◆第六話:「影の魔人」
「めんどうくせえコトになりやがったなァ」
久我山は気だるそうに首を慣らしながら、敵意むき出しの二人を見やる。
重圧のヴァーチャーズ。
三メートルにも達する巨体を観察し、久我山は思う。
鳥海千鳥が開発した、対カタログ兵器であるという。
安城機関はカタログの研究を行ってもう百年近く経つが、研究の進みは遅い。
カタログとは一体なんなのか? いつ発生し、この世にどれだけの数が存在するのか? 黄金の糸はなぜ人間の体を造り替えるのか?
久我山はまだカタログ化してから日が浅いものの、その研究所ラボ内で日夜繰り返される実験にはうんざりするほどつき合わされている。
カタログ研究が遅い理由は、絶対数が少ないうえに、群れる習性がないためだ。純粋に実験台モルモットが不足しているのが現状だ。
組織立って研究している安城機関がそんな状態であるというのに、独力でこんなものを作り上げてしまう鳥海千鳥はまさに天才であるといえよう。
「久我山サンはかなり協力的なほうですね」
かつて研究所の主任にはそう言われたが、久我山とて安城を信頼していなければ、人間の馬鹿げた実験に付き合うほどお人よしでもない。
どの道カタログを研究してわかることなど高が知れている。
人間の脳をいじって生み出す人工ESPや、PKの発現体の研究ですらわからないことだらけなのだ。人間ですらないカタログの研究などそう易々と進むものではない。
現状でカタログについてわかっていることは少ない。
はっきりとわかっていることは、人体から伸びる黄金の糸が、人間の体内に「断章」と呼ばれる一種の器官を新たに作り出し――その断章がカタログの異能の根源だということくらいだ。
断章と命名したのは、安城影久その人であるというが、名付けの由来までは久我山の知るところではない。
「久我山サンの能力はかなり特殊です。単純に影を操るというわけでもない。自身の影の中に、別の空間が発生している。いったいどこに繋がっているのでしょうね」
研究所の主任はそう言う。
実験では久我山にテストと称して様々なものを影に飲ませてみたが、無論、入ったものは二度と出てくることはなかった。
「どこぞに繋がっているかなんざァ、考えたことも無かったぜ。だとしたらきっと、ろくでもない場所にだろうさ」
「案外、どこかの理想郷に繋がっているかもしれませんよ?」
影門【ゲート】――いつの日からか、研究所の連中は、久我山の能力をそう呼ぶようになった。
「他のカタログの方も、もうすこし久我山サンくらい協力的になってくれるといいんですけどねえ」
主任はそうぼやいたが、そんなもの、久我山からすれば馬鹿馬鹿しい話である。
研究? 笑わせる。カタログはどれだけ研究しようと、人間に理解できるものではない。
久我山は、安城と二人きりで話したときに言われたことがある。
――カタログとは真理に接続した情報の器だ、と。
人間が遺伝子を運ぶ船であり、子々孫々まで血脈を受け継がせようとするのと同様に、カタログも「何者か」が用意した真理を運ぶ船なのだ。
それが誰なのかは知らないし、久我山に興味はない。
神の作り出した遺伝子の器ニンゲンを乗っ取り、別のもの――エーテル塊に変化させてまで、断章という真理の塊を守護させる――。
そんなことが出来るのはどうせ、神の同類か、もしくは悪魔ぐらいのものだろう。
久我山は目の前に対峙する2体の標的を眺めて思う。
聞いた話では、桜火はCランク相当のカタログ。しかも生まれたてで手負い。
