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F-2無双(仮)  作者: 穀潰之熊
第三部 世博停戦

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77 飛行試験「Vacation」

央暦1969年10月19日

夷俘島 屋岸駅前

葦原国大和幕府空軍第1航空団『彰義隊』第1中隊『ペンギン』

志村“Chase”良介二等空尉


 志村良介は次元を捻じ曲げるレベルの晴れ男である。

 故に、エラと約束した今日だってもちろん、快晴のデート日和であった。


「……しかし、流石の俺様もセレブな女の子と付き合った経験はない。

セレブのデートって、一体どんな感じなんだろう?」


 何せデートのお相手であるエラは、合衆国という国を建国したひとりのうえ、様々な肩書を持ったエリートなのだ。

 彼女の総資産は果たして、良介の年収の何千倍なのやら。


「ちなみに、幕府軍での俺様の給料は幕府軍の士官……つまり、普通の戦闘機乗りと一緒だ。

イグルベの傭兵連中は、そりゃもうたんまり稼いでるらしいけど」


 彼らはそのために遠きソウサレス大陸から、世界の反対側である葦原までやって来たのだ。

 その程度の報酬も出せなければ、幕府は今頃終わっていたに違いない。


「むしろ、俺としてはどうやって給料出してるのか気になるんだけど……」


 それはさておき。

 そろそろ、エラは到着しただろうか。


 背後の駅舎に列車が到着し、プシューとブレーキからエアーの抜ける音が響いた。


 この世界の列車を、思考のトレーニングがてら思い出そう。

 動力はディーゼルエンジンで発電した電力を主とし、平地での省力走行などの補助に魔力を用いる。

 魔動補助気動車というわけである。


 異世界の魔力という新動力を持ちながらも、結局人はタービンを回す機関から逃れられていないのは残念だが───


 それはさておき。


 この形式の気動車が葦原では一般的で、貨物や旅客の用途で差異はあれど大体がこの車両である。

 先ほど良介もここへやって来るのに利用したが、エンジン稼働中は細かく揺れるため乗り心地はとても悪い。

 聞くところによれば、寝台列車ともなれば一等寝台車以外は『横になれる貨物車』とまで呼ばれているとか。


 まさか、セレブがそのような列車に乗らないだろう。


 一瞬だけ駅舎に意識を向けた良介は、待ち合わせ場所の屋岸駅前の広場でロータリーの様子を伺った。

 聞くところによると、足もエラが用意してくれるという話なのだが───


 ロータリーは他の通行など気にも留めない連中に占領されている。

 入りたがっているであろう車に背後からパッシングされても、彼らは意にも介していなかった。


 駅舎から人がわっと出て来た。

 先ほど到着した列車の乗客に違いない。

 ここから目当ての姿が現れるまで、彼らは一歩も動くつもりはないのだろう。


「うーん、葦原の交通事情が無法過ぎる……」


 とはいえ、これではエラが駅前まで来ても、ロータリーまで接近出来ないのではないか?

