表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

◆第七話:「桜火」


「なにッ!?」


周囲のアスファルトが、あまりの熱量に溶け始める。

まるで辺り一体が昼間に成ったかのような明るさと熱に久我山は目をしかめるが、なおも桜火から発せられる火勢は強まっていく。


「うおああああああああッ!」


桜火が吼える。

爆発的に発せられた炎が広がり、夜空を焦がす。この火力ではおそらく、海に隔てられた湾の対岸からも目視できるだろう。


――ありえねぇ! ナンだこの馬鹿みてーな魔力量は!


久我山は桜火と対峙しながらも驚愕に目を見開く。その肌に流れる汗は、熱量だけによるものではない。

三嶋桜火はすでに限界だったはずだ。


「ガス欠のCランクのカタログが――どこからそれだけの魔力を出しやがるッ!」


魔力の枯渇したカタログは、能力を行使できない。

なぜならば、存在そのものが物質化した魔力――エーテルで構成されているからだ。

魔力の足りない状態で能力を行使すれば、体内にある断章はエーテル塊たるカタログ自身を魔力に再変換し、能力を発揮する。

それはとりもなおさず身を食い潰す行為に他ならない。


「てめえ、まさか――」


その可能性に思い当たり、久我山は気圧される。

あろうことかこの女は、自身を構成するエーテルを燃料にしているのだ。


「馬鹿が……! 死ぬ気かァ!」


急激なGで地表に落ちたヴァーチャーズの中で、千鳥は朦朧とした意識のままその光景を見ていた。

まるで溶鉱炉の如き熱量。

その中心にいる少女。


(あれは……)


自らもよく知る、黒のドレスに身を包んだ子供。

千鳥を助けようと己の命を削る少女。

Gによるブラックアウトで脳に血がまわらず、着地の衝撃で体も動かないままに、朦朧とした意識で千鳥は思った。


(なぜそうまでして私を助けようとする)


人食いの存在になった桜火を殺そうとした。一度目は胴体を切り飛ばし、二度目も腕を叩き落した。


(だっていうのに、なぜ)


――そんなの関係が無いのよ。チドリは私の――友達よッ!


泣き叫ぶような声で、自分を殺そうとした相手を、それでもなお友と呼ぶ桜火の叫びが聴こえる。

それを聴いて千鳥は気付いた。

敵対する気がない――そう言っていた桜火は、最初から本気だったのだと。

もしかすると、ありえないことだが、桜火はいまだに人間を襲ったことすらもないのではないか――。

そんな疑念すら沸き起こる。


「消し炭にィ――!」


桜火の身に纏っていた炎が収束していく。

久我山に突きつけられた右腕。

目の前の敵を滅ぼさんと開かれた手のひら。


「お――おおおおおあああああッ! 影門【ゲート】! 俺の身を守れ――ッ!」


桜火に向けていた右腕も、ヴァーチャーズに向けていた左腕も、恥も外聞も何もかもを放り出し、久我山は自身を掻き抱くように影門【ゲート】で身を包み込む。


「してやるわ――ッ!」


光の奔流が久我山を呑み込みながら、海に向かって突き進む。

地表の建造物も何もかもを削り取って、桜色の炎が湊保の夜空を焼いた。



――チドリはさー、なんでこんな研究してるのー?


