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不安だらけ

 学校に行く気なんてまるで起こらなかった。

 全然眠れなくて、一晩中ぼーっとしていた。

 気がつけばいつも起きる時間になっていて、ふらふらする頭を揺らしながら部屋を出る。あゆみは相変わらずの朝練で早々に家を飛び出して、俺は母さんにひどい顔だと指摘されつつ顔を洗いに洗面所へ立った。

「ほんとに、ひどい顔だな」

 鏡の前の自分にひとりごちる。ただ一晩寝なかっただけのクマじゃない。我ながら違う自分を見ているようだった。顔を洗おうと下を向くだけで頭がふらつく。何とか歯を磨いて顔を洗って、制服に着替えた。鞄を取りに部屋に戻ると、昨日の梓を思い出して憂鬱になった。

 あいつは学校に出て来るのだろうか。多分、出て来ない。それくらいはわかってる。きっとまた、部屋に閉じこもって、泣いてるんだ。

 シンシアさんが梓の父親に言ったのだろうか。斎藤さんでも押し掛けてくるものと思っていれば、不気味なほど静かに一日は過ぎた。最低でも、殴られるくらいは覚悟していたんだけれど。あれだけ梓を泣かせてしまったんだから、斎藤さんみたいな人が何人来てもおかしくはない。だけど、これがシンシアさんの力なんだろう。

 そう思えば、やっぱりシンシアさんが俺のことを好きと言ったのは本当なんだろうか。

 出会ってからこれまでがあっという間の出来事で、まるで夢のようだ。正直、あんな美人が恋人なんて嬉しいし、梓が隣にいた時のような心配事もない。これが、全て丸く収まる方法だったんだよな。梓もいい人を見つけて幸せになって欲しい。そんなことを思うなんてほんと勝手だよな。

「ははっ、なんか、想像できないな」

 梓の隣を歩く人物像が、全然頭に浮かんで来ない。あんな梓についていける奴なんて、そういないからな。

 中身を全く確認しないまま鞄を持つ。どうせこのぼーっとした頭じゃ授業なんて頭に入ってこない。足取りは重く、玄関を開けると眩しい太陽の光が目に痛い。それに伴う暑さで、目が眩む。それでも足を動かして、頭を揺らしながら学校に向かった。

 学校に着いて教室に入ると、梓もシンシアさんもいなかった。クラスメイトは教室に入ってきた俺に奇異の視線を向ける。一人だからかクマがひどいからか。まぁ、一人だからだろうな。椅子に座ると、そのまま机に突っ伏した。このまま寝てしまいそうなほどに瞼が重い。俺のことを話している声も聞こえたけど、頭を上げる気力もない。

 そして、そのまま一時限目の授業が始まった。梓もシンシアさんも姿を見せなかった。もはやそれについて考えることもおっくうで、先生の声を子守唄に、寝た。



 目が覚めたのは、三時限目が終わった時だった。肩を揺さぶられて起きて、目に飛び込んできたのは、自慢の彼女の顔。俺が気付くと少し驚いたように青い目を丸くして、すぐに目を細めて優しそうに微笑む。

「どうしましたの、マコト。昨日とは別人のようですわよ?」

「あ、ああ、おはよう」

 顔を上げて前の席を見てみると、やっぱり梓は来ていない。ひとつ溜息を吐いて、シンシアさんの顔を眺めた。

「今日は遅かったね」

「ええ。アズサの家に行ってましたの」

 今度は俺が目を丸くする番だった。この人、やっぱりとんでもない。結果的にはシンシアさんが梓から俺を取ったかたちになっているのに、こんななんてことない顔で梓に会いに行って来たって言うのか。