 あのクラクションの中に、彼女の車があってもおかしくない。


「……様子でも見に行こうかな?」


「誰の?」


「ギョギョギョっ⁈」


 死角から投げ掛けられた言葉に、良介が振り返ると───

 想像通り、合衆国の建国者の登場だ。


 普段と違い、護衛らしき姿はないが───


「なに? そんなに驚いて」


「エラちゃん、護衛は?」


「振り切って来ちゃった。

私が乗ったところは見てたから、その内追いつくだろうけど」


 まさか、本当にあの列車に乗っていたとは。

 それも先ほど到着したのは普通車、指定席などない通勤にも使われる列車である。


「普段は車で来てるのに、なんで今回は列車を?」


「ほら、駅前のロータリーって、大体あんな感じだから」


 そう言って、エラは良介の疑問を解決してくれた。

 あの交通事情を理解していれば、自動車での接近はあまり考えないだろう。


「……それもそうか。でも驚いたよ、エラちゃんならスペシャルスイートな

超豪華寝台列車を丸々1両チャーターしそうじゃない?」


「君は人を何だと思ってるのかな……? まあ、長距離列車ならたまにやるけど」


「やるんじゃないか」


「もう、それはいいの! ……それよりも、ちょっと歩かない?」


 彼女は西の方へ歩くように促した。

 そちらは間もなく港へ差し掛かるが───


 拒否するほどの事でもない。

 良介はエラと並んで屋岸南部の街を歩き出した。


「エラちゃん。その格好で列車は狭くなかった?」


 彼女は作業着ではなく、度々着ているドレスのような衣装を身に纏っていた。

 素晴らしいスタイルがよく出ている、ハイセンスなデザインである。

 一方で、スカートのふわりとしたシルエットは、狭苦しい車内で肩身の狭い思いをするのではなかろうか。


「まあね。

でも人間、出すもの出されたらちょっとキツい環境も耐えられるんだよ」


「うーん。実にセレブな解決だ……」


 きっと、現金を支払って隣の人間に寄せてもらったのだろう。

 退屈な移動時間に、少し窮屈な思いをするだけで収入が入るのだ。

 文句を言う人間は、そう多くないだろう。


 気に入らない人間も、少なからず出るだろうが。


「そろそろ港って感じだぞ」


 屋岸駅はすぐ隣にある屋岸港の船から荷を下ろし、そのまま貨物列車で夷俘島中に輸送する列車基地でもある。

 故に、そう長く歩くことはなかった。


 エラの案内した先は、なんてことのない埠頭(ふとう)であった。

 良介は直接来たことのない場所だというのに、どこか懐かしい気がしていた。


「覚えてる? あなたが屋岸の救世主なんて呼ばれた理由」


 港の向こうにある水平線を眺めながら、エラは尋ねた。

 良介はその隣に立ち、同じ景色を眺めた。


「もちろん。

俺がこの世界に来た直後、屋岸の街を空爆しようとした

爆撃機を叩き落したからじゃないか」


 この世界に転移した直後、政府軍の神機隊に攻撃され。

 その際に助け合った関係の竜司───厳密には彼女を介した宗治郎に、ボスの救助と引き換えに頼まれた事である。


 結果的に、この介入によって葦原内戦に全身浸かってしまったが───

 市街地爆撃の阻止に関して、良介は微塵も後悔はしていなかった。


 たとえ命の()り取りだとしても、最低限のルールがある。

 ルールに基づいた殺し合いなど、噴飯(ふんぱん)モノの下らない話なのは言うまでもない。

 しかし文字通り手段を択ばぬ戦いは延々とエスカレーションが続き、あらゆる生命が死滅するまで続く。


 日本には、良介の居た世界にはそれを実行できる力があった。

 そしておそらくこの世界にも、その気になれば実現できる下地があるのだ。


「多分、ハッキリとは話してなかったよね。あの時、私はここにいたの」


「ここって……この港?」


「うん、そう。厳密には到着した直後の輸送船、荷下ろしを待ってたんだ」


 エラはロング・イラ社の代表にして、現場でも働くプレイング・マネージャーである。

 彼女の現場主義を鑑みれば、専門技術を思い返せば。

 自社製品と共に戦地(げんち)へ赴くのは不思議ではない。


 勢力圏の市街地を焼く戦略爆撃に巻き込まれるのも、当然と言えば当然なのだ。

 死の商人の───言ってしまえば自業自得だ。


「……思い出したぞ。確かにあの時、輸送船が一隻、港に停泊してた」


「そう。すぐ隣にエンジンの残骸が落ちてきたやつ」


 木っ端微塵になった機体の残骸が突き刺さっていた輸送船だ。

 まさか、あの時の船に彼女が乗っていたとは。


「なんだ。もっと早く言ってくれればよかったのに」


「そう思ってはいたんだけど、いつもどっかの誰かさんが話を混ぜっ返したり、

そういう雰囲気じゃなくしちゃうからね」


「……俺?」


「あなた以外に誰がいる?」


 志村良介、お前以外にはいないだろう。


 ともかく今回は真面目な雰囲気なのだから、茶化しはやめろ。

 重い話を避けたいのはわかるが、彼女の気持ちも考えろ。


「そうか……それは、きっと運命だ」


 私が言いたいのはそういう意味ではない。

 もっと真剣に、誠実に話を受け止めろと───


「そうかもしれないね。きっと運命だと思う」


「あ、あれれ?」


 あ、あれれ?

