70 飛行試験「Vacation」
央暦1969年8月29日
道央藩 智台 高崎海水浴場
葦原国大和幕府空軍第1航空団『彰義隊』第1中隊『ペンギン』
志村“Chase”良介二等空尉
もう間もなく、8月も終わろうというこの時期。
エラと良介の直談判により幕府空軍総裁、松平宗治郎から割とあっさり休暇の許可が下りた。
期限は5日間、それも遠出は制御のために智台の決められたエリアに限るという条件だったが───
それでも間違いなく、バカンスには違いなかった。
「ふっふっふ……そして今日、邪魔する人間は誰もいないのだ」
ボスは休暇を体力錬成に使うと宣言し、他には行き場を告げずにこの高崎海水浴場にやって来た。
一応、田中空軍歩兵はどこかで見ていると宣言していたが───
良介の行動をいちいち咎めたりはしないだろう。
「この調子で異世界の女の子と、ステディな関係を築いちゃうぞ……」
お前、自分の居た世界に帰らなければならないとエラに宣言した直後だ。
舌の根の乾かぬ内に、未練を作っているのではないか?
「ふん。女の子とすれ違って声を掛けないのはマナー違反だ……
なら、女の子がいると知っていて行動しないのもまた、マナー違反だ」
自分でも意味の分からない理屈をこねるんじゃない。
それでうっかり、子供でも出来てしまったらどうするのだ?
「お前、えっちだぞ?」
黙れ。
ほら、更衣室で一緒になった人がギョッとした目でお前を見ているではないか。
「ふん、野郎がどう見ようと俺様には関係がない。関係があるのは……!」
準備を終えた良介は、颯爽と更衣室から外へ出た。
高崎海水浴場。
道央藩智台東部に位置する海水浴場であり、都心に最も近い砂浜であった。
ここのすぐ北西では、先の智台解放戦が行われていたにも関わらず、海水浴場はそれなりに盛況だ。
「……そういえば、ウクライナを侵略したロシア人も、
攻撃があり得るクリミアでバカンスしてたな」
そう、その光景は今良介が見ている高崎海水浴場に近い。
彼らは思い思いに、家族と自分達の時間を満喫していた。
まるで、戦争などないかのように。
あるいは、自分達には無関係だと言いたいのか。
「おおっと。いけないいけない……今は辛気臭い話題よりも、だ」
西暦でいう1969年は昭和真っただ中だが───
どうやら央暦1969年の服飾のセンスは、昭和とは異なるようで。
女性用水着のセンスはダサい柄のワンピース一辺倒ではなく。
割とピッチリした体のラインが浮き出るそれであった。
「む、むふふふふ……異世界だと、露出に関する感性が違うのかな?」
その代わりに、不自然なほどビキニ姿の女性がいないな。
身体のラインは出ていても、露出は少ない。
中華ソシャゲ染みた、彼らの普段着と類似する特徴はあるな。
「うーん。ビキニよりもこっちの方がラインを誤魔化せないような?」
では、お前は嫌いか?
「大好きSA☆」
というわけで、良介はナンパを開始した。
異世界に来て初の、ナンパであった。
「そこの人、泳ぎを教えましょうか? 俺、得意なんです」
言うに事欠いて、レベルが低すぎないか?
ほら、声を掛けた女性は引きつった笑みを浮かべて足早に去っていったぞ。
「ま、まだまだ……ねえ、お嬢さん。
潜水1分間を達成する瞬間、見たくありませんか?」
今度は良介へ視線をやってくれたが───
やっぱり足早に立ち去ってしまった。
「……本当は2分出来るのに」
そういう問題ではないだろうが。
誠に遺憾ながら、お前のナンパの技術が異世界に来て衰えたのではないか?