「梓は……どうしてたの?」

「意外に元気でしたわ。もっと落ち込んでいるものと思っていましたのに。もしかしたらマコトはそれほど愛されていなかったのかもしれませんわね」

「そんなこと……!」

 ないなんて、俺には言えないな。

「そうそう、アズサからの伝言ですわ。『今までありがとうございました。どうかお幸せに』、と」

「あっ……」

 ……なんだ、これ。

 俺、今すごくショックを受けてる。俺がフラレたわけじゃないのに。

 うなだれる俺の頬に、シンシアさんの白くて細い指が伸びてきた。

「アズサのことが好きでしたの?」

 女神の微笑は崩さず、優しく言う。

「そうじゃない、けど……」

 好きだなんて、そんな……。

「なら、毅然となさって。あなたはわたくしの恋人ですのよ? これからはわたくしがあなたを愛してさしあげますわ」

 頬を撫でられる。思わず甘えたくなるのをぐっと堪えた。

「ですけど、それではあなたの顔が台無しですわ。お休みしましょう」

 俺が何を言う間もなく、手を引かれ席を立たされた。「心配なさらなくても、保健室ですわ」と俺の手を引いて、教室を出て行く。なすがまま。この強引さだけは梓と似ているのかもしれない。

 生徒たちからの今までとは違った注目を浴びながら保健室へと連行された。

 保健の先生は留守のためかおらず、シンシアさんに促されてベッドへ寝転がった。

「寝不足のようですわね」

 ベッドの横に椅子を持ってきて座り、俺の顔を覗きこむ。

「ああ、まぁ、すぐにでも寝てしまいそう」

 正直、目を開けているのも辛い。

「よろしいですわよ。あなたの寝顔を眺めるのも一興ですわ」

「じゃあ、お言葉に甘えようかな……」

 そのまま目を閉じた。梓とは違って寝込みを襲われることもなさそうだ。優しいんだな、シンシアさん。

「その前に、一つだけお尋ねしますわ。アズサの護衛の方からは何もありませんでしたの?」

 護衛って、斎藤さんたちのことか。俺の身を案じてくれているんだろうな。

「ああ、おかげさまで。シンシアさんがちゃんと言ってくれたおかげだよ」

「……そうですの。よかったですわ。それとわたくし、午後から用事がありますので、あなたが眠ってしまったら失礼させてもらいますわ」

「そっか。忙しいん……だね」

 そこまでが意識の限界だった。肌触りの悪いシーツも、今は心地良い。

「……愛していますわ」

 それが意識が途絶える前に聞いたシンシアさんの最後の声だった。



 一時間ほど経ったくらいで目が覚めた。時間は昼休み。

 寝てばかりだったから腹も減っていない。今日はこのまま保健室で寝ていようかと思った時に、突然の来訪者が現れた。ドアを乱暴に開け、俺の姿を見るなり勢い良く歩み寄ってくる。そのまま蹴飛ばされそうな雰囲気だった。

「……ひどい顔」

 眉をひそめ、ベッドの横に立ったまま俺を見下ろす、千佳。

「少し寝てたからマシになったと思うんだけどな」

「梓ちゃんは?」

「……今日は学校来てない」

「そんなこと聞いてんじゃないわよ。どうして学校来てないの。それに、なんだかシンシアさんと仲良さそうにしてるみたいじゃない」

「どうして?」

「もっと自分が周りの目を引いてることを自覚してみたら? みんなが噂してた。真がシンシアさんに乗り換えたって」

 はぁ、こりゃ怒ってらっしゃるな。いちいち刺々しい。昨日の今日でこれだからな、無理もないか。結果的には、梓も千佳も裏切ったような形になっているし。

「それで、梓ちゃんは?」

「……知らない」

「知らないって何よ。真、あんた本当にシンシアさんに乗り換えたとか言うんじゃないでしょうね」

 結果的にはそういうことになってしまうのか。言うのが怖い。

「……いや、まぁ、告白されて、付き合うことになったんだ、昨日。そのことも、梓に話した」

「はぁ!?」

 驚いているというか、呆れているというか、怒っているというか、千佳はいろんな感情が入り乱れた表情で声を上げた。明らかなのは祝福するつもりはないってことだけだ。

「ちょ、ちょっとそれ本気で言ってんの!?」

 今にも俺を殴り倒す勢いで身を乗り出して叫ぶ。

「本気っていうか、本当の話しだな」

「……信じらんないっ……! な、何考えてんのよ!」

「ど、怒鳴るなよ。シンシアさんが梓の父親を抑えてくれるって言ったんだ。シンシアさんは美人だし、梓とのしがらみもなくなって、いいことじゃないか? お前だって俺と梓が離れられるようにって思ってたんだろ?」

