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なんだか泣きそうになった

「それで、何かわかったのかね?」

「いんや、何も」

「なんだ、使えない男だな」

 裕也からシンシアさんの噂を聞いて、あれから三日経った。

 今日は学校は休み。

 そして、今は裕也とファーストフード店で中間報告と称した暇つぶし中だ。

「仕方ないだろ。あれからシンシアさん学校に来てないし、俺の方から連絡取れないし」

「本当にそれで付き合ってるなんて言えるのかね」

 実際、俺だって付き合ってるなんて思えない。シンシアさんの声で最後に耳に残っている声は「愛していますわ」という甘い言葉だったりするわけだが、今なら「ほんとかよ」なんて突っ込んでしまいそうだ。それくらいに何もない。たった三日間だけでいちいちうるさい男だなんて思われるかもしれないけど、連絡先だって知らないんだから、仕方ない。

 困ったことに、シンシアさんに会いたいと思うこともなく、この三日間は過ぎた。普通の付き合いがどういうものかわからないけど、もっとお互いに会いたいと思ったりするもんじゃないのか。まぁ、相手の立場や置かれている状況を少し考えてみると、この今も納得できてしまうのもまた困ったところなんだけどな。同じお嬢様でも梓とシンシアさんの二人の温度差があり過ぎて、拍子抜けというか、やはり現実味がない。

 裕也に返す言葉もなく、氷だけが残ったコーラをズズズとすする。

「僕は神宮寺さんと真がお似合いだと思うけどなぁ」

「似たようなこと、倉敷さんにも言われたよ」

「やはり彼女と僕はどこか通じ合っているのかも」

「かもな。……はぁ~……」

 実のところ、三日前からシンシアさんはおろか、千佳と倉敷さんとも口を利いていない。口を利いていないというか、千佳に一方的に避けられているわけで。それに便乗している倉敷さんとも、話していない。倉敷さんにとっては、ただ千佳と一緒にいるだけのようにも見えるけれど。遠目から挨拶らしきものは確認できたし。

 結局は、彼女ができて今の俺に残っているものは目の前の裕也だけだ。梓と一緒にいたせいでクラスでも孤立していて、おまけにシンシアさんまで近付いてきたわけで、孤立無援に拍車をかけるような形になってしまった。ちょっとした鬱だ。学校が憂鬱だ。

「ま、きみにはシンシア嬢がもったいないとも言う」

「シンシアさんを上に見ているのか梓を下に見ているのか」

「ほら」

 裕也が何かを取り出して見せてきた。マル秘ノートから出てきたそれは、シンシアさんの写真。水着のモデルをした時のものなのか、金色のビキニがやけに良く似合っていて、抜群のプロポーションを惜しげもなくさらけ出していた。色白で長い脚にくびれた腰。豊満なバストに思わず目がいく。制服の上からはわからなかったシンシアさんの魅力がそこにあった。

 そして旧校舎での出来事を思い出してしまう。背中に押し付けられた柔らかい感触。絡みつく手足に良い匂い。あの体験をしていなくても、写真を見ただけで男なら魅了されてしまうだろう。

「一目瞭然ですな」

「まったくお前は……」

「わからないかな。彼女は一人の男に収まる器ではないのだよ。生きとし生ける男全ての夢であり続けなければならない」

「夢ねぇ。それじゃあの噂が本当ならその夢も崩れ去るのかもな」

「その心配はあるまい。たとえ彼女がそうであったとしても、それはそれで需要はあるからね。それに、彼女が世の中の男を魅了してやまないのは変わらない。所詮、見た目ですからな」

 裕也はふんふん鼻を鳴らして付け加えた。

「一度でいいからあの体に抱き締めてもらいたいねぇ」

「お前は相変わらずだな」

 しかしながら裕也に対して少し優越感を覚えてしまうのも仕方ない。

「ま、今度会ったら聞いてみるさ」

「期待しているよ真くん」

 この日はここで終了。

 店の外に出て裕也と別れた。

 そして裕也を見送って、振り返ったところで、思わぬ人と対峙した。

 まるで今日一日俺を監視していたかのように、俺が一人になるのを見計らって出てきたような、そんな様子さえ覗えた。あたかも待っていたかのような、直立不動の人物。

 おそらく今、俺がもっとも会いたくない人だった。

 その人を見上げ、体裁を取り繕うように、挨拶を敢行する。

「あ、ど、ども。お久しぶりです。斎藤さん」

 梓の専属警護人、斎藤さんが振り返った先にいた。

 どうしてあんたがこんなとこにいるんだ。梓のお傍を離れたらダメですよ。

「ご無沙汰しております」

 野太い声で、丁寧にお辞儀する。

「ははっ。何してるんすか?」

 神宮寺家はシンシアさんの計らいで、俺に手出しはできないはずだ。それとも傷ついた梓を見て我慢ならずに俺に制裁を加えに来たのだろうか。いや、こっちにはシンシアさんがついてるんだ。堂々としていろ。

