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悪役令嬢にされる予定でしたが、先に舞台から降ります。【150万PV感謝】  作者: 星渡リン
第4章 誰が台本を書いているのか

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第20話 王都が困っている本当の理由

 翌朝、客間の丸机はすっかり紙の海になっていた。


 招待状の控え。出席者一覧。過去数年分の席次の写し。学園側が残した簡易進行表。ノアが王都でかき集めてきた覚え書きには、端の方へ小さな字で補足まで書き込まれている。


 窓から差し込む朝の光が紙の縁を白く浮かせ、その上をセレフィーナの指先が静かに滑った。


「ずいぶん持ってきたのね」

「荷が軽すぎると、かえって怪しまれるからね」

 ノアは肩をすくめた。

「半分は真面目な書類に見えるものを選んだ」

「残り半分は?」

「真面目な書類に紛れた、もっと面倒なもの」


 そう言って、彼は三枚の紙を自分の前へ並べた。


「まず、舞踏会を舞踏会のまま見ないこと」

「昨夜も似たことを言っていたわね」

「今日は少し、図にして話せる」


 リズが新しい茶を置き、しかし座らずに二人の横へ控えた。昨日より警戒の角はほんの少しだけ取れている。とはいえ、ノアへ向ける視線はまだ冷静なままだった。


 セレフィーナは招待状控えの束を開いた。


 紙面そのものは、よくある祝祭の文面だ。学園の卒業を祝い、若者たちの門出を寿ぎ、将来有望な生徒たちの栄誉を称え、家々の繁栄と祝福を願う。王家の名が入り、どこから見ても華やかで、穏当で、美しい。


「表向きは、ただの祝祭ね」

「そこが大事なんだよ」


 ノアは頷いた。


「卒業を祝う。若い連中の門出を見る。婚約話が自然にまとまってもおかしくない。派閥の空気が少し変わっても、祝宴の余韻で流せる。あれは“全部が自然に見える場”なんだ」

「見せたいものを、無理なく見せられる」

「そう。恋も祝福も、若さも未来も、全部きれいな顔をしてる」


 セレフィーナは席次の写しへ目を移した。


 卒業生本人たちの名より、同伴家名や着席順、挨拶の巡りの方が細かく整理されている。誰がどこから入り、どの家がどの列に置かれ、どこで誰が視線を集めるか。舞踏会のはずなのに、紙面の神経は踊りそのものより、配置へ注がれていた。


「学園の行事にしては、家の並びが細かすぎるわ」

「そこ」


 ノアの声が少しだけ低くなる。


「若い男女が踊ってるように見えて、実際に見られてるのは家の位置だ。誰が王家寄りか、誰が神殿寄りか、どの家が次の流れに乗るのか。舞踏会の空気の中で、それを“自然なこと”として共有する」

「つまり」


 セレフィーナは別の年の出席者一覧を引き寄せた。


 確かに、翌年に神殿との距離を縮めた家が、前年の舞踏会では神殿席に近い位置へきれいに置かれている。王家側へ寄った家は、王子の視線が通りやすい場所に収まっている。逆に流れから外れた家は、招待そのものはあっても、立ち位置が微妙に遠い。