日本にいた頃はもっとまともだった気がするぞ。
「うーん、脳味噌が変わったのかな?」
そんなわけが(中略)
我々を制御する存在などいない、いるはずがないのだ。
現実を知った良介はキョロキョロと砂浜を見まわし───
ひと際目立った特徴を持つ背中を見つけた。
葦原人と比べて白い肌。
周囲と比べて引き締まったラインのボディ。
そして束ねられた金色の頭髪。
周囲の人々は奇異の目で彼女を見る。
男も同様に見るばかりで、声を掛けるようなことはしていなかった。
彼女は周囲をキョロキョロと見ていて、明らかにひとりだというのに。
「ふん、葦原の男というやつは情けないな……俺が、本物の男を見せてやる」
しかし彼女の特徴は、どこかで聞いた事があるような気がするが───
良介は自己批判の精神による正当かつ冷静な分析に耳を貸さず。
嬉々として、金髪の令嬢に語り掛けた。
「ねえ君、ひとり? ひとりなら、俺が一緒に泳ぎを教えようか?」
「……はーーーーーーぁ」
クソデカため息が、背中を向いていても聞こえてきた。
その声には、どこかで聞き覚えがあった。
「志村殿、本当にこのような軟派な事をしておられたのですね」
「あ、あれれ? その声は……」
金髪の令嬢が振り返り、良介と視線を合わせた。
彼女の正体は───空知竜司。
良介の今の僚機であり、命を預け合った戦友である。
「どっ、どうして竜司ちゃんがここに⁈」
「彰義隊の休暇が決まってすぐ、志村殿は何も言わずにいなくなって……
それで鈴木殿にお尋ねしたら、ここ以外にないと」
ボスは良介の行動を正確に把握していたようだ。
休暇で移動が許されている区域には、海水浴場がここしかない。
「でも、なんで俺を追ってここに?」
「……松代大助殿にご挨拶もせず、出て行ったでしょう?
あの方がどうしても一言挨拶をしたいとおっしゃったので、
私はその付き添いです」
良介は、やると決めたら即行動する男である。
そして度々、脇にある事を忘れる。
先の真田藩解放戦で共に戦った大助に会うのもまた、忘れた事のひとつであった。
「……なんか、ごめんね」
「いえ。まあ、悪い事ばかりではなかったので」
───どういうことだろう?
わからん。
不明な事は考えていても仕方がない。
問題は、いるべき人物がこの場にいない事だ。
「それで、大助はどこに?」
「着替えの最中です。私は先に終わったので、志村殿を探していたのですが……」
竜司の視線を追うと、良介が利用した更衣室とは別の建屋があった。
「まだ、出てきていないはずですが……」
ちょうどその時、女性がひとり出て来た。
割と普通な、水着も他と大差がないセンス。
なにやら、中の方を気にしているみたいだが───
彼女だろうか?
竜司へ視線をやると、
「いえ、違いま……」
中途半端な所で、竜司が口をぽかんと開けて硬直した。
呆気にとられた、という言葉を絵に描いたような表情である。
「な、なに……?」
再び、更衣室へ視線を戻すと───
その気持ちがよく分かった。
艶やかな黒髪を持つ長身の美女がそこにいた。
これだけの表現ならば、その美しさに周囲が度肝を抜かれたと勘違いしてしまうだろう。
しかし、格好が問題なのだ。
彼女の水着は胸にサラシを巻き、下はふんどしで隠す。
これで全て、他は何も身に着けていなかった。
当然ながら、この世界基準でもめちゃめちゃ異質である。
直前に出て来た女性が気にしていたのも納得だ。
幸いにもその堂々とした佇まいから、イジメの類の心配はなかったが───
「あっ、志村殿っ」
良介は足早に駆け出すと、シャツを脱いで彼女の背に被せる。
肌が日焼けに弱いため、開襟シャツを肌の上に羽織っていたのだ。
「ちょっとちょっと……君、なんて格好してるのさ」
「……? 沐浴の装いだ」
なにやら、認識がズレている様子だが───
さすがの良介も、このままにしておくのは気が引けてしまった。
仮称、露出嬢は良介のシャツを拒むことはせずに周囲を伺った。
すると、申し訳なさそうに言った。
「すまない、世俗には疎くてな。普段の沐浴にはこの装いなのだが……
潮浴みには、場違いだっただろうか?」
「うーん。俺はよそ者だからハッキリとは言えないけど、多分そう」
「そうか……」
お前にしては珍しい。
こういう時、お前は真っ先に口説きにかかると思ったのだが。
───あっ、そうだった。
