第一話
一歩、また一歩。
雪村初は、キャンパスの石畳をコツコツ鳴らしながら、スマホ画面を食い入るように見つめていた。
『運命の人の見つけ方──「完璧な恋愛シナリオ」を組み立てる5つのステップ』
お気に入り登録してある恋愛コラムサイトの新着記事だ。通学途中に、つい開いてしまうのがいつもの習慣になっている。
(ステップ1、出会いのシーンは「いつもと違う場所」で──か)
画面には、キラキラしたイラストと共に、やたらそれっぽい言葉が並んでいる。
図書館、教室、バイト先。そんな「よくある場所」ではなく、自分の殻を破るような空間に踏み出してこそ、新しい恋は始まる──らしい。
(ふうん……言うのは簡単だけど)
初はアプリを閉じ、息を吐いた。
彼氏いない歴、同い年……。告白はされたことが一度だけあるけれど、あれは勢いというか、サークルの罰ゲームに近かった気がするし……なにより、自分が本気で「好き」とは思えなかった。
(どうせ恋するなら、ちゃんとシナリオ通りがいいなあ)
ドラマみたいに、ラノベのシナリオのように、偶然の出会いから始まって……。
すれ違いがあって、誤解があって、でも最後にはお互いの想いを確かめ合う、感動のクライマックス。
完璧に積み上がった物語。
スタッフロールが流れるタイミングまで、全部決めておきたいくらい。
「──って、またひとりで脳内ドラマ流してるでしょ」
突然、肩をポンと叩かれ、現実に引き戻される。
振り向くと、ゼミ仲間の藤森真由がニヤニヤして立っていた。
「おはよ、初。今日も恋愛コラム?」
「わっ、見てたのバレた?」
「歩きスマホでニヤニヤしてたら、誰だって気づくっての!!で、今度はどんな“完璧な恋の作り方”?」
「い、いいでしょ別に……研究、研究。将来、恋愛小説書くかもしれないし……」
「はいはい、また言ってる」
半分からかい、半分本気で笑いながら、真由は初の腕を取った。
「ねえ、今日さ、ゼミのあと空いてる? 行きたいカフェがあるんだけど」
「カフェ?」
「うん。駅のちょい先の路地にある、『Layers』ってとこ。インスタで見つけたんだけど、パフェがめちゃくちゃ映えるの。ほら」
真由が見せてきた写真には、背の高いグラスに、色とりどりのフルーツとアイス、クリームが幾層にも重なっていた。上には、繊細なチョコの細工と、金粉のようなものまで散らしてある。
「……すご。なんか、芸術作品みたい」
「でしょ〜? ゼミの打ち上げ、には早いけど、レポートおつかれ会!!ってことでさ。いいでしょ?」
「レポート、まだ途中なんだけど……」
「細かいことは気にしない。人生、甘いものを食べられるタイミングから攻略していくべきなのです!!」
真由は意味不明な持論を展開しながら、初の返事を待つ。
言い負かされる未来が見えた初は、苦笑しつつ頷いた。
「……わかったよ。じゃあ、今日の放課後ね」
「やった〜!」
そうして、その日の「いつもと違う場所」が、静かに決まった。
◆
夕方。
講義とゼミが終わる頃には、キャンパスの空はオレンジ色から群青へと変わり始めていた。
「こっちこっち!」
真由に引っ張られ、駅前の人混みを抜け、少し離れた路地へ入る。賑やかなチェーン店が立ち並ぶ通りから一本入っただけなのに、空気はぐっと落ち着いて、雑居ビルの隙間からのぞく空が近く感じられた。
路地の奥に、小さな看板が見える。
──café & bar Layers
黒い木の看板に、白い文字でそう書かれていた。
外からのぞくと、店内はあたたかな間接照明に照らされていて、カウンター席がいくつかと、奥にテーブル席が見える。
「なんか、おしゃれ……」
「でしょ〜? じゃ、入るよ!!」
扉のベルが、ちりん、と鳴る。
