102 世博展示飛行「THE DEMON LORD’s CIRCUS」
央暦1970年3月17日
長坂
葦原国大和幕府空軍第1航空団『彰義隊』第1中隊『ペンギン』
志村“Chase”良介二等空尉
良介は一介のナンパ野郎として───たとえ現公が守備範囲外だとしても、ここは譲ることが出来なかった。
「ふぅ、ふぅ……現公ちゃん。どうぞ」
「あ、ありがとうございます……その方は、大丈夫なんですか?」
「いーのいーの、足腰頑丈そうだから」
混んでいる中、謎の大荷物で座席を占拠していたおやぢを荷台に放り投げた良介は、空いた席に現公を腰掛けさせた。
そのような荷物を座らせるくらいならば、女の子が腰を下ろした方がバスも喜ぶというものだ。
こうして、ふたりはバス左側の座席を手に入れた。
車掌のおねーさんも清々した表情で黙認してくれたのでOKである。
長坂空港周辺は背の低い工場が立ち並ぶ工業地区である。
もちろん、航空機の運用に支障をきたさないために、煙が生じないタイプの業種だ。
工業地区とはいえど道路の舗装は未発達で、見える道路全てが砂利道となっている。
さらに至る場所に窪みがあり、バスは頻繁に揺れた。
ほらガクン。
また穴ぼこにタイヤが入り込んだぞ。
「おおっと……現公ちゃん、大丈夫? 酔ったりしてない?」
「はい。数日前は、地獄のような揺れに襲われましたので」
「ははは。あのフライトと比べちゃ、この程度訳ないか」
あの暗殺未遂事件では、キンシは回避のために上下左右に機動していた。
それと比べれば、命の危機すらないのだ。
車の揺れ程度、可愛いものに違いない。
「曲がります、ご注意くださーい」
言うまでもない事かもしれないが、葦原人の運転は基本的に荒っぽい。
さらに仕事でタイヤを回す人間のそれときたら、現代日本人がおっかなびっくりのクリープ現象で通過するような閉所も、平然とアクセルを踏む。
カーブとて例外ではない。
結構なスピードを出しながら、バスはぐいっと幹道へ出るために左カーブした。
「おおっ……ぬおっ!」
ガコンッ!
その時、バスのタイヤが縁石に乗り上げ───
着地したと思いきや、もう一度猛烈な衝撃が車内を襲った。
「停止しまーす、ご注意ください」
傾いたバスの外でガリガリと金属の摩擦音が轟き、さすがの運転手も緊急停車を実行した。
「な、なんだぁっ……?」
「りょ、良介さん見てくださいっ。おタイヤが……」
現公が指さす先を見やる。
バスの前方左側では、コロコロと大型のタイヤが転がり───
ぽてんと道路上で倒れた。
「脱輪したんだ……そりゃ、傾いて路面削るわけだよ」
しかし、縁石に乗り上げて脱輪とは。
とんだ整備不良車だ、バス会社は何をしているのだ?
「外を確認しますので、少々お待ちくださーい」
さすがの葦原人でも、脱輪は動揺するらしい。
運転手と車掌が車外へと出て行く。
彼が応急修理をするにしても、少し掛かる。
では、代車が来るのを待つか?
背後から後続のバスがやって来て、良介たちの乗るバスを抜かしていく。
余剰車両など会社にあるわけがない、オペレーション側もこの状況を把握するまでどれほど待つ必要があるか。
「良介さん……どうなってしまうんでしょうか?」
現公が興奮と不安が入り混じった表情でそう言う。
彼女にとっては、恐らくすべてが非日常に違いない。
死ぬほどの状況ではないが───せっかくの機会は潰れてしまうかもしれない。
良介は、気分の沈んだ女の子を放っておけないタチだ。
そうだろう?
「ふぅ……現公ちゃん、ちょっと待ってて」
「あっ、良介さん⁈」
良介はバスの窓を開いて飛び降りると、飛んでいったタイヤを転がして左後輪へ向かう運転手に話しかけた。
「よう、直せそう?」
「設備はあるけど、人手が欲しいっすね。車掌は細腕の女なんで」
車掌は車体下からスペアタイヤのパーツを取り出していた。
数名で出来る仕事に違いないが───男手が欲しいところだろう。
「そのタイヤは?」
「ダメダメ、うちのへぼ整備がへぼ締めねじ使いやがった。
中で折れてやがる」
見ると、確かに中折れしたボルトで穴が埋まっていた。
これはそのまま流用するのは無理だ。
やはり装備されているスペアタイヤ一式を使うしかない。
「本社に連絡は?」
「無理無理! 世博で忙しくって、誰も出やしないよ」
「ああ……だよな」
やはり、国際的なイベントだけあってキャパオーバーしているらしい。
ここは一旦、長坂空港まで戻って違うバスを探すか?