 ひとつひとつは小さい。

 だが重ねると、偶然では済まなかった。


「若者の門出を祝う場じゃないのね」

「それもやってる」

「でも、それだけじゃない」

「うん。王都はあの場で、“次はこうなる”を皆に見せてる」


 見せる。


 その言葉が、紙の上の配置を急に不気味なものへ変えた。


 恋愛は中身ではなく形式だ。誰が選ばれ、誰が外れ、誰が祝福され、誰が笑顔のまま後ろへ退くか。その並びが美しく整っているほど、周囲は新しい流れを飲み込みやすい。


 セレフィーナは進行表の端へ視線を止めた。そこには若者たちの名の横へ、ごく小さく「導線確認済」「神殿側確認済」と走り書きがある。


「学園だけの準備じゃないわね」

「昨夜言ったとおり。神殿が思った以上に噛んでる」

「舞踏会なのに」

「舞踏会だから、だよ」


 ノアは椅子の背へ浅くもたれた。


「儀礼そのものだと皆が構える。政治再編そのものだと露骨すぎる。だから、恋と祝福の顔をした場がちょうどいい」

「美しいものほど、飲み込みやすいものね」

「王都はその辺だけは昔から上手い」


 リズが紙束の端を整えながら、低く呟いた。


「上手いというより、悪趣味です」


 ノアは否定しなかった。


 セレフィーナは別の年の席次を見比べた。そこには毎回、選ばれる側の娘がいる。華やかで、祝福されて、視線を集める位置へ立つ誰か。けれど、よく見ればそれだけでは舞台は閉じない。


 必ずその反対側に、退く側がいる。


 目立ちすぎず、しかし軽すぎず、外れたことが場の空気として伝わるに足る誰か。


「……だから、悪役が必要なのね」


 セレフィーナの声は自然と低くなった。


「ただ誰かが選ばれるだけじゃ、王都は切り替わったと思えない」

「その通り」


 ノアは一枚の紙を指先で叩いた。


「平民の少女が王子に選ばれる。それだけなら、綺麗事で終わる。夢物語としては見やすいけど、秩序は動かない」

「誰かが外れないと」

「そう。“立っていて当然の人”が退くから、皆が本物だと思う」


 その言葉は、冷たかった。


 だが冷たいぶんだけ、嫌になるほど腑に落ちた。


 セレフィーナは自分の名が入った一覧へ目を落とす。侯爵令嬢。婚約者候補。社交の場で位置を持つ娘。王都の誰が見ても、王子の隣にいてもおかしくない格。


 だからこそ、その自分が退く側へ回る意味が生まれる。


「私でなければ、弱いのね」

「弱い」


 ノアの返事に迷いはなかった。


「ただ格の低い娘が外れても、空気は動かない。もともとそういうものだで終わる。でも、きみが外れるなら違う。王都の人間は“ああ、今回は本当に切り替わるんだ”って納得しやすい」

