転機
「盗まれた…ピンクのトランクを…下着を…泥棒に盗まれた…」
「いや注目するのはそこじゃなくて」
「お気に入りの服とかもあれに全部入ってたのに…もう生きていけない…」
先ほどからずっとこの調子であった。
鍵も閉まっていたので何者かが天井から入ってきたと思われるのだが、注目すべきはその何者である。
噂通りのヤクザならまだしも、もしそれが僕らの持つ特殊な力を狙う人間であれば早めにここから退散しなければならないのだが、彼女はそれどころではないらしい。
「多分犯人は天井の穴から入ってきたから、あそこに入れば何かわかるんじゃないの」
「他人事だからってすごい適当ね、青柳君が覗いてきてよ」
「えー嫌ですよー虫とかネズミとかいそうじゃん…あっ」
「ん?何かわかったの?」
「ビルの達人とかじゃないから自信ないですけど、もしかして犯人は上の階の床に空いた穴から入ってきたんじゃないかなーって」
「そう思うなら青柳君が上の階を見てきてよ」
「えー嫌ですよーピッキングとか器用なことできないし」
「つべこべ言わずにさっさと手伝ってよ。このままだと私お風呂入れないじゃない」
「あー、僕の服着ます?少しでかいけど多分着れないことはないし」
「だから!下着はどうするのよ!」
そんなわけで最上階にいる。
もし相手が下着泥棒ならそいつはもうこんなところにいないだろと先程言えなかったことを若干後悔する。
とりあえず目に付いたドアノブを回すと抵抗なく回転した。そういえば下着泥棒は鍵を開けずに天井をぶち抜いて入ってきたわけだしピッキングのスキルがないんだろう。
「お邪魔しますよー、なんて、誰もいるわけないよ…な?」
見てはいけないようなものと目があった気がしたのでゆっくりとドアを引き戻す。
僕の目が正常であれば、扉の向こうには
「きゃああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
「うわああああやっぱりお着替え中でしたか!!!!」
扉の向こうには着替え中の女性がいた。記憶が正しければ彼女の髪は赤毛のショートカット、なかなかのスタイルを誇る肢体の側には結構大きめなピンクのトランクが一つ、それに上下青白の縞々であった。
とりあえず着替えが終わるまで外で待ってようとヘタレ精神を発動させていると先程の絶叫を聞きつけた赤崎が駆けつける。
彼女は何か重大な勘違いをしているのかその顔には焦燥が浮かんでいる。
「ちょっとなに今の叫び声?まさか下着泥棒がこの中で少女を人質にとってるの?」
「いや、中にいるのは縞々の下着泥棒だけだ」
「誰が下着泥棒じゃこの覗き魔!!!!!!」
ドアの向こうから絶叫が響く。
それを合図に僕らは扉を開き中へと突入する。
中にいたのは赤毛さんが一人だけ、アクシデントがあったからか手には頼りない木片が握られていた。
隣にいる赤崎が相手を一目見るなり黒い笑みを浮かべたのは相手がお気に入りの服とやらを着ていたからか。
相手が木の棒で殴りかかってこようとも、赤崎がトランクを引き寄せ、僕の影に入ればそれで決着が着いてしまうのだろうが、隣を見る限りそう穏便にはいかないだろう。
顔を見る限り、赤崎はあの赤毛の女から着ているものを全て剥ぎ取った上でボコボコに、つまり完全勝利を目指している。
特殊警棒を力いっぱい握りしめている赤崎は浮かべている黒い笑みを一層強める。
「さあ、そのトランクと今着ているものを返しなさい。さもなくばたこ殴りよ」
「誰が覗き魔の前で服なんて脱ぐもんですか、その変態がこの部屋から出ていけば考えてあげるけど」
「違う!僕はこいつに覗いてこいって言われたんだ!断じて変態なんかじゃない!」
