第27話 守るつもりの傲慢
面会が終わったあと、ルシアンはすぐには客室へ戻らなかった。
館の西側へ回ると、小さく整えられた庭がある。王都の庭園のような華やかさはないが、風の抜けがよく、低い生垣の向こうに遠く畑の緑が見えた。昼を過ぎた光はやわらかく、石畳の白さだけを静かに浮かせている。
足を止める。
誰もいない。
王都なら、こういう沈黙の中にも人の視線が混ざる。誰がどこで何を話したか、どんな顔をしていたか、あとからいくらでも意味をつけられる。だがこの領地には、それがない。ただ風が吹いて、葉が鳴るだけだ。
だからこそ、さっき交わした言葉がそのまま残った。
あなたは私を失って困っているのではありません。
ずっと黙って支えてくれていたものが、急になくなって困っているだけです。
あの声は、怒鳴り声よりも深く刺さった。
ルシアンは石の手すりへ片手を置いた。
反論したかった。
そんなつもりではなかったと。
自分はただ、正しくあろうとしただけだと。
けれど、言葉は出なかった。
出なかったということは、そう言い切れるだけの確かさがなかったのだ。
ミレイアのことを思い出す。
編入してきた頃の、あの居心地の悪そうな顔。身分の差が空気になってのしかかる場所で、言葉を選びきれずに立ち尽くしていた少女。あれを見て、守らなければと思ったのは本当だった。
それは嘘ではない。
王子である自分が、弱く見えるものへ手を差し出すべきだと思った。周囲の視線が冷たくなるなら間に入るべきだと思った。それ自体は、間違っていないはずだった。
けれど同時に、別のこともしていたのだと、今はわかる。
セレフィーナは大丈夫だと思っていた。
しっかりしているから。
崩れない人だから。
礼を失わないし、感情で場を壊さないから。
そう思っていた。
いや、そう思うことで、見なくて済ませていたのかもしれない。
茶会で誰かが言いすぎそうになった時、いつの間にか流れが変わっていたこと。学園の行事で面倒な家同士が隣り合わずに済んでいたこと。自分のまわりの人間関係が、大きく軋まずに回っていたこと。
あれは、最初からそういうものだったのではない。
誰かが整えていたのだ。
セレフィーナが。
それを彼は、一度も「彼女がしていること」として見なかった。ただ、場がそう収まっているものとして受け取っていた。
「……大丈夫だと思っていた、か」
自分で呟くと、その言葉の軽さに吐き気がした。
大丈夫だったのではない。
大丈夫にしていたのだ。
しかも彼は、その大丈夫を評価のつもりで使っていた。
セレフィーナはしっかりしている。
セレフィーナなら任せられる。
セレフィーナは冷静だから問題ない。
それらは信頼のようでいて、実際には助けない理由にもなる。
できる人だから。
崩れない人だから。
あの人なら平気だから。
その言葉の陰で、どれだけ多くのものを一人へ寄せていたのか。
ルシアンは目を閉じた。
守るべきだったのは、弱く見える者だけではなかった。強く見える者に甘え、支えられていることにも気づかず、しかもそれを正しい判断だと思っていた。
それが、どれほど傲慢だったか。
王子として、自分はいつも“正しく選ぶ”ことばかり考えていた。
どちらが守られるべきか。
どちらへ手を差し伸べるべきか。
何をすれば正しく見えるか。
だが本当は、その前に見るべきものがあったのではないか。
自分が立っている場は誰が支えているのか。
その正しさを成り立たせるために、誰が黙って荷を引き受けているのか。
そこを見ないまま選ぶだけ選んでいたのだとしたら、それは王子としての怠慢でもある。
痛みが遅れて胸へ落ちる。
知らなかった。
気づかなかった。
そう言い訳することはできる。
けれど、知らなかったことは免罪にはならない。
「難しい顔ですね、殿下」
不意に後ろから声がした。
振り返ると、ノアが庭へ続く小径のところに立っていた。偶然を装うには、少し出来すぎた間の悪さだった。
「盗み聞きか」
「この館では、聞こえてしまうこともありますよ」
いつもの軽い調子だ。だが、笑っている目ではない。
ノアは数歩近づいて、少し離れた位置で止まった。
「どうでした、正しい人に正しい言葉を返された気分は」
「皮肉を言いに来たのか」
「少しは」
そう言ってから、彼は肩をすくめた。
「でも半分は確認です。殿下がまだ“冷たい女に拒まれた”と思ってるのか、それとも、ようやく人として見始めたのか」
ルシアンは何も返せなかった。
それだけで、答えは十分だったのだろう。ノアは小さく息を吐いた。
「遅いですけどね」
「……わかっている」
「本当に?」
「わかっているつもりだ」
ノアはそこで首をかしげた。
「つもりのままだと、また踏み外しますよ」
「では、どう言えばいい」
「自分で考えてください。殿下は選ぶのは得意でも、考え直すのは遅そうだから」
刺すような物言いだった。
だが、不思議と腹は立たなかった。
ノアは続ける。
「セレフィーナ様は、別に“弱いふりをしてほしかった”わけじゃないんです」
「……」
「見てほしかったんでしょうよ。ちゃんとしていることの下で、何を引き受けていたのかを」
それを聞いて、ルシアンは目を伏せた。
見ていなかった。
セレフィーナが冷たかったのではない。遠かったのでもない。自分が、見やすいところだけ見ていたのだ。助けを求めてくる側は見えた。弱さを表に出す側は見えた。だが、黙って場を支える側は、景色の一部のように流していた。
それは守るというより、都合のよい場所に甘えていたに近い。
「殿下」
ノアの声が今度は少しだけ低くなる。
「守るって、目立つ側に手を伸ばすことだけじゃないでしょう」
「……ああ」
「ようやくそこに気づいたなら、まだましです」
「まし、か」
「ええ。許されるとか、間に合うとか、そういう話じゃなくて」
ノアはそこで言葉を切り、目を細めた。
「見ないままの人よりは、ましです」
それだけ言うと、彼はもう用は済んだとばかりに身を翻した。
去っていく背中を見送りながら、ルシアンはしばらく動けなかった。
見ないままの人よりは、まし。
それは慰めではなかった。最低限の話だ。まだ入口に立っただけだと、はっきり突きつけるための言葉だった。
風が吹く。
王都より少し冷たい風が、庭木を撫でて通り過ぎていく。
ルシアンはその中で、ゆっくりと息を吐いた。
ミレイアを守るべきだと思っていたのは本当だ。
だが、それだけで十分だと思っていたのは間違いだった。
セレフィーナはしっかりしているから大丈夫だと思っていた。
その言葉は、今になってみれば評価ではない。責任の押しつけだ。
できる人だから任せられる。
崩れない人だから支えられる。
その便利さの上に立っておきながら、守るつもりだったなどと、よくも思えたものだ。
「私は」
声に出すと、思ったより掠れた。
誰へ向けるでもない。
言い訳ではなく、初めて自分へ向ける言葉として。
「私は守っていたつもりで、見やすい場所しか見ていなかった」
庭には誰もいない。
だからその言葉は、飾らずに落ちた。
弱く見える者へ手を伸ばすことばかりを“正しさ”だと思い、その正しさを成立させるために黙って支えていた者を、景色のように扱っていた。
それが、自分のしていたことだ。
遅い。
あまりにも遅い。
それでも、ここでようやく認めたことを、また曖昧に戻すことだけはできないと思った。
ルシアンは顔を上げた。
領地の空は高く、雲がゆっくり流れている。王都のように意味を与えられた空ではない。ただ空であるだけの景色が、今は妙に痛かった。
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