「少々お尋ねしたいことがありまして。偶然先程お見かけして、ご友人と別れるのを待っておりました」

 偶然? まぁ、俺を見つけて待っていたことには違いない。

 いやー、忘れかけてた。周りの視線が痛い痛い。シンシアさんが一緒にいる時の羨望の眼差しとは違うこのいたたまれない雰囲気。もはや懐かしいなぁ。

「な、何でしょう?」

 堂々と、虚勢を張る。どう見てもビビっているようにしか見えないよな。そのサングラスの下は実は可愛いつぶらな眼が、なんて勝手な想像をしても威圧感が半端ない。

「お嬢様と何かあったのでしょうか?」

 ビクッと体が跳ね上がるのを抑える。それと同時に違和感を覚えた。

 何かあったのかって、どういうことだ。梓から何も聞いていないのか? それとも俺から言わせるよう誘導しているのか?

「あ、梓は何て?」

「お嬢様は作戦とおっしゃっておりますが……」

 ……話しが見えない。会話が噛み合っていない。そう思っているのも俺だけなんだろうか。作戦、作戦ってなんだ。梓の奴、斎藤さんに何を言ってるんだ。

「えっと、作戦って?」

「あなたから距離を置いて、あなたの気を惹く作戦とおっしゃっております。あなたの気を惹こうとしてらっしゃるのはいつものことなので構わないのですが、距離を置く、というのが少々気になりまして。あのお嬢様ですから、そういうことをなさるお方じゃないことはあなたが良くおわかりでしょう」

「……そうですね」

 この斎藤さんの様子だと、どうやら俺が梓に別れを告げたことを知らない様子だ。となれば俺とシンシアさんが付き合うようになったことも当然知らないだろう。

 どういうことだ。梓が気を遣って斎藤さんに何も話していないにしても、シンシアさんの方から俺に手を出さないよう伝えられているはずだ。

「梓は今どうしてるんですか?」

「ずっと屋敷の中にいらっしゃいます。明るく振る舞っておられますが、やはりどこか無理をなさっているように思えます」

 無理を、か。あれだけ泣いていたのに斎藤さんに悟られなかったなんて、相当無理してるんだな、あいつ。斎藤さんに気を遣ってか俺に気を遣ってかわからないけど。

 俺から余計なことをは言わない方が良さそうだ。だけど聞いておきたいことがある。

「あの、シンシアさんはそちらに来てますか?」

 これだ。引っかかるところは、シンシアさんが俺から手を引くように神宮寺家に伝えているかどうか。斎藤さんは梓の専属警護人とはいえ、元々は神宮寺家に仕える人だ。シンシアさんが梓の父親に話しを通していたとしたら、自然に斎藤さんにも伝わっているはずだ。シンシアさんも意味もなく俺に手を出さないように言うのはおかしいから、俺が恋人になったことくらいは話していると思う。

「ええ。毎日のようにいらしておりますが」

 毎日だって? 何だ、何がしたいんだあの人は。学校には来ないで梓の家には行っているなんて。

 そういえば、裕也がシンシアさんは神宮寺家との確執で来日したかもって言っていたな。

「取引先とのお付き合いも大変でしょうね」

「いえ、シンシア様はお嬢様に会いにいらしているだけで、今回は取引上の話しはございません」

「えっ、そうなんですか? じゃあ、シンシアさんからは何も?」

「……やはり、お嬢様の様子とシンシア様は関係あるようですね」

 し、しまった。入り込み過ぎたか。

「あの、俺用事があるんで失礼します!」

 斎藤さんが睨みを効かせているように感じて、俺は人混みに紛れてその場から退散した。

 さすがに斎藤さんも街中で追ってくることはしないようだ。そもそも梓のお世話役でもあるんだし、いつまでも外で油を売っているわけにもいかないだろう。外にいたことが幸いしたな。あのままだったら根掘り葉掘り聞き出されそうだった。力づくで。

 斎藤さんの様子だと、核心は持てないけれど、シンシアさんは俺のことに関して何も言っていない。

 表向きは、おそらく梓に会いに行っているだけだろう。

 そうなると、シンシアさんは俺に嘘を吐いているのか?

