78 御前試合「EXERCISE:X」
央暦1969年10月27日
夷俘島 斗米空軍基地
葦原国大和幕府空軍第1航空団『彰義隊』第1中隊『ペンギン』
志村“Chase”良介二等空尉
現状は停戦中とはいえ戦時下。
そして戦時下とはいえども、停戦中だ。
故に、仕事に平時の任務というものが加わり、良介も従事する必要が出てきた。
これが小銃を抱えて歩哨や営門で立哨するのならば、まだいい。
良介最大の問題は、オール手書きの書類仕事であった。
「……俺は幕府空軍の人間じゃないのに」
良介は机で書類に対面しながら、紛れもない本心を呟いた。
確かにほぼ拉致に近い形でやって来た異世界の軍隊で、なぜ書類仕事をしなくてはならないのか。
疑問は生じるが、実際にその軍隊で任務に従事させられているのだから仕方がない。
「喋ってないで手を動かせ。それを言ったらおしまいだ」
「私とて、異邦人である良介らに頼むのは問題があると考えている。
しかし……私は書類仕事が得意ではない。書類仕事が終わらなければ、空を飛べない。
だから良介、早く終わらせよう」
「な、なんか話の前後が繋がってないような?」
幸いにも、隊長経験者の多いペンギン隊が総出で手伝ってくれているため、良介のようなボンクラでも初めての業務をこなすことが出来た。
───いや、ペンギン隊総出じゃないぞ。
そう、その通りだ。
ペンギン隊隊舎にいるのは良介とボス、それにあくりの3人ばかり。
最後のひとりは───未だ復帰出来ていなかった。
ちょうど良介が手に取った書類は、彼女に関するものだった。
空知竜司の経過観察。
彼女は小銃射撃で錯乱して以来、空を飛べる精神状態ではなかった。
───そろそろ、時間を作って会いに行くべきだろうな。
今、竜司は軍病院───なんてものは夷俘島にはない。
そのため、屋岸総合病院の病棟で療養していた。
別れ際には落ち着いていたが、幻覚が何かの拍子で突然ぶり返すらしい。
現状は───やはり錯乱するほどではないが、時折現れるとの事だった。
幻覚の症状がある人間を飛ばすほど、幕府軍も切羽詰まっていない。
なぜか、脳内に思考が独立している人格を飼っている人間を重用するが。
───うーん。まあ、俺は落ち着いた大人の男性だし。
黙れ。
そんな馬鹿を言っている暇があったら、仕事を終わらせて竜司の様子を見に行くべきではないのか?
「竜司は……まだ回復していないか」
ボスが良介の視線で、見つめている書類に気付いたようだ。
内容を一瞥して、消沈した声で言った。
「うん。そろそろ、隊長としてお見舞いに行った方がいいかな?」
「そうだな。その間の業務は任せておけ、俺とあくりでどうにかしておく」
「うむ……なるべく、早く帰ってきてくれるとうれしい」
ふたりは渋る表情すら見せず、快諾してくれた。
志村良介、お前は良き部下───一部上司に恵まれた幸運に感謝しなくてはならないぞ?
「そうしてくれるなら……近いうちに時間を作らないとな」
「おっけー、いつ行く?」
「っ⁉︎」
彼女が音もなく出現するのには、良介は慣れ切っていた。
咄嗟に反応してしまったのはあくりだ。
まだ千代と知り合って日の浅い彼女は、気配を完全に消して迫る千代に慣れていないのだ。
「その方、千代と言ったか」
「はいはーい、なに?」
「……その隠密術、いずれ教授してほしい」
「そっちかよ」
果たして、幼少期から命懸けで会得した技術を体得出来るかは未知数だが───
それはさておき、竜司の問題だ。
「時間があったら考えとくね。で、竜司の問題だ。
サトリの問題と言ったら、あたしだよね?」
「そうだな。世界一の専門家に同行してもらえると、色々助かるよ」
なにせ彼女には、非人道的行為も辞さない研究施設の研究者から直接読み取った知識がある。
その経緯に問題はあったが───非研究者の中で最も、サトリという存在について精通した人間だろう。
千代が共に来てくれれば、心強い。
「ふっふーん、任せなさぁい」
これでひとまずの方針は定まった。
続いては、目下の問題だ。
「で……千代ちゃん、もうひとつ頼みがあるんだ」
「もちのろん、葦原いちの始末屋に任せなさい」
「この書類仕事、手伝って」
「……」
千代はしばらく硬直してから、机に積まれた書類の山を見やると。
「ドロン」
突如、猛烈な勢いで隊舎は真っ白な煙に包まれた。
「うわっ、白燐手榴弾かっ⁈」
この爆発的な煙幕の形成は、水でも消えない熱を放つ白燐を燃焼させ、燃焼ガスで視界を遮る白燐弾か。
異世界であるこの世界でも存在し、一線級の発煙手榴弾に採用されている。
なお白燐弾はメディアから焼夷弾の如き扱いを受けることがあるが、それは過去の話だ。
確かに人体の温度程度で自然発火する性質から、現代でも手榴弾サイズの焼夷弾としての使用もあるにはあるが、基本的には離れた敵との間に展開する煙幕としての使用が主流である。
なにせ現代ではサーマイトという、毒性を持つ余計な煙がなく燃焼力も高い、もっと適したものがあるのだから。
もっとも、燃焼した白燐が身体に付着すれば骨まで燃やされ、生じるガスも直ちに悪影響がないとはいえ咳き込む程度にはよろしくない物質。
少なくとも、人間がいる場所で使うべきではない代物なのは確かだ。
これはこの異世界でも、我々の世界でも同様だ。
「人体に害のない錬金術で作った物質の煙でーす!」
「うーん、都合がいい……」
そう、この世界には錬金術というご都合技術があるのだ。
白燐と違って、コストの面でご都合スモークは劣っているのだろう。
彼女の言葉通り、視界を覆う煙に息苦しさはなく、眼球のような粘膜にも刺激を感じなかった。
というわけで、千代は煙幕の解説を終えると完全に姿を消してしまった。
「ちぇっ、逃げられてしまったぞ」
「……元より、部外者に仕事を頼む方が間違ってるんだ。
ほらしむすけ、仕事に戻るぞ」
「うむ。手早く片付けてしまおう、良介」
「ふぅ……やるしかないか」
ボスの言う通り、部外者を巻き込むべきではない。
千代には千代のやるべきことがあるのだから。
そんなわけで、良介は書類仕事に忙殺されるのであった。
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