それはよくないだろう。
バスは結構な距離を走り、ちょうど空港と会場の中間くらいの場所で脱輪している。
良介は展示飛行のために周辺の地理を頭に入れているから間違いない。
中間とは、どちらの果てにも遠い場所なのだ。
「……こりゃ、直すの手伝った方が早いな」
「だと思うよ。もうひとりくらい欲しいけど……」
良介と運転手が客席を見上げると───
「なんでもええから、早くしろや!」
「こっちは金払っとんねんぞ! 動かせや、仕事やろ!」
と、非常に無責任に野次を飛ばしていた。
「早くして欲しいなら手伝えよ。そうすりゃ、早く済むぜ?」
「知らんわ、ワイの仕事ちゃうぞ」
「私らに工民の仕事せえ言うの?」
どうやら、やる気があるのは良介と車両のスタッフだけらしい。
「りょ、良介さん。お手伝いします!」
「あ、現公ちゃんは待ってて! 重量物だからさ!」
窓から現公が協力を申し出てくれたが、さすがに彼女が手伝うにはバスのタイヤは重すぎた。
立ち上げるのも困難で、倒れ込めば大怪我は避けられない。
ありがたい申し出だが、何かあった時に良介は責任を取れない。
「というわけで、ふたりでやるしかない」
「ちぇっ……まあ、いいけどさ」
良介とて、伊達に長年航空自衛隊に務めていない。
整備は専門外だが、最低限の工具の使い方は心得ている。
いるだけのバスの客を車外へ追い出し、乗り込み口の床下からジャッキを取り出す。
このジャッキというものが面白く、空気で膨らむいわゆるエアージャッキというやつであった。
「……もうエアージャッキあるんだ」
「こいつを押し込むのが、一番大変なんだよな……」
エアージャッキは、端的に言えばバスの重量すら支えられる強度を持つ超固い風船である。
問題は、こいつを車体下に押し込む手順は手動という点だ。
「持ち上げる?」
「そう、持ち上げる!」
改めて、良介は客たちを振り返った。
クソ生意気にも、全員がそっぽを向きやがった。
「ちぇっ……いいよ、こういうのには慣れてる」
「あの、良介さん。やっぱりお手伝いしましょうか?」
「いや、ほんと、これ危険だから……」
改めて、現公の好意は気持ちだけ受け取り───
さあ、普段の鍛錬の見せどころだと意気込む。
その時だった。
周囲を走る車で、初めて近くに止まる者が現れた。
運転席から出て来たのは───良介と同じく前髪が長い、しかし後ろ髪は乱雑に束ねたポニーテール。
ちなみに、男なので良介は興奮しない。
「おいっ。ロック、待て……!」
助手席には、色白かつ白い髪をした少女。
彼女は間違いなく、彼の事をロックと呼んだ。
───葦原人に見えるけど……なんかTACネームみたいだな。
他人の呼び名など気にしている場合か。
それよりも、ロックという男だ。
前髪の隙間からは時折、恐ろしく鋭い目が姿を現す。
まさしく、視線だけで殺せる目。
それになんとなく、良介の勘は言っている。
───こいつ、同業者だ。
立ち振る舞いというか、周囲への確認を怠らない隙のなさというか。
似たような類似職種の人間はいるが、同業者はなんとなくわかるものなのだ。
ロックは良介の目前に来ると、口を開かぬまま対峙した。
その感情を、表情や仕草から伺うことは出来ない。
しかし。
良介は似たような人間を、よく知っている。
虚無を抱えた、心を病んだ人間を。
「車体持ち上げよう。頼める?」
ロックは頷き、運転手と良介の隣で車体に手を掛けた。
そして───
「よっ……」
「ぐおおおっ……」
「……」
ロックはうめき声ひとつあげず、バスの車体を水平に傾けた。
運転手の事はよくわからないが、ロックの膂力はかなりのものと見えた。
生じた隙間に、車掌がジャッキを押し込んだ。
「入りました!」
「よし、降ろせ……!」
運転手の指示で、ゆっくりと車体を戻し。
あとはそこまで人手のいる作業ではない。
ジャッキで車体を水平にして、スペアタイヤを固定して完了だ。
「ありがとう、助かったよ。
さすがの俺も、あれをひとりで持ち上げるのは無理だ」
「ひとりじゃなく、ふたり!」
運転手は無視、そもそも奴が無茶な運転をしなければ脱輪しなかったのだ。
良介がロックと呼ばれた男に礼を告げると、彼ははにかんだ。
非常に寡黙だが、感情がないわけではないらしい。
視線の隅に、白銀の動体。
意識を向けると、ロックの隣にいた銀髪の少女が彼のズボンを引っ張っていたのだ。
「終わったんだろ? なら、早く行こう……」
良介の守備範囲外の、幼い少女だ。
人見知りでもする気質なのか、怯えた様子でロックを急かしている。
「邪魔して悪かった。謝礼が欲しいなら、バス会社に連絡してくれ」
「おい、勝手に決めるな! ……謝礼出せるほど、うち儲かってないんだぞ」
「……いい」
ようやく、ロックの声が聞こえた。
黙れと命じようが構わずしゃべる良介と違って、本当に最低限の会話しかしない寡黙な男のようだ。
名前すら告げずに、ロックとその相方は車に戻り。
一瞬の通行の隙を縫うように発車し、幹道を走り始めた。
「うーん。乗客の皆々様とあいつのおかげで助かったぞ」
良介は周囲に聞こえるよう、わざと大声で呟いた。
悠々と過ごしていた誰かが舌を鳴らした。
舌打ちひとつで応急修理をしてもらえるのだ、大した御身分である。
「良介、さん……」
志村良介よ、失態だぞ?
お前は暗い気分の女の子に声を掛けるから、かろうじて生存を許されている迷惑生物だ。
しかし、お前が女の子を暗い気分にさせたら。
それはもう、即刻極刑モノの大罪ではないか。
「……ごめん、現公ちゃん。
せっかくの世界博覧会だ。楽しまないとな」
彼女に礼を告げると、良介は元の席へと戻るのだった。




