94 世博展示飛行「THE DEMON LORD’s CIRCUS」
央暦1970年3月13日
長坂 旧藩立井波病院
大和幕府空軍改方
千代
───どうか、無事にお戻りください。
私は意識が覚醒した直後、五感が働くより先に“声”を感じた。
ここまで明確に思念を捉えられるのは、本当に至近距離にいる人間だけだ。
血流が意識を明瞭にさせ、暗闇の中にあった世界が徐々に光を取り戻していく。
瞼を開く事さえ気だるい体調の中、私は目前の物体を認識する前に手のひらの熱に気づいた。
まだ、この温かみからは離れたくなかったが───
この光景をお堅い人々に見られれば、面倒になる。
「っ……ぁーっ。よく寝た」
喉を無理矢理動かし、声を発する。
───起きた……!
「お目覚めになられたんですねっ」
声の主に視線をやると───思った通り。
命に代えても守らなくてはならない人物、春川親王その人だった。
春川親王の容姿は過去に一度、私は至近距離でまじまじと見ていた。
あの時は状況が状況だったので、恐怖に引きつっていたが───
今、彼女の表情には強い心労が浮かんでいた。
京の、やんごとなき方として扱われていたお姫様が、討幕派に神輿に祭り上げられ、さらには対する幕府からも使える権威として利用され。
頼るべき父親は討幕派の攻撃で死に、弟は対立勢力に擁立され。
それを自分の意思に関係しないところで全て決められたのだ。
投げ出さない、自暴自棄にならないだけでも、相当な精神力である。
───大事はないか、確認しないと……!
「千代様、お加減は? 痛みますか?」
「ええ、そりゃとーっても痛いですけど……」
私は管の繋がった自分の腕と脚を動かしてみた。
続いて、手足の指。
大丈夫、五体満足だ。
「親王殿下、無礼を承知でお聞きしたいんですけどぉ……」
───な、なにかあったのかな……?
「なっ、なんでしょうっ?」
「あたしの首、ちゃんとくっついてます?
これは自分じゃ確認出来なくってさぁ」
こればかりは鏡がなければ目で確かめられないが───
もし離れているのならば。
私は死霊術の歩く屍となったか、あるいは幽霊となったかのいずれかだ。
つまり、これは冗談だ。
「……ふふふっ、あのような修羅場を越えて、そのような冗談を言えるなんて」
───千代さん、強い人。良介さんみたい。
恐らく春川親王に自覚はないが、初めて出会った時に居合わせた男の名が出た。
志村良介、チェイス───
幕府の八咫烏、畏怖の魔王。
私ですら何も見えない、何もわからない、未知の存在。
見通すことの出来ない暗闇。
だからこそ、惹かれた存在。
もし今の私の態度が彼と似ているのなら、意識が朦朧としていても擬態はうまくいっているのだろう。
暗殺者の印象に似つかわしくない、社交的で明るい少女という擬態が。
もっとも、素の態度を見せろとなどと言われても、ないものは出せないが。
「こうしてあたしと殿下が平然としてるって事は……
着陸、うまくいったんですね」
私は着陸の直前に意識を失ってしまった。
あの失神は失血が原因だろう。
今は治癒魔法による止血消毒と輸血によって、危機は脱したといったところか。
「はい……千代さんが途中で手伝ってくださったおかげです。
あなたがいなければ、長坂にたどり着く事すら叶わなかったと思います」
───そう、千代さんと良介さん……ペンギン隊の皆様のおかげで。
裏表のない人だ。
初めてではないけれど、政治的な立場を持つ人間では極めて稀だ。
一方で、浅慮や放言癖の激しさと表裏一体である場合も多い。
だから春川親王は、初めて会うのかもしれない。
真っすぐな政治的指導者という存在は。
───千代さん、良介さんは心配じゃないのかな?
そんな思念が漂ってきた。
私はもとより、あの人の事を心配する必要はないと思っているが───
一応、彼女は気にしている様子だから触れておこう。
「殿下。しむすけがどうしてるか、聞いちゃっても?」
「しむすけ?」
───志村良介の最初と最後から取って、しむすけ……?
お堅い相手に、砕け過ぎただろうか。
気を悪くしたような思念は感じないけれど───
───千代さんと良介さん、どういう関係なのかな……?
そこが気になってしまうか。
しかし当然か。
彼女の思念に良介の名が出てくるたびに、温かくてうぶな風を感じる。
あの人は、私の心を動かすほどの人間だ。
それに加えて春川親王は、あのような出会いまで果たしている。
その出会いの原因だった私に非難する権利はないけれど───
罪な男だ、相変わらず。
「良介さんは……ご無事ですよ。
私たちを無事に、長坂まで導いて下さいました」
───幕府の八咫烏、その名に恥じぬ活躍で。
次の帝候補に、ここまで想われるとは。
我ながら、とんでもない男に引っかかって───助けたものだ。
「そっか……それも当然か。しむすけだし」
そう、私はあの男に引っかかってしまった。
だからこうやって、つい真似をしてしまう。
───やっぱり、気になる……!
「千代さん。良介さんとは、どういったご関係なんですか……?」
誰かと、何かを共有したくなる。
そんな欲求を抱いたのは、記憶に残らないほど幼い頃だろう。
「ふふん、実はねぇ……」
だから私は、同好の士と語り始めた。
八咫烏に、導かれるまま。