 嘘……いや、シンシアさんは俺が斎藤さんたちから何もなかったのか聞いてきただけで、話しをつけたなんて一言も言っていない。

 わからない。最初から話すつもりがなかったのか何もなかったから必要ないと感じただけなのか。

 どちらにしろ、シンシアさんに会ったらその辺りをはっきり聞いておきたい。

 会えれば、だけどな。

 恋人に会うより、好きな奴を奪われた方に頻繁に会いに行くなんてどういうことだよ。

 もしかして、シンシアさんは梓から聞いていた通りの人で、梓をいじめていじめていじめ抜いて面白がっているのか? でも、シンシアさんは梓は元気だったって言ってたし。もしかしてそれもデタラメ? ああー、わっけわかんねー。

 こんなんじゃ裕也に頼まれている噂を聞き出すどころか…………って、噂?

 ……まさか、ああ、いやまさか、シンシアさんの狙いって……。でも、いくらなんでもこの状況から梓を……? 

 いや、裕也の情報によるとアネソングループにおいてシンシアさんの主な役割は交渉役だ。つまり交渉が得意ってことだ。それは、言い包めることも得意ってことだろ。

 噂と、嘘(仮)と、行動と、全てを繋ぎ合わせれば、なんとなくシンシアさんのやりたいことが見えて来る。決めつけることはできないけれど、俺が考えている通りなら、シンシアさんは相当の役者さんだ。そして俺はまんまと騙されていることになる。

 考えたくはないけど、どうしてもそう思ってしまうんだよな。どれだけ自分自身を過剰評価したとしても、あんな美女に愛の告白を受けるなんてどうかしてる。

 だとしても、たとえ全てがそうだったとしても、一概にシンシアさんを悪者にはできないよなぁ。

 取り返しのつかないことをやらかしてしまったのは俺なんだから。

 てくてく、そんなことを考えながら、家に帰っていた。

 ひたひた、後ろを誰かがついて来ている。

 途中、住宅街に入ったところ辺りから一定の距離を保ったまま、俺が立ち止まると立ち止まり、近付こうとも離れようともせず。かと言って、進む方向が一緒なのだから仕方がない。

 電信柱に隠れようとも、その特徴ある楽器ケースが隠れきれていない。吹奏楽コンクールは夏休みの間だったかな。倉敷さんのお供であり、俺の幼馴染で、ただいま俺をシカト中の千佳。

 学校にいる時のように無視すればいいのに、休みの間に鉢合わせになるのが気まずいのか、こそこそと俺の後ろから歩いてきていた。まぁ俺も気まずいわけだけど。帰り道に視界の端に千佳の姿を捉えた時には少し憂鬱になった。

