コウノトリ
三年ぶりにコウノトリがやって来て、町をあげての大騒ぎである。
赤ん坊を運んでくるわけでもないので、少子化対策にもなるまい。
「コウノトリの来る町」などと看板を立てたって、観光資源になるとも思えない。
そんなに人が近づいたら営巣しなくなるじゃないのと心配していたら、前に飛来した時にできたNPOの保護団体が堤に上がる道を通行止めにして、少し離れた山の中に人工巣塔を立てた。
私は、コウノトリがその板の上に立っているのを何度か目撃したが、今回も営巣しなかった。
だが、大きななりに似合わず電柱の天辺にとまっていて驚いたことがある。
離れたところに群れがいたので、見張り役だろう。
青空を背景に睥睨している姿は、なかなか格好良い。
今日は、十羽ほどがみな西へ向いて立っていた。
山から細い町川に向かって落ちている、横二枚縦十枚ほどの棚田の一枚に降りているのだ。
さっきから赤い軽自動車が、棚田の回りの山と川をつなぐ道をぐるぐると回っている。
窓から腕を伸ばして、写真を撮っているのだ。
派手な車を意識する様子が見てとれたが、翔び立ちはしなかった。
川の向うの電柱の上に、やっぱり一羽見張っていた。
鶴だと言った人があるが、コウノトリと鶴は目、科から違う。
コウノトリはコウノトリ目コウノトリ科、ツルはツル目ツル科である。
足が赤く嘴が黒くて、目の周りに赤い皮膚が露出していておどろおどろしいので、すぐ分かる。
体高は鶴より低く、体重は半分ほどだ。
鶴のように湿地ではなく、樹上で営巣する。
肉食で気が荒く仲間内で殺し合うことがあるが、ほかの鳥がいても気にしない。
だが、他の鳥は気にする。
三年前の二月のある日、坊池の側を通ると土手にシラサギやアオサギ、鴨などが一面に上がっていた。
たくさんの野鳥が堤に上がっているのは珍しいので、行ってみるとコウノトリが四羽飛来していた。
池の中で、まるで膝関節のように見える踵の下まで水に浸して、悠々と歩いている。
かなりのスピードで嘴をチョンチョンと水に出し入れして、何か食べていた。
池をぐるりと取り巻いた鳥達が、一心に大きな闖入者を見守っている。
時々、アオサギが「ギャッ」と鳴くのは威嚇しているのだろうが、遠巻きにして、水に入る勇気のあるのは一羽もいない。
その時、調査して一羽の個体の足環から兵庫県の豊岡で生まれたことがわかった。
豊岡と言えば、令和天皇が御幼少のみぎり持たれた蓋つきの小物入れ、なるちゃんバスケットを製造した杞柳細工の町だ。
私は、鞄が好きである。
火山活動でできた玄武岩の洞窟、出石城跡や古い町並み、近くには香住の蟹。
豊岡とは、なんと魅力的な町だろう。
豊岡の南東六十キロほどのところにある丹波市は、Jinのふるさとだ。
インターネットで保護犬を探していて、きれいな薄いクリーム色の毛のオスの子犬を見つけた。
行ってみると、あんまり目つきが悪くて吠えたり嚙みついたりするのでどうしようかと思ったが、一匹しか残っていないというので連れて帰ったのである。
Jinは十六年私と暮らした。
毎日、ピンク色の鼻を眺めて寝息を聞きながら私は眠った。
彼は大きな鼾をかく、気が強い犬だった。
私は子供の頃、裏山の木々を抜けて来る風がぞうぞうと鳴るのを聞いて泣いて眠る、不安感の強い子どもだった。
その不安感はJinが来て消えた。
夜、Jinと布団に入ると、幸せと言うのはこんなのを言うのかなあと思った。
暑い日も凍える夜も、病めるときも健やかなる時も、私は自分の魂か火種のようにJinを抱いて眠った。
死が一人と一匹を分かつまで。
子どもの頃、商店街へ買い物に行くとき橋を渡った。
海が近いので、潮の匂いがする。
橋のたもとに、灰色がかった緑色の暖簾をかけた寿司屋があり、よく連れて行ってもらった。
プリンとソーダのついた「姫様プレート」という鮨を食べている傍で、カウンターの大将が私の食事作法を誉めてくれた。
私は、大人になったら一人でこんな寿司屋へ来ようと思ったが、一人暮らしを始めても寿司屋へはいけなかった。
だが、やがて近所に回転ずしの店ができた。
子どもの頃の夢が叶ったみたいで、今でも給料日には必ず行く。
普通の子どもが望むことは、多数の人間の需要があるということだから、自分が頑張らなくても世の中が叶えてくれる。
みんなが鮨を食べたいと思えば、費用対効果の高い鮨屋ができる。
それが資本主義というものである。
よって子どもの夢と言うのは、大抵は叶うことになる。
そこへ今度はコウノトリだ。