廃墟でお着替えをするド変態に変態という心外なレッテルを貼られ、思わず隣の被害者を指差し責任と怒りのベクトルを反らす。
その途端、赤崎が邪悪な笑みの矛先を僕に向けた。
「それだとまるで私が変態みたいじゃない?あなたがここを自分の意思で覗いた、そうよね?」
「断じて違うぞ!お前が覗いてこいって…痛い痛い!警棒で脇腹をグリグリしないでぇ!」
赤崎のグリグリで僕の中にある何か未知の快感が目覚めそうになる。
目の前にいる下着泥棒はいいのかと矛先のベクトルを逸らそうとした時、今度は前方に動きが発生する。
「隙ありィ!!!」
その怒号とともに手にあった木片が赤崎めがけて射出される。
異常に気づいた赤崎は警棒で僕を押し倒し、僕は警棒で赤崎を引き倒す。
幸いなのは女が素人であったことか。
木を投げるフォームも大振りで、コントロールもイマイチであるため木片は僕らの後ろの壁へと当たり、床へ落ちる。
だが赤毛の女性は当たらなくても構わないと言った感じの笑みを浮かべていた。
「このクソアマが……本当にタコにしてやろうか…」
赤崎のスイッチが入ったのか、立ち上がる彼女の手に込められた力とは裏腹にその声は部屋内に静かに響く。
その怒りのオーラを感じてもなお目の前の女性は余裕の表情を崩さない。
もしかして何か裏があるのかもしれない、そう思って後ろに落ちた木片を確認してみると――
「危ない赤崎!!!!!」
僕の叫びを合図に部屋が爆発で満たされる。
寸分の間の後、爆風による粉塵が晴れると相変わらず赤毛の女が堂々と立っていた
爆心地は恐らく先ほど女性が投げてきた木片、窓ガラスをも吹き飛ばす威力のものだが木には仕掛けもなかったはずだ。ということは示される事実は一つ。
「お前、能力持ちだな?」
壁に出来た影から出てきた僕は尋ねる。目の前に立つ女性は一瞬虚をつかれた顔をしたがすぐに悠然とした態度を取り戻す。
「いやんばれちゃったか、でもそれはお互い様でしょ?」
彼女はそう言うと今度はパチンコ玉をポケットから取り出す。
初めての能力持ちとの対峙に思わず息を飲む。
こういうのは赤崎なら慣れているんじゃないかと一瞥するもご立腹らしくこめかみに青筋が浮き出ているも、腰が若干引けている。
こいつも経験は浅いと即断し、自力で作戦を立てることに専念する。
まずは戦場の状況の確認からだ。
太陽の光は後ろから差し、後方にある壁と赤毛の彼女の後ろ、それに僕の真下に僅かながら影が存在しているのみ。
赤崎の引き寄せの力を中心に戦略を立てるか、玉砕覚悟で彼女の影に立つかの二択である。
次に行うのは敵の分析だ。
彼女は触れたものを爆破させる能力でも持っている。
木片が僕らの目の前で爆発しなかったところから考えると爆発するまでにタイムラグが発生していると考えられる。
パチンコ玉を複数持っているところを見ると複数の対象を一斉に、もしくは個別に起動することが可能なのだろう。
彼女があのパチンコ玉を引き寄せ、僕の影の中で爆発させるというのは…論外だな、中に神庭にもらった本はおろか僕のトランクが爆発してしまう。
人数では勝っているが、相性や影の状況を考えるとこちらが劣勢と考えるのが妥当だ。
こちらは相手がパチンコ玉を取り出すまでのタイムラグを利用するしかない。
まずは目の前のパチンコ玉を避けるため僕の影に退避するのが安牌か。
もう一度、赤崎を見ると彼女と自然に目が合い、それだけでお互いの思考を共有できた。これも能力のおかげだろうか。
「行くわよ青柳君!!!」
赤崎の掛け声を皮切りに赤毛の女はパチンコ玉を空中に放り投げる。
ここからは作戦通り、僕と赤崎が一旦影に入って…さっきまで横にいた赤崎がいない?
