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◆第五話:「共闘」



湊保ミナホ市は海に面した大規模な地方都市である。

古くから交易により栄え、人口は多い。街の背後には、三原山と呼ばれる標高5百㍍ほどの山がある。裾野から広がる平野に住宅地が集中し、その住宅地を縦に割るように、三原山の横を流れる河川が海に向かって続いていく。河口に近づくにつれ都市部に景観は変わっていき、住宅よりもビル群が増えていく。

そんな都市部のはずれにある木造2階建ての、小さなアパートの一室。二階の205号室に少年は向かい、無造作に扉を開けて中に入る。


「帰ったぞ」

「あら。お帰りなさい。……貴久? 景はどうしたの?」

「授業中に寝ぼけてな。担任のことをお前の名前で呼びやがった。恥ずかしかったのか今は不貞寝してるよ」


貴久と呼ばれた目つきの悪い少年は、背負っていたランドセルをリビングの隅に放り投げると、そのまま台所に向かい、備え付けられた冷蔵庫の扉を開ける。


「佳奈、茶。飲むか」

「あら。貴久が注いでくれるなんて。珍しいわね」

「ふん」


少年は不機嫌そうに鼻を鳴らすが、その実まんざらではないようだ。佳奈という女性に対する信頼が見て取れる。


「こうして貴久と話すのも久しぶりね。アンナは元気?」

「ああ……相変わらずギャーギャーやかましいよ。久しぶりなのは、普段は夜中が俺の活動時間だからだな」


リビングに冷えた麦茶の入ったコップを二つ持っていくと、テーブルの上に載せる。


「ありがと」


貴久と呼ばれた少年は、椅子に座りながら正面に座する佳奈を眺める。

ノートパソコンを使って何かを打ち込んでいるのが見える。


「仕事か?」

「ええ」


麦茶を飲みながら佳奈を眺める。

長身の女性だ。

長い黒髪をアップにまとめて、服装は室内だからかラフな格好をしている。

佳奈は美しい女だった。

絶世の美女と言ってもいい。

母性的というか、実際に景や貴久たちの母親役をかってでているのだから当然なのだが、落ち着いた大人の女性らしさがにじみ出ている。

整った顔立ちには気品があった。

そんな佳奈が自分達を拾って、もう何年になるか。孤児であった「自分達」を引き取り養子縁組をした。

この肉体の主人格である景は、今の現状に満足しているようで、自らの境遇を嘆くことはない。


「景はまだ何も知らないんだよな?」


――ええ、知らないわ、と佳奈はキーボードを叩きながら頷く。


「俺やアンナから話すことはないと思うが、そのうち話すのか?」


――そうね、いつかその時が来たら、説明しないといけないわね、と佳奈は言った。


「景が起きているときにカタログに襲われたらどうすればいい?」


――そのときは、貴久。あなたが守ってあげて。


やれやれ、と貴久は肩をすくめる。

化物の跋扈するこの世の中で、何も知らない弟分を守るのは骨が折れる。


「あいつ、本気で佳奈のことを守るつもりだぞ。力もないくせに」


あら、可愛いじゃない、と佳奈は微笑む。


「おかげでだんだん行動がフェミニストじみてきやがる。ババアの訓示受けて行動が突飛になって、被害をこうむるのは俺だぞ。やれやれだ」


ふふ、と佳奈は微笑む。


――ババアって誰のことかしら。


その夜、景と交替したとき、頭蓋が割れるように痛いとひたすら景から愚痴を言われ続けた。




「景くん!」


鳥海千鳥は、影に飲まれる景に向かって叫んだ。

安城影久の部下を名乗る、久我山という男。

そいつが出てきたまではいい。予想の範囲内だ。

もとよりカタログを組織する安城機関から狙われないように桜火を保護していたのだから。桜火がカタログになってしまった以上、遅かれ早かれ奴らは姿を現しただろう。


だが。

こんな出来事は想定していない。

唐突に彼女の前に現れた不思議な雰囲気の少年、景。

その景がカタログ・久我山の生み出した影に飲まれる。

それは千鳥の想定していないイレギュラーな被害である。

唐突に現れ、一方的に千鳥と桜火の闘争に巻き込まれ、そしていまあっさりと殺された。


カタログとの戦いでは被害者が出ることなど日常茶飯事だ。

もとより奴らは人食い。現れれば当然犠牲者が出る。

だが千鳥は、自分の内側に沸き起こる、奇妙な感覚に戸惑う。


あの少年は死んで当然の行動を取った。カタログに一般人が素手で立ち向かう――それは自分から肉食獣の檻に入りこむのと何も変わらない。

完全な自殺行為だ。仮に別の人間が同様の行動をしたとしても、その行動に呆れや、憐憫の情くらい沸くかもしれないが、それだけだ。