Jinを連れて帰った夜、白い電気が点いた「松葉ガニ」と「コウノトリの育むお米」の幟旗がかかった古い旅館の前を通り過ぎた。
いつかJimとまたこの町へ来て、ここに泊まりたいと思った。
だが、私に但馬の温泉旅館に泊まって蟹を食べる日はこなかった。
しかし、今度はコウノトリがやってきた。
今度は、私の夢をコウノトリが叶えてくれたのである。
コウノトリは、資本主義とは関係ないけれど。
豊岡のコウノトリの保護と人工飼育のニュースは、テレビでよく流れる。
最近では、ライブカメラで日に何度も幼鳥の生育状況を確認していたほどだから、コウノトリの飛来は大事件だった。
私は、誰彼なくスマホの写真をピンチアウトして見せて「コウノトリが来ていますよ」と宣伝して回った。
四月の異動発表があって同僚が騒めく中、私は今年も移動がなかった。
内部で細かな担当の交代はあるが、同じ部署で、ある意味ベテランある意味窓際に落ち着いていた。
回転ずしもコウノトリも向こうから夢を叶えにきてくれはしたけれど、今度は自分が動いてみようかなと言う気になったのは、結婚適齢期を犬との生活を尊重して過ごして、果ては先立たれた虚しさからかもしれない。
Jinが他人がマンションに入るのを嫌って吠え続けるものだから、恋人が部屋へ遊びに来るのが面倒で、別れたこともある。
Jinを見つけたホームページを開設している保護施設にいる子犬を見がてら、旅に出ようと思った。
たまり続けていた年休をとる。
「木曜日と金曜日に年休をください」
と課長に言うところを同僚に聞かれて、大騒ぎになった。
「牧瀬さんが年休って珍しいね、何年かぶりじゃないの」
から始まって、家に何かあったかとか、病院へ行くのかとか、誰かと旅行に行くかとか、別に聞かれたって構いはしないが、今の時代にそこまで追求してよいのかと言うくらい騒がれた。
犬に死なれた感傷旅行です、とは言えない。
水曜日に仕事から帰ってシャワーを浴びて、水を入れた八リットルのタンクを車に積み込んで出発する。
仮眠をとりながら移動するつもりで、ほかの荷物は前日の夜に車に積んであった。
温泉に入って、思いきりいいものを食べる。
慰安旅行だ。
そうだ、カニだ。
途中のサービスエリアに十一時過ぎに着いて、トイレの近くに車と停めて仮眠をとる。
そして、早朝に出発する。
これから二時間運転しなければならないが、明日の夜は豊岡だ。
途中から山の中を走る片側一車線になって、眠気を催した。
ヘッドライトに照らされた、目の前の道路だけを見て走る。
眠気覚ましに何度もパーキングエリアで休憩をとったので、目当てのサービスエリアに着いた時には日が変わっていた。
さすがに疲れた。
駐車場に点々と街頭が点いていて、トラックが二台停まっていた。
思ったより寂しい所だ。
運転席を思いきり倒して、後部座席に百均で飼った日除けカーテンを貼る。
フロントガラスの真正面から街頭が顔を照らすので、車を移動する。
光が正面から入らなければ、少しくらい明るいのは平気だ。
明日は、まず丹波へ入ってJinをもらった家を訪ねよう。
前から一度、お礼に行きたかったのだ。
それから、保護施設へ生まれたてのシェパード似の犬を見に行く。
その子犬には、Jinの生まれ変わりだと思われる要素が何もない。
私は気に入らないだろう。
担当者に手間をとらせるだけだとわかっていた。
旅の最後に丹波へ行ったら、温泉やカニの楽しい思い出が台無しになる。
私は、きっと口もきけないくらい落ち込むだろう。
帰り道の寂しさは、考えただけでも怖いくらいだ。
「今から温泉に入ってカニを食べるんだ」と思ったら、Jinの生まれた町を元気よく後ろにできそうだった。
まず、丹波へ行こう。
出入りする車の音を聞きながら、そんなことを考えていたら眠っていた。
車の窓が薄明るくなって、目が覚める。
古びた県営住宅の上階が、目の前にある。
サービスエリアには、大型小型併せて駐車スペースは二十台程である。
私はこんなところで何をしているのだろう、と思った。
Jinに置いて行かれた。
幼い頃、祭りに行って迷子になって何時間も町中を歩いて、保護されたことがある。
あの、知らない町にいる感じが今の私には常にある。
何をしても楽しくない自分にまいっていた。
エリア内をぶらぶら歩いた。
私は何をしているのだろうと思った。
だが、今日はJinの生家へ行くという目的がある。
何かが起こるかもしれない期待があった。
湯の出る清潔な洗面所で顔を洗って出発した。
高速を降りて通勤ラッシュに巻き込まれたが、九時前には丹波市に入った。