 どういうわけか、エラは良介の口説き文句を肯定した。

 思わぬ展開に良介は少し動揺し、硬直してしまった。


「……こういうピンチを助けられるの、初めてじゃないんだ」


「というと?」


「私が30くらいの頃……150年前だね」


 良介、言葉をごっくんしろ。


───ごっ、くん。


 確かに脳味噌がバグりそうな数列だが、茶々を入れてはいかん。


「まだ合衆国じゃなくて、いくつもの地域───

国どころか、単なるパヴィートラム地方だった頃。

私は耳長にしては好奇心旺盛で、ちょくちょく清き森の外に出てたんだ」


「清き森に住む耳長(elf)ね……なるほど」


「その時はちょうど大航海時代って奴でね。

ユーロネシアから冒険者や入植者が流入してて……

彼らからすれば、耳長は伝説の生き物だったんだ」


 良介の居た世界にも、大航海時代は当然存在した。

 クリストファー・コロンブスは西の大西洋でアメリカ大陸を発見し、新たなる土地と梅毒をヨーロッパにもたらした。


 この世界には、ヨーロッパならぬユーロネシアに西方はない。

 西がなければ、反対側の東になるわけだ。


「ユーロネシアには、耳長がいないの?」


「文献によると、かつて耳長には最強の魔法使いが揃っていてね。

相手をその目で見る事もなく捉え、心臓を握りつぶしたりしていたんだ。

そんな力を持ってたから、世界を征する一歩手前まで行った」


「つ、強すぎる……ゲームなら修正(NERF)不可避だな」


「そう。強すぎて、修正を受けた」


「……誰から?」


「一つの種が全てを潰すのに飽きた管理者……神々から。

かつての耳長には神から与えられた力、魔法しかなかった。

だから成す術もなく魔法の弱体化を受けて、

目で見える範囲にしか魔法を使えなくなった」


 その目で見る事もなく、相手に魔法の影響を与える。

 そこから、目で見える範囲まで射程の弱体化を受ける。


 エラの表現が正確ならば、『射程無制限死角なし』から『視程内限定死角あり』となったわけだ。

 そのような環境に慣れ切った中で、突然奪われれば。

 手足を失ったような喪失感となるだろう。


「ずっと清き森にいた最強の魔法使い達は事態を飲み込めず、

現地で家畜(・・)を飼っていた耳長は逆襲にあった。

文字通りやりたい放題していた連中が、最大かつ唯一の優位を潰されたんだ。

ユーロネシアでどんな事があったのか、言うまでもないだろう?」


「……民族浄化か、それより酷い事になるだろうな」


 家畜という表現が確かならば、数ある奴隷という階級の中でもかなり酷い扱いとなるだろう。

 その恨みをぶつけられれば、何が起こるかは想像に難くない。

 良介がその現場に居合わせたとしたら───周囲に同調していただろう。


「そこからユーロネシアはおとぎ話以外の耳長を忘れて。

数百年経って、ようやく極西の民はかつての飼い主が生まれた地に

やって来たわけ」


 なるほど。

 ユーロネシア人からすれば、かつて滅ぼしたはずの生き物を未開拓地で発見したという事になる。

 それも、かつての力を持たないことが明白な生き物。


「私の話に戻ろうか。ユーロネシア人の冒険者は、当然私をさらおうとしたよ。

居住地を聞き出すためか、あるいはそのまま売り飛ばすためか……

でも、私を助けたのも同じユーロネシア人の冒険者だったんだよ」


 聞くところによれば、冒険者という存在はいつの時代も群れる反社くらいの扱いだったそうだ。

 傭兵になれるほど戦場に適応できず、正規軍に入れるほどの規律もない。

 太平の世での山賊、戦時での落ち武者狩り。


 強いてまともな点を挙げるなら、魔の世界からやって来た魔物を狩るくらいだったとか。

 よくある異世界モノに出てくる冒険者の数百倍、治安の悪い存在である。


「その冒険者が……後の合衆国初代皇帝、タナト・ク・マランスその人だよ」


 合衆国建国の中心人物にして、冒険者最大にして最後の成功者。

 極東の覇権国家をその身ひとつで築いた男だ。


 なるほど、それは確かに運命かもしれない。

 その出会いこそ、建国の英雄エラ・アーロンを形作る出会いだったのだから。


「そんな人間と、俺を? 比較になるの?」


「大丈夫。タナト君は……あなたよりも直接的で強引だったから」


 150年前───西暦に直せば1820年代、近世の英雄だ。

 それが色ボケの良介より直接的で強引と評されるとなると。


 昭和の色を強く感じる央暦1969年でこれなのだ。

 現代人の感覚では、相当野蛮な人間に違いない。


「……どういう人間だったのか、詳しくは聞かないでおくよ」


「大筋では多分、リョースケの想像通りの人間だったね。

でも、私を助けるくらいの分別はあったんだよ」


 ふと、良介は視線をエラにやった。

 すると彼女の顔には───寂寥(せきりょう)があった。


───……きっと、エラちゃんは。


 その表情を一瞥するだけで、渦巻く心情を察することが出来た。


「そう、ずっと彼の事が好きだった」


 良介の目線に気づいたのか、エラは視線を交わしながら宣言した。


「いつも滅茶苦茶で周りを振り回して、でもその滅茶苦茶で問題を解決するし。

私の発明をいつも適当に扱って壊すのに、なんだかんだうまく活用して……

正直酷い目に遭ってばかりだったけど、そうなっちゃったんだ」


 どこかで、聞いた事のあるような人物評である。

 しかし志村良介、調子に乗るな───お前は決して


「撃墜した爆撃機を追撃して、その残骸を木っ端微塵にする無茶。

機体に鞭打って、周囲をひーこら言わせながらも、有無も言わせぬ結果を出す姿。

それで……私は、リョースケとタナト君を、重ねちゃったんだ」


 けっ───いや、え? そうなの?

 でも、好きだった人間と重ねて見ているという事は、そういう事で───


 正直、好ましい話ではなかった。


「俺は、その皇帝の代わり(・・・)?」


「失礼なのは承知で、そう思ってた」


 気持ちはわからんでもない。

 かつて好いていた相手と、つい重ねて見てしまう人間。

 気になるのも当然だ。


 しかし───良介にとって、そのタナト皇帝とやら。

 面識がなければ、顔すら知らぬ他人、それもとっくの昔に故人だ。


 エラのような見目麗しい女の子に好かれるのは光栄だが───

 良介は誰かの代替品になるつもりはなかった。


「なら、俺はお邪魔かな」


「え?」


 踵を返し、埠頭を離れる。

 その背後をヒールの足音が追いかけて来た。


「待って! 話は終わってない!」


「君の心にその皇帝がいるとして……俺みたいなノイズ(・・・)は邪魔だろ?」


 見苦しい、今のお前はナンパ中よりも見苦しいぞ。


 別の誰かと重ねて見る、それが失礼な行為なのは確実だ。

 しかし、それで不貞腐れて逃げ出すのはあまりにもみっともない。


「うるさい」


 振り返りもせず、一直線に歩き続ける。

 すると、無理をしていそうな足音が隣に並んだ。


「だ、黙らないからっ。話が終わるまでっ」


「君じゃない、もっと別な奴に言ってるんだ」


「そういう本当にワケわからないところは、全っ然違う!」


「だろうな。俺みたいなおかしい奴は2人もいらない」


 来た道を戻り、港から市街地へ。


「あっ」


 道路の段差を越えると、隣の気配が止まった。

 一瞬だけ良介の歩みが止まりかけたが───歩き出した。


 苛立ちはわかるが、さすがにここは助けるべきじゃないか?

 だからお前はダメなのだ、器が小さすぎる。


「ちぇっ。うるさいっての」


 どこを見ても彼女が見えないように、良介は通りを曲がって横丁に入った。

 そこは長屋の連なった飲み屋街となっており、勤務終わりの港湾労働者や、船での移動を目前にした軍人の姿が目に入る。

 皆一様に(あか)ら顔で、停戦中とはいえど、戦時とは思えぬ活気があった。


「戦争中でも、自分へのご褒美は欲しくなるからな」


 まさかお前、呑んでいくつもりか?


「呑まないに決まってるだろ……少し歩いて、エラちゃんを撒くんだよ」


 彼女を放っておいていいのか?

 エラ・アーロンは合衆国の要人にして、容姿は金持ちそうな見目麗しい女の子だ。


 合衆国は葦原では評価のいい国ではなく、屋岸の街も日本と比べれば治安のいい地域ではない。

 ひとりにすれば、トラブルに巻き込まれるかもしれないぞ。


「彼女だって、180年生きてるんだ。そのくらいどうにかするだろ」


 180年生きていても、死ぬときには死ぬ。

 どうかなる時には、どうかなる。


 これは自明の理だ。

 お前のくだらないプライドのために被害を受けたらどうする?