落ち着いた雰囲気の喫茶店。店にふわりと漂うコーヒーの香りや甘いバニラの匂いが混ざり合って、なんとも言えない心地良さを作っている。そしてゆっくりと時間が過ぎ、渋めの声が店に心地よく広がる
「いらっしゃいませ」
奥のカウンターから響いた。
グラスの磨かれた音、静かなジャズ。
カウンターの向こうに立っていたのは、黒いシャツにエプロン姿の男性だった。
まだ若い。四十代前半くらいだろうか。
整った顔立ちだが、派手さはなく、あくまで「店の一部」としてそこにあるような、静かな存在感。
「あのぉ二人です。空いてますか?」
「はい。お好きな席へどうぞ」
短く答えた声は、冷たいわけではないけれど、必要以上の感情を乗せていない。
プロの接客、という感じがした。
(わ……なんか、ドラマに出てきそう)
初は内心少し緊張しながら、窓際の二人掛けテーブルに座った。
メニューを開くと、季節のパフェやアレンジコーヒー、アルコールまで、思った以上にバリエーションが多い。夜はバーとしても営業しているのだろう。
「初、ほらこれ。『Layers特製グラスパフェ “シトラス&ベリー”』だって。絶対これでしょ」
「名前からしておいしそうね……」
「あと、私カフェラテ。初は?」
「えっと……カフェモカにしようかな」
注文を決め、さきほどの店員さんに声をかけると、彼は静かにメモを取り、軽く会釈してカウンターへ戻っていった。その後ろ姿を、初はじっと目で追ってしまう。
背筋はまっすぐ。動きは無駄がなく、グラスを取る手も、コーヒーマシンを操作する所作も、見とれてしまうほどしなやかだ。
「……ねえ」
「ん?」
「あの人がいつも作ってるんかな?さっきのパフェ」
「そうだと思うよ。インスタでも『無口なイケメン店員さんが作ってくれる』って評判なのよ」
「そんな情報まで書いてあるの?」
「書いてあった。女子はそういうのも含めて“映え”を求めるのだ」
真由は冗談めかして笑うが、初はなぜか、胸のあたりが少しざわつくのを感じていた。
(……無口、か)
恋愛コラムで読んだ理想のタイプは、「よく笑って、言葉でちゃんと気持ちを伝えてくれる人」。
今まで何度もアンケートに答えてきた“理想の彼氏像”も、だいたいそんな感じだった。
でも、カウンター越しに見る彼は、ほとんど表情を変えずに黙々と仕事を続けている。その横顔には、無駄な感情の揺れがなくて──どこか、安心する静けさがあった。
(……なんか、いいな)
自分でも驚くくらい自然に、そんな言葉が浮かんできた。
◆
やがて、テーブルの上に、白い皿ごとパフェグラスが置かれる。
「お待たせしました。シトラス&ベリーのグラスパフェと、カフェラテ、カフェモカです」
近くで見ると、彼──朝比奈透の顔立ちは、思っていたより柔らかかった。切れ長の目は涼しげだが、まつ毛が長くて、アイスを置く手付きはどこか丁寧だった。
「すご……写真より本物の方がやばい。ねえ初、見て見て」
真由がスマホを構える。
初も、思わず息を呑んだ。
グラスの底には、細かく砕いたクッキー。
その上に、ベリーのソースとバニラアイス、シトラスゼリー、ホイップクリーム──そして、カットされたオレンジやイチゴが色鮮やかに重なり合っている。側面から見ると、赤、白、オレンジ、透明な層が、美しいストライプを作っていた。
グラスの頂上には、薄く削られたホワイトチョコと、ほんのり香る、砕かれた小さなオレンジピール。
それらすべてが、ひとつの“作品”として完璧にバランスしている。
「……きれい」
初が思わずこぼした声に、透が小さく首をかしげる。
「お気に召しましたか」
「はい。なんか……物語みたいです」
自分でも何を言っているのか分からない比喩に、真由が吹き出す。
