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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【連載版】  作者: 星渡リン
第1章 配役はもう終わっている

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第3話 前世の私は、公演中止を知っている

「……どうして、そこまで言い切れるのですか」


 静かな部屋に、リズの声が落ちた。


 机の上には紙が並び、燭台の灯りがその白を淡く照らしている。つい先ほどまで整理していたのは、図書室の件、茶会の件、王子の予定確認の件。どれも小さな出来事だ。けれど、小さいからこそ厄介だった。


 セレフィーナは、まだ温もりの残る茶器を指先で包んだまま、すぐには答えなかった。


「噂が広がっているのはわかります。舞踏会が危ないかもしれないというのも……でも、お嬢さまは、まるで見てきたようにおっしゃるから」


 リズは眉を寄せていた。不安そうで、それでも責める色はない。ただ本当に知りたいのだろう。なぜそんなに確信めいた声が出せるのかを。


 セレフィーナはゆっくりと息を吐いた。


「説明しづらいのよ」


「……はい」


「でも、あなたには少し話しておいた方がいいわね」


 リズが背筋を伸ばす。


 セレフィーナは視線を机上の紙から外し、揺れる燭台の火を見た。橙の光が、遠い記憶の奥にある別の灯りを呼び起こす。


「前世の私は、舞台制作の仕事をしていたの」


 リズが目を瞬いた。


「舞台、でございますか」


「ええ。華やかな主演でも、脚本家でもないわ。裏方。進行管理よ」


 言葉にした途端、昔の空気が胸の奥に戻ってくる。舞台袖の暗さ。耳に触れるインカムの冷たさ。分刻みで書き込まれた進行表。開演前の客席のざわめき。照明の落ちる位置。音の入る秒数。出演者の出入り。転換の順番。


「公演が事故らないように、全部をつなぐ役目だったの。出演者、照明、音響、道具、開場時間、客席導線、終演後の流れまで。どこか一つでも遅れたり噛み合わなかったりすれば、表に出る前に潰さなくてはいけない」


「そのようなお仕事が……」


「ええ。表から見るより、ずっと細かくて、ずっと神経を使う仕事よ」


 セレフィーナは少しだけ口元を和らげた。


「主演の方が直前で体調を崩すこともあったわ。重要な小道具が届かないことも、出演者の不用意なひと言で、開演前から客席がざわつくこともあった。雨で搬入が遅れたり、照明が一列だけ落ちなかったり、客席誘導のひとつの間違いで入口が詰まったりもする」


 リズは想像もつかないというように、真剣な顔で聞いている。


「華やかな世界に見えても、裏はそうではないのですね」


「そう。そして、事故る公演には共通の匂いがあるの」


 そこで、セレフィーナは言葉を切った。


「段取りが乱れているから事故るとは限らない。むしろ逆よ。一部の人間にだけ都合が良すぎて、誰か一人に無理が集まっている時ほど危ないの。表ではきれいに見えても、裏では歪みが一か所に寄っていく。そういう舞台は、たいてい最後にそこが燃える」


 中庭で見た光景が脳裏をよぎる。


 ルシアンが現れ、ミレイアを庇い、周囲が息を呑む、あの見事すぎる一場面。


 きれいだった。だからこそ、危なかった。


「……だから、あの場面を見ておかしいとわかったのですね」


 リズの声は、ようやく何かがつながったように静かだった。


「そう。あまりにも入りが良すぎたもの。困り方も、庇い方も、周囲の視線の流れも。全部が“そう見せたい形”に収まりすぎていた」


 セレフィーナは茶器を置いた。


「でも、それだけなら、まだ変わった感覚の持ち主で済んだかもしれないわ」


「それだけ、ではないのですね」


「ええ」


 指先を軽く組み、セレフィーナは目を伏せる。


「前世の記憶を思い出したのは、十歳の時よ」


「十歳……」


「高熱を出して寝込んだの。何日も意識が曖昧で、夢と現実の境目がなくなって、その時に一気に戻ったわ」


 あの夜のことは、今でも妙にはっきりしている。


 額に置かれた冷たい布。熱で重いまぶた。遠くで聞こえるこの世界の鳥の声。その間に、まったく別の世界の音が混じった。電車の走る音。人の多い駅。通知音。舞台袖で飛び交う短い指示。開演五分前の張りつめた空気。


 目を開けた時、自分は侯爵令嬢セレフィーナのままだった。けれど同時に、別の世界で別の人生を生きていた記憶も、確かに自分の中にあった。


「最初はひどく混乱したわ。自分が誰なのかわからなくなるくらいに。けれど時間が経つうちに、二つの記憶は混ざらずに並ぶようになったの」


 リズは息を潜めている。


「その時、この世界が、前世で見た物語に似ていることにも気づいたわ」


「物語、でございますか」


「ええ。前世で妹が遊んでいた乙女ゲーム」


 聞き慣れない単語にリズは首を傾げたが、口は挟まない。


「物語の中で、平民出身の少女が学園へ入り、王子に見初められるの。周囲から浮きがちな彼女を、高位貴族の令嬢が妬み、いくつかの出来事を経て、最後は卒業前の舞踏会で断罪される」