 確かに、過去に好いていた男と重ねるのは行儀(ぎょうぎ)の良い行いではない。

 だとしても、せめて彼女に答えを告げるべきだ。

 相手と向き合え、逃げるんじゃない。


「……やっぱり酒でも飲んで、酔っぱらってみようかな。

そうしたら静かになるだろう」


 やめろ、お前は泥酔(でいすい)して何度も死に掛けただろう。

 それにもし、私がその影響で消えたら───


 本当に頼むからやめてくれ、後生だから。


「じゃあ、二度としゃべるな黙ってろ」


 やだ。


「さあて、この店にしようかな?」


 ああこら、本当に居酒屋に入ろうとするんじゃない。

 金は確かにあるんだろうが───


 良介が居酒屋の戸に手を掛けると、戸がひとりでに開いた。

 自動ドアではなく、内側から客が開けたのだ。


 赤のラインが入った紺色の装束。

 幕府陸軍の兵卒だ。


「おい、邪魔だ。道を空けろ」


 アルコール臭と共に、横柄な言葉が良介に投げつけられた。

 向こうは出ようとしている。

 十分優先されるに足る理由だが───


「我々は葦原を守る幕臣だぞ! 金を取ろうとはお前、賊軍の犬か!

この場で処罰してやろうかぁっ!」


 居酒屋の会計所で、きらりと光る刃が鞘から抜き放たれた。


「めっ、滅相もございません! お、お代は結構です……」


「お代どころか、税を納めてもらいたいところだ!」


「我々は、きちんと納めております!」


「はっ! 夷俘など無頼集落も同じ。

罪人の血が流れている奴らの言葉など、信ずるに足らんなぁ!」


 対面する兵卒の向こうでは、軍刀を持つ士官らしき人物が居酒屋の店主を恫喝していた。

 ちょうど腹が立っている良介に、困ったことに大義名分が転がってきた。


 本当にやめろ、良介。

 お前の学生時代のチンピラ連中と違い、連中は一応正規軍の軍人だ。

 ナイフどころか、銃が出てくるんだぞ。


「おい、(つんぼ)か? どけ!」


 先ほどから良介はこの一団の先鋒、兵卒の行手を阻む形になっていた。

 上司が上司なら部下も部下、まだ手は出ていないが横柄な態度だった。


「日の高いうちから、飲酒にカツアゲ、弱い者いぢめ……

さすが、幕臣の皆様はやる事が違う」


「当然だ。幕臣たる我々には、それに足る地位があるのだ!」


「賊軍の間違いじゃないのか?」


 陸軍のチンピラ連中が、一斉に良介へ視線をやった。

 一方的な暴力を確信していた連中にも、触れてはならぬ逆鱗があった。

 良介はそこに小便をひっかけたのだ。


「もう一度、言ってみろ。そうすれば、半殺しで済ませてやる」


 兵卒が凄んで、良介に顔を寄せた。

 味の濃い食事と、アルコールの臭い。

 少なくとも、軍服に身を包んだまま楽しむものではないだろう。


「ごめん、賊軍以下だよなね。

政府軍にボロ負けして、肝心な時に引きこもって役に……」


 良介が言い終える前に、拳が飛んできた。

 口上の途中に返答が来るのは珍しい話ではない。


 顔面に向けられた拳を受け流し、敷居に立っていた足を払う。

 兵卒は姿勢を崩し、戸に頭を打って倒れ込んだ。


 戸が真っ二つに折れ、残骸が店や表に撒き散らされた。


「ごめん。空軍にツケといて」


「こいつ、空軍の野郎か……!

いい気になるなよ、よそ者の力で功を上げた寄生虫風情が!」


「……その功ってのは、寄生虫も寄与してるんだぜ?

