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◆第八話:「帰還」

――割れる。


そんな言葉がある。

カップを落として割る。窓ガラスが割れる。意見が割れる。国が割れる。

物事や、物質などが分割される様を現す言葉である。


けれど、それがたとえ比喩的な表現であっても「影が割れる」とは普通は使わない。しかしそれが目の前で実際に起きたとしたら、人はなにを思うだろうか。

あまつさえ、割れた影から人間の腕が生えてきたとしたら?


その光景を見た桜火はまず自分の目を疑った。

久我山の生み出した異能――影門【ゲート】。

己の影か、それと接続した影に魔力を注ぎ込んで作り出す、異界への入り口である。

むろん桜火はその詳細を知るわけではない。けれど実際に襲われた身としては、その能力の凡そは理解している。


触れたら飲み込む。あるいは削り取る。

そして完全に消し去ってしまう。

そんな常識はずれな能力であることは理解している。

だから最初は――自分の目を疑った。

目の前に振り下ろされた影の剣が自分を飲み込もうとしたその瞬間、皹が入ったような音と共に、そこから人間の腕が突き出されるなんて。


何の冗談だ、と桜火は思った。

それとも久我山の、新しい能力か。

支離滅裂に飛ぶ自分の思考の中で、桜火は同時に視界に入った久我山の顔すらも驚愕に染められているのを見て理解する。

これは、なにかイレギュラーな事態なのだ。


「な――」


なにがおきた、か。それともなんだと、とでも言おうとしたのか。開かれたままの久我山の口から、それ以上の言葉が漏れることはない。


冬の朝、池に張られた薄い氷にそっと手を載せてみたことがある。圧力をすこしだけ籠めたそれは、あっさりと皹が入り、すぐに割れてしまった。

桜火はそんな光景を思い出していた。

影の剣が――突き破られた穴から次第に皹を広げ、いまあっさりと割れて地面に散らされる。

破片となった影門【ゲート】が舞い散るその光景は、桜火にはひどく幻想的なものに見えた。


そんな光景の中に、影から飛び出して降り立つ、一人の男。


「あー、生きてるか。千鳥。ついでに、桜火……だったか?」


その男はふん、と気だるげに鼻を鳴らし地に降り立つと、面倒くさそうに首の骨を鳴らし、桜火を見やり、離れた場所にいるヴァーチャーズを確認し――そして口を開いたまま唖然とした顔の久我山を見た。