それは誰かがいつか見た光景。

懐かしい、淡い色合いにひたるような優しい夢。


地域でも有数のお嬢様学校の制服に身を包んだ少女は、白衣の女性に向かって問う。


「なぜ……と問われてもな。純粋な好奇心から、じゃだめか?」


白衣の女性は仕事を終えたあとに必ず珈琲を淹れる。

制服の少女は、そのほろ苦い味が好きだった。なんだか大人になったような気持ちになれるので、実験のあとはいつもそれを楽しみにしている。

こぽこぽと、安いドリップ式のプラスティック容器の中で豆が熱湯を含み、泡を立てる。

そこから香る匂いに、少女は鼻をスンと鳴らして頬を緩ませる。


「もっとこう、ドラマティックなさ。ふつうのヒトがしないことやってるんだよチドリは。――それに伴う理由ってのが、あってしかるべきじゃないんでしょうか?」

「いつも無茶苦茶を言うな、君は」


湯を注いでいたポットをコンロに戻し、ティーカップと受け皿を用意しながら白衣の女は苦笑する。


「まあ……最初は成り行きだったよ。こんな怪異とも呼べる事柄に関わることになるとはね、思ってもいなかった」

「そうなの?」

「私は生物工学を学んでいたが、学業の出来だけは良かったから、卒業と同時にとある機関から目をつけられてね」

「それって、ここじゃないの? 碧さんの研究所」

「いいやここじゃない」


あまり言いたくはないが、もっと醜悪で、ろくでもないところだったよ、と女性は言う。


「そこでもカタログの研究をしていてね。はっきり言って、非道で、最悪の実験を繰り返すような、悪魔のすみかのような場所だった」


待遇は最高だったが、次第に馴染めなくなってね、と悲しそうに女性は笑う。


「チドリもその実験……してたの」


少女の問いに、女は答えない。

珈琲をカップに注ぎ、ティースプーンを添えると、少女のいるソファに運ぶ。

ガラス製の簡素なテーブルに砂糖やミルクと共にそれらを並べながら、ぽつりとこぼした。


「……こどもを、犠牲にしてしまってね」

「子供を……?」


うん、と女は呟いた。


「許されないような実験は、あそこではたくさんあった。言い訳になってしまうが、当時の私は若く、プライドも人一倍強かった。飛び級を繰り返し、19で大学を首席で卒業なんてしたものだから、天狗になっていたんだろうな」


懺悔のように紡がれる女性の言葉と、空調の静かな音だけが部屋に響く。


「私は自分の肉体細胞を培養し、それに断章を埋め込むことで、カタログでない、ただの人間に断章の力が使えるようになるのではないか――そう考えて研究を進めていたから、キミの言うような非道な実験を直接執り行っていたわけではない。ではないが――他の研究者がやっていたことを知っていて、止めなかったのだから同じことなのかもしれん」


それに、と女は言った。


「子供が実験に使われると聞いても、その当時は何も思わなかった」


少女は口を動かさない。

黙って、じっと女の顔を見つめる。

ああ、このヒトは、後悔してるんだな、と少女は思った。

自分が直接それをやらなかったからといって、見て見ぬフリをしてきた事実は消えない。

オヒトヨシだな、と少女は思う。


「――チドリって、街で募金とかしてたら必ずお金出すヒトだよね」

「む……たしかに可能な限りはするが。それがなにか関係があるのか……?」


地球の裏側で困っている人がいます。あなたのほんの少しの善意で救われる人がいます。そう言われても、実際にお金を出す人は少ない。

気が向いたら募金して、それでわずかな自己満足を得る。

どこかで苦しんでいる人がいても、見て見ぬフリなど当たり前の世の中だ。

それが人間。

その程度が普通だっていうのに。

目の前の少女みたいな背格好の友人は、いまでも自分が見て見ぬフリをした光景を思い出して悔やんでいる。

少女はティーカップを手に取ると、琥珀色の液体をひとくち飲む。


「その子供の実験、どうなったの?」

「ん……」


女は口を濁す。


「成功……したかに見えたが、結果的に二人の子供が犠牲になったよ」

「そうなんだ……」

「私はそれを見て、突然自分が何も見ようとしていなかったことに気付いた。利己的で、他人の命よりも自分の研究のほうが大事。そんな人間だったことに気付いて、当時生き残っていた子供の最後の1人を連れ出して、研究所を吹っ飛ばして逃げたんだ」

「急に過激な話になったわね……」

「正義に目覚めたわけではないが、私とその子供の死亡を事故にみせかけて偽装したんだ」


その後、碧さんに拾われて、いまはごらんのありさまさ、と女は笑う。


「その連れ出した子供はどうなったの?」

「碧さんがしかるべきところに預けたと言っていたよ。……今頃は、もうだいぶ大きくなっているだろうな」


ふうん、と少女は相槌を打つ。


「チドリって、頭いいくせに行動は突飛よね。思い込みは激しいし、ヒトの話し聞かないし、思い立ったら子供誘拐即爆破、とか」


あんたランボー?

