女神降臨
こちらは『お嬢様のフーガ~後輩で、同級生で、ストーカーで~』の続編になりますのでそちらからお読み下さい。
「……あっ…………はんっ……先輩…………」
白くて柔らかな胸に指を這わせると、彼女は艶めかしい吐息を漏らした。小さく横たわる裸体に息を飲み、そのまま首筋に優しく唇をなぞらせる。彼女は小さく震え、身を捩らせた。
彼女の秘部へ顔を近づけると、女の匂いが鼻腔の奥へ突き刺さる。誘うように濡れるソコへ指を忍び込ませると、彼女の体が大きく跳ねた。
「んっ……先輩っ…………あっ、あっ……んんっ……!」
興奮を抑えきれず、俺はついにその肢体を乱暴に…………って、
「やっぱこんなん読んでられっかぁーっ!」
そこで俺は手に持っていた一冊の文庫本を投げ捨てた。
「あー、いーけなーいんだー。先輩がどうしても梓とするのが無理だって言うから官能小説の朗読で勘弁してあげたのにー」
「お、おおお前が変な声出すからだろ! 俺ひとりで読むだけならまだしも妙に感情込めて相槌入れんじゃねえ!」
「うひひっ。もしかして先輩、梓の声に興奮しちゃったんですかぁ?」
「するか馬鹿!」
どうも、来栖真です。
今、俺の部屋で、俺の罰ゲーム中だった。その内容は、俺が官能小説を朗読すること。初めは「梓を抱いて下さい」なんて言われてたからこれでも頑張って諦めさせた方なんだ。
放課後、珍しく梓の方からゲーセンに行こうと誘いがあったので二人で遊びに行った。前々から思っていたことなのだが、梓の奴はどうやら勝負事が好きらしい。ゲーセンに入ってまず目に止まったのがリズムゲームのバージョンアップ版だった。運良くそれが空いていたためにさっそくやってみたんだけど、梓の奴がほんと下手で下手で。悔しかったからなのか半べそかきながら「しょ、勝負です」と言ってきた。「やる気が出るから梓が勝ったらご褒美を下さい」なんて、さらさら負ける気なんてなかった俺は承諾し、見事、負けた。俺は、騙されていた。
ほぼパーフェクトでゲームを終えた梓を呆然と見ていると、してやったりの顔で「この筺体、家にありますから」などとぬかしやがる。最初にボロボロだったのは俺を勝負に乗せる巧妙な罠だったのだ。俺はまんまと罠にはまったのだ。学習能力がなかったのだ。
それから家に帰って来て、いきなり服を脱ぎ出した梓を必死で止め、今に至っている。
神宮寺梓。国内では有数の金持ちで、美少女で、頭も良い、俺のストーカー。俺より一つ年下で、俺が通う県立西高校の後輩、なんだけどどういうわけか同じクラスの同級生。神宮寺財閥の権力を駆使して、無理矢理俺と同じクラスにやってきたのだ。
校内唯一の茶髪で、ツインテール。背丈は小柄で、表情筋を豊かに使う怪面百面相。超ポジティブ。あと変態。
俺の悩みは、常にこいつが付きまとうこと。俺と梓は恋人じゃない。今だってこんなことしてるのは、俺が梓の我が儘に付き合っているだけなのだ。金持ちで、可愛くて、俺のことが大好きな梓には、俺のことが大嫌いな怖い父親がいる。梓に手を出すと、俺は神宮寺の力を持ってしてこの世から抹消される。逆にこいつを振って泣かせても、この世から抹消される。
そんなわけで、梓に手を出さないように、泣かさないように、中途半端な関係を続けているのだ。
「でもでもぉ、先輩顔真っ赤ですよぉ。あんっ……はぁ……あっあっあっあっ…………どうです先輩。興奮してくるでしょう? ハァハァ……」
「お前が興奮してんじゃねえか。近付くな変態」
「きゃいーん」
ツインテールをパタパタ振って俺の腕にしがみつく。梓いわく、俺の左腕が定位置なんだそうだ。
甘える顔は、可愛いんだよな。
制服の衣替えも済み、本格的な夏の到来を目でも感じさせていた。
夏は暑い。左腕に人間がひとりくっついてるもんだからなおさら暑い。登校中は、梓は決して俺の腕を離さない。どれだけ暑くとも、汗をかこうとも。下手をすれば汗を舐めようとまでしてくるのでその度にデコピンをお見舞いする。
学校へ着いても梓は離れない。だけどそれを見て変に思う生徒も学校にはいない。梓は金持ちゆえの一般常識というものが少し足りておらず、多少奇抜な行動をしたりする。平気で早退したり教室の中にスタンドミラーを置いたり。そんな梓といつも一緒にいる俺は、梓と共に一種の学校名物になってしまっているのだ。
それは教室の中でも同じ。俺なら腕を組んで教室に入ってくるバカップルなんて見たらイライラして蹴り飛ばしてやりたくなるもんだけどな、今じゃ微笑ましい眼差しをクラス中から送られていたりする。最初は距離を置かれていた突拍子もないお嬢様も、いつの間にか微妙だけどクラスに受け入れられているのだ。