 俺がそう言うと、千佳はバツが悪そうに口ごもった。

「そ、それはそうだけど。でも、付き合うなんて、私はそんなこと……」

「悪いとは思うよ。昨日の今日でこんなになって」

「そ、そうだよ。大体真はシンシアさんのこと好きなの? 美人かもしれないけど、会ったばかりなのに」

 好き、か。好きかどうかと問われれば、俺は曖昧な返事しかできない。たしかに会ったばかりだし、シンシアさんのことはよく知らない。美人で、優しくて、ちょっと強引なところもあるけれど、あんな女神のような人から恋人になってと言われて断れる奴もそういないだろう。

「一緒にいると、ドキドキする」

 今の俺には精一杯の返事だった。

 俺とシンシアさんが対等の立場なんてことは思っていない。俺からすればシンシアさんは決して手の届かないモデルやアイドルのような存在だ。目の前にあの人がいたとしても、何の現実味もない。

「ど、ドキドキするって何よ。す、好きなら好きってはっきり言えばいいじゃない!」

 千佳はまた急に怒鳴る。顔を真っ赤にさせて、目じりには涙を溜め、泣き出しそうになりながらも怒鳴る。それほどまでに怒らせてしまったのだろうか。だけどどこか切羽詰まった様子だった。

 今度は俺が黙ってしまう番だった。好きなんて、はっきりと言えないのが本心だった。昨日も、決定的なひと言だったのは、シンシアさんが梓の父親を黙らせてくれるということだ。それがなかったら、きっと、今だって梓と一緒にいたんだと思う。

「黙ってないで、ちゃんと言ってよ」

 言えないもんは仕方がない。俺がシンシアさんに対して思っている感情は、きっと好きとは少し違うものだって自分でもわかってるし。

「言えないの? 好きじゃないの? 真は好きでもない相手と恋人になるような人でなしだったの? 女にだらしない、情けない、薄情な男」

 どうして千佳にこんなにも言われなくちゃならないんだ。この前だって、それ以外にも事あるごとにつっかかってきやがって。薄情だなんて、俺だって梓に言う時は辛かったんだ。何もわかってないくせに。

「関係ないだろお前には。俺が誰と付き合おうと。ほっとけよ。幼馴染だからって余計なお節介するな。うざいんだよ」

「…………っ!」

 だから俺は言ってしまった。千佳を睨みつけて。突き離すように、冷淡な声で。一瞬頭に血が上ってしまった勢いで。

 言って後悔した時には遅かった。千佳はますます顔を真っ赤にさせて、俺を気絶させたあの右拳を振り上げていた。

「おまっ! 殴るのは……!」

 自分の両手で顔を覆って、目を瞑ってその一撃に備える。

 だけどいつまでも殴られることはなく、怪訝に思い目を開けた。千佳は振り上げた拳はそのままで、泣いているのか怒っているのかわからない表情を浮かべて俺を睨んでいた。

 そして、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟いた。

「わ、私が一番長くずっと……一緒にいた……に……。いきなり……きた梓ちゃん……も、シンシアさんにも……。わ、私だって……ずっと……」

 俺は千佳の表情を見て気が動転し、千佳の呟きを聞きとることができなかった。

「ち、千佳?」

 名前を呼ぶと、今までで一番鋭い目つきで俺を睨みつける。

「バカッ! もう真なんて知らない! このままアメリカでもどこでも行っちゃえっ!」

「あっ! おい千佳!」

 叫んで、千佳は保健室を飛び出して行った。

 あいつ、最後泣いてた? どうしてあいつが泣くんだよ。千佳はただの幼馴染で、むしろ、俺が梓と離れられたことを喜んでくれる立場じゃないのか?