千鳥のヴァーチャーズは脅威だが、純粋な戦闘者としての格は自分が上だ。
楽な仕事だ。
久我山は手を伸ばすとおのれの断章に命じる。
「喰らい尽くせ――!」
魔力がごっそりと体内から抜けていく感覚を味わいながら、久我山はそれを自らの影に流し込む。
街灯に照らされ、長く引き伸ばされた自身の影が、異界と化して闇夜に躍る。
のっぺりとした厚みのない――久我山の形をした影が地面から立ち上がる。
「――ッ!」
それを見て桜火と千鳥は警戒し、距離を離した。
左右に別れ、久我山を挟み込むように位置取る。
「無駄だよ」
直立した久我山の影は全長5メートルほどもあるだろう。かわし切れるものではない。
振り下ろした久我山の腕に同調するように、影は千鳥のヴァーチャーズに向かって倒れこむように襲い掛かった。
空間を丸ごと削り取る。
いまや久我山の影は異界への入り口そのものだ。防御することは出来ない。受け止めたところから飲み込んで、消し去る。
さきほどの景の時のような使用方法ではない。景を飲み込んだときは、左腕を景の影に向かって伸ばし、対象の影と自身の影を撞着させることで、景の影をそのまま自身の影にした。重なった影であれば、自身の能力が及ぶのが久我山の強みである。
しかしそれは普通の人間や、油断している相手に使う場合だ。
今相手にしているのはカタログに、それと同等の化物の計二体。
しかも一度チカラを見せた相手だ。
事実、景を飲み込んだ後は、桜火も千鳥も久我山の影を警戒して、自身の影と重なり合わないように立ち回っている。
けれどそんなことは久我山には関係がない。注ぎ込んだ魔力量によって作られた影門【ゲート】は全長5メートルに達する。それが久我山の意のまま、縦横無尽に振り回されてかわし切れるはずが無かった。
「おら、どうした! 逃げ回るだけか?」
桜火が飛び移った廃ビルに狙いを定める。
袈裟懸けに振り下ろされた影は、桜火からすればまるで巨大な攻城兵器のように見えた。
「なによこれ――無茶苦茶も、大概にしなさいよぉ?」
隣の廃ビルに飛び移って避けるも、振り向いたあとに残った光景に愕然とする。
そこにあったのは、先ほどまで桜火がいた廃墟が唐竹割りに寸断されて、崩れ落ちるところだった。
4階構造の建造物が、ただの腕の一振りで叩き切られ瓦礫と化す。
「外周から攻めろ!」
ヴァーチャーズは桜火に叫びかけると、剣先に魔力をこめた。
重圧のヴァーチャーズ。その名が語るように、この人造兵器には重力を司る断章が埋め込まれている。かつてこの街に根を張っていた強力なカタログから摘出されたそれは、唸りを上げて搭乗者である千鳥から魔力を吸い上げる。
剣先で変換された魔力が重力塊へと姿を変え、音速を超える速度で久我山に放たれた。
「無駄だっつってんだろ」
自身の影を壁のように立ち上げる。
久我山の影に突き刺さるも、あっさりと異界に呑み込み、千鳥の遠距離狙撃を無効化した。
返す刀でヴァーチャーズに振り下ろされる影門【ゲート】。
「くそっ。ジリ貧だ」
ヴァーチャーズは自重を軽減することができる。建造物の壁に張り付くなどの回避行動がとれるが、かわしながらも千鳥は歯噛みする。
「ジリ貧ダー、じゃなくて、死ぬんだよおまえは」
まるで刃渡り5メートルの刀剣を手にした巨人を相手にしているかのように、間合いが広過ぎる。
桜火とタイミングを合わせて左右から狙撃するも、幅の広い影門【ゲート】を盾にされて一向に届く様子がない。
「てめーらの攻撃は当たらねえの、わかったろ……とはいえ、このままじゃ、千日手だなァ」