幕府軍の寄生虫クン?」


 店にこれ以上の被害を与えないため、良介は後ずさって出入り口から離れた。

 ここまでコケにされて、彼らも黙っているはずがない。


 軍刀は鞘に納め、手に銃はなかったが───

 戦意マンマンの陸軍軍人4人は揃って表に出た。


 仮に、ABCDとしよう。


「しゃあっ」


 いや、Eを追加し5人だ。

 掛け声と共に、遅れて店を飛び出したEが良介に飛び掛った。

 身をよじらせて突き出したEの足をかわし、逆に身体を抱えて反対側の店先に叩きつける。


「野郎ッ!」


 背後から迫るDの鳩尾を後ろ足で突き、動きを止める。


「ごぉっ⁈」


 すると反対側から迫ったCが良介の右腕を捕まえた。


「やれ!」


 周囲が反応する前に、良介は自分の腕を掴んだCの手の小指を左手で握り締める。

 そして、外側に曲げた。


 ポキリ、とわかりやすい音が鳴り。

 骨の一部が皮膚から突き出たCの小指がだらんと下を向いた。


「いぎゃああああっ!」


 拘束が解かれ、良介にはBとD、ふたりの敵と対峙する余力が出来た。

 Bの側頭部狙いのフックを勢いが乗る前に右前腕で受けとめ、畳んだ左腕の肘でDの顎を突き上げて意識を刈り取る。

 おぼつかない足取りで立つBを引っ張り、Dが放つ蹴りの盾とした。


「ぐあっ」


「あっ」


 同士打ちをしてしまったDと視線が交差する。

 やってしまったものは仕方がないと言わんばかりに、Dは即座に腕を伸ばして迫った。

 ラリアットか、発展させて締め技か。


 どちらにも乗る気はない。


 良介の方から距離を縮めてDの腕を受け止めることで、Dの目論んだタイミングと勢いを止める。

 脚を高く上げ、Dの(ヒザ)へ踏み潰す感覚で叩きつけた。

 Dは右膝の内側で(・・・)跪いた。


「がっ、ぐああああっっっ!!!」


 絶叫をちょうど良い位置にあった側頭部への肘打ちで止める。


 残るはAのみ、状況は一対一(サシ)となった。

 よく見ると、Aは居酒屋の店主を恐喝していた士官であった。

 圧倒的優位が一瞬で覆され、困惑したように動けなくなった部下へ視線を巡らせている。


「さ、どうぞ」


 挑発のために、良介はAに次の行動を促した。

 青くなった顔がまた赤みを帯び、紫色になった。


「がああああっ!」


 左の拳、と見せかけた右ストレート。


 読んでいた良介は懐に飛び込んで、Aの右脇腹へ体当たりを浴びせた。

 肋骨を圧迫した感覚があったのだから、肺は強い衝撃に襲われた事だろう。

 肺から一気に空気が飛び出し、口から胃液と共に噴出する。


 攻撃は終わらない。

 続いて身をよじらせて、左の肘をAの顔面に叩きつけた。


「はうあっ」


 このフェイント攻撃には自信があったらしく、士官は虚を突かれた鳴き声を上げた。

 大きくよろめいて、ふらつきながら背を向けて良介から逃げ出そうとした。


 久々に苛立ちで暴力性を爆発させた男に、無防備な背中を見せるのは極めて危険な行為だった。

 迷いなく良介は歩み寄り、その股座(またぐら)を蹴り上げた。


「がああああああっっっ!!!」


 獣のような絶叫を上げ、士官はうつぶせに倒れた。


「俺相手でこれじゃ、指導官には到底勝てないぞ」


 記憶の限りでは、これで全員だが───

 不意に、乾いた破裂音が響いて長屋の屋根瓦が砕け散った。


 Dの手には、銃口から煙を(くゆ)らす拳銃があった。

 膝を折られ、脳髄を直接揺らされてなければ当てていただろう。


 言わんこっちゃない、持ち出すに決まっているだろう。

 喧嘩でも、懐に銃があったら。


 優位を悟ったのか、叩きのめされた面々がゆっくりと立ち上がり始めた。

 あるものは拳銃を抜き、またあるものは軍刀を抜く。


「先に手を、出したのはそっちだ……」


 悶絶するAが、脂汗で滲んだ顔で良介を見た。


「はぁ?」


「死人に、口はないからなぁ……」


 どうするんだ?

 こちらは武器が出てきたらどうしようもないんだぞ。


───うーん……どうしよう?


 馬鹿! やっぱり考えなんてないじゃないか!

 下手に動けば撃たれ、動かなければ───軍刀あたりで(なぶ)り殺される。


 考えなければ、考えなければ───

 さもなくば、エラの言葉に応えることが出来なくなってしまうぞ。


「うっ」


「ぐがっ……うああっ」


「はーっ、はーっ、はぁーっ……!」


「な、に……!」


 突如、陸軍連中が苦しみだした。

 武器を手にする余力すらなくなったらしく、それぞれの手から武器が滑り落ちていく。


「どう? 葦原じゃ知ることはないでしょう。心臓を握られる苦しみは」


 声の主へ視線をやった。

 良介は女の子の声を忘れることは、基本ない。


「エラちゃん……」


 軽く握った手を前へ突き出したまま、エラ・アーロンは良介に向かって歩み寄った。


「頑張らない方がいいよ? 無理するなら、そのまま握りつぶすから」


 彼女との会話に出て来たはずだ。

 かつて耳長は世界を征服する一歩手前まで版図を広げたと。


 相手を見る事もなく捉えて、その心臓を握り潰した。

 これが世界征服を実現しかけた(・・・)魔法の一端だ。


「さ、無力化したよ」


「確保!」


 飛び出してきたのは陸軍の軍人、それに空軍の兵卒。

 少し遅れて出て来たのは、田中空軍歩兵と───松本柳北(りゅうほく)騎兵頭だ。


 田中君に関しては説明するまでもない。

 柳北は良介が遊郭へと連れられて行った際に出会った陸軍の士官である。


 とても美人で、すごくスタイルがいいので、良介の印象にバッチリと刻み込まれていた。


「まっ、松本騎兵頭……! こいつがっ、仕掛けて……!」


「はぁ?」


「ぐ、ごおおおっ……!」


 どうやら、エラが締め付けを強くしたらしい。

 Aは唸り出すと、そのまま黙り込んだ。


「柳北さん、これは……」


「失礼、良介さん。松本殿やアーロン様の前に、私が説明するべきでしょう」


 田中空軍歩兵は良介の言葉を制した。

 良介は個人的な理由で柳北を優先しようとしたのだが───

 ともかく、話を聞こうではないか。


「護衛として自分は、良介さんを監視していました」


 今更驚くような事のない告白であった。

 良介も多少の尾行を察する程度には修羅場を経験しているが、それでも接触する気のないプロの尾行に勘付くほどではない。


「だろうね……助けてくれてもよかったんじゃないかな?」


「そのつもりでした……一発入れられた後に」


「おい」


「申し訳ありません!

良介さんが慣れて(・・・)いるのは、普段の佇まいから察しておりました。

しかし……銃が出てくるまで、こうもあっさり軍人複数を()してしまうとは……」


 正直、良介と同一の存在である私が言うのもおかしな話だが、おかしいぞ。

 相手は本職の陸軍軍人が複数なのに、普通は喧嘩で勝てるわけがない。


「で、一発入れられて欲しかった理由は?」


「ごめんね、良介くん。それはこっちの事情なの」


 ここでようやく、柳北が会話に入って来た。

 騎兵頭───彼女は戦車部隊の指揮官である。

 横丁の出入り口へ意識を向けると、陸軍の戦車が停車しているのが見えた。


「……さすがに、ちょっと酷くない?」


「本当にごめんなさい。

彼らは……陸軍の中でも危険で、慎重に取り扱う必要がある派閥の部隊。

だから、決定的な瞬間を抑える必要があったの」


 陸軍と空軍の兵卒が共同して、下手人を連行していく。

 その頃にはエラも心臓から手を放したのか、恨めしそうな目で良介を見ていた。

 武装解除され、手負いの屑など意識に留める必要もなかった。


「彼らが繁華街で横暴を働いているという情報はあったから、

その瞬間を取り押さえるつもりだったんだけれど……」


 そこに、女の子との話がもつれて苛ついていたどこかの誰かさんが、首を突っ込んで話をややこしくしたわけだ。


「……ああいうのを、拘束とか出来ないの?