 一体何なんだよ、さっぱりわからねぇ。昨日と今日で身近な人を二人も泣かせてしまった。すごく嫌な気分だ。梓を泣かせて、親友の千佳まで泣かせて、そんなことまでして俺は何してるんだ。彼女ができたっていうのに、ちっとも嬉しくない。これまでの梓と、千佳との関係までぐちゃぐちゃにして、恋人ができるっていうのはこんなに複雑なものだったのかよ。

 呆然と千佳が走り去ったあとを見つめていると、隣のベッドのカーテンが開く音が聞こえた。

「やれやれ、女の子を泣かせることを特技にしちゃいけないよ、ジョン」

「うわぁっ!」

 倉敷さんだった。思わず飛び起きた。そういえば、俺が来たときには開いていたカーテンが起きたら閉まっていた。千佳が押し掛けてきたもんだから全然気に留める暇もなかったけれど。それで、そこに倉敷さんがいた。どうしようもないような溜息を吐いて、肩をすくめて薄く笑っている。なぜか体育着だ。

「い、いつからそこに!?」

「体育で転んでしまってさ、消毒でもしようかと来てみたら開けてびっくりジョンがいるじゃないか。あまりに気持ちよさそうに寝てるものだからちょっと横になりたくなってね。本当は添い寝でもしたかったんだけど、見つかるといろいろと面倒だから」

 面倒じゃ済まされないだろそりゃ。怪我したんなら手当だけして出て行けばいいのに。でも、これはさっきのを全部聞かれてたってことかな。

「えっと……」

「もちろんばっちり聞かせてもらっていたさ」

 ウインクで親指立てられても……。

「はは……そっか。あの、千佳のことだけど……」

「今回はちょっとばかり重症だろうね。私は気にかけておくけど、ジョンが悪いってわけじゃないさ。男と女の事情にはよくあることだろうしね」

 倉敷さんは深い溜息を吐いて言った。

「だけどね、ジョン」

 そして、今までで見たことないような真剣な眼差しを俺に向けた。

「な、なに?」

「さっきの話しを聞いちゃったのは悪いと思うけどさ、ちょっと失望しちゃったよ。私はあずあずとジョンの絆っていうのはもうちょっと深いものだと思っていたんだけどね」

 絆か……。俺と梓にそんなもんがあったのかな。梓は一方的に付きまとうストーカーでそれなりに迷惑していたし、斉藤さんに首を絞められたときにはほんとに死ぬかと思った。あんな思いはしたくないと思った。梓と離れられれば、そんな気苦労なんかなくなることはわかってた。梓を泣かせても、シンシアさんが言っていた通りにあれから何もないし。心穏やかな生活に戻れたんだ。

「俺はただ……梓に振り回されていただけだよ」

「やれやれだね。ちーちゃんと同じ質問になっちゃうけど、ジョンは金髪さんが好きなのかい?」

「だ、だからそれは……」

「はっきり言えないんだったら、私はジョンがしていることの意味がわからないね。あずあずと離れたいだけだったなら、とっくにケリはついていたはずじゃないのかい?」

 それは、あの時のことを言っているんだろうな。梓がひきこもって、みんなで連れ出しに行ったこと。あのときあのままなら、俺と梓の関係はとっくに終わっていたはずだった。だけど俺はそうしなかったんだ。