半端者め。
自己批判の精神によりいらん事を思い出した良介は、ナンパ野郎に戻った。
「ねえ、君。もしひとりだったら……俺と一緒に遊ばない?」
「……」
すると、雰囲気が急変した。
殺気というか、警戒態勢というか。
露出嬢の視線が戦士の目になったのだ。
「父上から聞いた事がある。女子を食い物にするという、不埒な輩がいると」
「食い物なんて……」
晩夏の日に照らされた氷の刃が、良介の頬に光を当てた。
「俺はただ、女の子と仲良くなりたいだけなんだ」
おいっ、おいお前っ。
刀が首筋に当てられているのだから、もっと従順になった方がいい。
機嫌を損ねたら、斬られるかもしれないんだぞっ。
「刃を恐れないのだな」
「こう見えて、俺は結構修羅場をくぐっててね……
やる気があるならわかるんだ。
ところで……その刀、魔法ってやつ?」
「……なるほど。熟達の人攫いというわけか」
良介の素朴な疑問は無視された。
それにしても、誘拐犯扱いされるとは。
ナンパ野郎の、妥当な末路というやつだな。
「まっ、松代殿っ! お待ちくださいっ!」
その時、竜司の声が背後から届いた。
視線をやると、彼女は砂浜に足を取られながら走っていた。
「空知」
「まだ追い掛けてたの⁉」
「水着も、砂浜も、初めての経験でしたので……!」
夷俘島は夏でも海水浴という気分になれるような気候ではない。
すべてが初めてでも、仕方がないだろう。
それにしても、彼女の口から聞き捨てならない名が聞こえてきた。
「松代……大助?」
「もしや、お前が? すまない、無礼を詫びよう」
松代と呼ばれた女性は刀を鞘に納めると、一礼した。
「真田藩……藩主、松代大助と申すものだ。
ちぇいす、先ほどの無礼を許して欲しい」
「いや、いいよ気にしなくても……」
「ええ。道行く女子に声を掛ける方が悪いのです」
竜司の言葉はもっともだ。
だから良介よ、彼女をそんな目で見るんじゃない。
「俺は志村良介……その名前は知れ渡ってるから、陸では避けてくれると助かる」
「志村良介……相分かった」
とりあえず、三人は場所を移して海の家へと向かった。
話すならば、強い日差しの下よりも屋根があった方がいいだろう。
というわけでドリンクを手にし、ふたりは良介の向かいに腰掛けた。
「それにしても、志村」
「俺のことは気軽に、良介でいいよ。で、なに?」
「うむ……お前は存外、背が低いのだな」
近くまで来て正確に分かったが、大助の背丈は170センチ近くある。
厚底の靴でも履けば、良介に届き得る長身だ。
「ああ、よく言われる」
「伝え聞く噂では、
『夷俘の魔物は身の丈2メートル、体重は200キロの大男』だと聞いていた」
「ですから、志村殿はそのような人外ではございません……」
「そんな巨人、身体検査で跳ねられちゃうぞ」
「見れば、お前の躯体は鍛えられたものだとわかる。
熟達の刀鍛冶が打ち、研師によって磨き上げられた刀のようにな。
しかし加速度で腹わたが潰れそうになるあの機動を、
その細身で出来るとは思えん」
政府側でどのように扱われているのかは、良介からしてみれば新視点だ。
たまに資料で政府支配圏の新聞を見る機会はあったが、良介に興味はなかった。
「なるほど……他にはどんな風に?」
「異界から来た、魔物の如き醜男」
「はっはっは、なるほど。言い出したのは、俺の顔を見た事がある奴に違いない」
「……そうか? 私には、そうは見えないが」
「違う違う、俺様の美貌に嫉妬して、真逆の事を言い出したんだ」
「……」
大助が視線を竜司の方へやった。
その表情は、ちょっとげんなりしていた。
「……はい、こういう方なのです」
「俺は胸を張って自分の魅力を肯定しないと、
昔、付き合ってくれた女の子達に失礼だと思ってるんだ。
変わる気はないぜ?」
しばし、ふたりは硬直し。
背中を向けて密談を始めた。
「……なんだ、この男は。誠実なのか、だらしがないのかわからん」
「申し上げたでしょう? 空でも陸でも、わけがわからないのです。この人は」
「聞こえてるぞ、おい」
貶されているとはいえ、良介は懐かしさを感じていた。
10年前、日本で過ごした学生時代最後の夏。
あの青春の夏を想起していた。
いつまでも懐かしんでいるわけにもいかない。
もう、そういう年でもないのだ。
それはともかく、もうひとつ聞くべきことがあるのではないか?
