ぶぶ漬け
ジョンソン・ウェーバーがどうなったのか?
そもそもなぜジョンソン・ウェーバーが大学にいたのか。
それについて千里に聞いてみると、実に単純な返事が返ってきた。
「あの人、フランス語の教授だよ。フランスから来たんだってさ」
「ふーん」
何の面白みもない理由だった。
ジョンソン・ウェーバーの本業って儲からないのかな? だから副業?
裏の組織ってやつも世知辛いんだな……。
「しかし、あのフランス語の教授とやら、見知った顔だったのか?」
「まぁね。なんか儲かるアルバイトやらない? って誘われたんだけど、そのまま警察の世話になっちゃったから逃げた」
「酷い話だ。色んな意味でな」
ローザがクツクツと笑いながらお茶を啜る。金髪碧眼の美少女がほうじ茶飲んでるっつうのも変な光景だな……。
そう思った時、オレたちの目の前に謎の扉が現れた。
なんだこれ、と全員が思わず思考停止するも、直後にその扉から店主さんとトモエさんが出てきたことでいつもの事かと納得する。
「なにしてるんですか?」
「ちょ、ちょっと大変な事態が」
慌てた様子で扉を閉めて、その扉を消す店主さん。
扉の向こうはなんかの研究室みたいだったけど……。
「童謡であるじゃないですか。ポケットの中にビスケット云々って」
「ありますね」
「それにインスピレーションを受けて、ポケットの中に入れて叩くと増えるビスケットを創ってみたのですが……」
何やってんだこの人は。
「叩いてみた瞬間、宇宙の法則が乱れ、因果律が狂い、無数の神格が世界法則を乱した天罰を下そうと襲い掛かってきまして」
ビスケット一つでそこまで壮大な話になってしまうか。
というか、この人は何でもかんでも無茶苦茶やりすぎだと思います。そもそもあの歌って、ビスケットが増えるポケットがあったらいいなぁ、っていう歌のはずだし……。
「しょうがないので逃げてきたんですよ。別に全部ぶっ飛ばしてもいいんですが、別世界の神格に影響を与えるのは許可されていないので」
「はぁ」
「まぁ、私もちょっと調子に乗って適当に作りすぎた感はありますしね。しばらくは何もしないでいるとしましょう。やれやれ」
そう言いながら普通に座ってるが、ここオレの家なんですけど。あなた自分の家ありますよね?
「どうかしましたか?」
「いえ、別になんでも」
どこからともなく現れたティーセットで紅茶を楽しみ始めた店主さん。あんたも割と人の家で好き勝手やりますね。
そういうわけで……つってもどういうわけだかわからんが、まぁとにかく皆でぼけーっとし始める。
だって特に何か会話する必要があるわけじゃないし。
そもそもなんで店主さん残ってるの? 家に帰れよ。ローザも帰れよ。
「うーん……招かれざる客か。ぶぶ漬けか……思わず帰りたくなるぶぶ漬け考えよう」
「僕、大量の練りワサビ入れたぶぶ漬け出されたことあるよ」
トモエさんすごいもの出されてるなぁ。
「なにしてそんなことになったんです?」
「旧家の女の子と仲良くなって、その子の家に遊びに行ったら出されたよ」
「うちの可愛い娘はやらんぞって?」
「たぶんね。でもおいしかったよ」
「おいしかったんですか」
「うん。チューブの練りワサビじゃなくて、ちゃんとした手法に則って擦った練りワサビだったし。割とおいしかったよ」
「歓迎されてんだかされてないんだか……」
長く生きてればいろんな経験してるもんだなぁ……店主さんはどうだろ?
「店主さんは?」
「ぶぶ漬けではありませんが、犬肉入りの食事を喰わせられた事があります」
「お、おおう……」
なんという歓迎されてない感……。
「それで、その日は泊まっていきなさいと言われて泊まっていったのですが」
「ですが?」
「気付いたら四か月後で栃木の辺りでホームレスをしていました」
「えっ」
「どうやら犬神をつけられたらしく、正気を失っていたらしいですね」
「なにしたんですか……」
「娘さんをくださいって土下座しに行ったんです」
「ああー……」
つまりその娘さんの親がとんでもない親バカだったんだな?
「そのあとはどうなったんです?」
「並行世界は色々と分岐してますから一概にどうとは言えませんが、駆け落ちするか、意地でも認めてもらうかのどちらかが支配的ですね」
「なるほどなー……」
また一つ店主さんの人生というものを知れた気がする。別に知りたくもなかったが。
「ローザは?」
「日本に行った時に、レーションは慣れてるだろうと言って米軍のレーションを喰わせられた」
「それがぶぶ漬けか?」
「当時の米軍のレーションは世界最悪の食事と言われていたのだ。あんなものがMeal, Ready-to-Eat(調理済みの一回分の食事)だと? あれはMaterials Resembling Edibles(食べ物に似た別の物体)とかいうべきものだ」
「そんなに不味いのか……」
「不味い。脱走を企てたくなるほどに不味い」
そこまで酷いのか。
規律に厳しいがこいつが言うんだから、よっぽど酷いんだろうな。
「千里は?」
「私? そりゃないよ」
「そりゃそうか」
もちろんオレにもない。ぶぶ漬け出されるような習慣ここらへんにないし。
「ふむ……全員の体験談を聞いて、どんなぶぶ漬けがいいかよくわかった。食べ物に似た何か別の物体と言われるほどに不味く、食べると呪われて正気を失うようなものが、思わず帰りたくなるぶぶ漬けだ」
また一つ、この世に罪深い食べ物が生まれちまったな……。