柳北さんの、あの陸軍総裁の派閥でも?」


 柳北は幕府陸軍トップである総裁の派閥に属している。

 つまり、陸軍の派閥の中でも最上位───頂点でなくとも、それが視野に入る上位だろう。


 そのような最大勢力すら無視できない派閥が存在するとは、穏やかではない話だ。

 見方を変えればあの総裁は陸軍の代表でありながら、支配者ではないのかもしれない。


「ええ。彼らは端的に言えば獅子身中の虫……

だけれど、同調する人間も少なくないの。

たとえ陸軍の頂点にいる人でも、下手に手を出すことが出来ないほどに」


「トップだからといって全部を掌握できるわけじゃない、って事か。

将軍が幕府軍をうまく動かせないように」


「うーん、私の立場としては困っちゃう表現だけど……

今回に関しては、そういう事かな?」


 ボスをはじめとした彰義隊の年長組が関わっている可能性の高い、謎の非正規作戦(ブラック・オプス)

 陸軍のトップすら手を出しづらい、危険な派閥。

 良介の頭の中で、ふたつの事件が結びつきつつあった。


「彼らは夷俘島の警備という名目で、島南部の至る場所に展開してるの。

……最近では、島の外に出て奥葦原にも手を伸ばし始めてる」


 言われてみれば、最近は陸軍の部隊が徐々に本州へ移動を始めているという話を聞いていた。

 ようやく重い腰を上げたかと思えば、最前線ではなく銃後(じゅうご)の守りを固めるという話でずっこけたが───

 どうも、良介達にとって笑い話にはならない様子だ。


「ちなみに、その派閥ってどんな部隊が中心?」


「歩兵と高射……対空砲や誘導弾だね」


 自衛隊風に言えば、普通科と高射特科(こうしゃとっか)が離反の動きを見せているようなものだ。


「この派閥は命令を無視して京から真っ先に撤退して、

真田藩が離反する前に武陽に辿り着いていたの。

……これは内緒にしておいて欲しいんだけど。

彼らが持ち堪えていれば、幕府軍はここまでやられなかった」


「うーん、カス……」


 真田藩───あくりの父が幕府から政府に寝返ると決め、撤退中の幕府軍を攻撃したのだったか。

 歩兵は我先にと配置から逃げ出した腰抜けで、高射は対空戦闘以外では活躍しようのない職種。


 敗戦後に大きな派閥となるには、割と得心のいく顔ぶれである。

 そして恐らく、その派閥に対して責任を追及しきれない将軍、幕府が持つ権威の失墜も。


「ちなみに、柳北さん……つまり、総裁の派閥の職種は?」


「私のような騎兵……戦車、それと航空。航空は回転翼機(ヘリコプター)や偵察機のことだよ。

総裁閣下は私と同じ騎兵族なの」


 戦車と航空機。

 地を這うものと空を舞うもの。

 歩兵ほど身軽に動く事は出来ず、空を抑えられていた幕府軍の空は狭い事だろう。


 この内戦初期では、最も割を食っていたであろう職種だ。


「じゃあ、京からの撤退は……」


「ほとんどが成功しなかった。

真田藩で挟撃されたか、

私達のように陸軍の航空や海軍の支援で車両を捨てて逃げ出すか……

最前線にいた部隊ほど、撤退には成功したの」


 なんとなく、陸軍総裁が本州への逆侵攻に反対していた理由がわかってきた。

 あの総裁は陸軍の代表でありながら、陸軍全体の力関係においては劣勢となってしまったのだ。


 対立派閥は上位の権威から選ばれていないため権力を握れていないが、代わりにロクでもない事を画策している。

 そのロクでもない事の内容を良介は知らされていないが───獅子身中の虫という表現から、大凡の想像はつく。


 つまり、トップが統制を取れておらず、今でさえ怪しいのに領土を広げると、また何をしでかすかわからない。

 対立派閥と話がつけられないのなら、ある程度意見を飲まなければ───危険な事になる。


 これが政治家同士ならば票の問題になるだけだが、これは極限状態にある軍の部隊同士の話だ。

 民主主義の世界で現金は実弾などと呼ばれることもあるが───今回の例では文字通りの実弾が飛び交う事になる。


「……なんていうか、お(いたわ)しい情勢なんだな。幕府陸軍って。

夷俘島から出たくないって言い出した理由も、なんとなくわかるよ」


「外から見ていた側から意見を述べさせてもらうと……」


 静観していたエラが、いつものように口を挟んだ。


「バクフ・アーミーが持つ戦車の絶対数はもちろん、

戦車にイフ・ストレートを渡らせる設備……

つまり揚陸艇も足りてなかった。

空海軍の支援があっても、抗戦されたら厳しかっただろうね」


 先湊の地形は作戦後、政府軍の手によって三式弾を用いた焦土作戦が行われた。

 文字通り敵味方問わず更地にする攻撃だ。


 政府軍としては先湊の設備を使用不能にするための策だったのだろうが───

 これがなければ、彰義隊が成功させても作戦成功は危なかったかもしれない。


「でも、情勢は変わってきた。この停戦中、賊軍は態勢を整えているはず……

西南の、合衆国に向けている部隊を移動させているくらいに。

もう、派閥のようなしがらみに足を取られている余裕はない」


 幕府軍は奥葦原の大半と真田藩を奪還し、首都武陽を擁する東国地方を陸の孤島へと変えた。

 停戦が終われば、政府側は全力でこの状況を打開しようとするはず。

 統制が取れなければ、陸から徐々に削られていく事だろう。


「で、今の柳北さんは対立派閥の体力を削ってるわけね」


「そういうこと。

近衛さん達に本懐の槍働を取られてるのは、ちょっと悔しいけどね」


 近衛さんとは、当然近衛という名前の人ではない。

 近衛軍。

 春川親王を警護するという名目で結成された、事実上の第2の陸軍である。


「柳北さん達だって、今も十分活躍してるだろ?

