第31話 王都へ、再入場
王都の正門が見えた時、セレフィーナは窓の外から目を逸らさなかった。
石造りの門は高く、無機質で、来る者にも去る者にも同じ顔をしている。けれど、今日はその下をくぐる馬車列の方が違っていた。
侯爵家の紋章を掲げた正式な馬車が、先触れを伴って正面から進む。隠す気配はない。静養の名目で気配を細くしていた帰路とは、最初から意味が違った。
衛兵たちの動きが、一瞬だけ揃って止まる。
すぐに道は開かれたが、その一拍の遅れだけで十分だった。王都はもう、この帰還をただの帰還としては受け取っていない。
「お嬢さま」
向かいに座るリズが低く言う。
「門の前から、ずいぶんよく見ております」
「見せるために通っているのだもの」
セレフィーナは視線を外さないまま答えた。
「見てもらわなくては困るわ」
リズはそれに小さく頷いた。
馬車が門を越える。
石畳の音が変わり、王都の匂いが窓の隙間から入り込んでくる。磨かれた石、香油、乾いた花、遠くの馬の汗。身体のどこかが昔の息苦しさを思い出しかけたが、そこで止まった。
今日は、そのために来たのではない。
通りへ入れば、視線が集まる。商人、若い貴族、他家の従者、窓辺に立つ令嬢たち。誰も露骨には立ち止まらない。けれど、視線の温度だけが揃っている。
戻ってきた、ではない。
戻ってきてしまった。
そういう空気だった。
道沿いの馬車がひとつ、わずかに進路を譲るのをためらった。窓の内側で扇が動き、誰かがこちらを窺っている。
リズはその視線に一切構わず、いつもよりさらに背筋を伸ばしていた。堂々としている、というより、もう退く気がない背中だった。
「王都の方々は、歓迎の仕方を忘れてしまったようでございますね」
「歓迎してほしくて来たわけではないもの」
「ええ。そちらの方が助かります」
セレフィーナはそこで、ほんの少しだけ口元を緩めた。
侯爵家の王都屋敷へ着くまでのあいだに、ノアの姿は見えなかった。だが、見えないこと自体が彼らしかった。あの男が表に立たずにいる時は、たいてい裏でよく働いている。
証言の導線。
招待状の文面。
神殿側の動き。
学園がどこまで“何事もなく”を装いたがっているか。
見えない場所ほど、彼の仕事場だ。
やがて馬車列は侯爵家の屋敷へ入り、車輪が敷石を鳴らして止まった。
家令が深く一礼する。
「お帰りなさいませ、お嬢さま」
その声を聞いた時、セレフィーナは胸の奥が少しだけほどけるのを感じた。
王都にいても、足場がまったくないわけではない。
それだけで、見える景色の硬さが少し違った。
リズが先に降り、次いで手を差し出す。外へ出ると、風が頬を撫でた。王都の空気は薄く冷たい。けれど、今日はその冷たさに飲まれない。
「お嬢さま」
石段を上がる前に、リズがごく小さな声で言った。
「無理はなさらぬよう」
「ええ」
「ただし、手加減も不要でございます」
セレフィーナはそこでようやく、はっきり笑った。
「頼もしいこと」
◇
荷ほどきが済む前に、王都側の“歓迎”は早速届いた。
応接机の上に、三通の封書が並ぶ。
ひとつは学園から。
白く上等な紙に、無駄に整った書体で、卒業舞踏会は「従来どおり円滑に」「若人の門出にふさわしく」進めたいとある。
もうひとつは神殿から。
封蝋は仰々しく、文面は穏やかで、「秩序ある季節」「祝福の巡り」「尊き結び」などの言葉が丁寧に並んでいた。
最後の一通は王家の使いによる確認書。
形式は最も簡潔で、内容は最も曖昧だった。
セレフィーナは学園の書状を指先でなぞった。
「円滑に、ね」
その二文字の下にあるものが、今はよく見える。
波立てるな。
言うべきでないことを言うな。
予定どおりの顔で立て。
そういう願いが、紙の上で香を焚いて座っているみたいだった。
「綺麗な字ですね」
いつの間にか部屋へ入っていたノアが、神殿からの封書をひょいと摘み上げた。
「眠った狸みたいな文面ですけど」
「相変わらずね」