竜司と大助を見渡して、良介は尋ねた。
「ところで、竜司ちゃん」
「はいっ、なんでしょう」
「……なんで水着?」
もし大助が良介に挨拶をしたくて探していたとして。
それで水着になるというのは、おかしな話だ。
指摘された竜司は視線を逸らすと、心なしか頬を赤く染めた。
「その、本当は興味などなかったのですが……」
「うんうん」
「鈴木殿が、海水浴場へ行くならついでに遊んでいったらどうかと。
そう、仰られたので」
「……あのおやぢが?」
珍しいことがあったものである。
ボスは部下の休みに割と口を出すタイプである。
やれそこは行かない方がいいだの、やれそこで休んでいいのかだの。
とはいえ、伝え聞く昭和の伝説と比べれば可愛いものだが───
「……もしかして、ここ来る前に水着も選んでた?」
「ああ。私と共に」
「まっ、松代殿ぉ……」
堅物のような印象を受ける竜司だが、存外可愛らしい一面もあるではないか。
───俺は気づいてたぞ。
黙れ。
知ってたアピールはさておき、ふたりはよい休暇初日を過ごしたようだ。
「うんうん、ふたりとも……」
安易な言葉遣いをするな、志村良介。
竜司はともかく───大助の水着はとんでもないのだから。
「大助のその、沐浴着? それも買ったの?」
「いや、元から身に着けていた下着だ」
どっせーい!
良介が昭和の如く飛び出すわけにはいかないので、私が心の中で飛んだ。
ブラとパンツだけで海水浴場に出るのは、端的に言って普通ではない。
藩主の娘で姫様と慕われている彼女だが───かなりエキセントリックな人間のようだ。
「なるほど……その、見事だよ。ふたりとも」
個人のセンスはさておき、竜司と大助はふたりとも可愛い上に見事なスタイル。
正直、見ていてうれしいコンビという点は私も否定できない。
「ええっと、恐縮です。志村殿」
「ふむ。下着を褒められるのは、不思議な気分だな」
そりゃそうだろう。
とはいえ公衆の面前で、それも本人が堂々とその姿で現れたのだから窘めるのも躊躇われる。
こんな話をこれ以上広げるわけにもいかず。
良介は話の方向性を真面目な方へ変えることにした。
「そういえば、えー、大助」
「なんだ?」
「真田藩は、これからどうなるの?」
真田藩は停戦直前のギリギリに幕府側の支配圏となり、政府側の勢力は退去した。
ならばあとのすべてを幕府が決める───
という、単純な話ではあるまい。
「……停戦中ゆえ、詳細は未だ協議中だ。しかし空軍総裁である松平宗治郎殿が、
前藩主である父の助命に協力を約束してくれた」
「こういう言い方をして、気分を悪くしちゃったら申し訳ないんだけど……
大助は自分から裏切ったんだよね?