久我山は遠巻きにするだけの二体を見ながらボヤく。
機動力では桜火と千鳥が圧倒的に上だ。
久我山自身は影門の展開に意識を割かれ、桜火のような高速機動は出来ない。
「となると、アチラさんから接近戦に持ち込んでくれるのがいいんだが」
少し挑発してみるか、と久我山は思う。挑発は自身の得意分野だ。
「あー、あー、かわいそうだなあ、あの坊主も。こんなわけのわからん女に関わっちまったせいで、暗~い闇の中に飲まれて、いまごろ骨までグズグズに溶かされて苦しんでるかもなあ、ええ? 殺された原因の女は、怒るふりだけしてピョンピョン飛び跳ねるだけ。そのでけーナイフは飾りか? おら! かかってこいや売女!」
それを聞き、ヴァーチャーズの中で千鳥の顔が朱に染まる。
「貴様がそれを言うかァッ! 景くんを殺した張本人の貴様が!」
「チドリ!」
桜火の叫びももはや聞こえていない。ヴァーチャーズは地面に飛び降りると、久我山からぴったり5メートル離れた場所でナイフを構える。
「はっ。チョロいな。そんなに挑発に弱くて、いままで良く生き残ってこれたもんだ」
久我山も左腕を剣術の青眼のように構え、ヴァーチャーズと対峙する。
ヴァーチャーズの喉元に突きつけられた、巨大な影門【ゲート】。一突きすればあっさりと千鳥ごと削り殺すであろう。
しかし千鳥は激昂しながらも冷静に頭を回す。
機動力、瞬発力では完全に自身が上。だがリーチは完全に向こうが上。
踏み込めば久我山は一歩も動かないまま、横なぎに影門を振るい、千鳥を飲み込もうとするだろう。
それさえ跳躍でかわすことができれば、影門【ゲート】を振り切り、がら空きになった本体に桜火が炎弾を叩き込むことが出来る。
ヴァーチャーズの中から桜火を見る。すでに炎弾の射出準備に入っているのが見えた。
とはいえ、敵もそれは先刻承知だろう。
千鳥は考える。
この手がうまくいった場合、はたして久我山は詰みなのか。そうでないのか。
①機動力を生かし、吶喊。突きつけられた影門【ゲート】をすり抜けざま懐に入る。
②懐に入ったら、久我山の反応速度を上回るスピードで一撃を加える。
③それをさせじと影門【ゲート】を振るうであろう久我山。
④その場合、振るわれた影門【ゲート】をさらにヴァーチャーズの跳躍でかわす。
⑤振り切ってがら空きの本体に桜火が炎弾を撃ち込む。
問題はそこからだ。
はたして久我山に炎弾を防ぐすべはあるのか?
桜火との同時狙撃で狙ったとき、久我山は影門を歪曲させ自身を覆うように守った。あの防御体制をとったときの反応速度がMAXだとするならば――久我山に桜火の炎弾を防ぐ術はない。
であれば、悪くて相打ち――跳躍でかわしきれなかったヴァーチャーズを斬り飛ばされ、代わりに桜火の炎弾が直撃となる。桜火の火力であればカタログといえども復元できるレベルで肉体は残らない。断章ごと消し炭だ。
――悪くても相打ちなら。
千鳥はプランを決めた。少なくとも景くんの仇は打てる。最後に桜火が残るのは気がかりだが、あとの始末は上司である碧がなんとかするだろう。
千鳥は自身に真っ直ぐ突きつけられた影門【ゲート】を睨む。
飛び込むのは右か。左か。
――右!
ヴァーチャーズの踏み込みとともに、一気に自重を軽減させ、かつ重心を前傾に。
スプリントスタートの如き加速で、突きつけられた影の剣の右辺へ回り込む。
「待ってた――ぜえ!」
振り抜かれる左腕。
加速するヴァーチャーズに迫る異界の入り口。
――ここだッ!