そう言って笑う少女に、女は顔を赤らめる。


「た、たしかにひとつのことに集中すると、それ以外のことは見えなくなる傾向があるのは自覚しているが……しかしだな」


でも、ダイジョーブ、と少女は笑う。


「チドリって、頭いいくせにバカだけど、でも――」

私は好きよ、チドリのこと。


――ずっとトモダチでいてね。


小さく呟いた少女の笑顔は、満開のサクラのように綺麗に咲いていた。



光の奔流が過ぎ去ったあと、地表には大量の水蒸気が煙り、辺りを白く染めていた。

蒸発しきれず、吹き飛んだ海水が雨のように廃工場地帯に降り注ぐ。


「――はァッ! ――はァッ!」


火球を放った桜火は倒れこむように膝をつく。

手ごたえはあった。

なぜ自分がまだ生きているのかもわからぬほどに死力を振り絞った一撃。

これで仕留め切れていなかったら、もはや為す術はない。

それほどの一撃だった。

目標との距離はたったの五メートル。外す訳もないが、しかし直前にあの影で覆い尽くそうとしていた瞬間は目撃している。

次第に晴れていく霧の向こうで、ヴァーチャーズの影が動くのが見えた。

機体の再生は始まっているようだ。

であれば中の千鳥も生きている――。

その事実に疲労困憊の状態でも、どっと安堵が押し寄せ、緊張の糸が途切れそうになる。


――あ、いま意識を失ったら。


もう二度と戻ってこれなくなる。それがわかるほど桜火は限界に達していた。

しかしまだ意識を失うわけには行かない。

次第に蒸気で包まれた視界がクリアになっていく。

この向こう側に、健在な久我山が立っていればおしまいだ。


「――」


目を凝らすその先に。

全身をケロイド状に爛れさせた久我山が――悪鬼の如き表情で仁王立ちしていた。

生きていた――。

その事実に桜火は歯噛みする。

久我山は満身創痍だ。

あの影の力では、全身を覆い尽しても、熱エネルギーそのものは防ぎ切れなかったのだろう。

見れば久我山の足元のアスファルトは溶けている。

地表までぴったりと影で覆ったとしても、新たに生み出された隙間から入り込む熱風がダメージを与えたようだ。

だが戦闘の継続は可能か?


そんなものは決まっている。


……アレは人間ではないのだ。


「てめええええええ――ッ!」


雄叫びとともに、一瞬で久我山の皮膚が再生される。襤褸屑のようになっていた衣服までもが元通りに、時間を巻き戻したかのように復元される。

違うのは、その表情のみだ。

いや――久我山は両腕で制御していた二本の影門【ゲート】を消し去る。

維持し続けるだけの魔力の捻出も厳しいのだろう。久我山も限界なのだ。

修羅が取り付いたかのような顔で、桜火を睨みつける。


「まさか、捨て身に出やがるとは……ッ!」


おそれいったぜ、と荒い息で吐き捨てる。

もはや万策尽きた。自分が久我山に殺されるまでのたった数秒で、ヴァーチャーズの再生が済むか?

それも絶望的だろう、と桜火は思う。

久我山はもはや先ほどのように大規模な能力行使は出来ないのだろうけれど、それでも自分と千鳥を殺すだけの力は残しているはずだ。


「チドリ――ごめんね」


思い込みの激しい――最後はこちらから一方的に感じていただけの友情であったかもしれないけれど――それでも自分が一番この世で好きだった友に謝罪する。


【桜……火ッ】


いまだ煙り続ける蒸気の先で、ヴァーチャーズが無理やり起き上がろうとするのが見えた。

大切な友人を守りきれなかったことだけが心残りだけれど、もはや桜火は指先ひとつ動かすことが出来ない。


「ほっといても、死にそうだけどなァ……。だが、貴様は危険だ」


いつのまにか眼前にまで迫った久我山が、等身程度の影門【ゲート】を立ち上げる。


「てめーは安城さんのために、ここでキッチリ始末する。何か言い残すことはあるか?」


この期に及んで、まだそんなことを訊いてくるだなんて。もしかすると、この男も大概オヒトヨシなのかもな、と桜火は苦笑する。


「……だめもとで言うけど、チドリは助けてあげて」

「そいつばっかりは、聴けねえな」


あばよ、と久我山は右腕を頭上に掲げる。


【桜火――ッ!】


千鳥の声と共に、無造作に振り下ろされる影が見えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