「どうした間抜け顔。どうしたキツネ男」


何の気負いもてらいもなく、影に飲まれたはずの少年は、轟然と言い放った。


貴久タカヒサ様の無双のお時間だ」



千鳥はヴァーチャーズの中からその光景を見ていた。

桜火に振り下ろされる久我山の一撃。

その一振りだけで桜火を消し去るであろう悪魔の鎌は、けれど届くことはなく――。

まるで冗談のように突き出された一本の腕が、内側から引き破るような音を立てて破壊してしまった。

そのまま地面に危なげなく降り立った人物がいる。

千鳥も知るあの少年だった。


「景くん!?」


生きていたのか――という喜びよりも、なぜ生きているのかという衝撃のほうが先に生まれる。


「千鳥、無事か?」


遠間からかけられる声に、なんとか意識を平静に保ち応える。


【あ、ああ。なんとか――しかし景くん、キミは】

「景なら俺の中にいる。俺は貴久だ。あいつじゃあない。再会の挨拶ならあとでやりな」


その奇妙な答えに疑問を覚えるよりも先に、固まっていた久我山が再起動する。


「な、なんで生きていやがる――いや、違う……ッ! てめえ、なにをした!?」


あまりのことに動揺したのだろう、久我山はよろよろと後退すると、声を荒げる。


「なにをしやがったんだ! オレの影門【ゲート】が破られるなんて、ありえねえ!」


動揺に呼吸を荒げ、叫ぶ久我山。

じっとその狂態を眺めていたが、タカヒサと名乗った少年は、どこか馬鹿でも見るような目で久我山に言い放つ。


「あのな。現状を認識しろよキツネ目。一目瞭然だろう。お前の力は通用しなかった。それだけのことだよ」


そうして無人の野を行くが如く、久我山に歩み寄る。


「近寄るんじゃないッ! 近寄れば――!」

「近寄ればなんだよ。そのブサイクな能力でもう一度俺を飲み込むか?」

「来るんじゃないッ! 来るな――ッ!」


恐慌状態に陥ったかに見えた久我山だったが、さらに一歩少年が踏み込むと、瞬時に足元から影門【ゲート】を立ち上げる。

如何なる物でも削り去る絶対の攻撃能力を誇る剣であり、どんなカタログ能力でも防ぎ切る鉄壁の盾。

得体の知れない少年に破られはしても、影門【ゲート】に対する久我山の信頼に揺るぎはない。否、心の底から信頼する武器であるからこそ、それが通用しない現実など認めるわけにはいかないのだ。

無造作に間合いに入り込んだ少年に、袈裟懸けの一撃を振り下ろす。その腕に連動して少年に叩き込まれる影の剣。


「それはもう見た」


キャッチボールでもするかのような気負いのない動作で、少年は支えるように、そっと影の剣に手を触れる。

たったそれだけの動作で、絶対の威力を誇った久我山の影門【ゲート】は粉みじんに粉砕される。


「天丼芸人かおまえは。同じことを二度繰り返してどうする」


その光景を呆気に取られて見つめるのは久我山独りではない。千鳥も、桜火も、目の前で繰り広げられている光景に理解が追いつかない。


「おい、どうした。それでおしまいか?」


誰もが固まって動かない中で、少年は再びため息をつく。


「愚弟の後始末はこれだから面倒なんだ」


心底面倒くさそうに、少年は呟く。

む、愚弟はお前に決まっているだろう、アホウが。後先考えずに突っ走りやがって、とぶつぶつよくわからないことをひとりで言い続ける。


久我山は影門【ゲート】を再び破られたショックでしばし呆然としていたが、追撃されない状況に思考を取り戻したのか、喉から絞り出すような声で問う。


「おまえは――何モンだ?」


カタログではない。それはわかる。だが、かといって真っ当な人間とも思えない。いまだかつて影門【ゲート】を破られたことなど一度もなかったのだ。

それをあっさりと破ってみせた目の前の少年に恐怖と、怒りと、プライドを混ぜ合わせたような声音で問う。


少年はぼそぼそと一人で何か呟いていたが、久我山の問いに「ああ?」と反応して顔を上げる。


「俺か? 俺が何者かなんて、どうでもいい話だろう」


重要なのは、と少年は言った。


「重要なのはお前の命はあと僅かだと、キッチリ認識することだ。尽きる寸前の命でナニを考え、ナニを思い、どうやって生き延びるか」


――それだけだ。お前にとって重要なのはそれだけだろう?


