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第1話 最悪の出会い

「クソッタレ! どいつもこいつも死ねばいいんだわ!」


 エミリア・バートンは外出先から戻ってくるなり淑女にあるまじき悪態をついた。そばにいた使用人がぎょっとして振り向く。


「どうしてもというから会ってやれば、助けて欲しけりゃ愛人になれですって。父に逆らえずへいこらしていた男が、成り上がった途端手のひらを返すなんて。ふざけるにも程がある!」


 頬が紅潮してるのは、寒い屋外から戻ってきたからだけではないだろう。すかさず執事のウィリアムズが駆け寄り、コートを脱ぐのを手伝いながら、気づかわしげに声をかける。


「何と。危ないことはありませんでしたか?」


「大丈夫よ。平手をお見舞いしてやったから」


「お疲れでしょうから少し休んでください。最近は睡眠もままならないと聞いています」


「ありがとう。でもまだ仕事が残っているの」


 エミリアは老執事に弱々しく微笑んだ。父の横暴にも文句を言わず仕えてくれたウィリアムズを、彼女は家族以上に慕っていた。


 かつてはここボーレンダ地方一帯を治めた地方領主を租に持つ、中世から続く名家バートン家が今、終焉を迎えようとしていた。


 ギャンブルで首が回らなくなり、とうとう詐欺に手を出した父と兄は逮捕され、母は取り乱して話にならない。唯一動けるのは十九歳のエミリアだけだ。


 十八歳まで寄宿舎で過ごし、久しぶりに実家に戻ってから、初めて実家が火の車だと告げられた。それからわずか一年。坂を転げ落ちるようにあっという間に没落した。


 金の切れ目が縁の切れ目、頼れる者は誰もいなくなり、土地と家を売却して借金返済に充てる必要がある。残っている使用人は今やわずかだ。大体は再就職先を紹介した上で解雇した。執事や弁護士に手伝ってもらっているが、莫大な労力と時間を費やし文字通り目が回りそうになる。


 家具などの調度品や美術品も、金目になりそうなものは、全て引き取ってもらった。何代も栄華を誇った家は今や見る影もないが、感傷に浸っている暇はない。父が途中で放り出した書類の山を一刻も早く整理しなければ。そう思った矢先、二階の部屋から金切り声が聞こえてきた。


「これは私の物よ! 誰にも渡さないわ!」


 やれやれ。深いため息をつきながら声のする方へと向かう。予想通り、母が家政婦長に向かってキイキイわめいていた。


「お母様、宝飾品も売り払わなきゃいけないのよ? 何度も説明したでしょ?」


「ふざけないで! あなたまで私を馬鹿にする気? この冷血人間!」


 八つ当たりもいいところだが何も言い返せない。家族の中で自分だけ異質なのは事実だ。でも、どうしてこうなったとはこっちのセリフである。家族とすら心を通わせられない寂しさなんて、説明したところで分かってもらえないだろう。


 バートン家の悪名は父と兄だけが作ったものではない。浪費に明け暮れ、使用人を酷使した母も戦犯の一人だ。彼女が金に糸目をつけずに買い漁った宝飾品や高価なドレスを売ればいくばくかの足しにはなるはず。この際身内に甘いことは言ってられない。


(それでもお母様はいいじゃない。帰る場所があるんだから)


 エミリアは断絶を感じながら母の部屋を出た。同じく家を出るとはいえ、母には実家という帰る場所がある。裕福な祖父母が迎えてくれるのだ。


 しかし孫娘のエミリアは別だ。母と同じく祖父母もエミリアとは折り合いが悪かった。だから一人で生きていくしかない。


 結局、彼女はここから列車で二時間ほどの距離にある、田舎の一軒家を格安で買い取って引きこもることにした。借金の全容が判明する前に、母方から受け継いだわずかな遺産を使って格安で購入していたのだ。その後、父の負債の全額が明らかになり、屋敷も土地も全て手放すことになった。


 これだけ距離が離れていれば悪い噂に煩わされずに済むだろう。借金取りとのやり取りに疲れ果てた彼女は、世間の喧騒と好奇の目から逃れて静かな暮らしをしたいと願うようになった。


 とは言え、これまでお嬢様暮らしだったので家事の類は一切できない。どうしても使用人の助けを借りる必要がある。しかし、前のように多くを雇える金はないのが悩みどころだ。


 執務室に戻るとウィリアムズが一人の青年を伴って再び現れた。


「エミリア様、少しだけよろしいでしょうか? 新居にお供する使用人を紹介したいのですが」


「ああ……そうね。自分のことが後回しになってたわ。で、誰なの? マリア? サラ?」


「警備の問題上、女性は連れていくことができません。辺鄙な場所と聞いてますし、お嬢様の身に何かあったら一大事です。というわけで、腕っぷしの強い者を選びました」


 ウィリアムズが横に移動すると、くせのある黒髪を無造作にのばした陰気な男の姿が見えた。何となく見覚えはあるがなかなかピンと来ない。どこで働いていた人かしら?


