【見守る二人の心情】
【母、貴美の心情】
貴美に不安がないわけではなかった。だが、出逢ってすぐにその不安は一蹴される。
貴美が原因で離婚したわけではないとしても、春里は恨みや妬みに似た何か黒い感情を貴美に抱いていてもおかしくはないと思っていた。だが、一目見て、その心配はなくなった。それと共に息子である貴之の反応もまた心配だったが、朝、仲良く会話をしている姿を見て、その心配も消えた。本当の家族とは言えなくても我が家なりの形はできそうな気がした。
最初、夫の俊介に春里の事を聞かされた時は戸惑った。引き取ると言う話は想像していなかった出来事で、それを俊介が口にするなんて思ってもみなかったからだ。だが、それを受け入れたのは、やはり俊介の娘であることと、病気になった春香の事があったからだろう。俊介の話し方は相談ではなかった。別に強い口調でも強制でもなかったが、そこに選択権があるようには感じられなかった。ただ、貴美は不安を抱きながら頷くしかなかった。
玄関のドアを開けると、リビングのドアから光が漏れていた。そして、楽しそうな声が微かに聞こえた。それが貴之と春里の会話だと分かると、貴美から笑みが零れた。二人はずっと兄妹だったように仲が良い。いつの間にこんなに仲が良くなったのだろうと思えるくらいには近づいていた。
「ただいま」
貴美はリビングのドアを開けながら言った。ダイニングで食事中だった貴之と春里の視線が貴美に来た。
「おかえりなさい」
同時に言われ、貴美は微笑む。
「ご飯、直ぐ食べますか?」
「うん、そうね。そうしようかな」
二人の輪に入ってしまっていいのかと躊躇いはしたが、二人と仲良く食事をしたいと思い、頷いた。
着替えてダイニングに行くと、すでに貴美の食事は用意されていた。春里の隣に座り、その食事を眺める。鶏のから揚げ、グリーンサラダ、冷ややっこ、卵焼き、じゃがいもと玉ねぎの味噌汁。
「いただきます」
両手を合わせ、そう言った後、サラダから食べ始めた。
「で、貴之さんは今日、どこに行っていたんですか?」
「うん?スタジオ。そこで雑誌の撮影だよ」
「へえ。楽しい?」
「……まあね」
貴美は最近見なくなった貴之の優しい眼差しに驚きながら、知らんふりで会話を聞いていた。
「春里は?」
「病院ですよ。朝も言いましたよね。人の話を聞いていないのは悪い癖だと思いますよ。だから、品のないサルしか近付かないんです」
春里の言葉遣いに驚き、貴美は眼を丸くしながら思わず春里を見つめた。
「お袋が驚いているぞ」
貴之の言葉で、春里は貴美の方を見てバツの悪そうな表情をした。
「別に猫を被っているわけではありませんよ。ただ、貴之さんにはじっくりとお灸を据えなければなりませんから」
「なんだよそれ。ただの罰ゲームじゃん」
「それこそ、なんですか?きちんと自分の立場を理解しておいてもらわないと同じ過ちを繰り返すじゃないですか。だから、忘れられないようにじっくりとしつこく」
「もう、春里が俺の立場を理解したんだから繰り返すことはないだろう?お互い気をつければいいんだからさ」
春里は楽しそうで、貴之はふてくされた表情で繰り返される言葉の応酬。おされぎみの貴之が幼く見える。久しぶりの表情だった。
ふと、砕けた二人の会話を聞きながら貴美はある疑問を抱いた。
「ねえ、何かあったの?」
「はい。聞いてくれますか?貴之さんの人気は想像以上なんですよ。信じられないくらい。ちょっと一緒に学校に行っただけで、ファンの子は煩いぐらい騒ぐんです。お陰でわたしは注目の的ですよ」
ぶつくさと文句を口にしているが、春里の口調も表情も楽しげだ。
「え?そんなに貴之は人気があるの?」