 どうにかしないといけないことの一つである千佳ちゃんの問題。運良くか運悪くかちょうど部活の帰りにぶつかったみたいだ。

 シンシアさんがどういう目的であったにしろ、シンシアさんを選んだのは俺なのだ。

 結果、梓とも千佳とも倉敷さんとも疎遠になり、寂しい学校生活を満喫するハメに陥った。

 幼馴染、ご近所馴染み、腐れ縁。縁なんて切れる時には簡単に切れてしまうものだ。だけどだからこそ、馴染みの友達の縁は大事にしたいものだよな。

 俺がいらぬことを言ってしまったおかげで、千佳は怒ってしまったわけで。なんとか謝りたいと思っているのも本音なわけで。

 それにしても、成績優秀、容姿端麗、運動神経抜群の才色兼備な幼馴染が、頭隠して尻隠さずみたいな間抜けな姿をさらしているのが少しおかしかったりするのだ。

 だから曲がり角を曲がったところで待ち伏せてやった。驚かしてやろうと、内心わくわくしながら、千佳が曲がって来るのを待った。少しの恐れも交えて。

 だんだんと千佳の影が伸びて来る。ゆっくり、恐る恐る、こちらを覗うように、少しずつ進んで来る。こっちは家の影だ。こちらの位置は確認できまい。

 そして目前まで来たところで、こちらから飛び出した。

「ひょっ!?」

 作戦成功、ドッキリ成功。千佳は顔をこんな(゜▵゜)にして可愛い悲鳴を上げた。

「よう。バレバレだったぞ」

 言うと、千佳は涙目でみるみるうちに顔を真っ赤にさせる。

「……~~~~バカッ!! しっ、ししししし信じらんない! 変態! バカバカ死ねバカ変態バカ!」

 すごい勢いで罵倒を浴びせられた。

「わ、悪い悪い。そんなに怒るなよ」

「うっさい!」

 バッグを投げつけられた。受け止めると、じゃらじゃらと中身がミックスされる音が聞こえた。

「わっ、危ないだろ」

「うっさい!」

 今度は楽器ケースを投げつけようとする。

「それはやめとけ!」

「んっ。む~~~~……っ!」

 振りかぶったところで踏みとどまってくれた。俺よりも楽器を心配してやめたらしい。

「ほんとお前は、すぐ手が出るな」

「…………バッグ返して」

 学校バージョンが甦った。すっげえ冷たい目だ。思わず怯む。

「い、いや、あのな?」

「……早く返して」

 無条件降伏。白旗です。

「わ、わかった。でもその前に、すまんかった!」

 バッグを差し出すと同時に、頭を下げた。

「え?」

「この前は悪かった。俺もカッとなっちまって。うざいとか何とか言っちまって。言い過ぎた。本当に悪かった。許してくれ、頼む!」

 千佳に対して初めてかもしれない全力での謝罪だった。幼馴染ゆえの、恥ずかしさがあった。頭を下げたのは、知らずのうちの照れ隠しもあったのかもしれない。

「ち、ちょっと、そんなのやめてよ」

 言われて顔を上げると、千佳は困った顔でそっぽを向いていた。

「あ、あのな千佳……」

「いい! いいからやめてそんなの。わ、私も言い過ぎたとは思ってたけど、私の方から謝るのは癪っていうか照れ臭いっていうか、とにかく顔を合わせづらかったから……」

 困った顔に、恥ずかしさが混じっていた。

「よ、よかった。嫌われたわけじゃなかったんだな」

「嫌いになるなんてそんな……。う、ううん、嫌い、真なんて嫌い! 顔見てるだけでむかむかする!」

 ええっ!?

「そ、そんな待てよ! じゃ、じゃあ殴れ! 殴ってスッキリしてくれ!」

「私はそんな暴力女じゃなーい!」

 蹴られた。蹴りは暴力には含まれないようだ。

「ど、どうすりゃいいんだよじゃあ」

「う~~~~……。じゃ、じゃあ、目、目つぶって」

「そ、それってお前やっぱり殴るつもりなんじゃ」

「いいから目閉じなさい!」

 すごい剣幕で迫られたので恐怖で目を閉じた。

 少し考えてみて思い起こせば、こういうのは前に何かで読んだ記憶がある。大概の場合、彼女の方からキスしてくるのだ。

 いろんな意味でドキドキしていた。殴られるのか。まさか! 千佳がキスしてきたりするのか。しかしいくらなんでも千佳の奴がキス、なんてそんなことはしでかさないだろう。したとしても、ほっぺにちゅっで仲直りのしるしだよ、みたいな。ま、まぁ千佳も負けず嫌いっていうところが梓と似たところではあるからな、シンシアさんのキスに負けないように、って何を考えてるんだ俺は。どうして千佳がシンシアさんと勝ち負けの勝負を――

「ばふっ!?」

 そんな甘いことを思っていたら普通にビンタを喰らった。耳の奥でキーンと耳鳴りが鳴っている。相当本気でぶちやがったよこいつ!