Jinの生まれた、雑貨屋の裏の農家の庭に車を停める。
やんちゃ盛りの男の子が、縄文時代の人のように体に布を巻き付けて走り回っていた。
奥さんは、どっぷりと太ったお婆ちゃんになっていた。
十数年前に子犬をもらった者だと告げると
「ああ、そうですか。
これっ、お客さんがおいでるのに。
静かにして。
娘が高校の時子どもができた言うて、中退して旦那連れてきて。
同居してるんですけど、男ばっかり三人。
もう、悪いんですわ」
と笑う。
「前にお伺いした時には下のお子さんがまだ幼稚園でした。
犬をいただきました」
と言って、スマホの中のJinが赤ちゃんの時の写真を見せた。
「ありがとうございました。いい犬でした」
と言いながら、涙声になった。
「いい犬を頂いて、それが亡くなりまして。
一度お礼とご挨拶にと思っていましたが、連絡先が分からずに突然お伺いしました」
と言って、お土産の近所の人気のラーメン店の半生ラーメンを渡した。
「まあまあ、こんなにしていただいて」
と言って、突然訪問した私に奥さんは明るく笑った。
Jinの血縁の犬がいたら欲しいと思ったが、今いるマリと言う犬は三代目だそうだ。
Jinの母犬ではないそうである。
思えば、Jinの母親がまだ健康で仔犬を産んでいる筈はなかった。
何の収穫もなかったが、この町にいると確かにJinが存在したという実感があって気持ちが落ち着いた。
車を置かせてもらって、あの日Jinを連れて歩いた川の畔を歩く。
「今からお姉ちゃんのおうちへ行くよ。
おしっこが出るんならしときなさいよ」
と言うと、突然背中を丸くして用を足した、幼いコロコロした背中がまだ目に残っていた。
Jinは、幼い男の子から老人になって逝った。
ある時代は、私のイケメンの恋人だった。
靄の降りている川に沿ったしっとりとした田舎町は、迷い込んだような懐かしい場所だった。
日本にまだこんな場所が残っているのかと思う。
廃校になった小学校にコウノトリの資料を展示していると聞いたので、行ってみる。
玄関を入ると、右手に何とか俳句会という張り紙があった。
俳句を書いた短冊を貼ってある。
靴を脱ぎながら、黄ばんだ短冊を見るともなく見ていると
「花冷えや 雨の日は帰る 君の魂 遠野喜朗」
とあった。
わかるなあ。
雨の日は特に恋しい。
もう大丈夫かな、と思っていると雨が降る。
すると、寂しくて寂しくてどうしようもないのである。
ある日
「ああ、これはJinが帰ってきているんだなあ」
と思った。
水は、何かを呼ぶ。
水は、魂であり命だ。
文化であり、文明を産む。
水は太陽や月と引き合い、月の満ち欠けは出産にも影響する。
満月や大潮の日には出産が多いと、助産婦をしていたおばから聞いたことがある。
最近、関係ないという話を聞いたけれど。
ともかく、雨と鬱の関係は私で実証済である。
老人の「君」であるから、亡くなった妻だろうか。
その世代であれば、戦友の死去と言うのも大きな衝撃だろう。
祖父が亡くなった時に、巻紙と毛筆でお悔み状を送ってきた人がある。
「元何とか連隊第何とか中隊の何とかさんより 牧瀬正一殿」と言う仰々しい便りは、葬儀に参列した人の知らない祖父の若い日の苦労を偲ばせた。
父はそれをスマホで撮影して、知人に見せていた。
封書が今も、実家の仏壇の奥にあるはずである。
「君」という甘いニュアンスは、若くして逝った戦友かもしれない。
帰らないよ、と私は思った。
Jinが逝った後、私はこれでもかと言うくらい一生懸命供養をした。
手を合わせるたびに一緒にいてくれたお礼を言い、会いたいねと伝えた。
ペット霊園の仏事には必ず出席し、そのたびにJinの骨壺は納骨堂から出て私の膝の上に置かれた。
某、大寺の住職が来て
「山下マロンちゃん、ビーズちゃん、中塚楓ちゃん、東ミーコちゃん、本田リキちゃん、愛ちゃん、優ちゃん、麗ちゃん、牧瀬Jinちゃん…」
と名前を読み上げる。
Jinの存在したことを証明するように、私は意地になってお金をつぎ込んだ。
ペット用の祭壇を買い、Jinの写真で作ったパネルを注文し、高価な花束を買った。
あの世では花とお香が食べ物だというので、超が付く高価な品々を張り込んだ。
そうしてある日、こんなにしてもJinは帰ってこないのだなと思ったのである。
思ったから、救われたのではない。
どんなに惜しんで見せても誰もどうにもしてくれないことがあるのだな、と悟っただけである。
どうしようもないことがこの世の中にあることを、初めて知ったのである。