「びっくりしますよ。でもね、集まってくる女の子はみんなちょっと品がないんですよね。あれじゃあ、貴之さんも惹かれないなって思いますよ。それに気づかないところがまた滑稽ですよね。馬鹿な子ほどかわいいとはいきませんから」
貴美は貴之を見た。その表情はこれ以上ないと言うくらい歪み、じっと堪えている感じだった。
「それをすっかり忘れていたんですよ。きちんと自分の立場を言ってくれていれば、穏やかな高校生活をスタートできたのに」
春里にも不満があったようで、堰を切ったように言葉が出てくる。それを呆然と聞きながら、尻に敷かれている貴之を視線の端で見ていた。
「もう、いいだろう。謝ったじゃん。いっぱいさ。だから、土産にケーキも買ってきた。だからもう引きずるなよ、春里」
「ケーキ買ってきたの?」
驚いたのは貴美だ。今までこんな事は一度もなかった。珍しいこともあるものだと貴之をまじまじと見つめると、貴之は居心地悪そうに俯いた。
「買ってきてくれましたよ。食後に一緒に食べましょうね。とってもおいしそうなケーキでした」
しっかりと貴之を操縦している春里に貴美は微笑んで答えた。
【父、俊介の心情】
俊介は静かに寝息を立てている春香をじっと見下ろしていた。狭くて汚い病室に一人、病と闘っている昔愛した女性。その面影は微かにしかない。
病院に連絡がきた時は驚いた。最初篠原春香が誰なのか分からなかったくらいに、想像できない未来だった。春香が自分を苦しめた俊介に電話をして――あの時瞬時に思った。そして、それは当たっていた。淡々と述べられるその現状は決して楽観できるものではないのに、物語を読むように他人事で、苦しみや悲しみなどはなかった。総てを受け入れて、覚悟を決めているのだと思った。あれほど弱いと思っていた女性が、ここまで強くなるなんて想像できなかった。
ただ、娘の春里のことになると瞬時に声色は変わり、悔しさと悲しさが入り混じって、そして最後には堪えていただろう涙を流していた。そんな声だった。
縋るように「春里をお願いします」と何度も言われ、断ることもできず俊介は頷いた。多分、貴美は戸惑うだろうが拒否はしないだろうと思った。問題は貴之だった。貴美の息子なのだから、それほど心配することはないことは分かってはいるが、多感な年頃なのが気にかかっていた。だが、そんな心配をよそに三人は想像以上に仲良くしているようだ。それを貴美から聞くのが俊介は楽しい。
春香のお願いを受け入れ、春里を家族に迎え入れたのは俊介の我が儘だ。愛情を全く注いでやれなかった娘に罪滅ぼしに似た感情を抱き、それをする場を作ったにすぎない。それに付き合わされたのが貴美と貴之だ。だが、二人は俊介に文句を言わない。二人の懐の深さに感謝しても、し足りなかった。
眼の前で眠っている春香に触れたい感情を抑えながらじっと見守るように俊介は見つめる。みるみる痩せていくその姿を痛々しく思いながら、懸命に生きようとする強さは尊敬できる。昔、家庭を顧みず苦しめた相手。一人孤独に子育てを頑張った眼の前で眠る女性は、その苦しみを乗り越えてとても素敵な女性を育て上げた。
再会した娘はとてもおっとりしていて一見母親である春香には似ていなかった。だが、貴美からの報告からすれば、とても明るい女の子らしい。最初は遠慮していたのだろう。慣れてくれば本心をもっと出してくれるのだと思う。とてもいい子に育ち、俊介は春香に感謝した。
「春里に逢わせてくれてありがとう。私を頼ってくれてありがとう。感謝している」
起きている時には伝えられない思いを口にして俊介は病室を出た。
せっかく三人称にしたので、貴美と俊介の気持ちを少々。
次回は奏太の襲来。いえいえ襲来ではなく、普通に自宅に遊びに来た感じで。でも、ある意味襲来。春里と奏太の初絡みです。
次回もお付き合いください。