【貴之の日常は妹中心にまわっている?】
朝の現状はいつもと変わらない。ただ、貴之は春里より少し先に起き、春里の部屋の前で出てくるのを待つようになった。階段から落ちて怪我をされては困るから、きちんと階段を降りるときに支えてあげるためだ。そんな姿を両親が見たらなんて言うだろうと思い、多分からかわれると答えをはじくと、見せられないなと苦笑した。
予定通り、春里は半分以上眠っているような状態で部屋から出てきた。こういう時の春里は何をしても覚えていない。なので、貴之も遠慮ない。春里の腰に腕をまわし、もう一つの手で春里の手を掴む。そして、一緒に階段を下りる。二人で下りるには少し狭いが、下りられない幅ではなかった。そして、階段を下りると春里を解放した。
――俺も甘いな。
貴之は苦笑しながらふらふらしている春里の後姿を見つめていた。
奏太の要望通り、貴之は一緒に勉強をする名目で奏太を家に招いた。貴之は拒否していたが、耳が痛くなる程奏太が煩くて、貴之が負けた形だ。お陰で奏太は上機嫌で、貴之は不機嫌だった。
春里は奏太の優しさに翻弄される程馬鹿な女の子ではないと信じたい。だけれど、会わせたら危ないかもしれない。そんな感情を貴之は抱きながら一緒に家まで向かう。気持ちは乗らない、気分も乗らない。だが、隣にいる奏太は貴之の心配などお構いなしでとても楽しそうに口笛を吹いている。それが癪に障り、貴之は思いっきり奏太のお尻を蹴った。
「痛いなあ」
「何でそんなに楽しそうなんだよ」
「何イラついてんの?そんなに心配?俺何もしないよ。貴之の妹を悲しませるような事はさ。俺はそこまで冷たい男じゃないことくらい分かっているだろう」
いっそ、冷たい男の方が安心する。そんな事を口にせず心の中で呟きながら、足取り重く進んでいく。どんなにゆっくり歩いても目的地がある限りそこには着く。それが今は忌々しい。
家に帰ると、春里がちょうど階段から下りて来るところだった。一瞬足を止め、不思議そうに眺めた後、ゆっくりと春里は階段を下りて来る。
「おかえりなさい。今日は早いんですね」
「まあね」
「それで、後ろにいるのはお友達?」
春里の視線が貴之から奏太に移った。
「はじめまして。俺は増永奏太。貴之と同じバスケ部なんだ。クラスも一緒」
そう言った後、奏太は一歩前に出て、握手を求める。春里はにこりと微笑み、当たり前のように握手する。
「篠原春里です」
今の春里はどう見ても猫を被っている。奏太がどういった人間なのか探っているのがよく分かった。評価はいかほどになるか楽しみになってきた貴之は、少しだけ気持ちが上向いた。
奏太は当然のようにリビングに行き、どかっとソファに座り、春里が出してくれたアイスティーをがぶがぶ飲み、春里と楽しそうに話している。
――おまえ、勉強はどうしたんだよ。
なんて突っ込みはしないでおくとして、まるで貴之の存在を無視するように、身体ごと春里に向け、貴之に背を向けている。気に食わない。だが、二人の会話を聞いていると、春里が遠慮していることも警戒していることも分かる。貴之と出逢った頃のあの態度と同じだ。砕けた話し方をしているところを知っている貴之にとってそれは優越に浸ることのできる要素でもあった。だから、自然と余裕ができた。
「へえ、以前は公立高校だったんだ。ねえ、うちの学校の編入試験って難しかった?」
「そんなに難しいとは思いませんでしたよ。ただ、緊張はしました。この高校がいいんじゃないかと勧めてくれた人たちに申し訳ない結果だけは知らせたくなかったので、余計に」
張り付いている笑顔は全く変化をしない。
「春里ちゃんは頭がいいんだね」
「どうでしょう。ただ、編入が決まってからは必死に勉強しました」
春里の受け答えはまるで面接のようだと貴之は苦笑した。そんな貴之に気づいたのか、春里は貴之を一瞥し、また笑顔を作った。
「学校には慣れた?」
「うーん、正直戸惑っていますよ。田舎の公立高校にいたので、全く雰囲気が違うんですよ。その空気の違いにちょっと戸惑っています」
「初日は大騒ぎだったでしょう?貴之のことでさ」
「まあ、仕方ありませんね。貴之さんは見た目だけは格好良いですから」
そう言って、今度は堂々と貴之を見て、勝ち誇った笑みを見せた。勝気な春里が少し覗く。
「俺の格好良さは見た目だけじゃないぞ」
「わたしが危険だと知っていながらそれを忠告してくださらなかった兄のどこが優しいのですか?」
首を少し傾けて一層笑みを浮かべた春里は最強に思えた。これはさすがの奏太も扱えないかもしれない。
「確かに貴之は見た目はいいよな」