「物語って」
「だって、ほら。ちゃんと順番通りに重なってて、一番上の飾りまで含めて“完成形”になってるでしょ。なんか、恋愛もこうだったらいいなあって」
透の視線が、わずかに動く。
「恋愛、ですか」
「はい。出会って、仲良くなって、告白して……って、綺麗に積み上がっていって。最後まで崩れずに、パーフェクトなままで、みたいな」
言ってから、ちょっと恥ずかしくなって、グラスから目をそらす。
(何言ってるの、私……初対面の人に向かって)
しかし透は、からかうでも呆れるでもなく、少しだけ考えるような間を置いてから口を開いた。
「……でも、パフェって、食べるときは崩れますよ」
「え?」
「綺麗に見えるように積んではいますけど。上から順番に食べると、途中で味が偏る。だから、途中からは混ぜて食べる人も多いです」
淡々とした説明なのに、どこか含みがあるように聞こえてしまう。
「層ごとに意味を持たせてはいますけど、崩して、混ざって、初めて“完成”っていうか……。そういうのも、悪くないと思います」
透はそこで言葉を切り、グラスの脚のあたりを軽く指で弾いた。
小さな音が、テーブルの上に響く。
「……ま、あくまで作り手の自己満足ですけど。ごゆっくりどうぞ」
そう言って、再びカウンターへ戻っていく。
残された二人の間に、ぽかんとした沈黙が落ちた。
「……なに今の。さらっと名言っぽいこと言ったんだけど」
「わかる。なんか、恋愛コラムより刺さるんだけど」
真由のツッコミに、初は苦笑しながらスプーンを取った。
ひと口。
上のイチゴとクリームをすくって、口に運ぶ。
「……おいしい」
ベリーの酸味と、クリームの甘さ。
その後ろから、ほんのりと苦いチョコソースの味が追いかけてくる。
二口目は、シトラスゼリーとバニラアイス。
爽やかな香りが広がって、喉の奥までスッと通り抜けていく。
三口目は、少し深くスプーンを差し込んでみる。
砕いたクッキーのザクザクとした食感と、溶けかけのアイスが一緒になって──さっきとはまた違う味になる。
(層によって、全然違う……でも、全部合わせて“このパフェ”なんだ)
ふと、さっきの会話が頭の中で反芻される。
『崩して、混ざって、初めて“完成”』
(パフェって、崩れるもの、なんだ)
完璧に積み上がった姿が美しいと思っていた。
崩れるのは失敗で、もったいなくて、台無しになることだと思っていた。
でも、崩した先にしか出てこない味があるのだとしたら──。
「……初、どうしたの?」
真由に呼ばれて、ハッとする。
「あ、ごめん。なんか考え事してた」
「今、絶対“恋も崩れた方がおいしいのかな”とか考えてたでしょ」
「なっ、なんでわかるの」
「この店の雰囲気にやられてる顔してたもん」
笑い合いながら、パフェをつつく。
グラスの向こう側では、透が別の客のエスプレッソを淹れている。
ふと、彼が誰かと話している声が聞こえた。
「……ああ、透さんには後で連絡しておきます」
耳慣れない名前。
誰のことだろう、と一瞬だけ気になったが、今の初にはまだ、その一言の意味を知る透はない。
ただ、グラスの中の色とりどりの層を見つめながら、心のどこかで思う。
(恋も、こんなふうに綺麗に積み上がればいいのに)
甘くて、ほろ苦くて。
崩れても、まだすくい上げられる何かが、グラスの底に残っているような──そんな恋が。
このときの初はまだ知らない。
今日、ふらりと立ち寄ったこの店「Layers」での出会いが、自分の「完璧な恋のシナリオ」を、ゆっくりと、しかし確実に崩していくきっかけになることを。
そして、崩れた先でしか見つからない、自分だけの甘さがあることも──まだ、何も知らなかった。