でも協力を約束ってことは、そっちから助命を頼んだわけで……」
謀反を起こすという事は、刃を向けるも同義。
親子でありながら、殺し、殺される関係になったはずなのに。
あの戦いで散った、龍虎隊隊長も同じ疑問を口にしていたはずだ。
「志村。お前は……約束を守れるか?」
その表情と声色から、良介は分析した。
彼女は、誰かとこの話を共有したがっている。
それくらい、心の重荷になっているのだと。
まだ大助から年齢を尋ねていなかったが、良介より若いのは確実だ。
だというのに、いち武装勢力のリーダーを務め、大勢力と渡り合わねばならない。
そうしなければならない出自だとしても、軽々とこなせるようなプレッシャーではない。
良介はそういう女の子を見ると、黙っていられない性質であった。
「俺は女の子が話してくれた秘密は、墓まで守り通す男なんだ」
「私は、書類の上では男だぞ?」
「……」
「冗談だ。わかった、あの空で共に戦った仲だ。竜司も同じく信じよう」
のどを潤すためか、大助はひとくちお茶を含んだ。
良介も続いてお茶を飲むと───
なぜか、海外のように砂糖の入った緑茶であった。
「……なんでこのお茶、砂糖が入ってるんだ?」
「といいましても……外で甘くもない飲み物を、
お金を払って飲む気になどなれますか?」
「でも、斗米基地に移動する時に買ってくれたお茶は砂糖抜きだったじゃないか」
「休憩所のお茶といえばああいうもので、
観光地のお茶といえばこういうものです」
これもまた、文化の違いというやつだろう。
それはさておき、大助の心が決まったらしい。
「私も、茶は甘くない方が好きだ……
端的に言えば、あの謀反は父と同意の上、行ったものだ」
「藩主とグルって……何のために?」
「幕府のやり口は知っているな? 腰は重いが、やると決めれば徹底的だ。
それが反乱ともなればな」
良介は未だ、その幕府のやり口とやらは片鱗しか見ていない。
しかし葦原人を見れば、それが共通認識であることくらいはわかった。
「真田藩は奥葦原の中でも、真っ先に政府側についた藩だ。
もし、幕府が戻ってくるとなれば……粛清は免れんだろう。
藩主の一族はもちろん、軍や民まで。ある程度の地位があればな」
その主張は、政府側が幕府に対して行ったものに近い。
やたら政府側が強気なのが良介も気になっていたが───
当人たちからしてみれば、相手が普段やっていることをやり返しただけに過ぎないのかもしれない。
「無論、軍事作戦も領地の犠牲を顧みないものとなるだろう。
占領できぬとなれば、三式弾や戦略爆撃で西海道や街を潰し、
陸路を無力化することも考えられる。
……西海道は葦原の東西を結ぶもの以前に、真田藩の生命線。
破壊されれば、民の生活は破綻する」
そういえば、良介も大助と龍虎隊隊長の会話からそのような裏を想像していた。
本人の思惑としては、かなり近い所だったようだ。
「話を、謀反の理由に戻そう。
もし、我が父が舌の根の乾かぬ内に幕府へ再び寝返れば。
それはただの蝙蝠。いずれ、同じことを繰り返すと見られる。
幕府は事が落ち着けば、根伐りも辞さぬだろう。
しかし、私が謀反を起こせば。
私を重用せぬ無能な政府に媚びを売る、父を除くという動機が。
かつて白痴と呼ばれ、今や空戦以外に興味のない、空戦鬼と呼ばれる私にあれば」
「……御しやすいトップを、わざわざ排除しなくてもいい?」
「私は真田藩の地位を維持する条件として、
停戦終了後もいち飛行士として葦原奪還の協力を約束している。
真田を全面衝突の舞台とせず、お家を残すには……
幕府相手には、そうするのが最も確実だった」
すると、少し話が変になる。
そうするならば前藩主は───消さねばならない。
さらには助命を乞う行為すら、禍根の種と見られても不思議ではない。
本来ならば話の矛盾点と捉えるべきだが、良介は彼女と接して少しだけ理解していた。
「……それって、大助の独断だろ?」
「ああ。父上の言いつけを破り、助命を懇願した。
……私を長年育て、空を飛びたいという願いを叶えてくれた。
その恩を、仇で返したくはなかった。