「侯爵令嬢で、婚約者候補で、しかも場に立っていて不自然ではない」

「うん。悪役に置くには、都合がよすぎる」


 リズの手が止まった。


「それでは」

 声が少し硬い。

「お嬢さまが優れていることも、立場があることも、全部利用価値として数えられていたことになります」


 ノアは少しだけ苦い顔をした。


「そう数えてた連中はいた、ってことだね」

「数えた、ではなく、使ったのでしょう」

「たぶんね」


 セレフィーナは、紙の上へ静かに指を置いた。


 王都の人間が皆、露骨な悪意を持っていたわけではないのだろう。むしろ多くは、そこまで考えずに“そういう流れ”を受け取っていただけかもしれない。


 けれど、それがいちばん気味が悪い。


 誰かが笑う。誰かが祝福される。誰かが身を引く。そういう美しい物語の形を通して、空気が整理される。派閥が寄り、神殿が収まり、王家が納得する。


 断罪は見世物ではなく、空気の整理だった。


 そこへ思い至った瞬間、セレフィーナの背に細い寒気が走った。


「面白がっていたわけじゃないのね」


 誰へともなく、そう言葉がこぼれる。


「少なくとも、それだけではないわ。王都の人たちは……断罪を見たかったんじゃない。切り替わったと納得したかったのよ」


 ノアは黙っていた。


 否定しない沈黙だった。


「誰が前へ出るか。誰が退くか。誰がこれからの側で、誰がもう前の側か。それを皆で“見たことにする”ための場」

「うん」

「だから私がいないと困る」

「そう」


 セレフィーナは、ゆっくりと息を吸った。


 ここまで来てようやく、王都が困っていた理由が痛いほどはっきり見えた。


 自分は婚約者候補の一人だから必要だったのではない。悪役を与えられたからだけでもない。王都が切り替わったと信じるために、そこへ置かれるべき駒だったのだ。


 選ばれる少女の向かい側で、退く令嬢がきちんと退くこと。

 その形があってはじめて、物語は完成する。


 そして完成した物語は、そのまま秩序になる。


「……本当に、気味が悪いですね」


 リズが低く言った。


「人が傷つくことより、収まりの方が大事だなんて」

「王都は昔からそういうところがあるんだろうね」

 ノアが答える。

「祝福って顔をして、固定する」


 祝福。


 その言葉が妙に引っかかったが、セレフィーナはまだそこを掘らなかった。今はまず、卒業舞踏会の輪郭を読み切る方が先だ。


 机の上には、若者たちの門出を祝う美しい文言が並んでいる。けれどその裏で読まれていたのは、家の並びであり、立つ位置であり、誰が前へ出て誰が下がるかという空気だった。


 セレフィーナは、自分の名が記された一覧をそっと伏せた。


 見ていて気分のよい紙ではなかった。


「ノア」

「なに」

「あなたが昨日言った“そこにいるはずの人”という言い方、ようやくわかった気がするわ」

「光栄だね」


 いつもの軽口の形だったが、声は軽くなかった。


「私は、王子の隣へ立つ娘として数えられていたんじゃない」

「うん」

「転換点に、退く側として置かれる人間だったのね」


 自分の口で言うと、思っていたより静かだった。


 怒りはある。

 けれどそれは燃えるようなものではなく、深い水の底に沈む冷たさに近い。


 侯爵令嬢であること。婚約者候補であること。王都で空気を乱さず立てること。

 それら全部が、誰かの都合で“使いやすい条件”として積み上げられていた。


 人ではなく、条件の束として見られる感覚にぞっとする。


 そして同時に、舞台から降りた自分の選択がやはり正しかったのだともわかる。


 あの場に立ち続けていたら、きっと自分は最後まで、自分の役名しか知らないままだった。


 セレフィーナは窓の外へ視線を向けた。領地の空は静かで、風が木々を撫でている。王都のような“切り替わりの演出”はどこにもない。ただ季節が季節のまま流れている。


 その穏やかさが、かえって胸にしみた。


 しばらくして、セレフィーナは静かに口を開いた。


「つまり私は、人ではなく、転換点の小道具として数えられていたのね」


 客間に沈黙が落ちる。


 リズの目がわずかに揺れた。ノアはすぐには何も言わなかった。軽い慰めも、慌てた否定も入れない。


 それが今はありがたかった。


 そう数えていた者がいる。

 そういう仕組みが王都にある。

 その事実だけで十分だった。


 白い湯気が、冷えかけた空気の中で細くほどけていく。


 ここから先は、もうただ“困っていて気味がいい”で済む話ではない。

 誰が台本を書き、誰が祝福の顔で固定し、誰が退く側を必要としていたのか。


 そこまで見に行かなければならない。


 セレフィーナは伏せた一覧の上へ、そっと手を置いた。


 怒りはまだ静かだった。

 けれど、その静けさは前へ進むためのものに変わり始めていた。

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― 新着の感想 ―
>「つまり私は、人ではなく、転換点の小道具として数えられていたのね」 これってアレに似ていますよね。(場違いな感想ですが) 法律ではすでに長男が家を継ぐという制度は無くなっているのに、「長男の嫁」と…
今更ですが主人公っていくら上級貴族の令嬢でも婚約者候補としては不適格なのに何故選ばれてしまったんでしょう 侯爵家に他に子供が居ない以上跡取り娘で王族に嫁がせる訳にはいかない筈 身内から養子を取って跡継…
王子様が婚約者候補以外に寄り添ってる事を話題にしたくても、情報の流れる場所に最有力の候補がいなければ話題の取っ掛かりにならない。事実以外を混ぜるにも本人がおらず、式典までに断罪の形が整わないので神殿側…
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