「いっっっっっってぇよお前!」

「な、何よ。殴れって言ったじゃない。言っとくけど、パーだから」

「グーじゃないから殴ってないとでも?」

「……えへっ」

 可愛くねえよ。

「あっ」

 不意に、千佳が優しく俺の頬を触ってきた。

「唇、切れてる」

 そして親指で俺の唇を拭う。千佳の親指の先に微かに血がついた。

「唇切れるってお前どれだけ本気で叩いたんだよ」

「おかげでスッキリ」

 言いながら、指についた血をぺろっと舐めた。

「おまっ……!」

「これで私の勝ち」

 千佳はにんまり笑って、どや顔を見せる。

「は?」

「シンシアさんは唇にキスでしょ? 梓ちゃんはおでこにキスでしょ? 私は真の血」

「血って、生々しいぞ。それに勝ったとか」

「幼馴染はそんなとこにこだわるのですっ」

 そして千佳は俺からバッグを奪い取り、逃げるようにすたたたと走って行った。

 なんだかんだで、あいつもけっこう変な奴。幼馴染ゆえの負けず嫌いってところなのか。

 でも、これで千佳のことは心配する必要はないのかもな。

 明日から普通に話してくれるといいけれど。



 翌日、月曜日。

 シンシアさんが学校にやってきた。梓はあれから一度も顔を見せていない。

 そこらじゅうの羨望の眼差しをくぐり抜け、俺の後ろ、自分の席に座るシンシアさん。シンシアさんが自分の席に座るのは二日目以来ではなかろうか。

 俺の体も自然と後ろを向く形になる。

「お久しぶりですわね。マコト」

 久しぶりに耳に入る透き通るソプラノ。美しいブロンドをなびかせる美女。太陽が彼女だけを照らしているかのように思える。輝かしい女神スマイル。しかしながら女神スマイルなんて言うと陳腐に見えてしまうくらい、俺のシンシアさんに対する目は変わっていた。だけどそれでも、やはり目を奪われてしまうほどの、現実味のない美貌がそこにあった。

 いろいろと聞きたいことはある。いきなり本題に入るのは警戒心を仰ぐことになりかねないので、触りの方から話していこう。

「久しぶりだね。仕事、忙しかったの?」

「ええ、それなりに。今日はスッキリした顔をなさってますのね。会う度に人が違うみたい。面白い人ですわ、マコト」

「言う程会ってないけどね」

 少し皮肉を込めて言ってみた。

「あらあら、困りましたわ。マコトに嫌われてしまったのかしら」

 言葉とは裏腹に、余裕の表情は崩れていなかった。

「そんなことはないよ。これ見てたから」

 一枚の写真を取り出す。裕也に用意してもらったもので、今朝受け取った。

「まぁ、懐かしいですわね。恥ずかしいですわ、マコト」

 シンシアさんの水着写真。コピーだけど。

「あまり表に出ることは苦手なのですけれど、どうしてもと頼まれましたの」

「モデルでも活躍できそうなのに」

「苦手ですのよ。本当に、そういうのは」

 初めて見せる、女神の苦笑。何故かこの苦笑いだけはシンシアさんの本心が表れているものだと思えた。

「それはそうと、よく手に入りましたわね。そんな写真」

「友達が持っていたんだよ。綺麗な人を見るとその人のことを何でも知りたがる奴がいてさ。わざわざアメリカの方のネットで見つけてきたらしいよ」

「ああ、なるほどそういうことでしたの。困りましたわ。わたくしは女優でもアイドルでもありませんのに、執拗なファンの方も多くいますのよ。正直に言うと、少し迷惑してますの」

「やっぱり、ファンだからって良いことばっかり言うとは限らないよね」

「ええ。わたくしとしても、会社としても、あまり好ましいことではありませんもの。それだけ注目を集めているとも言えますけれど」

「大変だね。有名人も」

「もう、そんなものではありませんの。母が経営している会社とはいえ、わたくしはただの社員ですから。ああもう、本当にあのモデルの件は失敗でしたわ」

 シンシアさんは愚痴でもこぼすかのように、小さな溜息混じりで話していた。俺より一つと言わず大人に見えるシンシアさんが少しだけ可愛く見えたことは仕方がない。だけど、俺は気を締めていかなければならない。これだけ話してくれているのだから、本題に入ってもいいかもしれない。

「友達にさぁ、羨ましがられたよ。俺がシンシアさんの最初の恋人だって」

「えっ? ええ、わたくしとしてもマコトと出会えてよかったですわ」

 ほんの僅かながら、シンシアさんは首を傾げた。

「ああ、ごめんね。友達が本当にいろいろと調べてたみたいで。こんな美人は見た事なかったってさ。さぞいろんな色恋話しが沸いて出るかと思ってたらしいんだけど、そんな話しは一切なかったって」

「……ふぅ。まったく、困った友人をもっていますのね、マコト。あまり褒められた趣味ではありませんわ。わたくしはここに、現実に近くにいるのですから。ひとつ、窘めておいてくださるかしら」