梓の席は窓際最後尾の特等席、俺はその前。席替えがあったんだけど、何故か俺と梓には席替えのくじが回ってこなかった。これもいつの間にかこの位置が俺と梓の定位置になっていた。
朝のHR前の時間はクラスメイトたちが雑談に興じ、やり忘れた宿題を必死にやったり、それなりに騒がしい時間だった。
でもその日は、いつにも増してざわついていた。いくら俺と梓が毎度のこととはいえ、教室の中に入れば何かしらの反応があるのだが、クラスメイトたちは俺と梓には見向きもせず雑談に夢中だった。
俺は自分の席に着き、同じく自分の席に着いた梓に尋ねる。
「なぁ。今日ってなんか行事あったっけ?」
「いえ。今日は平常授業だけのはずですけど」と首を傾げながら答える。
「だよな」
気にすることもないんだろうけど、クラスメイトたちがほぼ全員うきうきわくわくみたいな顔で話しているのでどうしても気になってしまう。もしかして俺と梓だけハブられたりしてないだろうかなんて心配もした。
梓もみんなの様子が気になったのか訝しげに眉を寄せる。
「みなさん、何か落ち着きがないですね。そんなに梓と先輩の結婚式が楽しみなんでしょうか?」
「そんなん誰も気にしねえよ。ありえないし」
「え? もう籍は入れてますよ?」
「はぁっ!?」
「冗談ですよ。まだ十八歳じゃないでしょう?」
おう、そんな基本的なことを忘れるとは。でもさすがに神宮寺とはいえ法律には従うようだ。
「まぁ、その気になればいくらでも誤魔化せますけど」
「お願いだから、同意のもとでな?」
やっぱり常識なんて通用しないんだね。
そんなどうでもいいことよりも、俺は近くで話すクラスメイトの話しに耳を傾けてみた。
「…………そう……外国人だって……」「どうして…………クラス……」「……美人………………編入生……」「……金髪だった…………すごくきれい……」
喧噪の中で聞き取れたのはそんな言葉だった。要訳してみると、外国人の編入生がいるらしい。それもおそらく女子。金髪の美女らしい。響きはいいよな。クラスの男子はもちろんのこと、女子まで何やら羨望の眼差しを輝かせていた。
「梓、編入生らしい」
「そうですか」
梓は全く興味がないようにそっけなく答える。まぁ普段から外国に行ってる梓だしな、外人なんて珍しくもないか。
俺もそこまで興味を惹かれるようなことでもなかった。どれだけ物珍しかろうと、俺は梓の相手をするので精一杯だからな。ましてや金髪美女に興味なんて示していたら梓の奴がどれだけうるさいかわかったもんじゃない。編入生とやらが二年に入って来なかったら拝む機会もそうないだろうしな。
さして梓との話題にもならないと思った俺は、梓と放課後の予定なんかを話していた。
そして朝のHR。
「えー、今日はみんなに編入生を紹介する」
噂の彼女はうちのクラスだった。
その時からだった。すでに俺は違和感を感じていた。既知感を感じたのだ。梓がこのクラスに昇級してきた時のことを思い出した。梓は神宮寺の権力を使い、一年から二年へ昇級、そして都合良く俺がいるクラスに来た。言わば梓はこのクラスには余分な一名なのだ。そんなクラスにまた編入生。他のクラスだってあるのに、どうしてこのクラスなんだ。時期だっておかしい。もう夏休みまで一カ月を切っているこの時期にわざわざ編入なんてしてくるのだろうか。
「なんと驚けー。金髪の外人さんだー。アメリカからだぞー。びっくりだなー」
担任の今泉先生もどこか投げやりだった。ふつふつと感じる。嫌な予感しかしなかった。俺に金髪の知り合いなんていない。その編入生とやらがこのクラスに来る原因として考えられるのは、梓だ。もし俺が睨んでいる通り梓が絡んでいるとすれば、ろくなことにならない、はずだ。
そして俺は机の前に置かれているスタンドミラーを覗く。俺の顔が見えるようにと梓が置いたものだ。それで当の梓は、先程の同じように興味なさそうに今泉先生の話しを聞いていた。ふーん、みたいな、本当にどうでもよさげな感じだった。その様子だと編入生のことは何も知らないようだった。梓の知り合いじゃないのだろうか。ならば俺の懸念も取り越し苦労で済みそうだ。
そんな考えが甘かった。
「では紹介する。入ってきたまえ」
一斉にクラスメイトがざわつく。みんながみんな期待に満ちた目で教室の入り口を凝視する。
教室のドアがゆっくりと開かれる。
そしてクラスメイトたちが、一気に静まりかえった。
そして俺は、思わず目を奪われてしまった。
