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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【150万PV感謝】  作者: 星渡リン
第4章 誰が台本を書いているのか

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第22話 神殿の使者

 神殿の使者が侯爵領へ着いたのは、空がもっとも明るく見える昼前だった。


 知らせが入った瞬間、館の空気は目に見えないまま一段だけ張った。


 誰も騒がない。使用人たちはいつもどおりの足取りで動き、声も荒げない。けれど、銀器を運ぶ手つきも、廊下を曲がる角度も、わずかに硬い。


 高位司祭の名代。


 その肩書きが持つ重さを、侯爵家で知らぬ者はいない。


 しかも相手は王都の本邸ではなく、わざわざ領地まで来たのだ。礼儀の形を取っていても、それだけで十分に異常だった。


 自室でその報せを聞いたセレフィーナは、鏡の前で自分の顔を一度だけ確かめた。


 怯えている顔はしていない。怒ってもいない。ただ、冷えていた。


「客間へお通ししております」


 リズが衣の襟元を整えながら告げる。


「ノア様は?」

「別室に下がっていただきました。今回はお嬢さまと神殿の面会でございますから」

「そうね。その方がいいわ」


 神殿は、見るべきものしか見ない。

 ならばこちらも、見せるべきものだけを見せればよい。


「お嬢さま」


 リズが低く言った。


「曖昧なお返事は不要でございます」

「ええ」

「言葉尻を拾われる可能性がございます」

「わかっているわ」


 セレフィーナは立ち上がった。


 神殿の怖さは、剣や怒声の形を取らない。

 祈りと祝福と配慮の顔をして、決められた場所へ戻ることを求めてくる。

 だからこそ厄介だった。


     ◇


 客間に通された使者は、五十代半ばほどに見えた。


 神殿の衣は華美ではない。だが、布の質と仕立てだけで高位の側にいる者とわかる。髪はきちんと撫でつけられ、指先まで静かだった。笑みも浅く柔らかい。けれど、その柔らかさは相手を安心させるためというより、断りにくくするためのものに見えた。