「もっともだね。俺が聞いてもいないことだってどんどん話してきてさ。今回も梓の家との仕事で来日してたんだよね。毎日、梓の家に行ってるみたいだし」

 ここで消えた。シンシアさんの笑みが一瞬だけ消えた。

 だけどすぐに、にっこりと笑顔を作りだす。

「……もしかすると、マコトは何か誤解をしているのかもしれませんわね」

「誤解? 誤解って、あのことかな?」

 シンシアさんが何を誤解なんて言っているのかわからない。俺は、自分の都合の良いように話していくだけだ。

「あのこと?」

「シンシアさんのことでネットで話題になってる噂があるらしいんだ。たいしたことじゃないんだけど」

「そういうのは少なからずもありますものね。どれもくだらない内容ばかりですわ」

「そうだよね。くだらないよ。まさかシンシアさんが男が大嫌いで女が好きな同性愛者だなんてさ。ちゃんと男の俺が恋人なのに、ありえないよね?」

 これが、裕也から確かめて欲しいと言われたシンシアさんの噂だった。

 裕也の話しでは、サイト上に熱烈なファンが何人かいるらしい。普通なら変態的なストーカーとか、パパラッチとか、そっち側の人間だろうけど、シンシアさんの熱烈なファンは全てが女性だった。書き込みの内容が『もう一度愛して欲しい』とか『愛してる。あの夜が忘れられない』とか生々しいものがほとんどらしい。中には具体的な時間と場所も書かれてあったりする。

 大したことじゃないのかもしれない。裕也が面白がって、俺が面白くなかったのはこういう理由だ。その噂が本当なら、俺を恋人にしたことの意味がわからない。男が嫌いならキスしたり、抱き締めたりすることだってできないはずだ。だから俺はまったくその噂は信じられなかった。

 ただやはりシンシアさんにも謎が多かった。最初から俺を知っていたこと。勘で俺を選んだという曖昧さ。恋人にしては粗末な俺の扱い。斎藤さんが何も聞かされていなかったこと。毎日梓に会いに行っていること。

 シンシアさんの噂が本当で、最初っから梓が目的だったとすれば、なんとなく辻褄が合ってしまうのだ。

 ただひとつ、どうしてこんな回りくどい方法を取っているのかだけが疑問に残る。

 シンシアさんは目を細めて、ほくそ笑んだ。

「誤解ですわ。ありえませんわよ。マコトは男でしょう?」

 当然ながら、はぐらかされる。

 続けて、俺は尋ねた。

「俺に手を出さないようにって、伝えてないんだよね?」

「忙しかったのですわ」

「毎日梓に会いに行ってるのに? もしかしてだけど、シンシアさんの目的って、梓?」

 それを言って、シンシアさんは黙って目を閉じた。そして小さく笑って、溜息をつく。少しの沈黙のあと、ふっと肩の力を抜いた。

「迂闊でしたわ。あなたがサイトウと個人的に繋がりがあるとは思いませんでしたのに」

「そういうわけじゃないんだけどね」

「今日ここに来たのは、あなたがサイトウと接触したと報告を受けたから。あなたの友人の動きにも気を配るべきでしたわ」

「えーと、それは認めるってことでいいのかな」

 シンシアさんは薄い笑みを崩さずに「ええ」と一言呟いた。あっさり認めたところが幾ばくか不気味だった。企てがバレたというのに余裕の表情は崩さない。

 仮説が正しかったというわけだ。残念でもあり、少し胸のつかえが取れた気もした。

「わたくし、男が大嫌いですの。もちろん、あなたも例外ではありませんわ」

 そのまま、口調も変えずにシンシアさんは言った。

「はっきり言うね」

 俺もどこか吹っ切れていた。

「臭くて、汚らわしくて、野蛮で、いやらしくて、女を物を売る道具としてしか見ていませんわ」

「いや、道具としてってそれは……」

「実際、そうですのよ。わたくしの周りは全てそう。わたくしがモデルを嫌っている理由もそこですわ。女性だけならまだしも、必ず男性の目にもわたくしの姿が目にとまる。下手をすれば全世界の男性の前にわたくしの姿がさらされることになってしまいますわ。あのときのカメラマンの卑しい顔は思い出しただけでも寒気がしますわ。もちろん、即刻クビにして差し上げましたけど」

