交換する。
一度深呼吸して、少しだけ顔を出し、周りを確認する。絶叫と共に二人の男が突っ込んできた。囮だ。彼らを撃とうと土倉が身体をさらしたところを狙い撃つつもりだろう。
土倉は腹這いになり、車体と地面の間にある隙間から銃を撃った。銃弾は走ってきた者たちの足首を撃ち抜く。二人はその場に倒れ、うめき声をあげた。
「くそ!」
ここまで伝わってくる絶叫。そろそろ限界だろう。何人かは降伏し、残りもしびれをきかせて顔を出すころだ。
「クソ刑事!」
裏返った声が聞こえてくる。
「なんだクソ野郎」
車の陰から答える。
「てめえ、ここがどこだか分ってるのか!」
「ああ、アウトロー気取りの馬鹿どもの集会だろ? そこらのガキどもと変わらない。あいつらは可愛げがあるが、あんたらみたいなオヤジじゃ情けないだけだな。反抗期はとっくに卒業したもんだと思ってたよ」
「ふざけんな! 本国からファミリーが報復にくるぜ! 日本の警察になんとかできると思ってんのか!」
「自分の国をバカにして楽しいか?」
「うるせえ!」
マガジンを差し込む音が聞こえる。
土倉は車から身を起こした。
「おいおい」
だが、すぐに身を隠した。叫んでいた男が手にしていたのは、サブマシンガンだったのだ。マーケットで売られていた商品のひとつだろう。
「売り物に手を出しちゃだめってのは、幼稚園生でも知ってるだろ」
車に叩き付けられる無数の銃弾の音を聞きながら、土倉は言った。
感情に任せ、闇雲に撃っている。弾切れも早いだろう。
空撃ちの音が聞こえた。土倉は躍り出て、銃口を向ける。それと同時に、弾丸が横腹すれすれをかすめていった。本能的に身をよじらなければ、直撃だったろう。
見ると、長身の男がこちらに銃を向けている。闇雲に発砲せず、威嚇に数発撃ちながらも、確実にこちらを狙っている。リストになかったので、おそらくは男のボディガードだろう。長身の男は叫んでいた男を連れ、倉庫の奥へ進んでいく。
逃げているのは、上木組の売春を管理している木村らしかった。ずいぶんいいボディーガードを雇ったものだ。逃げている際も、常にこちらに意識をむけている。
「厄介だな」
木村たちが倉庫の奥に消えるのを見届け、後を追いかけた。
銃声が数発聞こえた。土倉は反射的に身を低くするが、弾は飛んでこない。
銃口を前に向けたまま、ゆっくり歩を進めていく。シャッターを開ける音が聞こえた。
どうやら、逃亡用の車がここに置いてあるらしい。
男の背中が見えた。
「動くな」
土倉が言うと、振り向きもせず、男が言った。
「そっちがな」
撃鉄を起こす音が聞こえた。横目でそちらをみると、少女が短銃身のリボルバーを土倉に向けていた。
「その距離なら彼女でも外さない」
男が振り返る。彫が深い。ハーフだろうか。
「あんた、一人でここに乗り込んだのか」
男が銃を抜き、銃口を土倉に向けながら言った。
「ああ」
「無茶なことをする。点数稼ぎか?」
「いいや」
「じゃあ、なぜだ」
「気に入らないだけだよ、あんたらみたいのが、平気な顔してこの街にいるのがな」
土倉がそう答えると、男は少し驚いたような顔をしてから、笑った。
「あんたもガキと変わらないじゃないか」
「そうだな。いつまでたっても小僧のまんまだと自分でも思うよ」
「だが、いい。俺はあんたみたいな男が好きだ」
「男に惚れられてもうれしくないね」
「いいね。あんたに宇会えたのは、日本に来て二番目の収穫だ」
銃口をしっかりこちらに向けたまま男が言う。
「サチ。車に乗れ」
男がそう言うと、サチと呼ばれた少女は小走りで車に乗り込んだ。
「ずいぶん可愛い相棒だな」
「別に相棒ってわけじゃない。そうなればいいとは思ってるがね」
「どういうことだ」
男が首を少し横に向ける。土倉がそちらを見ると、数人がそこに倒れていた。その中の一人は、木村だった。
「雇い主じゃなかったのか?」
「ああ。だが、もう契約は切れてた」
「だから殺したってのか?」
木村の傍らに転がっているのは、女ばかりだった。おそらく、木村の「商品」だろう。ということは、サチと呼ばれた少女もまた、木村の商品だったのだろうか。
「あの子に惚れたか?」
「それもある。だが、それだけじゃない」
男がゆっくり距離を詰め、銃を取り上げ遠くに放り、次に土倉の胸ポケットからIDを取り出した。
「土倉竜一。なるほど。覚えておこう」
「嬉しいね」
「いずれまた会うかもしれない。むしろ、また会いたいくらいだ」
「そん時は、留置場までエスコートしてやるよ」
男は土倉の軽口に笑みを返すと、車に乗り込み去っていった。
男が逃げた後、しばらくしてから警察隊がかけつけた。その中には、麻里と、課長の岸田の姿もあった。
「バカもんが。また県警に目をつけられるだろうが」
「目をつけられてなんぼでしょう遊撃は」
土倉が所属する特例広域捜査隊は、セクションに関係なく捜査ができる権限を持つ。
優秀な捜査官と技官で構成される少数精鋭であり、元々ある広域捜査課との混合を避けるため、警察の人間からは遊撃と呼ばれている。
「片っ端から噛む癖を直せ。そんなんだから、場を荒らす土竜なんて言われちまうんだ」
「名前からとるんだったらもうちょいかっこいい二つ名がほしいですけどね。昇り竜とか」
「それじゃお前の方が筋もんだろうが」
岸田は呆れたように言うと、倉庫の方に歩いて行った。
「本当に、無茶はやめてくださいね」
麻里が土倉の隣に並び、言った。
「今更変えらんないよ、生き方はさ。そうだ、麻里ちゃんさ、少し調べてほしいことがあるんだけど」
「なんです?」
「ハーフの護衛、もしかしたらヒットマンかもだけど、とにかく気になるやつがいるんだよ。マルティファミリー関連の人間なのは間違いないとは思うんだけど、どうして木村の下にいたのか気になってさ」
「わかりました。明日データーベース漁ってみます」
「ありがとう」
土倉は麻里から離れ、煙草に火をつけた。
また会うかもしれないと男は言った。
「ごめんこうむりたいね」
そう呟くと、倉庫街の明かりに向かい、土倉は紫煙を吐き出した。