貴之が、便乗して言う奏太の頭を思いっきり叩いてみせると、わざとらしく春里は驚いて見せ、クスクスと笑った。奏太はそんな春里を見ながらわざとらしく叩かれた頭を擦っている。
「春里ちゃんのお兄ちゃんにいじめられたよ~。春里ちゃん助けてよ」
奏太は甘えるように言って、こともあろうか春里に抱きついた。
「増永さん、貴之さんが睨んでいますよ」
春里の声は柔らかいが、無表情だった。貴之は春里にしがみついている奏太を剥がし、おもいっきり額を叩いた。
「おまえ、これ、セクハラだぞ」
「ごめん、つい」
春里が奏太が見ていないところで溜め息を吐いたことが分かった。
「春里、夕飯の支度をしなくて大丈夫なのか?」
貴之の言葉にホッとしたのかいつもの笑みを浮かべ、春里はキッチンへ消えた。奏太はずっと貴之を睨んでいた。
「おまえ邪魔するなよ」
「文句言いたいのは俺だよ。俺の妹に抱きつくなんてことするなよな」
「だって、かわいいんだもん」
「なにが、だもんだよ。あいつの顔見て分からなかったのか?警戒心丸出しだっただろう」
「そこがかわいいんじゃないか。うまくかわせないところが最高だね」
奏太はそう言って意地悪くにやりと笑い、アイスティーを飲み干した。
「春里ちゃーん」
奏太は空になったグラスを持って軽やかにキッチンに向かう。呆気にとられた貴之だったが、春里の身の危険を感じ、急いでキッチンへ向かった。
「ねえ、お代りちょうだい」
「はい。少し待ってくださいね」
そんな声が聞こえ、急いでキッチンを覗くと、いつの間にか奏太はまた春里に抱きついていた。貴之は一気に頭に血が上った。
「増永さん、こういう行動は品位を疑われますよ」
春里の声は淡々としていて冷ややかだった。言われていない貴之さえ背筋が寒く感じたくらいだ。
「初対面の相手でしかも友人の妹を相手にこういう行動は慎むべきだと思いませんか。せっかく築いてきた兄との信頼関係も、これから築き始めるわたしとの信頼も一気にこれで消え失せます。兄との信頼関係がまだ続いたとしても、わたしはもうあなたと会おうとは思わないでしょう」
ずっと止まっていた奏太の身体が動きだし、春里から離れた。
「あなたは選択を間違えました。こういうことに慣れていないと思い、わたしを翻弄しようと思ったのかもしれませんが、残念ながらそんな効き目は全くありませんよ」
「ごめん。調子に乗り過ぎた」
奏太は力なく俯いて、低い声で言った。春里の言葉は結構効き目があったようだ。
「いえ。では紅茶は運びますので、リビングへ行っていてください」
春里はにこりと微笑んだ。声もまた先程と違い柔らかい。奏太もまた春里には敵わないらしい。
奏太は言われた通りキッチンから出た。貴之の脇を通り過ぎる時、とてもバツの悪そうな顔をしていて、貴之と眼を合わそうともしなかった。
貴之はゆっくりとキッチンへ入る。
「春里、すごいな」
「どういう言葉が効果的か考えて、それを実行すると言うことです。初日にわたしを呼び出した女の子たちにもこれは効果的でしたね。今回は増永さんの自信を折ってあげればいいんです。あなたは間違いましたよ、って」
春里はアイスティーの準備をしながら淡々と説明をした。
「だからわたしは初対面の人に自分を曝しません。手の内はじっくりと明かしていきます。信頼できるかどうかを明確にした後、わたしは許される限りのわたしを曝します」
「敵にはまわしたくないね」
「そう思ってくれたら、成功ですね」
春里は準備できたアイスティーを貴之に手渡した。
「ありがとう」
貴之に向ける春里の笑みは先程とは違っている。だが、まだ会って間もない貴之には春里は総てを曝してはいないのだろう。そう思うと貴之は淋しく感じた。
リビングにいる奏太にアイスティーを出すと、それを半分程飲んだ。そして、奏太は真剣な顔で貴之を見た。
「俺、本気になった。口説き落として見せる」
「何言っているんだよ。あれで嫌われたと思わないのか?」
「馬鹿言うなよ。印象がついて成功ってところだよ。これでおまえの協力もいらないもんな。あとは俺が自分で話しかけて俺を知ってもらう」
「俺の妹には手を出さないんじゃなかったのか?」
「人の感情と言うものは日々変化するもんだよ。日々と言うより一瞬にしてって感じかもね」
奏太はそう言って貴之にウインクして見せる。ウインクもきれいに決めて見せるなんて本当に甘い雰囲気の男だなとまじまじと貴之は感じた。
別に奏太はたらし君ではないですよ。ちょっとおふざけが過ぎただけというか、調子に乗りすぎた感じです。多分。きっと。
次回は待ち伏せ奏太君。
次回もお付き合いください。