 これは結構筋金入りだな。ここまでとは思わなかった。それに俺には想像できない世界だからな。どっちの意味でも。

「女性はわたくしを崇め、称え、そして美しい生き物ですわ。常に自分の美を意識し、己を高める、崇高な生き物ですのよ」

 自分に対する絶対の自信がないと出ない台詞だな。この人にはそんなことが言える資格、権利があるのかもしれないけれど。それに、この感覚。もしかしてシンシアさんって……。

「その美しい生き物がわたくしを前に跪く。これほど素敵なことは他にありえませんわ」

 頬を赤らめて、恍惚の表情を披露する。

 こいつはサディストだ。

 お嬢様じゃなくて女王様だった。

「あ、梓は美しいとは違う感じだと思うけど……」

「アズサは特別ですのよ。幼いころから良く一緒に過ごしていましたわ。わたくしが、アズサをひれ伏せさせて」

 梓のトラウマの原因か。

「そんなの、ただ従えって言えばいいだけじゃないの? 梓も自分の立場はわかっているだろうに」

「あなたにはわかりませんわ。アズサは特別ですのよ。わたくしはあの子の心が欲しい。うわべだけの忠誠は必要ありませんの。あの子の身も心もわたくしのものにしたいのです。アズサを愛し、そしてわたくしを愛して欲しい」

「ならどうして梓を傷つけるような真似を」

「あら、傷つけたのはあなたですのよ?」

 俺を嘲笑うかのように言った。

「たしかに、そうかもしれないけど、それはシンシアさんから恋人になってくれって言われたから。だから、根本的な原因はそっちじゃないか」

「責任転嫁ですのね」

 どうしてこの人はここまで他人事のように言えるんだ。

「あなたはそう思っているのでしょうけど、アズサは今、あなたがわたくしに告白したように思っていますわ。そのためにアズサにお別れを告げたのだと」

「はぁっ!? 俺はちゃんと梓に言った!」

 声を荒げ立ち上がり、教室内の視線を一気に集める。みんなは静まりかえり、俺が視線を向けると、一斉に目を逸らされた。気まずさの中、静かに席についた。

「落ち着きがありませんわね」

「うっ……。そ、そんなことあるわけない。だって、あの時、あいつ泣いてたんだ。俺だって……。本気で泣いてたのに、忘れるわけない」

「あなたが一番わかっているんじゃありませんの? どちらからなんて関係ない。あなたがわたくしを選んだことは事実でしょう。それがあの子を深く傷つけたのですわ。立ち直れないくらいに」

「…………」

 わかってる。そんなことはわかってる。

 だけど、悔しいじゃないか。

 シンシアさんはくすくすと、本当に愉快そうに唇を歪ませた。

「あなたが一番の障害でしたわ。取引にも言えることですの。狙いをしとめるには、外堀から埋めて行く。本社を落とすには、その傘下から。深く傷ついたアズサをわたくしが慰め、包み込み、ここ数日で、アズサの心はわたくしのものになりつつありますの。今のアズサは、わたくしの言葉を全て信じていますわ。あと少し、あと少しですのよ。あと少しであの子の全てがわたくしのものになる。正直、これほどあっさりあなたが気付いてしまうとは思っていませんでしたわ。もはやあなたは、邪魔者以外の何物でもない。もう少しは役に立ってもらう予定でしたのに、残念ですわ」