「青柳君、影を!!」
気づいたら赤崎は僕の真後ろに回っていた。パチンコ玉に手を突き出しているところを見ると……なんだかとても悪い予感がする。
「うわああああバカ!!!何で玉をこっちに引き寄せてんだよ!!!」
「いいから影で壁を作ってよ!!!」
「お前、僕の考えた最悪の状況を…」
「早く!!!!」
彼女の気迫に押され言われるがままに自分自身の影を文字通り起こす。
二次元的にそびえ立つ、壁というには頼りないその影に、彼女の力で引き寄せられた銀玉は吸い込まれていき、そしてトランクの破片と思わしきものを吐き出した。
その間に目の前の敵は新たな玉の準備をする。
僕が思い描いていた最悪のシナリオ通りに事が進むことに思わず舌打ちをする。
だが、これでもう何も失うものはない。
後ろで僕にしがみついている赤崎の腕を掴んで影の中にぶち込み、赤毛を床に写す影へと飛ばした。
後方斜め下から不意に撃たれる赤崎の全体重が乗せられたタックルは赤毛の重心をずらし、僅かながらではあるが隙を作るのに十分な威力であった。
その隙を突き、赤崎の影を使って間合いを一気に詰め、手刀を首筋へ叩きつける。
バランスを崩した赤毛は僕のその一撃によって悲鳴を上げる間も無く横に吹き飛ばされ、その動きを止めた。
アニメなんかで主人公がこんな感じで相手を気絶させていたのだが、実際にやるとこうも上手く行くとは思わなかった。
「くっくっく…お気に入りの服の恨みを思い知ったか赤毛野郎!!」
赤崎は服を剥ぎ取られた下着姿の赤毛を転がして遊んでいた。
クールビューティーという言葉が似合いそうな彼女だが、性格は良く言えば感情豊かな、悪く言えばクソガキみたいな性格をしているなあと感じる。
しばらくすると一通り遊んで飽きたのか、赤崎が急に動きを止めて窓の外を見て黄昏れ始めた。
自身の行ったくだらない行為を反省しているのかと思った矢先、意外な言葉が口から漏れた。
「そういえば、私のトランクってどうなったんだろう……」
部屋の中を見渡せば、ピンク色の破片が、色とりどりの布切れとともに散乱していた。
窓の外は完全に夜の帳が下りていた。
僕らは下の階に相変わらず動かない下着泥棒改め爆弾魔を運び、残った財産を確認しあっていた。
金銭的な財産はポケットの中にあったおばさんから貰った一万円札が三枚のみ。具体的な物は下の階に残ったガスコンロ、後は神庭から貰った本と単語帳が影の中で生き残っていた。
「はぁー、これだけの犠牲をはたいて得たものといえば、人の着替えを勝手に着るド変態一人かぁ」
そう言うのは赤崎であるが、元はといえばアイコンタクトを変な風に受け取って影の中で爆発させたこいつが悪い。
そう言いたいのだが言えないのが僕である。まあ僕が責められているわけでもないし、適当に返せばいいのだろうか。
「まあ最低限の火は残ったわけだし、能力持ちもとりあえず手に入れたし、上出来なんじゃないか」
「青柳君は能力持ちというより巨乳の女が手に入った事が嬉しいんでしょ?さっきも運ぶ時わざと胸を背中に当ててたし」
「くっ、仕方が無いだろ!僕の周りにはここまでの人材はいなかったんだ!」
「だからって窃盗犯に手を出すのは…ああ出したのは背中か」
別にいいのだ。僕が我慢すればとりあえず事が穏便に済むのだから。それに美少女に蔑まれるのもなんだか悪くない。思い返せばあの警棒も中々だった気がする。
「能力持ちを捕まえたはいいけど、こんなもの拾ってどうするの?」
赤崎からのそんな質問に、僕は返答に困った。
そういえば考えていなかった。明日の事も分からないのに、人ひとりの人生をこれからどうするのかなんて考えられない。
全ての組織から逃げろ、そんな神庭の言葉がふと脳裏をよぎる。
「そうだ、僕達で組織を組むのはどうかな?」
不意にそんな言葉が僕の口から飛び出す。
全ての組織から逃げ切れないと思うのなら組織を組めばいいのだ。
超能力者を中心に組織を組めば、戦力差を考慮しても色々な組織から隠れたり、或いは対抗したり、そんなことができるのではないだろうか。
ふと浮かんだ案にしてはまるで最初からこうしろと言われていたかのようにしっくりきた。
こんな思いつきの意見を聞いた赤崎は驚いた表情を浮かべるも、それはすぐに興奮や期待で塗り替えられていく。
「面白そうじゃない。いいよ、手伝ってあげる」
赤崎はそう言って手を差し伸べてくる。
僕は素直にそれに応じようとするも手を猫じゃらしのように操り僕の握手をかわしていく。
そんな中で不意に横から手が伸びてきた。
その手の持ち主はもう一方の手で僕の手を握る。
大人っぽい笑顔を浮かべた赤髪の彼女は笑う。