そのまま久我山には向かわず、加速を減じさせないまま跳躍する。同時に自重を限りなくゼロへ。
地面が破裂したような勢いで跳ね上がったヴァーチャーズの足元を、すんでのところで久我山の影門が通過した。
「桜火ッ!」
「わかって、るわよぉッ!」
廃ビルの上に仁王立ちした黒いゴシックドレスの少女は、己の断章に魔力を注ぎ込む。
すでに本日四発目。先ほど切り落とされた左腕の接続にも魔力を消費している。
すでに限界は近い。これ以上の戦闘継続は、カタログとしての存在すら危うくするだろう。正真正銘、これが最後の一発。
燃焼。収束。射出。
桜火の右腕が閃光を放つ。
白熱した火球が大気を切り裂いて撃ち放たれる。
「消し炭に――してやるわッ!」
タイミングは完璧だった。
かわす猶予などない。千鳥は久我山の影門をすり抜けながら勝利を確信する。
斜め上から撃ちおろされた、一筋の熱線と見紛う速度の火球は、しかし。
「はい、ざんねん」
久我山の振るう右腕によって、跡形も無くかき消された。
影を操り、異界の門を出現させる男の足元には、千鳥がたったいま避けた影門【ゲート】とまったく同じものがもう一本立ち上がり、久我山を守るように壁となって立ちはだかる。
「わりーが両手で使えんのよ。影は影門【ゲート】になった瞬間、また光源から発生するからな」
魔力根こそぎ吸われるから、ほんとはやりたくなかったんだが、とまったく変わらぬ表情で呟きながら、久我山は滞空するヴァーチャーズを見上げる。
「詰み(チェック)だ。肉ダルマ」
千鳥は視線を動かすまでも無く自らの危機的状況を悟る。
「ヴァーチャーズ!」
一気に加重する。本来の重さを取り戻し、かつ二倍の重力がかけられたヴァーチャーズは、羽根のように滞空していた状態から、一瞬で引力に掴まり地表へ向かって落ちていく。
だが間に合わない。
横なぎから、斬り上げへ。
久我山の左腕が跳ね上げられるとともに、中空のヴァーチャーズに向かって影門【ゲート】が迫る。
「ぐうッ!」
急激なGにより意識が飛びそうになりながらも、千鳥は地表に落ちる。
アスファルトの地面に叩きつけられたヴァーチャーズは、しかし右半身がごっそりとえぐられていた。
「再生させる間はやらんよ」
「チドリッ!」
二本の影門【ゲート】をかかげ、地に堕ちたヴァーチャーズにゆっくりと歩み寄る久我山。着地の衝撃でバウンドし、影門【ゲート】の射程では届かないが、死に体のヴァーチャーズはすぐそこだ。
歩み寄り、叩き斬って、終わりである。
それを見た桜火は火球を撃ったあとに残る反動などものともせず、久我山に向かって跳躍する。
「やらせないわッ!」
自身の撃つ火球では、絶対防御を誇る久我山の足止めにもならないと判断した桜火は、廃ビルを蹴って加速した勢いそのままに影の魔人へと急行する。
「おいおい、なんてえ顔だ? 嬢ちゃん」
平静を装いながらも、久我山は内心舌打ちする。
影門【ゲート】を二本まで使わされた攻防で、久我山の魔力も底をつきかけている。再び接近戦を挑まれるのも面倒だ。
迫る桜火に右腕の影門【ゲート】を突きつける。五メートル。これで桜火は近づけない。
「大人しくしてりゃあ、てめえは殺さない。始末をつけるまで、そこで待ってな」
そう言いつつも、内心ではすでに桜火を始末することを決意する。
安城影久は連れて来い、との命令を出したが、この女は危険過ぎる。大人しい少女のカタチをしているが、気性が荒過ぎる。そのうえ敵対的だ。能力の被害範囲もデカい。
この少女が安城に牙を剥いた場合、あまりにも危険であると判断した。
「だいいち、嬢ちゃんも限界だろう。フラフラじゃねーか。よくそんなんで動こうと思ったもんだ」
鳥海千鳥を始末したら、つぎはこの少女。
最初から手負いだったようだが、先ほどの一撃で魔力を振り絞ったのだろう。影門【ゲート】の間合いギリギリで足を止めた少女は見るからに衰弱している。
だというのに。
それでもまだ、桜火は微塵も戦意を衰えさせていない目で久我山を睨みつけている。
「チドリは殺させないわ!」
「……やろうってのか? 鳥海千鳥はおまえを始末しようとしていたんだろう?」
そのはずだ。
久我山が割って入ったとき、桜火は右腕を切り落とされ、殺される寸前だったはずだ。一旦休戦したとしてもその事実は変わらない。仮に久我山を撃退できたとて、鳥海千鳥は再び桜火を殺そうとするだろう。
「そんなの関係ない!」
その叫びは何故か、久我山の耳には悲鳴のように聴こえた。
自分を殺そうとした敵を守る?
身を張ってまで?
目の前の少女の行動が、久我山には理解できない。
桜火の周囲の大気が揺らめき、影門【ゲート】で距離を隔てた久我山の元にまで熱が届く。
「てめえッ!」
久我山は桜火の攻撃意志を感じ取り、身構える。
「そんなの関係が無いのよ。チドリは私の――友達よッ!」
桜火の叫びとともに、噴き上がる炎が天を焦がした。