1.出生(戦時中の戦渦の中で・・・)
その男は1945年の1月に生まれた。
母親によって高司と名付けられた。
高司を生んだ時母親は40歳を過ぎていた。
5歳年上の兄がいた。
兄とは父親が違っていた。
兄の父親は第二次世界大戦に召集されて南方で戦死していた。
他にも兄弟がいたが、空襲で亡くなっていた。
兄とは姓が違っていた。
兄は久保という姓だが、高司は広田という母の姓だった。
その辺の事情はよくわからなかった。
しかしあえて母親に聞くことはなった。
母親は女手一つで、戦渦を子供を抱えて生きるのは大変だったのであろうか、身を売って生計をたてっていたようだ。
当時そんな女をパンパンと呼んでいた。
そして誰の子かわらない状況で生まれたのが高司だった。
高司が生まれて約半年後に日本は戦争に負けて終戦を迎えた。
高司は戦争の激化と出生の事情で出生届が出されていなかった。
高司に戸籍ができたのは生まれてから1年後のことだった。
幼い高司を母親に代わり育てたのは兄だった。
高司が生まれたのは、東京の葛飾区だった。
終戦後の日本は一部の階級を除いて皆貧しかった。
高司の家は、その中でも究極に貧しかった。
狭いバラック小屋での家族3人の生活だった。
少しづづ日本は戦争から立ち直り始めて、高司がもの心つく頃には、兄は納豆売りをして日銭を稼いでくれていた。
兄は小学校から帰ると幼い高司を連れて、近所の豆腐屋に行き納豆と豆腐を入れた籠を持ってラッパを吹きながら売り歩いた。
高司も兄の後を必死に付いて歩き、買いに来るお客に愛想を振りまいた。
納豆も豆腐もほとんどが売れてしまうが、たまに売れ残るとそれらを貰うことができた。
高司の家庭にとって納豆はご馳走だった。
その頃の高司はガリガリのチビだったので、近所のガキ大将にいつもいじめらていた。
兄が小学校に行っている間は家の外で一人いつも遊んでいた。
そうすると必ずガキ大将がやって来て高司をイジメる。
石を投げつけられたり水をかけられたりする。
いじめっ子に泣かされて帰る高司を兄はいつも慰めた。
「いつか、大人になって腹いっぱい飯食える日がくる。だから今は何事も辛抱するしかない。」
兄のその言葉にいつも勇気をもらっていた高司だった。




