◆第九話:「化け物と人間」
「いい度胸だ小僧。ただの人間がカタログを相手によくもほざいたものだ」
久我山がゆらりとカラダを傾ける。
その身に纏った魔力が湯気のように立ち上ったかと思うと、吸い込まれるように久我山の体内に消えていく。まるでその全身が光り輝いているように、少年からは見えた。
魔力を体内に循環させているのだろう。
カタログの身体強化は2つの手順からなる。
まず魔力を生み出す。
次に肉体を構成するエーテル細胞を強化する。
細胞の一つ一つまで魔力を浸透させ、圧縮するように押し固める。
その段階を踏む事で、身体能力を爆発的に向上させるのだ。
しかし今現在の久我山は魔力枯渇状態。その肉体を構成するエーテルを直接魔力に変換しない事には、肉体強化を行うことはできないのだ。
ゆえに、まず魔力を生み出し、発生したそれを再び体内に取り込む必要がある。
肉体そのものも、魔力への再変換によって弱体化しているために、より強化に時間がかかるのだろう。
前傾姿勢でクラウチングスタートでも切るような格好の久我山が――。
「――ッ!」
少年はわき目もふらずに横に向かって飛び退く。
瞬間、いま少年が立っていた地面がはじけとび、コンクリートの破片が爆発でも起きたかのような勢いで粉みじんに砕かれた。
えぐられたように直線のラインを引いて足を止める久我山。
そこにあったのはただ走り抜けるだけという単純な行動を伴った破壊の後だった。
ただ走り抜けるだけで地面を粉砕し、その通り道にあったものを巻き込んで破壊する。いまの久我山は人間サイズの竜巻も同じだった。
急制動で足を止めた少年は振り返るとその破壊痕を視野に納める。
避ける事はできる。
しかしこれでは足を止める事も、ましてや倒す事などできようも無い。
そのはずだったが、依然として少年の顔に余裕が浮かんでいる。
それを、振り向いた久我山は見てギリッと歯を鳴らす音が夜闇に響いた。
「なぜ避けられる?」
過剰な破壊を振りまいた直後でも久我山の口調は冷静そのものだ。慢心などあろうハズも無い。自身の技――影門【ゲート】を触れただけで破って見せた少年なのだ。慢心のしようはずもない。
しかし今の一撃はヒトの身で避けられる限界を超えた吶喊であったはずだ。にもかかわらず、目の前の少年は避けてみせた。それも二度もである。
偶然では有り得ない。
何かある。
影門【ゲート】を破壊したものと同じカラクリか。
それともさらに別の要因か。
久我山は余裕を振りまいて見せる少年の態度に苛立ちを募らせる。
「みえみえなんだよ。カタログがやる事なんざ、どいつもこいつも同じ事だけだ。お前達ほどワンパターンの言葉が相応しい存在もない」
能力に頼りきり、それが通じないとなると強化からの突進。
「猪だ。お前たちは。――人と同じ知能を持つ怪物? ハッ。笑わせるなよ。俺が今まで殺してきたカタログは、すべてが同じ末路を辿った」
即ち存在の消滅だ、と少年は笑った。
「なに……?」
強烈な怒りをその顔に浮かべていた久我山だったが、己の耳を疑うような言葉を聴き、一瞬少年への追撃の手を止めてしまう。
そして、問いかけざるを得なかった。
「カタログを、殺してきた……だと?」
少年は肩をすくめる。
久我山の問いにイエスともノーとも取れるあいまいな態度で応える。
カタログを殺した、と少年は言った。
否、その口ぶりからすれば複数のカタログを消滅させてきた、と。
到底信じられる言葉ではない。
しかし、真実、いま目の前の少年は久我山を追い詰め、その能力を打ち破り、人間には到底避けきれないはずの吶喊すらかわして見せた。
久我山はカタログに成ってからというもの、恐怖という感情はすでに己から消え去ったものと考えていた。
人間を超越し、死を超越し、他者は敵ではなく、餌――。
その考えを否定する少年の言葉が、久我山の脳にこだまする。
かつてその身に抱え、いまは捨て去ったはずの恐怖という感情を、目の前の少年が呼び起こそうとしている。
「当たりさえ――」
無意識のうちにそう口にしていた。
自分のうちに沸いて起こる、認めてはならぬ感情を必死に押さえ込む為に、むりやり言葉を発しているのだという事に気付きながら。
「当たりさえすれば、か? どこぞの二流の仇役みたいなことを言うのも変わらんな。では、伝統にのっとって、俺も言ってみるとしよう」
当ててみろよ、と少年は言った。
そうして足を踏み出す。
一歩、また一歩とゆっくりと久我山に近づいてゆく。
完全に舐めきった態度だ。