今回は俺も助けられちゃったわけだし」


「自分の尻を拭いてるだけなんだけどなぁ……」


 ともかく。

 これでこのトラブルは、少なくとも良介が関与する分には終わり。


 良介が陸軍の不逞(ふてい)な輩に行った対応(・・)は、停戦中とはいえ仮にも戦時中の幕府軍。

 証言も多数でお咎めなしとなり、その場で解放される事となった。


「田中くん……今度からは、ちゃんと助けてくれよ?」


「はい、もちろんです。良介さん」


 果たして、諜報畑の田中空軍歩兵の言葉を素直に信用出来るか怪しいところだが。

 飲み屋街を離れた良介とエラのふたりは、しばし言葉を交わすこともなく街を歩き続けた。


───どうしよう? この空気……


 エラは間違いなく、お前に伝えたい事があるのだ。

 そして、その答えも欲しがっている。


 彼女には散々世話になったのだ。

 どう答えるかは別として、答えを告げるべきだろう。


「……エラちゃん」


「なに?」


「あの……陸軍のチンピラをやっつけたのって、魔法?」


 違う、確かに気になるが───そうじゃないだろう。


「うん、そう。

魔力の手っていう……今はもう古代魔法なんて呼ばれ方してるんだったかな?

手の動きと同調した手を出現させて、握る事ができるの。

ある程度ものを通り抜けて」


「それを、昔の耳長は見えない所にも出来たんだろ?

そりゃ、世界も征服出来ちゃいそうだな」


 こら。

 お前、答えを出すのが嫌だからそっちに話題を広げようといているだろう。

 適当なところで切り上げろ、わかっているのか?


「魔力を制御する術に長けた者……

つまり、魔法や魔術に心得のある人間は抵抗出来るよ。

でも今の人間って、そういうのが出来なくなってきてるから……

やったもの勝ちだね」


 若干、魔法の事を語るエラも乗ってきたというか、良介と同じ事を考えだしたというか───

 それでも、やはり解答を出すべきだ。


───ちぇっ。わかったよ、エラちゃんとちゃーんと話せばいいんだろう?


 ようやくわかったか。

 良介は軽く深呼吸をすると、立ち止まってエラと向き合った。


「……ごめん、エラちゃん。さっきは頭に血が昇ってた。

だから、話を戻そうか。今度は俺、ちゃんと聞くよ」


「うん」


 話を思い出そう。


 エラは合衆国の建国者、タナト・ク・マランス皇帝に(合衆国皇帝とは何ぞや?)助けられた経験がある。

 そのため、屋岸での空爆を止めて彼女を助けた良介と他にも理由はあるが同一視している。


 彼女は助けられた経験から、皇帝の事を憎からず想っており───

 そしてまた良介にも、同じ感情を抱いていると。


「私は、タナト君の事が好きだった。逝っちゃって、もう50年になるけどね」


 1969年の50年前ということは、1919年───

 やかましい、真面目な話題だから茶化すんじゃない。


───俺はまだ何も言ってないぞ?


 絶対に言うからだ、精神年齢14歳児。


 ともかく、マランス皇帝がエラと出会ったのが18歳くらいと仮定して。

 大体80歳くらいで逝去したという事だろうか。


「生涯現役って自称するプレイボーイだったけど……

あいつ、私には一度も手を出さなかったんだよね」


「な、なんで? エラちゃん、こんなにも美人じゃないか」


「私その頃、人間で言う子供みたいな状態だったの。

タナト君、女の子には能動的に手を出すけど、子供は完全に興味の外だったんだ。

こんなプロポーションになったのも、ここ20年くらいの、

本当に最近の話なんだから」


 ロリは対象外。

 言うまでもなく、良介も同意見である。


 しかしまた、どうしてそのような話題を切り出すのか?


「あっ、あのさぁっ!

俺が気に入らないのは、そう言う事じゃないってば!」


「あれ、そうだったの?

てっきり、中古には興味のないタイプだと思ってたんだけど」


 中古って───なるほど、つまり良介。

 お前は処女厨だと思われていたのか。

 はっはっは、実に愉快な話だ───


 なんでお前、私と思考が独立しているんだ?


「俺はそんな事気にしないよ……

俺が気に入らないのは、本当に別の誰かの代わりにされるのが嫌なんだ。

……例え死別だとしても、本当に好きなのは前に好きだった男で、

俺じゃないんだから」


 自分を見ているようで、相手が見ているのは自分の向こうにいる別の誰か。

 これがまだ知っている人間だったら良い───あるいは、なお悪いだろう。


 それがもし、付き合うなり結婚するなりしてみれば。

 気にならない鈍感な者は幸運だ、それでも良いのだろう。


 しかし良介のように気にする人間にとって、以後の生活には───

 惨めな終わりのない屈辱が待ち受けるだろう。


 そのような生活は早晩崩壊する。

 かつて良介が暮らしていた児童養護施設『らぐな院』には、そのような親のもとに生まれた子供もいたのだ。


「……そう。最初はタナト君と重ねて……

でも、リョースケは全然違う人だってわかった。

例えばタナト君って機械には全然無関心で覚える気は全くないし、

興味のない話題は平気で聞き流すし───

でもリョースケって興味なくても、ないなりに聞いてるでしょ?」


「うーん、どうだろう? 学校の授業じゃ、ちょくちょく寝てたし……」


「学校の事は知らないけど、会話の中じゃそうしてる。私はそう思った」


 それは───私も意識した事がなかった。

 本当にそうなのだろうか?


───知らないよ、ちゃんと覚えておけよ。


 無茶を言うな。

 そのような個人の心構えを、事前通告なしに意識するはずがないだろう?


