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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【500万PV感謝】  作者: 星渡リン
第3部 第6章 役は、家格では決まらない

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第83話 役は、家格では決まらない

 親善行事は、少しだけ歪んだ音を立てながら進んでいた。


 楽師の弓が、一拍だけ遅れる。進行役の声も、紙をめくるたびに硬くなる。扇を開く音は揃わず、椅子の脚が床を擦る音だけが、やけに耳に残った。


 けれど、進行は止まっていない。


 イレーネは実務席に残っている。

 フィオナは案内補助の位置へ戻っている。


 誰も、笑って引いていない。


 その事実が、会場のあちこちに小さな引っかかりを作っていた。


 旧来派の年長貴族夫人が、ゆっくりと扇を閉じた。


「手順を大切になさるのは、もちろん結構ですわ」


 柔らかな声だった。


 先ほどの押しつけが止められた後とは思えないほど、夫人の微笑みは崩れていない。むしろ、今度こそ本題に入ると言わんばかりに、目だけが落ち着いている。


「ただ、親善の場には、親善にふさわしい見え方というものもございますでしょう?」


 会場の端で、誰かが小さく頷いた。


 セレフィーナは、手元の橋渡し確認書に指を置いた。


「どの家が前に立ち、どの家が支えるか。そこには、長く続いてきた釣り合いというものがございます」


 釣り合い。


 よく磨かれた皿に、腐りかけの菓子を載せて差し出すような言葉だった。


「もちろん、どなたかに無理をお願いするという意味ではございませんの。ただ、実務に通じた家が支えてくださり、場にふさわしい華のある家が前に立つ。そうしてこそ、親善は自然に整うのではなくて?」