だが、その余裕とも取れる姿が、久我山には恐ろしかった。
カタログが全力で強化した肉体での突撃は、大型車両の衝突に匹敵する。
事実、研究所の計測器で測った久我山の吶喊は、4トントラックが時速120キロで激突した際の衝突エネルギーに相当した。
それは厚さ20センチのコンクリートブロック塀が粉みじんになり、家屋が半壊し、鉄柱がひしゃげ折れる威力という事だ。
フルパワーのカタログに轢かれるとは、死ぬという事だ。
少年は一歩ずつ無造作に近寄っていき――ついに、その脚を止めた。真正面だ。その距離約15メートル。先ほどの吶喊で離れた距離を半分以下に詰め、少年はさらに挑発する。
「さあどうした化け物。俺はここを動かない。当ててみろよ。お前の信じる化け物の優位性とやらを見せてみろ」
「調子に乗るなよ、ひ弱な人間の分際で」
吼える。
猛り狂う久我山の魔力が小山のように膨れ上がり、エーテル細胞をひとつ、またひとつと押し固める。強化された肉体からほとばしるエネルギーが体から波となって噴き出す。その様は、矢面に立つ少年の髪を強風に煽られたかのごとく吹き上げるほどだ。
少年が笑う。
もはや久我山の肉体を構成する魔力は幾許もないだろう。このチャージをかわしてしまいさえすれば、後は放っておいても勝手に自滅する。
燃費の悪い使い方をするからだと、しかし少年は考えない。
どのみち久我山にとってはこの手しかないのだから。
そしてこの距離ならばもはや外しはいないと考えているのだろう。
だが、少年は、だからこそ凶悪な笑みを浮かべる。
「挑発をして、魔力を消費させ、自滅を狙う――ああ、ありがちな策だな。けれど、それじゃあつまらない」
目の前の化け物が、人間を餌と見下している様が気に食わない。
人間如きと、侮っている態度が気に食わない。
自分を格上の存在だと驕っているクソ化け物を、真正面から打倒する。
「そうでなきゃ、つまらない。化け物を倒すってのは、そういうことだ」
少年は腕を前に突き出し、受け止める構えをとる。
真正面から。
真っ向勝負で。
久我山は獣のような形相で猛り狂い、もはや目標である少年すら見えていない。溢れ過ぎた力が理性をかき消しているのだろう。
もはや猛獣と変わらない。
そのまま脚をたわめ、凄まじいスピードで少年に向かって吶喊を開始した。
その速度は人間の動体視力で追えるものではない。
だが少年は久我山に併せ、動いた。
その獣の如きカタログを視界に納め、突き出した腕でもって真正面から押さえ込んだ――かに見えた。
次の瞬間、壮絶な破裂音とともに、地面に突き刺さる久我山の姿がそこにはあった。
「――がぁッ!?」
頭部からコンクリートの地面に叩きつけられた久我山は、もはや回復不能なほどに受けたダメージの中で混乱する。
何をされたのかまったくわからない。
気付けば地面に叩きつけられていた。
枯渇した魔力ではもはや復元不可能なほどにダメージを受けてしまった。
いったい何が起きた?
自問自答を繰り返す久我山をよそに、その傍に立ったままの少年は深い呼吸を繰り返す。
少年の腕は曲がってはならない方向にゆがみ、あちこちから飛び出した骨が皮膚を突き破り赤い血を噴き出していた。
「――ッはあっ!」
額に玉のような汗を噴き出させながらも、しっかりと両の足で立ち、少年は呼吸を整え続ける。
そして、自分の真後ろにうずくまる久我山に視線を向けた。
見下ろされる形になった久我山は、その視線を受けて、現状が少年の仕業によるものだという事を理解する。
少年の複雑骨折した腕は、おそらく自分の吶喊の衝撃力によるものだろう。腕だけでなく、指ももはや使い物にならないほどに変形してしまっている。あのようすでは肩や、そのほかの上半身の骨も無事ではあるまい。
だが。
だがそれだけだ。
たったそれだけのダメージでカタログの全力の突撃をかわし、かつ甚大なダメージをこちらに与えて見せた。
「ガッ……なにが、起きた……」
久我山の体が溶けていく。自身が消滅していくのがわかる。
カタログ・久我山雅彦は死ぬのだ。
「お前の力をそのまま利用して地面に叩きつけただけだ」
たったそれだけ。
己を支点とし、久我山の向かう先を地面へと変えただけ。
果たしてそれが可能かといえば、可能だからこそいま、久我山は死に掛けているとしか言いようがない。
少年は両の足で立ち、久我山は地に伏している。
どちらが勝者かは傍目からも明らかだった。
勝ったのは、人間――ひよわなはずの人間のほうだった。