 セレフィーナが入ると、使者は完璧な角度で一礼した。


「お目にかかれて光栄に存じます、アシュクロフト令嬢。突然の来訪、どうかお許しくださいませ」

「ようこそお越しくださいました」

「ご静養の折にお時間を頂戴しましたこと、心苦しく思っております」

「構いませんわ」


 席を勧めると、使者はもう一度礼をして腰を下ろした。声も所作もすべて整っている。神殿で長く人を説いてきた者の話し方だった。


「お加減はいかがでしょうか」

「領地の空気に助けられております」

「それは何よりでございます。神殿もまた、常に令嬢のご平安をお祈りしております」


 平安。


 その言葉が、なぜか少しもやさしく聞こえなかった。


 リズが茶を置く。使者はきちんと礼を述べ、カップにはすぐ手をつけない。まず言葉を尽くすと決めているのだろう。


「王都はまもなく、祈りに満ちた季節へ入ります」


 使者は穏やかにそう切り出した。


「学園の卒業舞踏会、そして星冠祭。若き方々の門出と祝福の巡りが重なる、尊い時節にございます」

「ええ」

「このような時には、しかるべき方々が、しかるべき場にお立ちになることが大切でございます」


 しかるべき方々。

 しかるべき場。


 セレフィーナはその言い回しを、心の中で静かに反復した。


「王都はいま、多くの心が祈りへ向いております。正しき形が整うことを、皆が願っております」

「……そうでしょうね」

「ええ。そして、そのためには令嬢のお立場が必要なのです」


 来た、とセレフィーナは思った。


 まだ命令ではない。圧も表には出ていない。

 けれど、最初からここへ着地するために言葉を積んでいたのだとわかる。


「私のお立場」

「はい。アシュクロフト令嬢は、ご自身が思われている以上に、多くの方の目に映るお方でございます」

「そうかしら」

「王都は、しかるべき席にしかるべき方があることで、初めて安らぎを得るものです」


 安らぎ。


 今度は、はっきりと不快だった。


 使者は続けた。


「令嬢がご体調を崩され、ご静養に入られたことは、まことに惜しまれております。ですが、もしお心身の状態が整いつつあるのであれば」

「……」

「ぜひ王都へお戻りいただきたいのです」


 それは勧める声音だった。

 懇願にも命令にも聞こえないよう、ひどく丁寧に調整された声。


「卒業舞踏会と星冠祭のあわいは、そう何度も巡るものではございません」

「ええ」

「今ここでお戻りにならないのは、まことに惜しまれます。皆が正しき形を求めておりますゆえ」


 正しき形。


 その言葉を聞いた瞬間、セレフィーナの中で何かが冷たく固まった。


 使者は最初から今まで、一度も自分の意思を尋ねていない。


 具合はどうか。休めているか。領地で何を見つけたか。

 そうした問いは、表面を撫でるために使われただけだ。


 本当に確かめたいのは、ただひとつ。


 戻るか。

 立てるか。

 所定の位置へ復帰可能か。


 それだけだった。


「ご配慮には感謝いたします」


 セレフィーナは、ゆっくりと言葉を置いた。


「神殿が私の心身を気遣ってくださることも、王都の時節が重いものであることも、理解しております」

「ありがとうございます」

「ですが、現時点で王都へ戻るつもりはございません」


 使者の微笑みは崩れなかった。

 崩れないまま、わずかに静まる。


「令嬢」

「私はいま、領地におります。ここでの務めもございます」

「それはもちろん尊いことにございます。ですが」

「私の立つ場所は、少なくとも私が決めます」


 使者の目が、初めて少しだけ細くなった。


 ほんのわずかな変化だった。だが、祈りの顔の下にある硬さが見えた気がした。


「神殿としては、令嬢のご存在が王都に必要であると考えております」

「神殿のお考えは承りました」

「では」

「ですが、その必要が私の意志を先回りして決まることはございません」


 客間が静まり返る。


 リズは一歩も動かなかった。

 茶器の音ひとつ立たない。


 使者は数拍の沈黙のあと、やはり柔らかく言った。


「令嬢は、思っておられる以上に重い位置にいらっしゃいます」

「そうなのでしょうね」

「だからこそ、皆が惜しんでおります」

「惜しまれているのは、私でしょうか。それとも」


 セレフィーナはそこで、ほんの少しだけ間を置いた。


「私の空いている場所でしょうか」


 使者は答えなかった。


 答えないこと自体が、答えに近かった。


 だがセレフィーナは、それ以上追わなかった。ここで感情を露わにした方が負けだと知っている。


「必要なことがおありなら、どうぞ文書にてお寄せください」

「……承知いたしました」

「王都への復帰についても、現時点でお約束できることはございません」

「重ねてご再考をお願い申し上げます」

「ご心配には感謝いたします」


 最後まで礼は崩さない。


 使者もまた、それ以上踏み込まずに立ち上がった。

 礼をし、惜しむように目を伏せ、静かな声で告げる。


「どうか、皆が願う正しき形が損なわれることのありませんよう」

「祈りは、それぞれの場所で捧げるものでございましょう」


 セレフィーナがそう返すと、使者は初めて言葉を継がなかった。


 ただ、深く一礼し、客間を辞した。


     ◇


 扉が閉まったあとも、しばらく誰も口を開かなかった。


 静けさが戻ったのではない。

 使者が持ち込んだ圧だけが、まだ部屋の中に薄く残っていた。


 最初に息を吐いたのはリズだった。


「……なんて失礼な」

「失礼ではなかったわ」

「だから余計に不快でございます」


 その言い方に、セレフィーナはわずかに目を閉じた。


 本当に、そのとおりだった。


 怒鳴られたわけではない。脅されたわけでもない。

 礼も尽くされた。気遣いの言葉も並べられた。

 それなのに、これほど嫌だった。


 その理由は、もうはっきりしている。


 あの使者は、自分を人として見ていなかった。

 心がどう動いたか。何を恐れたか。何を望むか。

 そういうものには、まったく興味がない。


 見ていたのは、ただ位置だけだ。

 戻るべき席。立つべき場。欠けている部品。


 そこへ自分が収まるかどうかだけを測っていた。


 別室の扉が静かに開き、ノアが姿を見せた。彼は面会の内容をおおよそ聞き取っていたのだろう。いつもなら何か軽口を挟むところだが、今日は珍しく、しばらく何も言わなかった。


「やっぱり、神殿は怖いね」


 やがて低くそう言う。


「ええ」

「怒鳴らないし、命令もしない。でも“正しき形”って言葉で、人を元の場所へ押し戻そうとする」

「ええ」


 セレフィーナは、まだ使者が座っていた椅子を見た。


 整っていた。乱れひとつ残していない。

 まるで最初から、そこに人ではなく儀礼だけが座っていたみたいだった。


「あの人たちは」


 自分でも驚くほど小さな声が出た。


 リズとノアが、同時にこちらを見る。


「私がどうしたいかを、一度も聞かなかった」


 その一言で、ようやく胸の中の嫌悪感が形を持った。


 祈り。祝福。平安。正しき形。


 どれも美しい言葉なのに、その奥には自分の意志が入る余地がなかった。


 戻るべきか。

 立てるか。

 今の季節に間に合うか。


 それだけだ。


「ええ」


 リズが、はっきりと答えた。


「お嬢さまのお気持ちなど、最初から数に入っておりませんでした」

「入れるつもりもなかったんだろうね」


 ノアの声も静かだった。


「だからあれほど丁寧でいられる。相手が人なら、あそこまで形ばかりきれいにはならない」


 セレフィーナは窓の外を見た。


 領地の空は高く、雲はゆっくり流れている。切り替わりの演出も、祈りの季節も、ここにはない。ただ風が吹いて、木々が揺れているだけだ。


 その当たり前の景色が、今はひどくありがたかった。


 神殿もまた、舞台装置の側にいる。


 しかも王都や学園より、もっと上手に。

 もっと丁寧に。

 もっと“正しいこと”の顔をして。


 だからこそ、あれほど嫌なのだ。


 セレフィーナは、ゆっくりと息を吐いた。


 嫌悪はもう、疑いではなかった。

 はっきりとした輪郭を持って、胸の中に沈んでいる。


 ここから先は、もう王都だけの歪みを見ていれば済む話ではない。

 神殿が何を祝福の顔で固定しようとしているのか。

 それもまた、見に行かなければならない。


 そう思った時、指先は不思議なほど冷えていなかった。

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― 新着の感想 ―
特別、真新しい設定は無いのに構成力で楽しく読ませて頂いています。私個人は『少年漫画風のIFルート』を想像して楽しんだ位です。  (妄想IFルートから一部抜粋) セレフィーナ(以下「乙女」)使者(以下「…
>正しき形。 >使者は最初から今まで、一度も自分の意思を尋ねていない。 >具合はどうか。休めているか。領地で何を見つけたか。 >そうした問いは、表面を撫でるために使われただけだ。 正しさを全面に押し…
これは… 幼児のように 「どうして?」「何故?」「正しいかたちって何?」「正しいって誰が決めたの?」 ってなぜなに攻撃して撃退したいw
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