 ぱっと見年齢不詳だが、おおよそ20代前半といったところか。背は高いが痩せぎすで、愛想も悪くむすっとしている。エミリアは思わず眉をしかめた。


「男性と二人きりなんて嫌よ。第一、料理や洗濯はできるの?」


「一通りの家事ならソツなくこなせます。どうしてもと言うなら女性もつけますが?」


「お金がないから一人だけしか雇えないの、分かってるでしょ?」


 恥ずかしさを隠すためについぶっきらぼうな口調になってしまう。口にしてから大人気なかったと気づき、微かに頬を赤らめた。


「それなら彼以外におりません。警戒されるのは当然ですが、私が親代わりとして面倒を見てきたので人となりは保証します。十五の時から働き今年で五年目、馬丁の助手をしてました。エミリア様が寄宿舎に入られたのと入れ違いになったので馴染みは薄いでしょうが。無愛想ですが働き者です」


 ウィリアムズの口調は至って真面目だ。彼の言葉だから信じたい気持ちはあるが、普通若い女性に男の従者なんて付けない。どうしたらいいか分からず口ごもっていると、今度は玄関の方が慌ただしくなった。


「おうい、お嬢様はご在宅かい?」


 訛りがきついガラの悪そうな男の声だ。エミリアとウィリアムズは嫌な予感を覚えながら一緒に玄関へ向かった。そこにいたのは、酒臭い息をまき散らす、みすぼらしい身なりの男だった。


「家を畳んで町から出てくんだってな? その前に、治療費を払ってくれねえか? 酔っ払ったおたくの兄貴に殴られてな、ほらここ、歯が欠けてるだろ? 費用はざっと五万トールかな?」


「五万トール? そんなに!?」


 まだ借りが残っていたのか。五万トールと言えば綺麗な石の入ったブローチが買えるくらいの額だ。そんな金はもうこの家には残っていない。


「……分かったわ。ちゃんと払うからしばらく待って――」


「待てねえよ、さっさと払えよ!」


 相手が若い女だから強い態度に出ているのだろう。これからはこんな輩とも身一つで対峙しなくてはならない。体の震えをごまかすために拳をぎゅっとにぎる。


 そこへ、さっきウィリアムズに紹介された青年がエミリアを庇うように割って入った。酒臭い男を見下ろし冷たく言い放つ。


「彼に殴られたという証拠は?」


「ああん? おめえ誰だ?」


「酔い潰れた二人を屋敷まで運ぶのは俺の仕事だったが、そのような暴力沙汰は聞いたことがない。世間知らずのお嬢様だからって適当なことを言うとボロが出るぞ」


 男は凶悪な顔つきになって青年を睨みつけたが、何かを発見したように目を見開いた。


「さてはお前デルア人だな? なんでデルア人がここにいる?」


 デルア人、という言葉を聞いてエミリアははっとした。定住せず一族郎党で固まり、国をまたいで旅をしながら歌や踊りで生計を立てる民族だ。確かに黒髪でやや日焼けした肌をしており、よく見ると彫りが深い。言われて初めて気づいたが、一度そうと分かるとなかなか違和感は抜けなかった。


「だからどうした? お前らと何が違う?」


 男はさらに顔を歪ませる。日頃から差別しているデルア人に挑発されたのがよほど悔しかったらしい。拳を振り上げ手前で寸止めして威嚇してきた。しかし、青年は平然としたまま拳の上に自分の手を被せてきた。節くれだった長い指が蜘蛛の足のように男の拳を包み込む。


「おい、ふざけんじゃねえぞ――」


 青年はそれには答えず、代わりに拳をつかんだ手に思いきり力を込めて強引に腕を下ろさせた。片手しか力を入れてないのに恐ろしいほどの力だ。痩せぎすだと思っていた男の腕の筋肉が逞しく盛り上がるのを見て、エミリアは思わず唾をごくりと飲んだ。


 相手はいてててっ! と叫び飛び上がって後ずさった。たったそれだけだが力の差を知らしめるには十分だ。怒りに燃えた顔がすっかり青くなっている。


「証拠がなければ支払う義理も義務もない。さっさと出ていけ」


 地獄の底から這い出るような低い声に男はすっかり怖気づき、悪態をつきながら屋敷を去っていった。


 その場にいたエミリアとウィリアムズは、呆然としながらこの顛末を見ていた。まるで竜巻が家の中を通り過ぎたようだ。しばらく経ってから一気に全身の力が抜ける。


「どうもありがとう。あなたがいなかったら――」


 しかし、お礼を言ったにも関わらず、相手はぎろっとエミリアを睨みつけた。あまりにも意外な反応に思わず全身が硬直する。


「……どうしたの? 何か不都合なことでも?」


「自分のケツも拭けないお嬢様の面倒なんて、とんだババを引かされたものだ。俺はウィリアムズのじじいとは違う。給金だけの仕事しかしないからな」


「こらっ! 何を言うんだ!」


 横でウィリアムズが慌ててたしなめるが、青年は怒りと憎しみのこもった目でエミリアを睨んだ。父や兄に対する恨みを代わりにぶつけているのだろうか。理不尽極まりないが、生きていく以上ここは折れておくしかない。エミリアはふーっと一息ついてから、はっきりした声で答えた。


「了解。ちゃんと心得ておくわ」


 それを聞き、彼はぷいと背中を向けてその場から立ち去りかけた。まだだ、大事なことが聞けていない。


「そうだ。あなた名前は?」


「クロード。クロード・レヴィ」


 振り返りもせず答えると、クロードはエミリアの前から消えていった。


 ウィリアムズが代わりにぺこぺこ頭を下げていたが、エミリアは、クロードがいなくなった跡をずっと見つめたまま、しばらくその場から動けなかった。ここさえ切り抜ければ、新天地では平穏な生活が待っている。それを心の支えに頑張ってきたが、急に自信がなくなってきた。

 

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