松平公は話の分かる方で助かった」
確かに宗治郎が飛行機バカでなければ、危うかっただろう。
「うーん。それにしても幕府って、悪役みたいな扱いをされてるような?」
「確かに、松平公とは運よく話がついた。
しかしそれ以外では、悪役の如き振る舞いが多い」
「それはっ、違いますっ」
ここに来て、竜司が初めて口を挟んだ。
彼女が幕府に持つ敬意は強い。
悪役扱いをされては、黙っていられなかったのだろう。
「幕府にも、都合というものがあったのです。
必要だから、そのような事を……」
「礼を欠くことを言うが……空知、お前は新選組の出身と言ったな」
「……はい」
「隊長の山義歳三除く、飛行士の全員が夷俘島飛行学校の学生と聞く」
「そうです」
「夷俘の生まれなのだな。ならば30年前、幕府が奥葦原で何をしたのか。
知らぬわけではあるまい」
良介も過去の資料で読んだことがあった。
詳細は検閲ばかりで把握できなかったが───
夷俘島の開拓のために、葦原各地から人を集められたという。
その詳細が黒塗りなのだから、嫌な予感がするというものだ。
「……」
「良介。これは幕府が検閲している話ゆえ、お前は知らないだろう。
夷俘島開拓のための強制植民だ。奥葦原の各藩が素直に従ったのをいい事に。
軍備の強い他地方に強く反発されれば、そこだけは数を多く減らした……
卑劣だ。私に学と教養はないが、葦原を束ねる器にないことくらいはわかる」
「ですが……ですが当時、工業興産令による農地の減少が問題化していました。
葦原の食糧事情のためには、夷俘島の開拓は急務でした。
それに徴発された多くが、無頼集落の住民だったと聞きます。
工民にも出来ぬ人間の口減らしのために……!」
無頼集落。
竜司の出身であり、日本でいう被差別部落と呼べる存在だ。
その差別ぶりは尋常ではなく、今の葦原で大多数の人間が就く工民───工業従事者にすらなれない不文律があった。
一種の穢れ思想が根底にあり、技術が魔法を越えた央暦1969年にも間違いなく存在した。
損得や理屈ではなく感情が根元だからこそ、解消は極めて困難なのだ。
「無頼集落の住民は罪人を……」
「ちょっ、ちょっとストップ!」
大助がまじであかん事を言いそうだったので、良介は慌てて間に入った。
この構図はかなり難しい状況だ。
竜司は恩のある幕府の名誉を守るため、彼らの行なった非人道的な行いを肯定しようとしている。
確かに食糧事情の解決は大義名分になり得るが、世帯の生活を破壊をも肯定するべきかは極めて怪しい。
もっとも、それを強行出来るのが権威主義という政治体制なのだが。
さらに、無頼集落出身者が多い夷俘島。
その中で再び作られた無頼集落という、残酷な構図も背景にある。
では大助の言論が正しいかと言えば、かなり違う。
良介の価値観で言えば、の但し書きが必要だが。
恐らく彼女が言葉を続けていれば、連座制と棄民政策の肯定となっただろう。
彼女には彼女の生まれ育った環境というものがある。
人はその環境によって、人格は大きな影響を受ける。
それが当然の環境で育つのが、葦原の武家という階級なのだろう。
だとしても。
大助の口調からは、冷笑や侮蔑の感情を感じられなかった。
例えるなら、聞きかじった知識をひけらかす子供。
意味を理解する前に、概要を知ったばかりの話題を無邪気に口にしているように思えたのだ。
まだ、知ったかぶりを披露する程度ならば微笑ましいものだ。
問題なのは、相手が犠牲になった当事者である事実に想像が及んでいないこと。
だからこそ、錦の御旗を掲げて高圧的に断罪すれば───
彼女は周囲を置いて、本当に行ってしまう。
良介はそう見た。
さて、どうするべきか。
良介の言葉で一旦止まってくれたふたりだが、放っておけばこの火種は再燃する。
喧嘩の仲裁は得意ではない。
しかし、女の子が心苦しい思いをしているのを良介は黙って見ていられなかった。
それにこの炎は、彰義隊にも延焼しかねない。
これは間違いなく綱渡りになるが───なに。
お前が普段、空でやっている行為と大差ないだろう?