久我山には平然と敵対者の命を摘むと述べるその少年が、悪魔かなにかに思えた。

弱者だったはずだ。

圧倒的弱者だったはずだ。

目の前の少年は、無謀にもカタログたる己に挑みかかり、影門【ゲート】に飲まれ、その身を散らす――ただそれだけの圧倒的弱者、餌であるはずだったというのに。


「下がるなよ捕食者」


少年の言に、久我山は自身の足が、一歩後退していたことに気付く。


「餌が近づいていってやっているんだぜ。口を開けろよ捕食者」


喰うんだろう? ニンゲンを。

喰うんだろう? 俺を。

抵抗も逃走も許さず、助命の嘆願も神への祈りも意にかけず。

蹂躙し、粉砕し、塵殺する。

それがオマエタチ。

それがカタログというこの世で最も醜いバケモノの在り方のはずだ。


語りかけ、歩み寄る少年に、言い知れぬ恐怖を感じ、久我山の脚はさらに後退する。

餌たるニンゲンに、カタログとしてのあり方を諭される。

それはいったい如何なる屈辱か。


「ウ――オオオオオオオオオォッ!」


久我山は吼えた。

それは恐怖ゆえか。

未知の存在に――自分の力を歯牙にもかけぬ餌への怒りゆえか。

久我山の中の断章が唸りを上げる。

目の前の餌を食い潰して糧とせよと激しく振動する。


「上等だッ! 小僧ッ!」


カタログの異様な雄叫びをその身に受け、ぴくり、と少年は眉根を寄せる。脚を止める。

否、止めざるを得なかった。

目の前の影使いが発する魔力は、もはや枯渇しきったそれではない。あたかも先ほどの桜火の如く、その身から膨大な力をほとばしらせ、少年を餌でなく、弱者でなく――敵と認識して身構えている。


「……ふん」


冷めた目で少年はカタログを見る。追い詰められたカタログの執る手段はふたつ。

逃走、そして自身を食い潰しての魔力獲得だ。

桜火も、そして久我山も、取った行動は後者。

下手に使えば身動きひとつ出来なくなるほどに衰弱する、諸刃の剣。

しかしどの道無駄なことだ、と少年は思う。魔力が枯渇するまで追い詰められた時点で、如何に捨て身になろうと同じことの繰り返しが為されるに過ぎない。

たとえ久我山が大規模な能力行使をしようとも、少年に通用しないのは変わらないのだから。


「如何に魔力を振り絞ろうと、結果は変わらない――そう思っているんだろう? 餓鬼」


おかしい。

少年は久我山を観察する。

その身を燃料と化し、搾り出した新たな魔力。それを久我山が使おうとする素振りが見えない。

影門【ゲート】を繰り出す素振りがない。


「貴様……」


少年が呟いた瞬間だった。

目の前にいたはずの久我山の姿がぶれる。一瞬のうちに視界から消え去る。


「――ッ!?」


その一撃は、運が良かった――というレベルで、奇跡的に近い回避行動によってかわされる。

瞬時に少年の背後に回った久我山は、振りかぶった拳を斜め上から叩き込む。久我山自身の体がその勢いに引きずられ、拳は地面にめり込み、コンクリートを破砕させる。


削岩機のようだ、と少年はそれを見てもなお冷静に考える。


久我山のように能力頼りのカタログは、総じて肉体強化が上手くない。

事実いまもその力に振り回されて、制御し切れていないのがわかる。

だが。


「スピードと、パワー。それさえあれば多少制御が不安定であろうと問題は無い」


コンクリートからこぶしを引き抜きながら久我山は言う。


「ニンゲン一体をひき肉にするぶんには――なにも問題が無い」


溢れる魔力は久我山の体にまとわりつき、そのエーテルで構成された肉体細胞を爆発的に活性化させている。

異能を捨て、人間のスペックを大きく上回った身体能力で轢殺する。

それが久我山の選んだ選択肢だった。


「小僧。おめえが何者かは知らないが、どういうカラクリで影門【ゲート】を無効化したのかは知らないが。――しかしカラダは人のソレだろう?」


何も問題は無い。久我山は思う。

消耗は激しいが、こいつ一匹始末する分には、能力の無効化など問題ではないのだ。

人間とカタログでは根本的な肉体性能がそもそもかけ離れているのだから。


少年は対峙するカタログを見る。

久我山から立ち昇って見える魔力は、生命力そのものだ。放っておくだけで、久我山は枯渇し、死ぬ。だがそれを待つ時間はないだろう。それよりも先に圧倒的なパワーで押し潰されるのがオチだ。

しかし少年に狼狽える様子は一切見受けられなかった。


「なんともまあ――つまらん選択肢を選んだものだな」


首をコキコキと回すと、久我山へ向けてかったるそうな様子で手を招く。


「こいよ大根役者。格の違いを教えてやる」


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