 実務に通じた家。


 視線がイレーネへ流れる。


 華のある家。


 次に、フィオナへ。


 会場の空気が、わずかに戻りかけた。


 大きな家が顔になり、小さな家が支える。

 見栄えのよい令嬢が前へ立ち、実務に長けた者が裏を固める。


 そういうものだ、と言いたげな沈黙が、客席の間を薄く広がっていく。


 進行役も、一瞬だけ迷った。


 古い「当然」は、紙より早く人の背中へ乗る。


 イレーネの指が、実務記録の端を押さえた。

 フィオナの手が、紹介文の控えに触れる。

 ミレイアが一歩動きかける。


 その前に、セレフィーナは橋渡し確認書の控えを閉じた。


 ぱたり、という乾いた音が、会場に落ちる。


「つまり」


 セレフィーナは、夫人をまっすぐ見た。


「小さい家には責任を。見栄えのする家には華を。先に押しつけておきたいということですね」


 夫人の笑みが、ほんのわずかに薄くなった。


「まあ、そこまで強い言い方ではございませんわ。釣り合いのお話です」


「その“釣り合い”という言葉で、これまで何人を黙らせてきたのでしょうね」


 会場が、噛み合わない歯車のようにぎしりと鳴った。


 誰かが目を逸らす。衣擦れの音が、やけに大きく響く。補佐役の喉が、不快そうに鳴った。


「セレフィーナ様。それは少々、穏やかではございませんわ」


「穏やかな言葉で、人を役に縫いつける方が、よほど残酷です」


 セレフィーナは、イレーネを見た。


「小さい家だから、責任を寄せる」


 次に、フィオナを見る。


「顔が向いている家だから、前へ出す」


 そして、会場全体へ視線を戻した。


「そうやって先に役を決めるから、人ではなく家が使われるのです」


 夫人の扇が、膝の上で小さく軋んだ。


 セレフィーナは、短く言い切った。


「役は、家格では決まらない」


 その一文だけが、会場の中央に落ちた。


 長く飾る必要はなかった。


 ルシアンが立った。


 王家側の席から伸びた影が、夫人の手元を覆う。扇を握る指が、ほんのわずかに強張った。


「王都としても、家格を理由にした本人意思確認の省略は、今後一切認めない」


 声は低く、硬い。


「親善の顔を整えるために、誰かの家を受け皿にする運用は、ここで終わりにする」


 夫人の指が、扇の骨をさらに強く押さえた。


 ミシ、と小さな音がした。


 それでも、夫人はまだ折れなかった。


「……では」


 唇だけで笑みを作る。


「万が一、実務に滞りが出た際は、フォルク家が責任を負うということでよろしいのですわね? 実務を継続なさると、ご本人が仰ったのですから」


 最後の悪あがきだった。


 引かせられないなら、責任だけを貼りつける。

 支える役を拒めないよう、失敗の印を先に括りつける。


 セレフィーナは、即座に橋渡し確認書を開いた。


 紙の端を押さえる音が、乾いて響く。


「いいえ」


 短く切った。


「確認書第四条により、不備の責任は依頼元と承認者に帰属します」


 夫人の唇が止まる。


 セレフィーナは、進行表に挟まれていた費用補足の控えを引き抜き、夫人の目の前へ滑らせた。


 王都側責任欄。


 そこだけが、空白だった。


「この欄に、あなた方の確認がありません」


 セレフィーナの指先が、未記入の枠を軽く叩く。


「責任をフォルク家へ貼りつける前に、ご自分の欄を埋めてからにしてください」


 補佐役が、露骨に視線を逸らした。


 夫人の頬から、血の気が引く。怒りで赤くなるよりも先に、逃げ道を塞がれた顔だった。


 イレーネは何も言わず、実務記録の控えを進行役へ差し出した。


 費用欄の未確認箇所。

 王都側記入漏れの位置。

 関連する照会番号。


 きちんと印が入っている。


 夫人の目が、その印を追った。

 扇の骨が、またミシリと鳴る。


 ミレイアは、フィオナの横に立ったまま静かに言う。


「前に立つことが栄誉なら、なおさら本人が決めるべきです」


 フィオナは、紹介文の控えを胸元で押さえた。


「私は、自分で選んだ場所なら立てます」


 その声は小さい。

 けれど、今度は誰も「ほんの一言」とは言わなかった。


 イレーネもまた、実務席でペンを持ったまま顔を上げる。


「実務は引き受けます。必要な権限と費用が記録されるなら」


 硬い声だった。


「無償の受け皿にはなりません」


 会場の沈黙が、旧来派の側へ重く落ちた。


 進行役が、橋渡し確認書を確認する。


 手元の紙を押さえ、深く息を吸う。


「本行事における役割は、本人意思確認および中間承認に基づき、当初進行の通り継続いたします」


 声はまだ少し上擦っている。


 けれど、逃げなかった。


「家格を理由とした役割変更は、本手順上の根拠とはなりません」


 その一文が、手続きとして会場に残った。


 夫人は、しばらく黙っていた。


 扇は膝の上で沈黙している。握りしめた指先が、小刻みに震えていた。爪の先が、扇の骨を白く押している。


 やがて、夫人はひどく小さな声で言った。


「……承知いたしましたわ」


 本心ではない。


 けれど、もう十分だった。

 今この場で、彼女は引いた。


 進行役が、次の項目を読み上げる。


 楽師が音を戻した。


 けれど、その旋律はひどくぎこちない。最初の一音がわずかに震え、すぐに別の音で取り繕われる。会場の笑みも、塗り固めた漆喰のように固い。


 イレーネは実務席で紙をめくる。

 フィオナは案内補助の位置へ戻る。

 ミレイアは、その少し横に立っている。

 ルシアンは王家側の控えに、いまの運用を記録するよう進行役へ目配せした。


 セレフィーナは、膝の上で震える夫人の指先を、冷めた目で見つめ返した。

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― 新着の感想 ―
いい加減、その夫人や補佐役・教会関係者の名前を記載して もらわないと、イライラするのですが?!
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