───ちぇっ、自分の事なのに他人事みたいに言いやがって。
そうだな。
ほら、ふたりがお前の言葉を待っているぞ。
行動し、かつ思考しろ。
「……いい? 俺はふたりの言うこと、どっちも全面肯定は出来ない。
葦原には葦原の理屈があるように、日本の理屈もある」
あくまで、よそ者の感想。
そこはハッキリさせて、良介は続けた。
「大助。確かに、人口吸い上げられたっていう怒りはわかるよ。
松代家は藩主、統治者の家なわけだから、かなり忙しかったんだろうね。
その植民もなんか不平等なのは聞いてるとわかったし、
他にも不満があるのはわかる。
だけどさ……それで連れてかれた人間の属性で反論するのはおかしくないか?」
あの言葉を最後まで言わせていれば、論争は感情のぶつけ合いになる。
たとえ、話の流れで途切れた部分が想像出来たとしても。
そうなれば、理解は最も遠くなってしまう。
「それに……過去や先祖がどうたらって話をしたら、
松代家が幕府や政府を裏切ったって話、
事情があっても絶対に許されなくなっちゃうぜ?」
「……それは、その通りだ」
ここで屁理屈を捏ねて反論しない程度に、大助は素直だった。
言い方を変えれば軽率だが、過剰な指摘は反発を生む。
「竜司ちゃんの言うように、
幕府が一方的に悪役にされるのはちょっと違うと思える。
食糧事情ってのは、国としては重要な課題だろうからさ……
だけど、夷俘島の住民の大半は、その無頼集落出身なんだろ?
竜司ちゃんも夷俘島の無頼集落で暮らしてた経験があるとしても、
直接知らないことだとしても、当時の人らを無視するのは、ちょっと違わない?」
「……!」
30年前、良介ですら生まれていない時代の話だ。
その良介より年下の彼女が、強制植民の当時を知る術は口伝(資料は検閲あるいは削除されている)しかない。
「ですが、幕府にも食糧供給の改善という事情が……!」
「大丈夫、それはわかってる。その上で、生活全部捨てさせられて、
見知らぬ土地で畑耕せって言われた人たちは、どう感じたと思う?