「その外人さんのことが好きなら、何も言うことはないんだけどね。それじゃあね、ジョン」

「あ、うん。それじゃあ……」

 長い黒髪を翻して、倉敷さんは保健室を出て行った。

 改めて見てみれば、体育の時にあの長い髪は邪魔になりそうだよな。体の線も細くて、あれで走ったり飛んだりできるのか疑問に思うほど華奢な体つきだった。

 なんて、目の前の問題から目を逸らすようなこと考えてる場合じゃないのかな。

 倉敷さんからも失望したとか言われちゃって、どうなってんのかな、まったく。

「はぁ~~~~……」

 深く深く、溜息を吐いた。

 静かだな。

 でも何か、あのときとは違う。

 もう、終わってしまった。

 梓はいない。俺には、彼女ができたんだ。

 意味がないわけじゃない。彼女ができたから、梓に別れを言ったんだ。

 友達との関係なら、いくらでも修正できるさ。千佳だって倉敷さんだって、少し時間が経てばきっとこれまで通りに付き合ってくれるはず。だよな。

 俺はそれから教室に戻り、いつも通りに授業を受けた。

 だけど、自分の教室だっていうのに、落ち着かない。

 みんなが俺のことを白い目で見ているような気がしたんだ。

 彼女ができて、一人ぼっちになったような気がした。



 放課後、俺は一人で帰っていた。

 シンシアさんは言っていた通りに用事があったようで、学校では姿を見かけることはなかった。シンシアさんも一方的だからな。連絡先も知らないし。

「へーえ、絶世の美女のお供にしては、背中が寂しいねぇ」

 不意に背中から声が聞こえて振り返ると、馬鹿がいた。

「裕也か。今帰り?」

 千佳と同じ俺の幼馴染で、変態的な俺の男友達の高橋裕也。知的メガネを輝かせつつ、その知性を女子を追い求める煩悩にしか発揮できない奴。こいつが持つマル秘ノートにはあらゆる女子のあらゆる情報がことこまかに書かれてある。そのおかげで一部の男子から神のように崇められている。

「まあね。優子さんにデートを断られた帰り」

「ははっ。相変わらずだな。倉敷さんを追っかけてると思ってたのに」

 優子さんっていうのはいつか図書館で会った近くの私立女子高の生徒。俺はあんまり覚えていない。

「本命は彼女さ、ジョンくん。ああー、僕もペットのように扱われたい」

「苦労するだけだぞ」

「わかってないな。それが悦びというものだよ」

 やっぱり変態だな。

「それにしても、日本のお嬢様に飽きたら今度はアメリカのお嬢様とは。随分とグローバルじゃないか」

「梓とは別に付き合ってるとかそういう関係じゃなかったんだよ」

「ふーん……」

 こいつには梓の父親のこととか詳しく話したことなかったからな、飽きたとかそういうふうに思われていても仕方ないのかもしれない。ま、もう終わったことだし。

 嫌味か何か言われるものと思って、俺は踵を返し歩き始めた。

「シンシア・アメルソン。アメリカに本部を置くアネソングループ会長、カトレア・アメルソンの一人娘。普段はグループ役員として主に交渉役として活躍しているが、今回突然の日本国内の高校に編入。あまり公に公表されておらず、目的は今のところ不明。一部では国内の主な取引先、神宮寺グループとの確執において交渉に来たと噂されている」

 俺は目を丸くさせて勢いよく振り返った。

「お前、そんな情報どこで……!」

 裕也はどうだと言わんばかりにほくそ笑んでいた。

「むっふふふ。僕の情報網を侮ることなかれ。あれほどの美女が編入してきたとあっちゃ、最大限に力を奮うのは当然のことさ。ちなみにスリーサイズは上から91、61、86。過去にアメリカファッション誌で水着のモデルをやってる。その水着はバカ売れしたそうだ。向こうでは隠れたファンが多数いるようだよ」

 最後のはいらぬ情報だったけど、

「すげえ、すげえな裕也! 尊敬するよ!」

「ふ、ふふ、照れるじゃないか親友。でも、ここは普通気を悪くするところだと思うんだけどな。真の彼女のことを調べたんだから」

「ああ、いや、まぁ、そうなのか、な」

「どうやら、きみの中ではシンシア嬢は彼女という扱いではないらしい」

 こいつ、こんなことはやけに鋭い。

「うーん、まだ戸惑っているというかなんというか」

「疑っているというか?」

 俺は裕也のメガネを上げる仕草に疑問符を浮かべた。疑ってる? まぁいまだに信じられないといった感じはあるけれど、シンシアさんは梓の父親に注意してくれたみたいだし。保健室でも心配してくれているようだったし、現実味がないけれど、疑っているというわけじゃない。そもそも何を疑えって言うんだ。

