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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【350万PV感謝】  作者: 星渡リン
第1部 第6章 次の舞台は、自分で作る

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第32話 舞踏会前夜

 夜の王都屋敷は、昼より静かで、昼より張りつめていた。


 廊下を行き交う足音は抑えられ、扉の開閉も必要以上の音を立てない。誰もが声をひそめているのに、沈黙そのものがざわめいているようだった。


 明日、卒業舞踏会がある。


 それだけで、屋敷じゅうの空気が薄く研がれていた。


 小会議室の卓上には、紙が重ねられている。古びた記録も、最近の帳簿も、神殿の文書も、もう一枚ずつ読む段階は過ぎていた。必要なのは理解ではなく、明日どこで息を止め、どこで言葉を置くかだ。


 ノアが最後の束を卓へ置く。


「これです」


 軽い調子はなかった。


「神殿が数十年かけて、“個人”を消して、“役”にはめ込んできた証拠は」


 部屋が静まり返る。


 セレフィーナは、その紙束を見た。

 そこに並んでいるのは文字なのに、見ているうちに、人の顔が消えていく感じがした。令嬢の名も、事情も、気持ちも削られて、最後には“選ばれる側”と“退く側”だけが残る。


 不気味だった。


 ここまで来ると、悪意というより習慣に近い。

 誰かが始め、誰かが整え、いつの間にか、そういうものだと皆が思い込んできた仕組みの冷たさだった。


「明日は、それを人の顔に戻すのね」

 セレフィーナが言う。


 ノアが頷く。


「ええ。だから向こうは嫌がる」


 父アシュクロフト侯爵が低く口を開いた。


「社交界側の根回しは済んでいる。少なくとも明日の場で、一方的に話を切るのは難しい」

「ありがとうございます」

「礼は舞踏会のあとでいい」


 その声に迷いはなかった。

 もう娘の不安をなだめるための場ではない。侯爵家として、どこで立つかを決めた声だった。


「お嬢さま」

 リズが静かに言う。

「明日は、何より最初が肝心でございます」

「ええ」

「一歩間違えれば、“場を乱したのは侯爵令嬢だ”という顔をされます」

「そうでしょうね」


 セレフィーナは頷いた。


「だから私は、乱しに行くのではなく、立たないのよ」


 用意された場所へ。

 予定された台詞の位置へ。

 誰かを立てるために沈む役へ。


 そこへ立たない。


 それだけで、舞台は驚くほど脆くなると、もう知っていた。


 ノアが小さく笑う。


「暴くというより、成立しなくする」

「ええ」


 セレフィーナは、ようやくその言葉に静かな納得を覚えた。


     ◇


 同じ夜、別室で、ミレイアは鏡の前に座っていた。


 明日のための衣装は整えられている。淡い色の布地は、祝福される少女のために仕立てられたみたいだった。けれど今の彼女には、それが少しだけ遠い。


 膝の上へ置いた手が冷たい。


 視線が集まる場所を思うだけで、胸の奥が細くなる。明日、何十もの目が自分へ向くだろう。その中で、自分の声で話す。考えるだけで足が竦みそうになる。


 それでも、黙ったままでいる方が、もっと怖かった。


 あのまま守られる顔をして、笑って頷いて、誰かが勝手に作った物語へ入れられる方が。


「……話します」


 鏡の中の自分へ向かって、ミレイアは小さく言った。


「今度は、ちゃんと」


 声は震えていた。

 でも、震えていても言えるなら、それでいい。


 立派な主役になどならなくていい。

 ただ、自分の言葉を持った人間として立てれば、それでいいのだと思った。


     ◇


 別の部屋では、ルシアンが一人で窓辺に立っていた。


 王都の灯はいつもどおりだ。王子である自分が何も知らずに立っていた頃と同じように、街は整い、光っている。


 神殿の顔を立てる。

 学園の体裁を守る。

 舞踏会を穏便に終える。


 それがいちばん楽な道なのは、よくわかっていた。


 だが、それを選べばまた同じことの繰り返しになる。セレフィーナは誰かを立てるための沈黙へ押し込まれ、ミレイアは守られる役として喋らされる。


 自分はもう、それを知らないままではいられなかった。


「……楽な方へ戻れば、また見ないままで終わる」


 呟いた声は、自分でも驚くほど低かった。


 まだ遅い。

 まだ足りない。

 それでも今回は、自分がどちらの側に立つのかを、誰かに決めさせるわけにはいかなかった。


     ◇


 会議が終わったあと、セレフィーナは一人で窓辺に立った。


 王都の夜は灯が多い。どれだけ夜が深くなっても、どこかでまだ何かが動いている気配がある。遠くに見える神殿の塔は、闇の中でも白く浮いていた。


「あちらは今頃、自分たちが用意した台本を読み返しているのでしょうね」


 誰にともなく言うと、背後でノアが少しだけ笑った。


「ええ。たぶん、明日もいつもの形で始めるつもりです」

「そう」

「だから助かります」


 セレフィーナが振り返る。


 ノアは壁に寄りかかり、いつものように軽く見える姿勢のまま、目だけは冴えていた。


「向こうは、あなたがその場所に立つと思っている」

「立たなければ?」

「世界が音を立てて壊れます」


 さらりと言う。


 けれど、その言葉は妙にあたたかかった。

 壊すのは、自分を押しつぶしてきた形の方だと知っている声音だった。


「明日の夜」

 ノアは静かに続ける。

「あなたがその場所に立たないだけで、向こうはもう同じ芝居を続けられません」

「……ええ」

「楽しみですね」


 不敵な微笑みだった。


 セレフィーナはそれを見て、ようやくほんの少しだけ口元を和らげた。


 怖くないわけではない。

 緊張がないわけでもない。

 けれど、もう決まっている。


 明日、自分は誰かの台詞を言うために立つのではない。

 誰かに配られた場所へ収まるために立つのでもない。


 そのことだけは、はっきりしていた。


 窓の外で、王都の夜はまだ静かに灯っている。

 けれどその光の下で、もう同じ芝居は続かない。


 明日、最初の一手で、舞台は変わる。

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― 新着の感想 ―
いやいやいやいや!前から言ってるけどさ、不義密通の疑いでもかけられたいの? ノアってどこぞの貴族の次男坊だよね?なんで王族の婚約者候補の屋敷に、親族でもない他家の貴族令息が当たり前みたいにいるわけ?そ…
ここで脱落 整う、が気になってしまう 小説かな、これ、、
相変わらず中身はなくて「断罪される空気」「断罪の仕組み」「神殿と言う雰囲気」を全面に押し立てて、「成立させない空気」で戦う話なんだなと此処までで思いました。 この断罪劇の必要生なんかはストーリーに関…
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