 リズの表情が少しずつ強張っていく。


「……高位貴族の令嬢」


「ええ」


「それが、お嬢さまに」


「きれいに重なるのよ」


 侯爵令嬢。王子の婚約者候補。厳格で、隙がなく、編入生とは対照的な立場。


 並べてしまえば、自分がどちら側の役なのかは、あまりにも明白だった。


「だから昔から、自分がその位置にいることはわかっていたわ」


 セレフィーナはあえて淡々と言った。


「もっとも、知っていたからといって、何かできたわけではないけれど」


「……どうしてですか」


「何も起きていないうちから騒げば、それこそおかしいでしょう。『私は将来、悪役令嬢として断罪されるかもしれません』なんて言ったところで、誰が信じるの。むしろ、不穏なことを考える娘だと思われるのが関の山よ」


 だから観察するしかなかった。


 王子の動き。学園の空気。編入生の立場。自分に向けられる視線。どこまでが偶然で、どこからが“物語の型”へ寄り始めているのかを、長いあいだ測り続けてきたのだ。


「……それでも、お嬢さまが今夜ここまで警戒しているのは、物語に似ているからだけではないのですね」


 リズは慎重に言葉を選びながら問うた。


 セレフィーナは小さくうなずく。


「そう。そこが一番大事なの」


 燭台の火が揺れ、机上の紙の影がわずかに震えた。


「ゲーム知識だけなら、まだ半信半疑でいられたのよ。似ているだけかもしれない。立場が重なっているだけかもしれない。そう思えた」


「ですが今は……」


「今は違う」


 静かな声だった。静かだからこそ、冷えていた。


「噂の広がり方が、事実ではなく“役柄”で決まっている。王子は守る人。ミレイア嬢は守られる人。なら、その反対側に立つ誰かが必要になる。そしてその役に都合がいいのが、私」


 図書室の件。茶会の件。王子の予定確認。


 どれも、それだけなら小さな行き違いだった。けれど一度“高位貴族の令嬢が平民出身の少女を追い詰める”という型にはめてしまえば、全部きれいに悪意へ変換できる。


「つまり、怖いのは筋書きそのものじゃない」


 セレフィーナは、ゆっくりと言葉を重ねた。


「現実の人間たちが、物語の形で現実を処理しようとしていることよ」


 リズの唇がわずかに震えた。


「それでは……誰かが明確にそうしようとしているというより……」


「皆が少しずつ、その形へ寄せているの」


 王子は善意で守る。令嬢たちは空気を読む。生徒たちは面白がって見ている。教師は波風を立てたくない。


 誰か一人が中心でなくても、十分に出来上がってしまう。


 それが一番、質が悪い。


 前世で何度も見た。悪い公演というのは、たいてい誰か一人の失敗ではない。全員が「まあ、このくらいなら」と流した結果、最後に事故になるのだ。


「私は、脚本を知っているから怖いのではないの」


 セレフィーナは机上の紙へ視線を戻した。


 白い紙に並ぶ黒い文字。小さな出来事の記録。それなのに、もう十分すぎるほどひとつの方向へ流れ始めている。


「現場の空気が、それを本当に起こせる形になっているから怖いのよ」


 リズは黙った。


 部屋は静かだ。けれどその静けさの中に、昼間の中庭のざわめきがまだ薄く残っている気がした。


 王子の声。周囲の視線。庇われる少女。引き下がる令嬢たち。


 きれいに整った一場面。


 事故る舞台の匂いが、あの中には確かにあった。


 セレフィーナはゆっくり息を吸う。


 前世で、自分は何度も公演中止の判断に立ち会った。見栄えのために無理を通せば、最後に壊れるのはたいてい人だ。だから本当に危ない時は、誰かが止めなくてはならない。


 今、王都にはその匂いがある。


 まだ幕は上がっていない。けれど、上がれば誰かが焼かれる。


 そしてたぶん、その誰かは自分だ。


 私は、脚本を知っているから怖いのではない。

 現場の空気が、それを本当に起こせる形になっているから怖いのだ。

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― 新着の感想 ―
20話まで読んで読み返してみました。(20話に書いた感想のあちこちに齟齬があることを発見してしまいましたが、感想って訂正できないんですよね・・) >私は、脚本を知っているから怖いのではない。 >現場…
いきなり前世と言われて、すんなり納得できるのでしょうか 転生者が当たり前の世界かな 生まれ変わりという概念があれば受け入れやすいかもしれないけど、それでもまず前世は云々言われたら、頭だいじょうぶか精神…
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