一言で言うなら、美しい。美人とかそういうんじゃない、美しいだ。まるで人類が作りだした最高の芸術品が歩いているようにも見えた。歩く度に揺れるブロンドのストレートヘアー。生まれつきでないと決して手にすることのできない輝くブロンド。それは光を撒き散らしているようにも見えた。モデルでも羨んでしまいそうな完璧なプロポーション。学校指定の制服を着ているが、彼女が身につけていればそれはどこぞのデザイナーが手掛けたドレスにも見える。そして長いまつげ、透き通るようなサファイアブルーの瞳。真っ白い肌で、小さい顔の中に計算され尽くして配置されたような顔のパーツ。ここで初めて、人間は平等でないことを実感した。もはやこれはどれだけ金がうんぬんの問題じゃない、彼女は人類最後の至宝だった。
長々しくこんなことを思ってしまうほど、思わされてしまうほど、完璧な人間がそこにはいた。
唖然、呆然、愕然、クラスの何人かの女子は泣いていた。「ううう、神様、生きててごめんなさい」「あれが、女神なんだわ」「自分が恥ずかしい」「見ないで、みんな私を見ないで」自分の存在が愚かしく思えるほどの美女を目の前にして、女子はそう呟くしかなかったのだ。
金髪の彼女は教壇の前に立ち、天使の笑顔を見せた。
「こんにちは。日本のみなさん」
一言目は、流暢な日本語だった。ずっと日本で暮らしていたのではないかと思うほど、はっきりとした日本語だった。そしてその声は、聞くだけで救われるような、透き通った優しい声だった。携帯片手に録音に走る奴もいる。
教壇の方を見た事で、スタンドミラーに映る梓の姿が自然と視界に入った。その梓も、唖然として目の前の女神に見入っていた。
気持ちはわかるぞ梓。お前がどう足掻こうが越えられないものだってあるんだよな。だけどお前は悪くない。悪いのは不公平な神様なんだよ。
そして女神は、自らの御名を口にしようと、
「はじめまして。わたくしの名は――」
「シンシアちゃんっ!」
したら梓が突然立ち上がり叫んだ。
クラスメイトもハッと我に返り、梓に注目する。
「ハロー、アズサ。ご機嫌いかがかしら?」
「どっ、どどっ、どどどどうして!?」
梓は口をパクパクさせながらシンシアと呼んだ女神を指差していた。
シンシア……シンシア……どこかで聞いた名前だった。
そうだ、たしか、アメリカの……梓の、友達!
「アズサがここにいると聞いて、やってきましたの」
にこーっと、満面の天使スマイルを披露する。クラスメイトからは感嘆の吐息が漏れた。
「えっ、えっ、えっと、あの……」
梓は激しく動揺していた。友達が来たんだろ、よかったじゃないか。なんて、そういうことを言って笑顔が返ってくる雰囲気じゃなかった。梓の口元はひくついて、脂汗をかいているように見える。蛇に睨まれた蛙、そんな感じだ。
「はじめまして。シンシアですわ」
シンシアさんは今一度自己紹介して、優雅にお辞儀をして、カツカツと、こちらに向かって歩いてきた。笑顔を崩さず、余裕に満ちた表情だ。
そして、これも既知感がある光景だった。梓がこのクラスに来たときと同じ。梓はあの時、俺に一瞥もくれずに後ろにいた山下くんの席を買い取った。シンシアさんも俺に一瞥もくれずに後ろの梓に――
「あなたがマコト、ですわね?」
「ふぇ?」
シンシアさんは俺の横で立ち止まり、俺を見て、俺の名前を呼んだ。ドキリ、と心臓が跳ねる。見つめられて、何故か俺も青い瞳から目を逸らせなかった。
「あっ、そ、そう。この人が梓の婚約者の真せんぱ――」
金髪が揺れたとしか思わなかった。
一瞬で目の前が暗くなり、鼻に香水の香りが届いて、唇に、柔らかい感触だけがあった。
「なぁっ!?」
梓の悲鳴とも取れる叫び声が聞こえて、やっと何が起きたか理解できた。
女神の唇が、俺の唇に重なっていた。
目の前が明るくなり、青い瞳と目が合った時、彼女は「ふふふ」と楽しそうに笑っていた。
俺はそのまま呆然と、頭が真っ白なまま、教壇に戻るシンシアさんをただ見つめる。
「ミスターイマイズミ。用事は済みましたから今日は失礼いたしますわ。また明日。ごきげんよう」
クラス中の誰もが、呆然と、揺れる金髪を見送る。
俺も、梓も。
キス、された。
いきなり! 突然! なんだこれ! ヒャーハー! わけわかんねー!
俺のファーストキス(俺の中で)を突然現れた女神に奪われた。
初めての、感触が残っているキスだった。
「なぁんぁんなあああああなぁなぁなぁんぬあぁああああああああああんっ!!」
梓の叫び声もよく聞こえず、俺は自然に自分の唇を指でなぞっていた。
初めて、だったんだ。
そして、これも初めてだった。
「先輩のばかああああああああああああああああああああああ!」
梓に殴られた。