「疑問に思うんだ。何故、真ばかりがお嬢様にモテてしまうのかと! 何の変哲もない男に易々とシンデレラストーリーが演じられるわけないと思うのだよ!」

「何の変哲もない男で悪かったな。変態よりマシだ」

「おっとー、そういうこと言っていいのかな。とっておきの情報があるんだけどなぁ」

 裕也はふふん、と鼻を鳴らしながらメモ帳を取り出した。とっておきの情報とやらが書かれてあるのだろう。

 俺はひとつ小さな溜息を吐き、裕也に向き直った。

「情報って?」

「シンシア嬢について。あくまでも噂の話しだがね、アメリカのファンのネットの一部である噂が立っている。あくまでも噂だから信憑性には今一つ欠ける。教えてやってもいいが、条件があるんだ」

 条件? どうせシンシアさんから女の子を紹介してもらえって言うんだろ。

「先にその条件っていうのを教えてくれ」

「他でもない。その噂の真偽を本人に確かめて欲しいのだよ」

 裕也にしてはまともな条件を提示してきたな。だけど裕也のことだ。何かしらこいつの興味を惹くことがあるに違いない。

「どうせ変な情報だろ。シンシアさんの知り合いに美人がいるとか、アイドルと知り合いだとか」

「変な情報と言えば変な情報だな。でも、これはシンシア嬢本人に関する噂なのだよ。信じるかどうかは真次第だとしても、真にとっても無関係って話しじゃない」

 俺にも関係ある噂? どんな噂だよそりゃ。まさか、

「じ、実は結婚していたとかフィアンセがいるとか?」

「うんにゃ、あの人は独身だよ。婚約者もいない。有名人でパパラッチなんかも彼女を追いかけてはいるけど、恋人がいた事実は今まで全くないみたいなのだよ」

 なんだ、さっぱり見当がつかない。

「裕也、もったいぶらないで言えよ。本人に確認してみるから」

「絶対だな? 絶対だぞ? 誓うか?」

「お、おう」

 妙に気迫こもった目だ。裕也にとっては価値のある情報みたいだな。

「よ、よし、よし。結果はわかったらすぐに報告してくれたまえよ?」

「わかった、わかったから。ほら、言え」

「う、うむ。その噂っていうのは、実は、彼女は――」

 そうして、裕也はその噂とやらを口にした。

 裕也が実に楽しそうに話して、それを聞いた俺は、少なからずともショックを受けた。

 ただの噂で、全く信憑性のないものだっていうのはわかってはいるんだけど、信じられなかった。

「ん、んな話し、ほんっとただの根も葉もない噂に決まってんだろ!」

 そして、俺はそれを否定したくて思わず声を荒げて言った。

「ま、まあ気持ちはわかるよ、真。でも約束は約束だから、それとなく本人に確認してみてくれたまえ。聞きにくいなら、それとなく探りを入れてみてくれたまえ。きみもはっきりした方がいいだろ?」

 確かに、はっきりさせた方がいい噂だ。俺にとっても。

 だけどおそらくは、本人に直接問い質したところで本当のことを話してくれるとは思えない。さりげなく探って行く方法しかないんだろうな。

「あんまり期待するなよ?」

「大いに期待しているよ真くんっ」

 にっこり満面の笑みを浮かべた裕也を小突いて、俺たちは歩き出した。

 その噂が本当だったとしたら、俺って一体なんなんだろう。

 裕也にとってはただの興味で、大したことない噂なのかもしれないけれど、俺にとっては、一刻も早く真偽を確かめたい噂ではある。

 でも、その噂は多分間違いだ。そうじゃないと、シンシアさんの行動に説明がつかない。

 あのキスだって、恋人になったことだって。

 俺はその日、その噂のことが頭から離れなかった。

 どうやって聞き出そうか、そのことばかり考えていた。

 もっと大事なことは、他にあったはずなのに。

 

 

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