子どもの時からのんびりとした性格で、何かを強く求めるようなこともなかったから、激しい喪失体験をしたことがなかった。
母が仕事をしていたのでほとんど祖母の膝で育ったが、その祖母が逝った時にも特に寂しくはなかった。
ところが、Jinがいなくなってから自分の部屋にいるのも怖くなったのである。
風呂に入っている間、スイングドアの前で待っているJinがいない。
風呂のドアが外側へ開くので、出る時よく思いっきりJinにぶつけた。
かなり痛いと思うが、Jinはよっこらしょっと言った様子でもっさりと立ち上がった。
夜中にトイレに付いてきて、ドアの前で待っているJinがいない。
半開きにしたドアの蝶番の間から、いつもうろうろするJinが見えたのに。
夜中に廊下の押し入れにある物を取りに行かなくてはならないとき、暗闇に手を入れるのが怖かった。
事あらば、吠え立ててくれるJinがいない。
マンションの前を走るバイクの音、夜の風、猫の声。
急に寒くなった日、無茶苦茶天気が良くて公園に犬を連れた人がたくさんいるのだろうなと言う日。
肉を焼いたとき、牛乳を飲むとき、苺を食べるとき。
喪失感は突然に訪れた。
朝早くに目が覚めて、ベランダで細い薪を一本、Jinとキャンプに行った焚火台で焚いて、コーヒーを淹れた。
「君のいない暮らしは寂しいなあ」
と大声で言ってみたりして。
夜、電気を消して、Jinの毛によく似た色のカバーをかけたクッションを抱きしめてみたり。
それでもたまらない日は、虹が出た。
虹は天国のペットたちからの「元気でやっているよ」というメッセージだというが、Jin が逝ってからよく見るようになった。
意識するから、よく出ているような気がすると言うものでもないだろう。
そんなことを思いながら、丹波へ来たコウノトリの写真を見て回った。
うちの裏へ来るのも、この中にいるかもしれない。
川で死んでいるのが見つかった個体のはく製があった。
小学校の屋上からは、周囲の山と見事な棚田が見えた。
それから、螺旋階段をコトコト降りる。
水路の多い、どこまで歩いても同じような風景の田舎町である。
山に足を掛けて、虹が出ていた。
阿弥陀如来は、この世の人々を皆救い終えるまで仏にはならないと決められたという。
仏様になられたのは、この世の生きとし生けるものが皆救われたからだ。
私は、救われているのだろうか。
私は死んだ時、仏様に迎えに来てはいらない。
Jinに迎えに来てもらう。
「あんたが来て何になるの。なおさら大変になるじゃない。」
と言って、私は老いたJinを抱えて歩く。
保護施設は、白いスレートの工場のような建物だった。
入り口の檻に、体の大きいセントバーナードに似た犬が入っている。
大人しい。
子犬は、七匹いた。
まだ、みんな目が開いていない。
七匹も生まれたのだなと思った時、入り口にいたのが母犬だったのだと気が付いた。
無念だろうと思った。
見に来た犬も他のも皆可愛いが、これから自分の人生の時間とお金を掛けようという気にはなれなかった。
餌代、洋服代、出張時のペットホテル代、それから膨大な治療費。
一度も惜しいと思ったことはないのに、なぜそれができたのだろうと今になって不思議に思う。
豊岡へ着いたのは、三時過ぎだった。
昼を食べていないので、出石の町並みでそばを食べてちょっとした旅行気分を味わう。
しかし、円山川の見えるホテルの二階に入った時は、しみじみと寂しいと思った。
そこらをJinが歩き回っていたらと思う。
夜は思ったほど寒くなかった。
翌朝は、ホテルのモーニングビュッフェを食べて出発した。
これから、出石城跡へ登ってみよう。
街並みを歩いて、会社のお土産を買う。
いや、実家へ帰ったことにして、この間母が送ってきた煎餅を持って行くほうが普通かもしれない。
日暮れに温泉に入って、土産物店で百八十ミリの日本酒を買った。
通りかかった店で出石そばをテイクアウトする。
私は、こんなことがしたかったのだろうか。
今夜は温かいから、ぐっすり眠れる。
春浅い地球の片隅の寂しい駐車場で、目が覚めた。
隅っこにトイレがある市営駐車場に、他に車はいない。
小鳥の声がしない。
登校する子どもの声もしない。
車内を片付けて、日本海へ向けて車を走らせた。
テトラポッドの上に立って、初めて日本海を見た。
やっぱり、私はおかしいと思った。
休みは、まだ二日ある。
ぎりぎりまで遊んで帰ろうと思う。
もしホテルがとれなくても、ちょっとした調理と電気毛布の使用はできる。
私は、春の地球の迷い子のようだと思った。