普段差別されてた本人たちの前でそれ言ったら、どんな反応されると思う?」
良介の言葉で、幕府という権威を傘にしていた竜司は想像を働かせたらしい。
数秒の沈黙の後、視線を伏せた。
「……怒るでしょう。その理不尽に」
「竜司ちゃんは幕府に恩があるから、
悪く言いたくない、言われたくないのはわかるよ。
でも事情があったとしても、移住させられた側としては悪役だよ。
本人達からしてみれば、必要悪になるのは覚悟の上だっただろうし」
いくら棄民政策を押し付ける側だとしても、恨まれずにことが済むとは思わないだろう。
その恨みは───今のところ、夷俘島で爆発はしなかった様子だが。
さて、ふたりは意気消沈してしまった。
的外れな論点でバトっている状況よりはマシだが、もう一歩先に進まなくては。
「確かに、幕府が奥葦原に色々やらかしたのはわかる。
もうやっちゃったんだから、変えられない……
でも、今とこれからなら変われる。そう思わない?」
「出来るのだろうか? 政府の下剋上が失敗し、幕府の天下が戻れば。
また、同じ世に戻ってしまうのではないか?」
大助の懸念はもっともだ。
実際、彼女とその父があのような謀反劇を演じたのも、幕府を信用していないためだ。
そこで───この場では良介と竜司しか知らない幕府の秘密を明かすことにした。
「大助。俺は君の秘密を墓まで持っていくと約束した。
だから俺は今から、幕府の秘密をひとつ話す。
漏らさないって約束してくれる?」
「……? ああ、約束しよう」
「お父さんの助命に協力すると約束した、松平宗治郎っておやぢ。
あいつはね、大和幕府の征夷大将軍、大和利信の兄貴なんだ」
「えっ……?」
秘密というより、知れ渡っていないだけとの事だが───
この話題は、大助の意表を突いたらしい。
「それでさ、
宗治郎のおっさんと利信将軍は俺のところへ来て密談した事があるんだ……
本人曰く、将軍として改革を目指してるんだってさ」
「その件は、私も保証します」
幕府の長たる将軍といえど、実態は本人の権限などそう多くない。
書類の上では全ての決定を下しているとされるが───古い時代ならまだしも時が経ち、技術が進歩し、多角化し、情報が高速化し。
すべてをひとりで執り行うのは難しくなっていった。
故に政治は老中を、軍は総裁をと権限が分散・委任され。
権威であるはずの将軍は看板や判子係となり。
最終的に民意によって選ばれた代表や、ましてや権威でも何でもない少数が多くを動かしていた。
兄は国外留学を経験し、本人も国外の書籍を読み漁る勉強家と聞く。
外を知り、自分達の限界を悟っていたのだろう。
政治を春川親王に変換する大政奉還は、そのための第一歩。
その一歩が果たしてどうなるのか。
持てはやされていても、結局は枝葉に過ぎない良介に知る術はなかったが。
「……そうか。幕府も、変わろうとしているのか」
「本人の言葉を鵜呑みにするなら、だけどね」
エラの発言を信じるならば、宗治郎は割と誠実に行動しているらしい。
一方、対面した印象の良かった将軍は怪しくなったが───
利害が一致している今のところは、信じてもいいだろう。
「……空知。お前にはひとつ、謝らなければならないな」
「私、ですか?」
「ああ。私はお前の出自や気持ちを考えず、
軽率にものを話していた。すまない」
良介が話題に上げた、竜司が無頼集落出身者という件だろう。
それに途中で止められたとはいえ、竜司をはじめとした夷俘島の住民全てを罪人の子孫扱いしようとしてしまったのだから。
大助は静かに、深々と頭を下げた。
「あっ、頭をお上げ下さいっ!
武士たるもの、容易く頭を垂れるものでは……!」
「しかし、誤った行為は正すべきだ」
───な、なんか素直過ぎてちょっと怖いかも?
大助は先ほど、過去に白痴と呼ばれた過去があると言っていた。
感情を抑えたような口調から飛び出す軽率な言動と素直すぎる面が、周囲からそう蔑まれる原因になっていたのではないだろうか。
ただ、これだけはハッキリさせておく。
素直なのは紛れもなく、彼女の美点だ。
───異論はないぞ。
脳内で会議を繰り広げつつ、良介は成り行きを見守る。
大助の素直さに竜司は混乱していたが───
「……確かに、幕府にも過ぎた面があったのは、事実です。
私も旗本という地位に浮かれて、過去を忘れていました。
私も、謝罪します」
ふたりはぎこちない笑みを浮かべながらも、握手を交わした。
被差別階級からの成り上がりと、軽視され続けた古来からの地方武家。
関係は、とりあえず修復された様子だった。
「うんうん。ふたりとも辛気臭い仏頂面より、明るい顔の方が似合ってるぜ」
ここでようやっと、良介も心からの笑みを浮かべる事ができた。
「せっかくのバカンスだ……遊ぼう!」
次回の投稿は17日月曜19時となります