「ははっ、用済みってわけですか」

「ええ。本当なら、あなたのことはサイトウらに任せたかったのですけれど。主人の傷心に気がつかないような護衛は役立たずですわね」

「違う。それは梓が気遣って……」

「主人に気を遣わせたこと自体が、もはやボディーガード失格ですわ」

「違うんだよ。梓は多分、俺に……」

「……気に入りませんわね。あなたはもうアズサにとって何の価値もない男なのですわ。あの子の中にあなたはもういない」

「梓は斎藤さんに俺とのいきさつは話さなかった。それが――」

「お黙りなさい」

 空気が凍った気がした。

 初めて露わにする、シンシアさんの怒りの表情。冷徹な声に、普段のシンシアさんからはまるで想像できない顔で、狂気を孕ませて眉間を歪めていた。

「もう結構ですわ。あなたはやはり邪魔。邪魔、邪魔、邪魔よ。ほんの僅かでもわたくしの自信を揺るがすものは排除しなければなりませんわね」

「排除って、物騒だな。いまさら俺が何かするとでも?」

「あなたがアズサに何を言おうと、アズサはあなたの言葉は何も信じませんわ。それでも、あなたの存在は唯一の不安。不安は徹底的に取り除きますのよ」

 そして、シンシアさんはおもむろに、右手を掲げた。

 俺が気付いたのが先だったのか、教室がざわついたのが先だったのか、いつの間にかそいつはすぐそばにいた。

 金髪の短髪。ブルーの瞳。質の良さそうなスーツを身に纏った男が立っていた。見た目はまだ若い。体格は斎藤さんほどではないにしろ、やはり日本人と比べれば一回り大きい。

 完全に、油断していた。

「どこから……」

「わたくしがボディーガードのひとりもつけずに大衆の前に出ると思っていましたの?」

 今まで散々常識外れのお嬢様の相手をしてきたとはいえ、これほど敵意むき出しの上流階級を相手にするのは初めてだ。神宮寺家でも簡単に人ひとりくらい消すことができるかもしれないのに、今目の前にいるのはその神宮寺家でも頭が上がらないとんでもない相手だ。クラス全員の目があるっていうのに、まるで気にする様子なんてない。

「ご安心なさい。あなたには消えてもらうだけですわ。誰も探し出すことのできない、辺境の地へ。そうですわね……あなた、寒いのは苦手かしら?」

「そ、そりゃあもう」

「ふふ……。美しいオーロラを眺めて、故郷を懐かしむことね。ヘンリー」

「イエッサー」

 シンシアさんのボディーガードが俺に手を伸ばしてくる。

 オーロラなんて冗談じゃない。凍え死ぬのも暑さにやられて死ぬのも勘弁だ。

 俺は何を考える前に逃げ出そうと席を立った。

 立っただけだった。

 その瞬間に腕を取られ、がっちり間接を決められる。

「いっだ!」

「ヘンリーは元軍人ですのよ。五体満足で絶景を拝みたいのならおとなしくすることですわ」

 だ、だから冗談じゃないっての!

 何でこんなことになってんだよ。ただ確かめたかっただけなのに。少しだけシンシアさんの鼻を明かしたかっただけなのに。

 このままじゃマジでやばい。マジで殺される。

 ただ、抵抗しようにも、少し動いただけで腕に激痛が走る。

 クラスメイトは距離を置き、騒ぎ立てるだけで、助けようとする奴はいない。そりゃあそうだろう。みんなは、俺だって、一般人なんだから。怖い。

 一般人じゃない奴なら……。

「呼ばれて飛び出て梓ちゃーん!!」

 いた。

 このクラスにはお嬢様がもう一人いるんだ。

 誰も呼んじゃいないんだけどな。

「アズサ!?」

 シンシアさんは驚愕の表情で立ち上がり叫んだ。

 追って、俺は教室の入り口を見やる。

 いろんなことを思って、なんだか泣きそうになった。

「先輩の味方! ここに参上! 正義の味方じゃないですよ~。先輩の味方です!」

 二カッとブイサインを作る、神宮寺梓。

 全然、空気読んじゃいないなぁ、相変わらず。それがなんとも頼もしい。

 校内唯一の茶髪ツインテール。また拝むことができるなんてな。

「アズサ……! どうして……!」

「梓は、何があっても先輩が大好きなんです!」

 なぜか周りから感嘆の声と拍手が起こった。

「こ、この……! ヘンリー! ハリーアップ!」

「斎藤さん!」

 いまだピースのままの梓の後ろから黒い影が飛び出した。そのままこちらへ飛んで来て、がっしりとヘンリーを押さえ込む。そして俺は床に転がる。

「先輩!」

 梓が駆け寄ってきた。俺のそばにしゃがみこみ、ふわりとツインテールが踊る。

「お前……」

「話しはあとです。まずは逃げましょう。愛の逃避行です」

「いやでも、このままだとお前は……」

「一緒に来ないと、みんなの前で先輩の顔に梓のパンツを押しつけますよ?」

「よし行こう」

「それでこそ先輩です」

 手を引かれ、立ち上がる。

「ま、待ちなさい!」

 シンシアさんの方を振り向くことなく、小柄なお嬢様の背中を追った。

 梓の背中を追いかけるのも、初めてだった。

 こんな状況なのに、それが少し可笑しかった。

「あ、先輩」

「ん?」

「ノーブラなんでブラ線は透けて見えませんよ」

「見てねえよ」

 これから、どうなることやら。




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