あの少年も目の前で自分と桜火が戦っているのを観ていたのだから、その間に割って入ることの意味は知っているはずだった。


だというのに躊躇無く突っ込んでいった。

その彼の死に、呆れるよりも、哀れむよりも先に、言いようのない怒りが湧き起こるのを自覚して、千鳥は驚く。

自分は怒っている――景の馬鹿さ加減にも、それをとっさに止められなかった自分にも。

……なにより、目の前の軽薄な笑みを浮かべた化物に対する怒りが、桜火の生み出す業火のように燃え盛り、千鳥の内面を荒れ狂った。


――ああ、いま自分は怒っているんだな。景の死に対して、かけがえのないものを失ったときと同じような悲しみを覚えているのだ。景をこの世から消し去ったキツネ目の男に、殺すぐらいでは飽き足らない怒りを感じているのだ。

あっけなく景を飲み干して殺した男が、この世に存在するのが、どうにも我慢が出来ないのだ。


「貴様」

「なんだい、なんだい、その声は。おまえの情夫だったか? こりゃ悪いことしたなァ」


とカラカラと乾いた声で笑う久我山。


「貴様」


自分でもなぜココまで怒っているのか千鳥には理解できなかった。

千鳥は景に何かを求めていたわけでもない。もともと、自分と桜火の戦闘に割り込んできた、ただの一般人だったはずなのに。

不思議な感覚だった。

千鳥は己の感情を理解できぬまま、景のことを考える。

まるで十年来の知人であったかのように感じる。


千鳥は景になにかしかの情を抱いていたことを自覚した。

もちろんそれは恋愛感情などではない。友情に近いのかもしれない。出会って数時間。会話した内容も少ないというのに。

なぜこれほどまでに、彼の死に心が揺らぐのか――?

いままで景を含め、目の前でヒトが死んだ経験など数え切れないほどに経験している千鳥である。


なぜ、ここまで景に対して入れ込んでいるのだろう――?

不思議な感情が自分の中に沸き起こっていることを知る。

けれど理由なんてどうでもいい。

どうあったとしても、現実問題として景は、わたしと桜火を守ろうとしたのだと。

弱者でありながら、男の義務を果たそうとして死んでいったのだと。

それだけが千鳥にわかる全てだった。

そしてそれは誇らしくて――同時に久我山へ押さえきれぬ殺意を沸き立たせる。


「あのバカが何者なのかはどうでもいいが、鳥海千鳥。オマエにも死んでもらうぜ」 


にたにたと笑うキツネ目の男が不快だ。


「ああ、景くんは、馬鹿だな。守られる立場だって言うのに、のこのこと死の前に立ちふさがって飲まれて消えた。そんな奴が馬鹿以外の何者でもあるはずがない」


だがな。と千鳥は言った。


「それでも彼はオマエなんかに殺されていいような子じゃあなかったんだよ。そしてオマエみたいに下卑た屑の化物なんかよりも、よっぽど上等な男だ」


千鳥は桜火に向けていたブッシュナイフを久我山に突きつける。


「……あらァ。チドリ。私のことは、いいわけぇ?」


ヴァーチャーズの間合いから外れた桜火は、飛び退いて距離をとる。千切れ落ちた腕を拾い上げ、傷口にねじりこむように接続する。

ぐじゅり、ぐじゅり、と再接続される腕をかかげ、桜火は繋がった神経を確かめるかのように指を動かした。


「お前があの男と共闘するというのなら、まとめてかかって来るがいい」


千鳥は氷のように冷たい声音で宣言した。

どうしようかしら、と桜火は肩をすくめる。

桜火は迷っていた。

目の前の久我山と言う男――。

自分がカタログに覚醒するきっかけとなった巨漢の偉丈夫、安城影久の手下らしい。目的は自分の確保。逃げ出そうにも奴のほうが格上なのは、さきほどの少年を一瞬で消し去った手際からも明らかだ。何より戦闘者として踏んできた場数が、自分とはケタが違うだろう。

――どうするか。安城とやらの元に下るつもりはさらさらない。千鳥は――久我山と敵対する気満々だ。じぶんから刃をはずして久我山に向けたことからも、優先度はそちらが上なのだろう。


(さて……どうしようかしらね)


「まとめて相手してやるからかかってこいよ、おらァ」


久我山は余裕の態度を崩さない。

その様子を見て、桜火はひとつため息をつくと態度を決めた。


「チドリ。一時休戦ってことでどうかしら? もともと私、あなたと敵対するつもりなんてないのだもの。あの男を倒して、その先どうするかは後で考えればいいことじゃないかしら?」


チドリのヴァーチャーズは無言のまま応えない。しかし刃は変わらず久我山のほうへ向けて、動かすことは無かった。


「了承ってコトね」


桜火は腹を決め、久我山に向き直った。



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