「ええ。『穏やかな流れへ戻しましょう』って顔をしてます。自分たちで流れを掘り返しておいて」
そう言って、彼は神殿の書状を机へ軽く放った。
説明より、その音の方がよく伝わった。
穏やかさを装っているが、紙の質も封蝋の大きさも、「こちらが決める側だ」という顔を隠していない。
「学園は何事もなく済ませたい。神殿は何事もなかったことにしたい」
セレフィーナは言う。
「王家は?」
「まだ様子見ですね」
ノアは肩をすくめた。
「殿下が、ようやく“様子を見る側”に落ちたので」
その言い方に、セレフィーナは少しだけ目を細めた。
「会う?」
「ええ。会います」
「踏む?」
「ええ、少し」
◇
応接室で向かい合ったルシアンは、領地で会った時よりもさらに言葉を選んでいた。
以前のように、自分が来れば話は進むと思っている顔ではない。だが、まだ完全に捨てきれていないものもある。そういう硬さだった。
机の上には、学園と神殿からの書状がそのまま置かれている。隠していないのは、隠す必要がないからだ。
「王都の空気が変わっている」
ルシアンが低く言う。
セレフィーナは答える前に、神殿の書状を閉じた。
「ええ」
「きみが帰ってきたから、というだけではないな」
「そうでしょうね」
ルシアンは、その机上の封書へ視線を落とした。
学園。神殿。王家。
皆がもう、表向きの穏便さだけでは済まないところまで来ているとわかる並びだ。
「以前とは違う」
彼はまるで自分へ言い聞かせるように呟いた。
「違うようにして来ました」
セレフィーナははっきり返した。
ルシアンが何かを言いかけ、わずかに手を伸ばしかける。
その動きは本当に小さなものだった。
けれど、前と同じ距離へ踏み込もうとする癖がまだ残っていると知るには十分だった。
セレフィーナは扇を一本、机の上へ静かに置いた。
ぱたり、という薄い音。
それだけで、ルシアンの手が止まる。
「殿下」
声は少しも強くない。
「その続きをおっしゃるなら、明日の場でお願いいたします」
「……セレフィーナ」
「今回は、誰にも見えない場所で話を整えるつもりはございません」
ルシアンは、そのまま手を引いた。
怒ってはいない。
けれど、狼狽していた。
領地ではまだ“変わった”と理解するだけだった。今は違う。
変わったのではない。
もう、自分が以前の仕草を差し出しても届かない場所に、彼女は立っている。
その事実が、ようやく身体でわかった顔だった。
「……わかった」
掠れた声でそう言う。
「ええ」
それだけで十分だった。
せっかく出てきたのに、もう一歩も近づけなかった。
その手応えのなさこそ、今のルシアンがいる位置だった。
◇
夜、自室で一人になった時、セレフィーナは机の上に広げた書状を見下ろした。
学園の慇懃な招き。
神殿の穏やかな圧。
王家の簡潔な確認。
どれも顔は違う。
けれど、願っていることは似ている。
黙って立て。
用意された位置へ戻れ。
何も壊すな。
セレフィーナは、学園の書状の端を指で押さえた。
明日、あれは崩れる。
最初に顔色を失うのは誰か。
学園か。
神殿か。
それとも、自分たちの台詞が届かないと知る者からか。
窓の外では、王都の夜がまだざわめいている。灯りも人の気配も、領地よりずっと多い。息苦しさがまったくないわけではない。けれど今夜は、そのざわめきに飲まれなかった。
見えるからだ。
何を嫌がり、何を隠したがっているのかが。
セレフィーナは書状をきちんと重ね直した。
戻ってきたのではない。
その言葉を、今度は情緒ではなく、冷えた事実として胸の内で確認する。
取り戻しに来たのだ。
私の声と、私の立つ場所を。
そして明日。
誰かが悪役になって整うはずだった舞台に、最初の狂いを入れる。
お読みいただき、ありがとうございました。
このお話をここまで楽しんでいただけて、とても嬉しいです。
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