「それ、あたしも混ぜてくれない?」
僕と赤崎は顔を見合わせる。
先ほどのアイコンタクトは思いっきり失敗した為自信はないが、彼女の顔に書いてあるお断りの文字のその奥からは明るいものが感じ取れた。どうやら賛成ということだ。
「あたしの名前は二ノ瀬杏里。さっそく提案なんだけど、まずはこの部屋からエスケープしない?」
「えっ、まずは自己紹介じゃないのか?」
「とりあえず君たちの名字はさっき聞いたし、それに窓の外を見てみ」
二ノ瀬の言われるままに窓の外を見る。地方都市に暮らす人々の生活の光が今にも消えそうといった感じだった。それもそのはず、少なくとも午前一時は過ぎているはずだ。
下に目を向けてみるとその異変にすぐに気づく。
道路を挟んでビルの向かいにある駐車場には、黒い車が十台ほど止まっていた。その車から見るからにやばそうな人間がぞろぞろと出てくる。
ここの俗称はヤクザビルだったな、とそんなことを思い出した。
こうしていざ自分が死の瀬戸際に立つと全ての出来事が客観的に見えるなあ、と呑気に窓から覗いていると二ノ瀬と思われる腕に襟元を引っ張られ、強制的に座らされ頭をどつかれる。
「何考えてんのよ青柳!見つかったらあたしの計画がパーじゃないの!」
「計画?ヤクザから逃げ切れる策でもあるんすか?」
「どちらかといえば逃げるとは正反対のことをやるんだけど…青柳、ここが何で今だにヤクザの所有物か知ってる?」
「いきなり呼び捨てかよ…それはヤクザが駄々こねてるからだった気が」
質問に答えるも二ノ瀬は既に背中を向けて別の作業に移り、もはや僕の話など聞いていなかった。
だが回答が終わったことはニュアンスで分かったようで、こちらに向き直ると赤崎と僕の肩を寄せヒソヒソと話を始める。
「ねえ…このビルにヤクザの大金が隠されてるって言ったら信じる?」
「大金?そんなものこんなとこに隠したら取り出す前にビルが崩れるんじゃないの?」
「それがポイントなの、悪いことをして手に入れたお金も警察に見つかったら一巻の終わり、だからヤクザが揉めてて近寄りづらい上に入り辛い廃ビルが残されてるんだって」
「胡散臭さ120%って感じだな…証拠はあるのかそれ?」
「今から確かめるのよ、それに組織を作るならまずはお金からなんとかしないとね」
時刻は丑三つ時、一般的には幽霊が出ると言われる時間だが市内のとあるビルにはヤクザが、それも大量に出没していた。
理由は単純、組が所有する廃ビルに僕らが潜んでいるためだ。
ビルを立て直さずに寝かせ続け、その上ヤクザが揉めているという噂まで流したために、人間が隠れる絶好の場所となっているなど誰が考えるだろうか。
ヤクザの数は総勢四十人だ。半分は二人一組でビル内を巡回し、残りはまとまって何処かの階へ行ってしまった。
おそらく後者の方を追えばどこに金が隠されているのか分かるのだろうが、人数は二十人、いくら能力持ちとはいえ銃を持っていそうな連中に三人で勝てるはずがない。
そんなわけで、今は窓から差し込む淡い光が落とす影に入り顔だけ出している状態だ。
「……………………重いからしがみつくのはやめてくれないかな」
先程から赤崎は僕の背中におんぶ状態で、二ノ瀬は僕と赤崎の胴体に横から腕を絡みつかせていた。
この重量がたまらないと思っていたのは最初の五秒くらいで、それからは只々疲労が溜まっていくだけだった。
二ノ瀬曰く自分の能力は自分に効かないらしい。
先程二ノ瀬が爆風に巻き込まれなかったのはこれのせいで赤崎が自身の力で潰れないのもこのためだ。
これは僕も例外ではない。
影の中は言ってしまえば僕の能力が作り出した世界、故に中で生じる様々な制約を受けない。代表的なものでは重力の影響を受けなかったりする。
何が言いたいのかというと、地面に影の穴を掘ったせいで女二人は僕から手を話すと僕が下に脱出口を開けない限り重力の影響を受け無限に落下することになる。
重い、という言葉に反応したのか肩に回された赤崎の腕がギチギチと蛇の如くゆっくりと強くなっていく。
訂正をするまで強くなる仕組みなのだろうが問題ない、何故なら昼間の警棒で目覚めたから――
「あががががががががギブギブギブギブ!肘裏を首に引っ掛けないでぇ!」
「さっさと発言を訂正しないと首が締まっちゃうぞぉ」
「うるさいわねえイチャイチャするのも静かにしなさいよばれるでしょうが」
唐突に階段の方から二つの足音が聞こえてくる。
突然訪れたチャンスに影の中で緊張が走る。
お互いに顔を見合わせ影へと潜る。僕たちの未来をかけた作戦が今始まろうとしていた。
読んでくれてどうもありがと(・ω<)☆