 ただ、エラは長年多くを見聞きした長命種だ。

 彼女の見識を信用すれば、そうなのだろう。


「似てるところはあるけど、全然違う人だってわかった。

同じなのは、不可能を可能にする破天荒な……英雄って事だけ」


英雄だから(・・・・・)、好きなの?」


「揚げ足を取らないでほしいな……」


 そうだ、これでは重箱の隅を突いているようにしか見えないぞ。


 しかし───そう言いたくなる気持ちはわかる。

 一方的にお前が彼女を突き放していては、フェアではない。


 私としても気分の良い話ではないが、過去をひとつ共有した方がいい。

 少なくとも、拒否した時に与える傷も浅くなるだろうから。


「……俺もひとつ自分語りをするよ。

安心すると良い、長くない話だから」


「わかった、聞くよ。リョースケの話も」


 気づくとふたりは海沿いにいた。

 葦原本州がある水平線を眺めながら、良介は口を開いた。


「俺には親がいないんだ。ふたりとも、俺が3歳の時に死んだ。

1泊2日の旅行の帰り、車の事故で死んだんだ。俺の目の前で」


 そして、3歳児はひとり世間に放り出され。

 後見人として選ばれた家族は良介の出現によって崩壊し。

 父親のもとでふたりきりとなった数年、苦難を生きる事となった。


「ふたりとも、俺みたいに軍人をしてたわけじゃないんだ。

なのにあっさりと死んで、親のない子が生まれた。

で、今の俺は明日にでも作戦中に死ぬかもしれない身の上で、

さらに政府側からは、1秒でも早く死んで欲しいと願われてる。

だから……子供とか出来て、俺が死んだら。俺がまた繰り返される。

……ちょっと気の早い話かもしれないけど。

好きになった先って、そう言う事だろ?」


 悲劇的なシナリオかもしれないが、少なくともナンパ野郎の口から出るべきではない話だ。

 ならばなぜ、ナンパして異性とそういった関係になろうとするのか?


 この答えは論理性など欠片も存在しない、感情だけの答えしか存在しない。


「ナンパをするのは、それでも独りが怖いから。だね?」


「……」


 図星。

 そして、自身が抱える究極の矛盾を突かれ、心臓が跳ねた。


 良介のような、昔から喧嘩ばかりして周囲から恨みを買っている人間。

 そんな奴が社会に出て、長生き出来るはずがない。


 もし良介が女の子と本当の恋に落ちて、子を産み家庭を築いたとしよう。

 また昔のようなノリで喧嘩をして、つまらない死に方をしたら?

 死なずとも、人生に失敗して家族を地獄へ道連れにしたら?


 自分と同じことが繰り返されるのは、想像に難くない。

 あんな事がまた起きるのなら、ひとりで野垂れ死した方がずっとマシだ。

 良介の頭の片隅には、常にそんな可能性が漂っていた。


「なんとなーく、リョースケがそういう悩みを抱えているのはわかってた」


「……そうだ。俺は誰かを独りにするのを恐れているくせに、

自分が独りになるのが怖くてたまらない……自分勝手で見苦しい男なんだ」


 10年前の良介でも、ここまで明確に自覚していなかった。

 しかし自衛隊での訓練や生活を続けるうちに、この矛盾を突きつけられ。

 そして、ここまでの言語化に至った。


「確かに見苦しいかもしれないけど、それは誰もが持っている恐怖だよ。

私だって、そうさ。150年前にいた友人は、大多数がもうこの世にはいないんだ。

……別れなんてもう嫌だけど、私を知る者がいない世界も、嫌だ」


 失言だった。

 相手は良介の6倍以上生きている長命種。

 死別など、比でない数を経験していて当然だ。


 矮小な良介のような生き物と、比較すら烏滸(おこ)がましい差だ。


「俺は……」


 謝罪するべきか?

 しかし、どう謝罪すればいいのか?


 二の句を告げることが出来ず、良介の唇は止まってしまった。


「気にする事はないよ。だけどやっぱり生きている以上、死は避けられない。

別れは避けられない。それでも、私は……

なあなあで済ませて想いを伝える機会を永遠に失う。

そんなのはもう、嫌なんだ」


 行動する。

 その精神を愛読書である『同級生』で学んでいたはずだった。


 彼女は行動した。

 必ず訪れる死別という終わりを知りながらも。

 立ち止まって後悔するより、歩いて後悔する方を選んだのだ。


 だというのに、お前は。

 答えを告げないというのか。


「……その通りだ。ありがとう、エラちゃん」


「力になれたのなら、よかった」


 次に良介の告げる言葉を察しているかのように、エラは静かに頷いた。


「でもやっぱり……ごめん。今は答えを出せないよ。

エラちゃんが勇気を出して告白してくれたのはわかってる……

わかっているけど、今の俺の身の上じゃ、さ」


 だとしても、今の情勢では答えを出せない。


 葦原の二大勢力、幕府と政府。

 政府側は良介が1秒でも早く死ぬように願い、そうなるなら実行するだろう。

 幕府側は死を望んでいないが、十中八九隷属(れいぞく)を願っている。


 双方が、良介の愛する人というわかりやすい弱点を見つけたとしよう。

 彼らがその相手を放っておくとは到底思えなかった。


 それなのにナンパという形で愛する人を積極的に探そうとしているのだから、良介の身勝手も相当なものだ。


 まあとにかく。

 葦原という混沌の地では、良介が安寧を見出すのは不可能だ。


 ましてや、最終目標はこの世界すら脱して元いた世界に帰ることだ。

 いずれ考えることになるかもしれないが、今は目前の課題に集中しなくてはならなかった。


「……ナンパ野郎のくせに、本当に身勝手なやつ」


「そうだな……でももし、この内戦が終わった時。

まだ俺が生きてたら……答えを決めるよ」


「帰っちゃう前に?」


「ああ、帰る前に。約束する」


「……私は、幕府の言う帰還の手段なんて、これっぽっちも信じていないんだ。

だけど……良介がそう言うなら、本当に帰っちゃいそうだ」


「その期待にお応えしなくちゃな」


 ふと、エラを見下ろして良介は思い出した。


「それと、さっきは無視してごめん」


「気にしなくていいよ。もっと酷く怒られる覚悟はしてたから……

私も、ナンパ野郎に引けを取らない、自分勝手な研究キチガイだからね」


「じゃ、お互い様ってわけか……」


 それから、ふたりはしばらく夷俘海峡を眺めた。

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