第1話 中庭で見た“配役”
悪役令嬢の役は、たいてい本人より先に決まっている。
セレフィーナ・アシュクロフトがそれに気づいたのは、春の陽射しが王立学園の中庭をやわらかく照らす昼休みだった。
白い石畳はよく磨かれ、噴水の縁には花弁がひとひら落ちている。窓硝子は青空を映し、生徒たちはそれぞれ上品な輪を作って談笑していた。
穏やかで、美しい。
少なくとも、遠目にはそう見える。
けれどセレフィーナの視線は、その整いすぎた景色の中で、ひとつだけ妙にざわついた場所へ吸い寄せられた。
薔薇の植え込みのそばで、平民出身の編入生ミレイア・フローレンスが、数人の令嬢に囲まれていた。
「ですから、私は、そのようなつもりでは……」
胸の前で手を重ね、ミレイアが困ったように答える。蜂蜜色の髪が揺れ、淡い緑の瞳は明らかに行き場を失っていた。
囲んでいる令嬢たちの声色は柔らかい。言葉だけを拾えば、礼儀の範囲を出ていない。
「でも、ルシアン殿下とずいぶん親しげにお話しされていましたわよね」
「誤解を招くこともございますもの。少しお気をつけになった方がよろしいかと」
「皆さま、ご覧になっておりますし」
露骨ないじめではない。
だからこそ質が悪い、とセレフィーナは思った。
怒鳴り声もない。侮辱もない。表面だけ見れば、社交に不慣れな編入生へ作法を教えているだけにも見えるだろう。
けれど、立ち位置がよくない。
囲み方がよくない。
声の届く距離がよくない。
周囲の生徒たちが、何気ない顔で足を止め、けれど完全には近づかず、視線だけを向けている。その半端な距離まで含めて、妙に出来すぎていた。
まるで、誰かが見つけやすい位置に、困っている少女を置いているような。
「セレフィーナ様?」
隣に控える侍女のリズが、小さく呼んだ。
「どうかなさいましたか」
「……いいえ」
答えながらも、セレフィーナは視線を外せなかった。
何かが引っかかる。
まだ言葉にはならない、細い棘のような違和感だった。
その時だった。
「何をしている」
低く、よく通る声が、中庭の空気をすっと断った。
ざわめきが止まる。
生徒たちが一斉に振り返った先から、第一王子ルシアン・エーヴェルが歩いてくる。陽光を受けた白金の髪は目を引くほど明るく、その整った顔立ちは、まるで最初からこの場面のために用意されていたみたいだった。
令嬢たちは、はっとしたように身を引く。
その引き方まで、出来がよすぎた。
ミレイアが顔を上げる。救われたとでも言いたげに、大きな瞳が揺れた。
「殿下……違うんです。皆さまは、ただ私に教えてくださっていて……」
「きみが困っているように見えた」
ルシアンはそう言って、ミレイアをかばうように半歩前へ出る。
その瞬間だった。
かちり、と。
セレフィーナには、場にはまる音が聞こえた気がした。
王子は守る人。
ミレイアは守られる人。
周囲はそれを見守る観客。
なら、その反対側に立つ人間も必要になる。
背筋を、冷たいものがすっとなぞった。
ああ、と心の中でつぶやく。
もう配役が終わっている。
前世の記憶が、嫌になるほど鮮やかによみがえった。
暗い舞台袖。書き込まれた進行表。照明の落ちる位置。出演者の出入り。誰がどこで立ち止まり、どの台詞のあとに音楽を入れれば、客席の感情が最も大きく揺れるのか。
前世のセレフィーナは、主演でも脚本家でもなかった。
舞台制作会社で進行管理をしていた。華やかな表ではなく、その裏側で、公演が事故らないよう段取りをつなぎ合わせる側の人間だった。
だからわかる。
入りが良すぎる。
登場のタイミングが良すぎる。
困り方がちょうどいい。
庇い方がきれいすぎる。
この場は、ただの偶然ではない。
少なくとも、偶然だけでできた絵ではなかった。
事故が起きる舞台には、独特の匂いがある。
段取りが崩れているから事故るわけではない。逆だ。誰かにとって都合がよすぎるほど整っているから、どこか一人に無理が集まり、最後にそこが燃える。
そして今、この場でその無理を引き受ける役に最も都合がいいのは誰か。
侯爵令嬢。
第一王子の婚約者候補。
成績優秀。
礼儀正しい。
厳格。
少し冷たく見えやすい顔立ち。
平民出身の編入生と並べれば、誰の目にもわかりやすい対立になる立場。
全部、そろっている。
何もしていない。
まだ、何ひとつしていないのに。
それでももう、自分が“何かをしたことになる”流れが、この場のどこかで静かに始まっていた。
「セレフィーナ様?」
もう一度、リズが声をかけてくる。
セレフィーナはようやく瞬きをして、閉じた扇の縁を指先でなぞった。
「少し、遅かっただけよ」
「何がでございますか?」
「私が気づくのが」
リズはきょとんとした顔をしたが、それ以上は聞かなかった。余計に騒がず、主人の言葉の続きを待てるあたり、幼い頃から仕えてきた侍女らしい。
中庭では、ルシアンがミレイアに何か優しい言葉をかけている。令嬢たちは神妙な顔で引き下がり、周囲の生徒は安心したような、どこか満足したような空気を漂わせていた。
美しい場面だ。
誰が見ても、そう思うだろう。
だからこそ、気味が悪い。
この一場面だけなら、きっと誰も責められない。王子は優しく、少女は健気で、令嬢たちは少し配慮が足りなかっただけで済む。
でも、物語はここでは終わらない。
こういう場面は、続きがあるから成立する。
守る人がいて、守られる人がいるなら、次に必要なのは障害だ。わかりやすくて、見栄えがよくて、最後には責められ、拍手を受け持つ役。
悪役だ。
セレフィーナは、ゆっくり息を吐いた。
この世界が、前世で妹の遊んでいた乙女ゲームによく似ていると気づいたのは、十歳の頃だった。高熱で寝込んだ夜、前世の記憶と一緒に、曖昧な筋書きが頭の底から浮かび上がってきた。
平民出身の少女が王子に見初められ、高位貴族の令嬢が彼女を妬み、最後には卒業の舞踏会で断罪される。
よくある話だ。
その時は、どこか遠い物語のように思っていた。
けれど今、目の前にある空気は、曖昧なゲーム知識なんかより、ずっとはっきりしている。
現実の人間たちが、現実の視線で、現実の都合を乗せて、わかりやすい物語を欲しがっている。
そしてその物語に、セレフィーナ・アシュクロフトという侯爵令嬢は、あまりにも収まりがよかった。
ひどく不快だった。
怒りより先に、ぞっとする。
嫌われているからではない。露骨な悪意を向けられたからでもない。
ただ、見栄えがいいから。
その程度の理由で、人は悪役になれる。
いや、悪役にされる。
セレフィーナは、もう一度中庭を見た。
ルシアン。ミレイア。令嬢たち。ざわめく観衆。春の光。
そこにはまだ、何も起きていない。
けれど、もう十分だった。
この舞台は危ない。
誰かを焼いて、拍手で終える匂いがする。
そして、その誰かはたぶん。
私だ。
セレフィーナは扇を閉じる指先に、わずかに力を込めた。
この舞台、私を焼くために整えられている。




